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虎帝妃の書  作者: 五十鈴 りく
⑬Eilidh 1132年10月12日

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52/53

⑬Eilidh ―エイリッド― ⑵

「エイリッドにはたくさん謝らないといけない」


 そう言いながらも、こちらに顔を向けない。

 エイリッドはしょげたままのランドルの横顔を眺めた。


「サイラスのふりをしたこと? 最初に勘違いしたのはわたしだとしても」


 エイリッドが感情的にならずに会話を続けてくれるとわかったからか、ランドルはようやく窺うような目をエイリッドに向けた。


「それも含めて。俺がオーダムセット州からこっちに出てきた本当の目的は、エイリッドに会うためだった。……ただしそれはサイラスのふりをするつもりだったわけじゃなくて、きっともう忘れているだろうサイラスのことを思い出させてやろうとしただけだ。あんたに会いに行こうとしてサイラスは死んだんだって、恨み言を言ってやりたかった。あの時、あそこで偶然に会うなんて完全に想定外だったんだけど」


 そんなことを考えていたとは。

 だとしても、身内としては気持ちの整理がつかなかったのも仕方がない。


 エイリッドが足を止めると、ランドルはやっとエイリッドの目を正面から見た。

 そのくせ、話の内容はひどかった。


「サイラスが大事にしていたエイリッドの写真があって、それを見ていたから成長してもすぐにこの子だってわかった。会ってみたらエイリッドはサイラスの死を知らないままでいて、ずっとサイラスに会いたかったなんて嬉しそうに言うんだ。まさかと思ったけど、本気らしいし。それなら、サイラスのふりをして弄んで捨ててやろうかと思った」


 呆れて一瞬言葉を忘れた。


「あなたねぇ……」

「ごめん、反省してる」


 しょんぼりとして見えるから、反省しているというのは本当だろう。


「俺の中でエイリッドって女は、恨んでも罪悪感が湧かないようなひどい悪女じゃなきゃならなかったんだ。だから、そういう女だって勝手に、ほとんど意識しないで決めつけていた」


 サイラスの死が悲しかったのは当然で、それを抱えて生きていく上で誰かのせいにしたかったと。

 エイリッドは何も知らず無邪気なものだった。ランドルが残酷な気分になったのも彼のせいばかりではないのかもしれない。


「でも、実際に会ってみたらエイリッドは俺が想像していたような女じゃなかった。年頃の娘とは思えないほど、自分の信念は曲げない頑固さでサイラスのことを想っていてくれて、それにも驚かされた」


 年頃の娘とは思えない頑固さとは失礼極まりない。

 それでも事実だと認めているので怒れなかった。


 エイリッドはひとつ嘆息すると苦笑で返した。

 そんなエイリッドの仕草のひとつひとつを、ランドルはそこから何か酌み取ろうとしているかのように真剣に見入っていた。


「それだけあなたもサイラスのことが大好きだったのよね。わたしもサイラスのことが大好きだったから、サイラスに免じて許してあげるわ」


 幸い、弄ばれていないから、まあいいだろう。

 許してあげると言っているのに、ランドルは嬉しそうではなかった。ひた隠しにしている傷口を晒すように顔を歪める。


「ありがとう。でも、まだ言わないといけないことがあって」

「今度は何かしら?」

「エイリッドが気にしていたサイラスのあの怪我、全部俺がやったんだ」

「……あなたが?」


 それは予測していなかった答えだった。

 ランドルは今、教会で告解をするような気分なのだろうか。


「会いに来てくれるたびに、つねって、叩いて、傷をつけた。サイラスのことが憎かったわけじゃない。むしろ、俺を一番気にかけてくれているのはサイラスだった。でも、あの頃の療養所(サナトリウム)しか知らない俺の世界はとても狭くて、健康で外へ行けるサイラスが羨ましかった。だから、会いに来てくれるといつも八つ当たりをした。でも、サイラスはいつもまた笑って会いに来てくれた」


 エイリッドの知るサイラスなら、自分が会いに行かなければ弟がどれだけ孤独に苛まれるのかをちゃんと理解していた。

 だから、行かないという選択をしなかっただろう。自分よりも他の誰かを思い遣る気質だったのだ。


「本当は寂しくて、妬ましくて、それをわかってほしかっただけなのに、俺はちゃんと言葉に出して言えなかったんだ。成長したら喘息も治まって、自由に生きられるようになったけど……。いい子のサイラスは、可哀想な弟を悪く言うような告げ口ができなくて我慢するんだって、ずっとそう思ってきた。でもエイリッドは、そうやってサイラスが俺を護っているって言ってくれた」


 サイラスの口から弟の話を聞いたことがただの一度もなかった。それが何故なのか、エイリッドなりに考える。


 ランドルの話題を出すと、サイラスはエイリッドに弱音を吐きそうになると感じたのではないだろうか。

 本当は悲しかったし苦しかった。その感情に蓋をするため、ランドルの名を口にしなかったのではないかと思えてしまう。


 サイラスも弱い自分と戦っていた。そして、弟のために、あの年頃の子供とは思えないほど立派に打ち克つことができた。それをエイリッドは今になって知り、亡きサイラスに対する尊敬を強くした。


