⑦Eilidh ―エイリッド― ⑵
エイリッドは迷いを抱えたまま図書館へ出かけた。
本よりも気になることがあるなんて、こんな気分でここへ来たことはなかった。
もしサイラスが来てくれた場合に見落としてしまわないよう、なるべく入り口が見える席を選んで座る。
雪月の書を持ってきたが、ここで開くのは躊躇われた。
その代わりに、エイリッドは大東国の歴史を調べる。特に景王朝について。
雪月は最後の、第三代皇帝の妃のはずだ。ただし、妃に関しては名も伝わっていないことが多い。後継ぎを産むなり何かなければ記されていない可能性は高い。
もしかすると雪月の書は、歴史学者たちの目線だととても貴重な資料になるのかもしれないが、今は余計なことは考えたくない。
歴史の棚から分厚くて重い書籍を抜き、席に戻る。
ドキドキしながら繙いた。
まず、景王朝は先の慧王朝を倒した、宋延朴という英傑が興した。
慧王朝の尹帝は奢侈を好み、それでいて政は奸臣に任せきりにするという暗君に成り下がっていた。それによって国力が低下し、北狄に押し入られ、国土の一部を失った。
その際、国土を取り戻せと尹帝に命じられたのが宋延朴だった。
到底、無理難題としか思えないような命令である。
それというのも、国内で宋延朴の人気があまりに高く、失敗を理由に彼を処刑しようと目論んだらしい。
それが、延朴は命じられた通りに北の地を奪還し、北狄を押し戻したのだ。言葉をかけ、褒美を取らせるよりない状況になり、尹帝は延朴を召した。
そして、延朴は民の嘆きに背を押され、尹帝の首を所望し、その場で首級を上げたのだという。
佞臣ばかりを侍らせた尹帝は、我が身が可愛いばかりで身を挺して護ってくれる忠臣を持たず、呆気なく討たれた。
延朴は登極して景王朝を興すに至り、彼が六十三歳で崩御するまでの二十一年間を聖代とされている。
ただし、延朴は英傑にしては珍しく色を好まず、妃も三人しか持たなかった。
そのうちの一人が男児を産み、その子が必然的に太子となる。
ただし、太子である宋徳繋は英傑であった父に似ず、気が優しく脆弱であった。
それを支えたのは、先帝が目をかけていた忠臣たちである。
障壁にぶつかると逃げようとする気質の主君を諫め、落ち着け、あるべき方へと導いた。
しかし、確固たる意志のない者が万民の上に立てるはずもなく、次第に宮廷には人材が集まらなくなる。
賢人は在野にありと謳われる時代だった。
そんな中、徳繁の長子である善吉が死去。次子である琳紹が立太子される。
人々の期待に応えられない父帝は次第に軽んじられ、琳紹もまた期待されることなく蔑ろに扱われつつあった。
しかし、琳紹の祖父譲りの才覚に気づいた当時の宰相である周懐世はこの太子の後ろ盾となり、教育に心血を注いだ。
琳紹は徳繁の病没後、帝位に就くと、若いながらに風格を持って宮廷の改善に取り組んだ。敵国が攻めてくれば、自ら馬を駆って討伐に向かったとされている。
平素は穏やかな人となりでも、戦地での猛々しさはまるで虎のようであったとして、虎帝と呼ばれることすらあった。
不敗の皇帝であったが、北林の乱という戦で負傷したがために人前に出ることが減り、それを境に別人のように変貌したという。些細なことでも許さず、罰則は厳しさを増し、それは恐れられる暴君と変わり果てる。
そうして、琳紹は後宮にいたところを太子であった異母弟、宋濤綴を筆頭にする反対勢力に狙われ、命を落とした。享年二十八歳で、子はなかった。
後宮にいた妃嬪と官たちは暴動の際に死傷したり、攫われたりと生死不明の者が多い――。
エイリッドはのめり込むと周りが見えなくなるのだが、この時がまさにそれだった。
「……自分で呼び出しておいて無視か」
その声に驚いてやっと顔を上げた。そうしたら、不機嫌そうな顔をしたサイラスが正面に立っていた。
「サ、サイラス」
「俺に用があったんじゃないのか?」
サイラスはそう言ってエイリッドの正面に座ったが、チラチラと利用者たちの視線が向けられていて落ち着かない。サイラスが目立つのか、年頃の男女が逢引きしているように見えるのか。
「こ、こっちに来て」
エイリッドは今まで調べものをしていた本と自分の鞄を持って人の少ないところへ移動する。サイラスもついてきた。




