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虎帝妃の書  作者: 五十鈴 りく
⑩Eilidh 1132年10月10日~10月11日

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⑩Eilidh ―エイリッド―

 殺された妃嬪と宦官の子供。

 ターゲットが無差別ではないのだとしたら、こちらで殺された二人の死にも意味があるのだろうか。

 そんなことは考えてもみなかった。


 レノックス夫人とジェマ。

 よく知らないけれど、あの二人は顔見知り程度ではあったかもしれない。

 だとしても、それだけだ。


 一人は大人しい、孤独な未亡人。

 もう一人はむしろ派手好みの若い令嬢。

 対極と言える二人だった。


 ふたつの点を繋ぐ線は果たしてあるのだろうか。


 本ばかり読んで人付き合いをおざなりにしてきたエイリッドだ。もう少し他人とも関わり合っていれば、二人の関係性も見えていたかもしれない。

 今それを悔いても仕方ないのだが。


 そこでエイリッドはふと、なんとも嫌なことを考えてしまった。


「まさか、ね……」


 二人と繋がりのある人物として、サイラスを思い浮かべた。

 そして、かぶりを振る。


 社交場に顔を出せば二人と知り合う機会がある者など大勢いるはずで、エイリッドの世間が狭いからそれがサイラスしか思いつかないだけだ。


 ――けれど、どちらの事件の時もサイラスは近くにいた。これは偶然だろうか。

 エイリッドは雪月の書を閉じ、しばらく頭を休ませるように目を閉じた。


 あの優しかった子供がそんな目に遭うはずがない。

 あの光る目はサイラスではない。


 エイリッドは自分にそう言い聞かせたけれど、雪月の大事な皇帝も清廉な人物だった。それが変貌したという。

 成長して子供の頃とは違うサイラスになったから、エイリッドには多少の違いはわからない。


 エイリッドは、雪月が宦官の(ばん)に相談したように、サイラスを同志と考えていたはずなのに。

 もし、サイラスが虎だとしたら――。


 違うと思いながらも、サイラスが虎なら当てはまることが多いのも事実だった。

 エイリッドはもう嫌になって本を読むのをやめた。


 読み進めても、この書はエイリッドを救ってくれないのかもしれないと初めて思えた。



     ◇



 翌日の朝、エイリッドは朝食の前に庭を散歩した。

 気分が晴れなくて、明るい日差しの下にいたいような気分だったのだ。


 そして、庭のベンチに座って話し込んでいる母と兄を見つけた。こんなところで珍しいと思えたが、それは父に聞かせたくない話だったからだろう。


 風が二人の会話を運んでくる。エイリッドはその場で足を止めた。


「――エイリッドが?」

「本人は否定していますし、僕もそれほど疑ってはいません。どう見ても子供じみているし、男がいるようには思えませんから」


 あのネイトに撒かれた噂のことだろう。

 兄の言い方には腹が立つけれど、まあいい。


「そうよね。エイリッドったら、いくつになっても口を開くとサイラスサイラスって、あの子のことばかりだったもの。親しい男の子なんていないわよね」


 そのサイラスに会っているとは思わないらしい。彼がこちらに来ていることなど知らないのだ。

 サイラスはエイリッドの家族が招かれるような場にはあまり顔を出していないのかもしれない。女の子たちが寄ってきて面倒になったのか、うちの家族に会いたくないから避けているのか。


 そんなことを考えていたエイリッドは本当に間抜けだった。


「ええ。未だに知りませんからね、エイリッドは」

「フルフォード家が引っ越した翌年のことだから、もう八年も経つのよね」

()()()()()()、十八歳というところですね」


 生きていたら――。

 それはどういうことなのだろう。


 エイリッドは成長したサイラスと再会したのだ。変なことを言わないでほしい。

 何を言っているのだろうと思いつつも、心臓がドクンドクンと飛び跳ねている。


 真実は、体を蝕む毒の果実かもしれない。

 それを察しておきながらもこれ以上黙って聞いていられなくなって、エイリッドは二人の前に飛び出した。


「お母様、お兄様、一体なんのお話をされているのですか?」


 この時、エイリッドは自分がどんな表情でいるのかわからなかった。けれど、二人の様子から尋常ではなかったのだろうと思われる。


「エイリッド、お前――」

「立ち聞きなんてはしたないとか、そんなことはどうだっていいのです! サイラスが生きていたらって、それではまるでサイラスがもう生きていないみたいではありませんかっ!」


 声が上ずる。母は慌ててベンチから立ち上がり、エイリッドの両腕をつかんだ。


「落ち着きなさい、エイリッド」

「わたしは落ち着いています」


 どこが落ち着いてるとでも言いたげに兄は嘆息し、それから憐れむというよりも呆れたような目をエイリッドに向けた。


「いずれわかることだ。むしろ八年間も知らずにいられたのだからもういいだろう」


 兄の言葉は鋭く、突き放すようだった。そこには親愛の情などなく、ヒステリックに喚く妹に嫌気が差しているふうだった。


「サイラスは八年前に亡くなったそうだ。事故死――馬車に撥ねられたと聞いた。葬儀に参列した知人に聞いたのだから間違いのないことだ」


 エイリッドの脚から力が抜けた。その場にストン、と座り込んでしまう。

 それならば、エイリッドが再会し、ここ数日会っていた〈彼〉は一体何者だというのだ。


 まさか、死んだサイラスが何かやり残したことがあってこの世に戻ってきたとでも。


 遠くで母の声がする。遠い。

 ――聞こえない。




 目を開けた時、エイリッドは自分が気を失っていたのだと知った。

 横になっていると、自分の考えが恐ろしすぎて耐えられなかった。


 雪月の想い人である皇帝はサイラスと同じで、戦地ですでに亡くなっていたのではないだろうか。

 それを虎妖の力を借りて舞い戻った。被害者たちの死は、そんな虎妖の糧となって血肉を支えるためのものだったとしたら。


 レノックス夫人とジェマも同じように、糧となったのだろうか。

 ――雪月は、事実に気づいた時にどうしたのだろう。


 もしかすると、何か違う結末が待っていたということはないだろうか。

 今のエイリッドに寄り添えるのは、他の誰でもない雪月だけであるような気がした。


 エイリッドは裸足のままベッドから抜け出して机の引き出しから雪月の書を取り出し、ソファーにもたれながら再び読み始める。

 指が震えて涙で視界が霞むのは、どんな感情によるところだろう。


 先を読むのが怖いことに変わりはないけれど、雪月のことを見届けたいと思えた。

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