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虎帝妃の書  作者: 五十鈴 りく
⑪Eilidh 1132年10月10日

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40/53

⑪Eilidh ―エイリッド― ⑴

 恵嬪と宦官の子供。殺された二人は同郷だった。

 それが関係するのかどうかはまだわからない。


 こちらに置き換えてみるとどうなのだろう。

 レノックス夫人の来歴をエイリッドは知らない。


 フルフォード家との繋がりはあり、遠縁だとサイラスは言った。しかし、そのサイラスの言動をどこまで信じていいのかという根底が揺らいでいる。


 では、ジェマはどうなのだろう。エイリッドがサイラスとしか遊ばなかったせいか、ジェマの小さな頃を知らない。


 エイリッドがもう少し周囲に目を向けていれば、今、こんなにも悩むことはなかったのだろうか。


 ――サイラスが生きていない。

 あんなふうに、立派な青年には育てなかった。その現実を思うとひたすら胸が痛い。


 あのサイラスは、虎が化けているのか。

 だとするのなら、一体なんのためにだろう。


 姿のいい青年に化ければ、女性(えもの)が寄ってくる。それだけだろうか。

 エイリッドは身震いした。


 けれど、目をギュッと閉じると、成長したサイラスと会った日のことが思い出される。感情は豊かで、軽口も叩いた。

 雪月が書き記したような獰猛さは見受けられない。ただの人間にしか見えなかった。


 エイリッドは、人伝に聞いた情報しか持たない。もしかすると、サイラスが死んだというのは何かの間違いで、あの人がサイラスだという可能性はないだろうか。


 そんな都合のいい話はないと言われてしまうかもしれない。彼は偽者だと。

 けれど、幼少期の痣の話をした時、サイラスは反応を見せた。あの動揺は演技ではなかったように思う。


 ――雪月の書の中の皇帝は、虎に憑かれているだけで体は本人のものらしい。

 同じ状況だとは限らないけれど、サイラスが仮に虎に憑かれているとしても、生きていてほしい。

 もう二度とサイラスに会えないことの方が悲しかった。


 エイリッドはこのまま、頭に靄がかかったかのようにして生きていかなくてはならないのだろうか。


 思い悩んでいると、部屋の扉がノックされた。モイラだった。


「エイリッド、具合はどうかしら?」


 さっきまではこの世の終わりほどに沈んでいた。

 けれど、今はほんの少し気力を取り戻した。それというのも、雪月が絶望していないからだろう。


 エイリッドもまだ諦めないでいたい。サイラスは生きている、と。

 それでも顔色はひどかったのかもしれない。モイラはエイリッドが本を開いているのを見て顔をしかめた。


「まあ! 具合が悪い時にまた本を読むなんて……。大人しく寝ていなくては駄目でしょう?」


 エイリッドは本をシーツの中に引っ張り込んで隠し、それからモイラに訊ねた。


「ねえ、伯母様はミセス・レノックスをご存じだったのよね?」

「……ええ、年が近いですから、顔を合わせるとお話することはありました。本当に痛ましいことで」


 いきなりレノックス夫人の話が出ると思わなかったのか、モイラは少し怯んでいた。それでもエイリッドは畳みかける。


「ミセス・レノックスはこの町のお生まれだったの?」

「いいえ。オーダムセット州のギルモアという町の出身だそうです」

「それって――」


 フルフォード家が引っ越した先だ。モイラは戸惑いながらもうなずいた。


「結婚も向こうでされましたが、若くして未亡人になってしまわれたらしくて。……今のあなたに言うのもどうかと思いますが、ミセス・レノックスはミセス・フルフォードとは従姉妹の間柄なのです」


 とはいっても、やはり遠縁だ。それほど関りがあるわけではない。

 血がかかっているからといって、それが何を意味するのだろう。


「サイラスのこと、叔母様はご存じだったの?」


 それを訊くと、モイラは悲しそうに目を伏せた。


「あの子は優しい、いい子でした。あなたに宛てた手紙が何度か来たことがあったのですが、絶対に渡さずに処分するようにと言われていて。ごめんなさい……。こんなに早く亡くなってしまうのなら、もう少し融通してあげればよかったと悔いていました。……あの子は、あなたに会いに行くと置手紙を残して出かけた先で事故に遭ったという話でした」

