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虎帝妃の書  作者: 五十鈴 りく
⑦Eilidh 1132年10月5日~10月6日

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25/53

⑦Eilidh ―エイリッド― ⑷

「全然知らなかったわ。それはおじ様が望まれたことなの? それとも、あなたがおじ様にそう頼んでくれたの?」


 直截に訊ね過ぎたらしい。サイラスは顔をしかめていた。


「頼んでないけど……。それを望んでいるんじゃないかって、父さんが」

「望んでいたの?」


 思わず身を乗り出したら、サイラスは気まずそうに顔を背ける。


「世間の狭い子供の話だからな」


 エイリッドと結婚したかったとは言いたくないらしい。それならエイリッドが言うだけだ。


「わたしはサイラスがよかったわ」

「……へぇ」


 信じていないのか、妙に低い声で返された。


「もちろん、あの頃のサイラスならってこと。今のあなただったらちょっと考えるわ」

「あー、なるほどな」


 今度は楽しげに笑い出した。そうして笑っていてくれたら、あの可愛くて優しいサイラスのままなのに。


「あの頃のサイラス・フルフォードはエイリッドのことが大好きだった。これは事実だ」


 今は違うと言いたいらしい。九年の隔たりは、残念ながら簡単には埋まらない。

 誰か、すでにいるのかもしれない。大切な女性が――。


 寂しいと、もし今そんな気持ちでいるのだとしたら、それはエイリッドが勝手に期待したのが悪い。

 自分の他には誰も悪くない。わかっている。


「あのまま、離れ離れにならなかったらよかったのに。そうしたら、こんなに軽薄に育つ前に止めてあげたのに」

「おい」

「なんて言っても仕方がないわね。時間は巻き戻せないもの」


 エイリッドがため息をついていると、サイラスは顔をしかめた。


「普通は、会わなかった間に素敵に育ったって言うところだろ? この顔が有利に働かないなんて変だ。エイリッドこそどんな育ち方をしたんだよ」


 悔し紛れにそんなことを言われた。やっぱり根っこは拗ねた子供だ。

 可笑しくて笑ってしまった。


「どんな自信よ。本当に、私の回りの男性は自信家ばかりね。お父様もお兄様も、ネイトも」

「ネイトって?」


 つい口に出してしまったら、サイラスが耳聡くその名を拾った。

 別に隠す必要はない。


「お兄様のお友達。家柄はどうあれ嫌な人だから、ちっとも好きになれそうにないのよね。でも、わたしが好きになれなくったって、どうせ勝手に話は進むのよ」


 なるべく明るい口調で、冗談めかして言うしかなかった。

 ほんの少しくらいはサイラスにも幼馴染のエイリッドのことを覚えていてほしい。昔は大好きだったと言ってくれるのなら。


「そいつと婚約するのか?」

「まだわからないけれど、させられそうってところね」

「嫌なヤツと?」

「ええ。嫌なヤツと。最悪でしょう?」


 泣きたいくらい最悪なのに、笑って言った。泣きたいからといって泣いていたのでは、ずっとそれが癖になってしまいそうだから。


「最悪だな。可哀想に」


 急にサイラスの手が伸びてエイリッドの顎に触れた。急に横を向かされ、サイラスと見つめ合う形になる。


 今のサイラスは別にエイリッドのことを特別好きなわけではない。ただ可哀想だな、と同情されている程度だろう。


 もしくはエイリッドが友情以上のものを感じていないのがサイラスにとっては屈辱的なのかもしれない。

 ただし、いい加減に顔だけで勝負するのはやめた方がいい。

 冷静に考えている自分がいて、サイラスに見つめられても心臓は落ちついていた。


「……ねえ、サイラス」

「うん?」

「小さい頃、あなたはいつも痣だらけだったわ。今はもう大丈夫?」


 会えない間もそのことは気がかりだった。エイリッドと離れてからも、加害者は近くにいるのかもしれないと。


