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虎帝妃の書  作者: 五十鈴 りく
⑦Eilidh 1132年10月5日~10月6日

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24/53

⑦Eilidh ―エイリッド― ⑶

「忙しいところを呼び出したから怒っているの?」


 エイリッドが思わずそう言ってしまうほどにはサイラスの機嫌が悪いように見えた。サイラスのため息が大きく聞こえるのは図書館が静かだからだと思いたい。


「……ミセス・レノックスの事件があっただろ? それで、うちの家族は昔あの屋敷に住んでいたし、ミセス・レノックスは遠縁だから挨拶に行った。その日に事件があったわけで、俺も刑事に色々としつこく訊かれて相手をするのに疲れた」


 レノックス夫人が雇っていた使用人がサイラスの来訪を警察に伝えたのだろう。それで尋問されたらしい。


 サイラスまで容疑者扱いされているとは。

 犯人は虎――かもしれないのに。


「あなたが犯人のはずないわ」

「そりゃあどうも」


 当たり前だとばかりに投げやりに言われた。


「ええと、いきなりだけど、サイラスはどれくらい大東語がわかるの?」


 尋ねてみたら、サイラスは不思議そうに軽く頭を(かたむ)ける。


「まあ挨拶程度の日常会話はできるけど」

「文字は読めるかしら?」


 エイリッドは書架の陰になる目立たない席に移動し、机の上に鞄を下ろす。中から壊れ物を扱うようにそっと雪月の書を取り出した。

 サイラスも書の上に視線を落とす。きっと古くて汚い本だとしか思っていない。


「図書館の本か?」

「いいえ。わたしの私物よ」


 そう言っても差し支えないだろう。もらった土産の机の中に隠されていたのだ。


「この本がどうしたんだ?」


 いきなり本を出されても意図が読めないのは仕方がない。

 エイリッドは、馬鹿にされるかもしれないと思いつつも意を決して口を開く。


「ミセス・レノックスの事件と同じことがこの本に書かれているって言ったら笑う?」

「笑う」


 真顔で即答され、エイリッドはムッと頬を膨らませた。


「読んでから言って頂戴。あの時、わたしもミセス・レノックスの屋敷の近くにいたの、あなたも知っているでしょう?」

「ああ、道に転がってたな」

「……びっくりして逃げたから転んだのよ」


 それを言うと、サイラスは顔をしかめた。


「何か見たのか?」

「そうよ。ほら、ここを読んでみて」


 エイリッドは皇帝の目が暗闇で光るくだりを指でなぞってみる。サイラスは視線を文字に落とし、じっと動かなくなった。


「エイリッド、これを読んでいるのか?」

「あなただって少しくらいは読めるでしょう?」

「正直に言って、これを難なく読めるとは言えないな。いくつかの単語は読み取れるから、繋ぎ合わせればなんとなく意味はわかるけど」


 どうやらサイラスはエイリッドよりも不真面目だったようだ。強くなると言ったのに、体を鍛えているというふうでもない。

 あんな子供の口約束をいつまでも本気にしているエイリッドの方がおかしいのはわかっているけれど。


「……光る、目。皇帝?」

「ええ。光る目をした皇帝が残忍さを見せているの。それで、その後、後宮で妃嬪の一人が獣に襲われたみたいな死に方をしているでしょう?」


 ページを飛ばし、その辺りを広げてみる。サイラスは険しい表情をしながら目で追っていた。


「確かに似ているけど、どっちも肉食獣が関わっているってだけじゃないのか? これくらいの共通点がそろう事件はいくらでもある」

「わたしがあの日、屋敷のそばで光る目を見たと言ったら?」

「見たのか?」


 驚いたようにサイラスが顔を上げた。エイリッドは力強くうなずく。


「見間違いじゃないよな?」

「あんなの、何と見間違えるのよ」

「さあ?」


 と、サイラスは肩を竦めた。そのおどけた仕草は動揺しているようにも見えた。


「ミセス・レノックスが殺された部屋は二階だった。でも、玄関は閉まっていた。獣だとしたら、出ていくことはできたとしても、二階へ入るのは難しい。手引きした人間がいるはずだって刑事が言ってた」

「ただの獣じゃなくて、化け物だったらどうなの? 人間に化けられる獣だったら」


 虚構と現実を一緒にするなと言われても仕方がない。

 自分でもおかしなことを言っている自覚はある。なのに、馬鹿げた考えだと一蹴できなかったから、こうしてサイラスに話しているのだ。


「人間に化けられる獣って? 狐とかか?」

「虎」

「はっ?」

「この書を(したた)めた雪月は、皇帝の変貌が虎のせいじゃないかって疑っているの。わたしもまだ全部は読めていないけど、これを読めば何かわかるんじゃないかって思っていて」


 サイラスはエイリッドの頭を心配しただろうか。しばらく何も言わなかった。

 何か言ってほしいとエイリッドが促そうとしたところ、サイラスは軽く首を振った後でつぶやいた。


「じゃあ、エイリッドがそれを読んで俺に内容を教えてくれたらいい。ただし、言っておくが俺は虎とは戦えないからな。戦わないで済む方法を探してくれ」

「わたしだって戦えないわよ」

「戦えないくせに戦いそうで困る」


 サイラスは小さく笑って、それから真顔になった。


「あんまり無茶はするなよ。一人で出歩くのもよくないけど、俺が送っていって屋敷に顔を出したら叩き出されるんだろうし……」

「またあのお店に行くわ。フォレット横丁の」


 年頃の娘があんなところに頻繁に行くものではない。あっさりとまた行くと言ったエイリッドをサイラスは怪訝そうに見つめていた。


「……なあ、俺たちの父親がどうして仲違いしたか知らないのか?」

「知らないわ。誰も教えてくれないもの」


 エイリッドよりもサイラスの方が戸惑っている。その戸惑いが、ほんの少しエイリッドを落ち着けてくれた。


「俺の父親が、エイリッドを息子の嫁にしたいって言い出したせいだ。それでおじさんが激怒した。仲良くしているつもりでも、うちは格下だと思われていた証拠だな。おじさんにとっちゃ図々しいことこの上ない申し出だったんだろう。だから、俺がエイリッドの近くにいたらまた揉めるのはわかっているから」


 そんな話は初めて聞いた。

 愕然としてしまうが、サイラスが言うのなら本当だろうか。

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>俺の父親が、エイリッドを息子の嫁にしたいって言い出したせい サイラスはエイリッドが嫁になってくれたら嬉しいなと思っていたということでは。
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