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虎帝妃の書  作者: 五十鈴 りく
⓫雪月 834年?月?日~

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42/53

⓫雪月 ―セツゲツ― ⑴

 この夜、私はまた陛下からのお呼びに応えなくてはならないのだと覚悟をしていました。

 けれど、私たちが知らなかっただけで、この日は国の命運を決する日であったのです。


 夜、あまりの騒がしさから何か変事が起こったのだということだけは肌で感じました。ついに陛下に憑りついている虎が国を滅ぼさんと動き始めたのかと。


 (へや)で身を縮めていた私は、中に飛び込んできた金児によって事情を知りました。


「た、大変ですっ。岱王(せんおう)様を首魁とする暴動が起こりました」

「そんな――」


 私は言葉を失いました。(ばん)が恐れていたことが起こったのです。

 こんなにも早く岱王様が動かれるとは――。


「淑妃様、逃げましょうっ」


 しかし、後宮は妃嬪や女官たちの逃亡を防ぐ造りになっていて、そう易々と外へは出られません。


「陛下はどうなさっておられるの?」

「存じ上げません。ですが、後宮の中へ入られたのは確かです。だから兵は後宮を取り囲んでいるみたいです」

「囲まれているなら、私たちも逃げられないわ」

「つ、捕まったらどうなるか――」


 金児は泣き出してしまいました。

 岱王様が帝位を簒奪するおつもりなら、このところ陛下の伽をしていた私に陛下の御子が宿っている可能性も踏まえ、私を探すでしょう。


 そのまま殺されるか、幽閉の後に身籠っていれば何か薬を飲まされるか、きっと悲惨なことになります。金児は私の心配と同時に、踏み荒らされた後宮で兵たちに乱暴されることも恐れているのでしょう。


「あなただけでも逃げて」


 私が一緒でなければ、金児一人がいなくとも探されないことでしょう。私は金児の無事を祈りました。

 けれど、金児は私を置いて逃げるのは心苦しかったようです。


「そんな。淑妃様を置いてなんて――」


 金児の涙声を最後まで聞くことができませんでした。彼女の胸元から槍の穂先が、彼女の血を纏って突き出したのです。


 私は悲鳴を上げたつもりでしたが、あまりのことに声が出ませんでした。

 金児を貫いた槍が抜かれ、即座に戸が蹴破られたのです。


「き、金――」


 彼女の小さな体は吹き飛び、もう起き上りません。戸の下敷きになった体から、血が流れ出てくるのです。

 金児が何をしたというのでしょう。あんなにも素直で心優しい子だったのに。


 私は目の前で起こったことの無情さに愕然とするしかありませんでした。けれど、乱暴に押し入った兵たちは(へや)の中を蹂躙するのです。


「ここに昏主(こんしゅ)(暗君)はおらぬかっ」


 殺した金児に目もくれず、兵は調度品を倒し、陛下を探している様子でした。私にはほんの少しの礼儀を忘れてはいなかったようで拝礼してから口を開きましたが、鋭い目つきで問いかけてきます。


「周淑妃、(そう)琳紹(りんしょう)を匿ってはおられませぬか?」

「なんてことをなさるのですかっ。あなた方の行いは許されることではございませんっ」


 私は涙ながらに精一杯の気概を見せて叫びましたが、兵たちは眉を顰めただけでした。金児を殺したことなどなんとも思っていないのでしょう。これでは獣も人も変わりありません。


「問いかけにお答えください」

「私は何も知りません」


 私のような弱者に睨まれても兵たちが怯むはずもございません。

 けれど、その後ろから岱王様が甲冑に身を包んで現れたのです。兵たちは道を開けました。


「周淑妃――いや、雪月とお呼びいたしましょう。愛しいあなたが怪我をしてはいけない。あなたは安全なところでお待ちください」

「何をおっしゃっておいでですか?」


 私が唖然としてしまったのも無理からぬことでしょう。それなのに、岱王様は恍惚とした目を私に向けるのでした。


「私は幼い頃にあなたと出会ってから、ずっとお慕い申し上げておりました。あなたが毎夜毎夜、けだもののような男に責め立てられているかと思うと、悩んでいる場合ではございませんでした。一刻も早くお救いせねばと挙兵した次第にございます。どうか、もうしばらくお待ちください」


 幼い頃に会ったとおっしゃいますが、私にその覚えはございません。どこかから私を垣間見た程度のことでしょう。

 粘りつく視線には嫌悪しかありませんでした。


「私は陛下の妃にございます」

「それもあと少しのこと。さあ、もう行かれますように。――この(へや)は穢れておりますゆえ」


 血で穢れているというのなら、穢したのはあなた方でしょう。我欲のために命を犠牲にしているのです。志などあるようには思えません。


 この王朝は(ほろ)ぶのだと、私はこの時に察しました。このような人物が帝位に就いて国が潤うはずがございません。


 それでも私は非力で、抗うこともできずに連れていかれました。閉じ込められた小さな(へや)には誰もおりません。明かりもございません。


 陛下は虎に憑かれたまま殺されてしまうのでしょうか。

 もうあのお優しかった陛下にお会いすることは叶わないのだと考えると絶望してしまいそうになります。

 私は岱王様の妃になるつもりなどございません。私の夫は、本来のお姿の陛下だけです。


 そして、金児のように無害な娘までもが殺されてしまったことを思うと、万はすでに無事ではないのでしょうか。


 私は懐にある守り袋に手を添え、万にも生きていてほしいと願いました。その願いが聞き届けられたのか、扉の向こうから万の声がしたのです。

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