⑥Eilidh ―エイリッド― ⑴
エイリッドはそれ以上読書を続けることができなかった。
来客があったのだ。とはいっても、エイリッドの客人ではない。それなのに同席させられるはめになった。
母が開いたティーパーティーに人を招いたらしい。うちでそんなものを催すとは聞いていなかった。母はエイリッドが暇を持て余していつでも手が空いていると思っているに違いない。
それから、恐ろしい事件があったけれど、相手が知人だというだけの間柄なので配慮する気はないらしい。
むしろこの場を用意したのは、その恐ろしい事件について知りたかったかららしい。
淑女たちは結局のところ、怯えたふりをしながらも興味津々なのである。
「本当においたわしい限りだわ」
体をくねらせながらそんなことを言っているのは、アレン夫人だ。
エイリッドの婚約者候補のネイトの母親である。女性らしい丸みのない、骨ばった骨格をしている。どうしても好意的には見られず、未来の義母になるとは考えられない。
エイリッドは精一杯の淑やかさを纏ってただ座っていた。母が勝手に相手をする。
「ええ、私も驚きましたわ。まさかミセス・レノックスのような方が殺されるだなんて」
「夫は警察の方にも顔が利くものだから、聞きたくもないお話が耳に入りますの。物取りの犯行と見せかけて、実際は何ひとつ盗まれていなかったそうで」
聞きたくもないと言いつつ、根掘り葉掘り問い質したのだろうなと思った。そんなことはこの場で言わないでおくけれど。
「まあ。それでは怨恨なのかしら? 惨い状態で見つかったそうですし」
「目撃者はいないけれど、事件当日、ミセス・レノックスのご様子はお変わりなかったとメイドが証言しているわ。窓が開いていて、鍵も壊された痕跡はなかったとのことだけれど。でも――遺体にはまるで獣に弄ばれたような傷があったそうなの」
「なんて恐ろしいことでしょう! 獣が窓を開けるはずがないから、ミセス・レノックスが窓を開けた時に飛び込んできたのかしら?」
「それが、お部屋は二階らしくて。不思議ね」
獣――。
エイリッドはこの時、雪月が見つけた書物の文字が頭に浮かんでいた。
〈虎〉、と。
虎は人を食う。人を襲う。
そんな獣が人に化けると雪月は考えていた。
虎は大東国に棲む、美しい縞の毛皮を持つ四つ足の獣だ。それはしなやかでありながらも猛々しく、気高い生き物なのだという。
けれど、この国には虎などいない。
いないはずなのだ。誰かが連れ込まない限りは。
レノックス夫人の件はきっと違う。これとは関係がない。関連づけて考えるべきではない。
それでもエイリッドは、昨日見た光る目が忘れられない。
この話を誰かに聞いてほしかった。ただし、誰に言っても嗤われるのはわかっている。エイリッドの話を真剣に聞いて、同じ立場でものを考えてくれる相手がほしかった。
家族には話したいと思わない。顔をしかめるのがわかるから。
モイラにも聞かせたら卒倒しそうだ。お洒落や色恋にしか興味のない女の子たちも無理だろう。
そうなってくると、相手は限られる。
――サイラスはこの話を真剣に聞いてくれるだろうか。
成長してすっかり変わったように見えても根っこは同じなら、エイリッドの話を嗤ったりしないと信じたい。
「それにしても、エイリッドさんはとても大人しいわね。今時のお嬢さんにしては珍しいくらい。私は、女性はそれくらいが好ましいと思うけれど」
考え事に没頭していたら、アレン夫人にそんなことを言われた。
「そうでしょうか?」
ほほほ、と笑ってごまかしておく。淑やかさをアピールするつもりはなかったが、まあいい。
「大人しすぎて友達が少ないようなのです。社交に疎いので、十歳くらい年上の大人の男性でないと合わないかもしれませんわね」
エイリッドに女友達が少ないのは、お転婆なせいと、年頃の娘たちがなんの興味も示さない異国情緒にかぶれすぎているせいであって、内向的だからではない。
それでも二人は勝手にエイリッドに理想を押しつけて、それで会話を進行している。誰も本当のエイリッドになど興味がないのだ。
母親ですらそうなのだから、アレン夫人にわかってほしいなどとは思わない。
「私を迎えに、後で息子のネイトが来るの。エイリッドさんにもご挨拶できると思うわ」
露骨に嫌な顔をしないでいるのが精一杯だった。そんなエイリッドの代わりのつもりかは知らないが、母が笑顔で答える。
「あら、よかったわね、エイリッド」
何もよくない。不謹慎だが、殺人事件の話をしている方がまだよかった。
まあいい。ネイトに気に入られるとは限らない。
エイリッドは、またしても曖昧に笑ってその場をやり過ごした。