 この時、ランドルはとても苦々しい口調でつぶやいた。


「……それで、エイリッドと知り合って、エイリッドっていう女の子のことを知ったら、毎日会うのは嫌だと思った」

「え、ひどい」


 本人を前にしてそんなにもきっぱり言わなくても。

 何気に傷ついたけれど、ランドルが言う意味は少し違った。


「毎日会ったら、サイラスを裏切るような気がした」

「裏切る?」

「そうだ。毎日会っていたら、サイラスが結婚したいほど大好きだったエイリッドに俺まで惹かれてしまうから」

「またそういうことを――」


 軽口だと思って受け流そうとしたが、今日に限ってランドルは冗談めかして笑ったりしなかった。


「サイラスには悪いけど、でも手遅れだ。エイリッドといると、気持ちが楽になる。強くて、優しくて、尊敬できる。……サイラスは、他の男よりは自分によく似た俺の方が認めてくれるかな。俺の顔を見ていたら、エイリッドはサイラスを忘れないから」


 急にランドルはエイリッドの手を取る。火傷をした右手でなくてよかった。そちらを握られたら勢いよく振り払っただろう。

 左手であってもすり抜けるのは同じだけれど。


「わたしが誰かを選ぶことを前提に話をしないで」

「は?」


 ランドルは目を(しばたた)く。

 真剣な眼差しで想いを告げて、それで断られたことなどないのだろう。

 生憎と、これがその初体験となるわけだ。


「待ち人来たらず。その事実はもう変わらない。それなら、わたしは自分の才覚で夢を叶えなくちゃ」

「何をするつもりだ?」


 ランドルの端整な顔が引き攣っている。それが可笑しくて笑ってしまった。


「仕事をするの。サイラスのおかげで、わたしはこんなに大東語に精通したのよ? そうね、翻訳の仕事がいいわ。大東語の文学を世に広めるのってやりがいがあると思うの。司書の資格も取りたいわ。とにかく、お父様たちの言いなりになって人生を棒に振らない生き方を目指すの」


 口に出すだけでわくわくした。そう、不安よりも期待が上回っている。

 昨今、職業婦人も珍しくはないのだ。エイリッドがそれになって何が悪い。


「……反対されるに決まってる」

「そうよ。縁を切られたとしてもね、ネイトみたいな嫌なヤツと結婚するくらいならいいの。資格の勉強をする間、家を追い出されたらマルヴィナさんのお店で住み込みで働かせてもらおうかしら」


 クスクスと笑ってみせる。

 本当にそんなことができるのかどうかはわからない。

 それでも、自分の可能性を狭めては勿体ないから。


「逞しすぎるんだよ、エイリッドは」

「女性はか弱くあれ、なんて言うならあなたもお兄様やネイトと同じだわ」


 何を言われても口答えせず、静かにうなずく。そんな人間であれと押しつけられるのはまっぴらだ。

 そうしたら、ランドルは少し考えてから言った。


「いや、か弱くなくて、賢いのもいいと思う。エイリッドはどこにでもいるような女にならなくていい」


 そんなふうに認めてもらえるとは思わなかったので、これにはエイリッドの方が面食らった。

 そうしたら、ランドルは真剣な面持ちでエイリッドの目をじっと見つめた。その目の中にもう偽りはないのだろう。


「俺はサイラスじゃない。代わりにもなれない。それでも、エイリッドの旅に付き合わせてほしいって言ったら?」


 ――道連れはいないと諦めた。

 エイリッドと同じ目線で物を見て、共に歩める人などいないから。


 ランドルがどこまで本気なのかはわからない。エイリッドの気を引くためだけに言っている可能性だってある。


 今は本気でも、きっと長続きはしない。

 だからエイリッドは笑顔で躱した。


「もっと大東語の勉強をしないと無理」

「じゃあこれから間に合わせる」

「あと、強くないと駄目」

「俺、よく狩猟に出てて狙撃が得意なんだけど、必要なら体鍛えようかな」


 フッと、整った顔立ちに魅力的な笑みを浮かべる。

 この顔にジェマも弱かったのだ。顔だけは良いから。


「……やっぱり、あなた大東国の美女を口説くようになるから、語学はあまり勉強しなくていいわ」

「妬いてくれるのか?」


 嬉しそうに顔をパッと輝かせた。まるで少年のようだ。

 もしかするとこちらの表情の方が素なのではないかと思う。


「先方の迷惑になったら困るという話よ?」

「これからはエイリッドのことしか口説かないつもり」

「わたし、軽薄な男性は嫌いって言ったでしょ?」

「本気で手強いんだけど……」


 先ほどの嬉しそうな顔に苦悶が滲む。

 サイラスならきっとこんな表情はしない。これがランドルらしさだと思ってクスリと笑った。

 幼少期に三人で過ごせていたならどんな関係になっていただろうか。


 それでも、この人はサイラスではない。

 だから、サイラスの面影を追っても仕方がない。


 悲しい事実だけれど、もうどこにもいない人なのだ。それを受け止めて生きていかなくてはならない。


 ありがとう、さようなら――。

 エイリッドは胸の内で亡き親友にそう告げた。


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