 じっとサイラスの目を挑むように見ると、サイラスが初めて怯んだように感じた。やはりその事情は、いくつになっても心に刻まれた消えない傷なのかもしれない。

 それなのに、サイラスはごまかそうとした。


「痣なんてあったっけ?」


 にこりと綺麗に笑って取り繕うけれど、そんなものに騙されない。


「そうね。あなた、この話題になるといつもはぐらかしたわ。触れてほしくない話題なのはわかっているけれど、ずっと心配はしていたの。もうなんでもないのなら構わないわ」


 それを言ったら、青年になったサイラスが被っている仮面に綻びが入った。

 再会してから、エイリッドに対してもまだ警戒していたのは間違いない。九年ぶりに会った幼馴染など他人と変わりないとばかりに。


「あなたがそうやって口を噤むのは、相手のことを護ろうとするからでしょう? その相手があなたを嫌いで傷つけるのではないと思っているからよね。わたしにはそんな相手はいないから、本当の意味ではわからないけれど、その相手を護りたいサイラスの気持ちを否定したくはないの」


 家族か友人。そして、その相手のことをサイラスは嫌いになれないのだ。


「……本当に心配してくれていたんだな」


 ポツリ、とつぶやかれた。その声がどこか切ない。

 たくさんの重荷を抱えて押し潰される寸前のような、どこかゆとりのない響きがある。潰されるくらいなら、その重荷をこちらに半分投げて寄越せばいいのに。


「当たり前じゃない。二人でいつか大東国まで旅をしようって言ってくれたでしょう? わたし、そのためにあれからずっと大東語の勉強をしていたんだから」


 そうしたら、サイラスは古傷が痛むかのように顔を歪めた。その表情は不思議と、痛みに耐える九年前よりもずっと子供に見えた。


「エイリッドは変わらないな。賢くて、優しい。ありがとう」


 ありがとう、と。

 今、サイラスはどういう気持ちでこれを言ったのだろう。


 エイリッドには読み取ることができなかった。けれど、このセリフには大切な意味が込められていると感じたのは気のせいではないのだろう。


 サイラスはエイリッドから手を放し、気持ちを落ち着けるようにその場で深く深呼吸した。

 それから、力のない小さな声でつぶやく。


「〈いい子のサイラス〉の印象が悪くなったなら、再会しない方がよかったな」


 そんなことを言われた。

 けれど、エイリッドはそれも違うと思った。


「ちょっと手癖が悪くなったのは心配だけど、また会えて嬉しいのは本当なの。それから……また会いたい」


 それはエイリッドの本音だった。

 思ったような成長を遂げていなくて変貌してしまったとしても、サイラスはサイラスだ。根が優しいのは変わらない。

 だから、エイリッドにとっては今も親友のつもりである。サイラスが迷惑だったとしても。


「そうだな。エイリッドにその本の内容を教えてもらって損はないか。ただし、家族には内緒だ。俺の名前は絶対に出さないこと」


 やはりサイラスはもうエイリッドの家族と関わり合いになりたくないらしい。


「わたしも誰かとこの本の内容を話したいの。だって、こんな話、誰も真剣に聞いてくれないし」

「どれくらいで読める?」

「全部となるとまだかかるわ。明日、またここに来て読めた分だけ教える。これでどう?」


 その途端にサイラスは目を眇めた。その表情は喜んでいない。


「……それって、毎日会うってことか?」

「嫌なの?」

「俺は手癖の悪い男で、エイリッドは魅力的な女なんだけど」

「ありがとう。でも友達だわ」

「……そうかも」


 投げやりに言われた。




 そして、名残惜しいながらにもエイリッドは図書館を後にした。


 サイラスはもう少しここにいると言った。エイリッドと並んで歩いていると、知り合いに見つかるから時間をずらしたいのだろう。


 それにしても、親同士の仲違いの理由がこんなことだとは思わなかった。父のことが前よりも嫌いになりそうだった。


 エイリッドは屋敷に戻ると、食欲がないと言って部屋に籠って雪月の書の続きを開く。

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