「そんな――っ!」

「ごめんなさい、今更こんな話をされても困るでしょう?」


 モイラはまるで懺悔するように、かすれた声でつぶやいた。エイリッドは、モイラを責めてはいけないとかぶりを振る。


「いいえ、教えてくださってありがとう。わたしも、サイラスに会いたかった……」


 マリアがエイリッドを恨んでいるとしたら、これで理由がわかった。息子が死ぬ原因を作ったのがエイリッドだからだ。


 手紙を送れども返事がないエイリッドに会いに行こうとした。

 最愛の息子を亡くし、誰かを恨まずにはいられないのだろう。


「……今はゆっくりおやすみなさい。心の傷は時が経つしかないの」


 エイリッドはこくりとうなずいた。

 けれど、やはり何かが引っかかる。


 モイラと入れ違いにやってきたメイドがあたたかいココアを持ってきてくれた。


「お嬢様、ココアですが飲まれますか?」


 溌溂とした声のメイドだ。今の気分には合わないと感じつつも、ふと思い出した。以前廊下で立ち話をしていた声だ。


「あ、ありがとう! あなたって、パクストン家のメイドと親しいのよね?」


 寝込んでいるはずのエイリッドから前のめりで妙な質問をされた彼女は、びっくりしてココアをトレイの上に少し零した。


「え、ええ。お友達がおりますけれど、よくご存じで」

「ジェマがサイラスに会ったと言っていたのよね?」


 それを聞いてもメイドは驚かなかった。平然とうなずいている。


「フルフォード家のお坊ちゃまと再会して大層お喜びだったそうです。お可哀想なことになりましたが……」

「再会?」


 きょとんとしてしまったが、思えばサイラスは昔、こちらに住んでいたのだからエイリッド以外にも知り合いはいたのである。


 気にするところはそこだけではないのだが。

 ジェマもサイラスに会っている。これは事実なのだ。


 しかし、エイリッドが予測していなかった答えが返ってきた。


「ジェマ様は親戚筋から迎えた養女ですから。オーダムセット州の方でお知り合いになっていたらしくて」

「養女だったの?」

「ええ、そうです。パクストンご夫妻にはお子様がいらっしゃらなかったので」

「フルフォード家がオーダムセット州に移ってからしばらくして、ジェマはパクストン家に引き取られたの? その頃には十歳くらいかしら」

「もう少し早かったのではないでしょうか。ミセス・フルフォードはオーダムセット州の御出身ですから、昔から時折ご家族で滞在されていたようですし」


 ――無関係に思われていた被害者たちにほんの少しの共通点が浮かび上がる。

 同郷であるということ。

 それは雪月の書の中でも同じだった。二人の被害者も同郷だった。


 そして、こちら側では、被害者二人と一緒にフルフォード家が絡み合っている。

 これはきっと偶然ではない。


「そうなのね、ありがとう……」


 メイドたちは、サイラスが死んだことを多分知らないままだ。だからこの会話のおかしさに気がつかない。

 そもそもが、皆結婚して去っていくから、九年も勤めたメイドなどほとんどいない。当時のことを知っている使用人などごく僅かだ。


 マリアはマルヴィナのところへ来て息子を探していた。今にして思うと、これはおかしなことだ。

 今はもういないはずの存在を探している。もしかすると、マリアはサイラスの死に心が壊れてしまったのではないだろうか。


 そんなマリアに言い含めていたマルヴィナは、もしかすると一番事情を把握しているのかもしれない。

 彼女の言うことはいつも小さなズレを感じさせた。


 サイラスとマリアが恨んでいるのはエイリッドなのかという問いかけに、少し違う、説明が難しいなどという返答をした。

 それはエイリッドがサイラスの死を知らないから、言えなかったのだ。今ならばちゃんと説明を求めてもいいだろうか。


 エイリッドはココアを飲み干し、ほんの少し力を取り戻すとベッドから抜け出した。自転車に乗れる服装に着替え、部屋を飛び出した。


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