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虎帝妃の書  作者: 五十鈴 りく
④Eilidh 1132年10月3日~10月4日

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14/53

④Eilidh ―エイリッド― ⑷

「子供の頃の純真さを保ったまま育つなんて無理だけど、大人になったら別の魅力ってものが出てくる。なあエイリッド、昔の方がよかったなんて見切りをつけるんじゃなくて、今の俺の良さに目を向けてくれないか?」


 ゾッとするような色香を唇に浮かべ、サイラスは囁く。

 本当に、相手が女性なら、顔さえ良ければすべて許されると思っているのではないか。

 残念ながら、エイリッドはそういうものはサイラスに求めていないのだ。


「それは無理ね。わたし、軽薄な男性って好きじゃないの。そういうの、あなたにちっとも似合わないわ」


 顔をしかめたら、サイラスは真剣に驚いた様子だった。まさか、自分に落とせない女はいないと思っていたのだろうか。


「そんなこと、初めて言われた」


 ちょっとショックを受けているようだが、いい気味だ。心を入れ替えてほしい。

 そんなことより、これまでどうしていたのかを聞きたいと思った。


「……ねえ、それより、お屋敷から引っ越した後、どうしていたの? わたし、あなたに手紙を書いたけど、宛先がわからなくて結局一度も出せなかったわ」

「それも仕方がないことだな。おじさんたちはもう、うちとの付き合いを続けるつもりがなかったはずだし」


 拗ねたように言われた。今更その年で拗ねるらしい。子供の頃の方が精神的に落ち着いていたのではないかと突っ込みたくなった。


「親同士が仲違いしたから子供たちにまで付き合うななんてひどいわ。どうせ些細な喧嘩でしょ?」

「そうだな」


 返事が素っ気ないのは機嫌を損ねたからか。どうもサイラスのプライドを傷つけてしまったらしいが、仕方がない。

 どうしようかなとエイリッドが考えていると、サイラスは小さく息をついてからポツリと言った。


「なあ、エイリッド。自転車にはいつから乗ってるんだ?」

「えっ? ここ一年くらい」

「ふぅん。楽しいか?」

「ええ、まあね。乗ってみる?」

「この自転車じゃ、俺には小さいな」


 口説くとエイリッドはバッサリ拒絶する。それを学んだらしく、急に会話に色気がなくなった。でも、それでいい。


 他愛のない会話を続けているうちに気づけば家の見えるところに辿り着いていた。サイラスと話していると自然に言葉が出てくるのは、やはり幼馴染だからだろうか。ここまでがあっという間に感じられた。


「さて、エイリッドの家の人に見つかると後が面倒だから、俺はここまでにしておく。あと少しだけど、気をつけてな」


 サイラスは今日の中で最も控えめに微笑んだ。

 その表情が一番サイラスらしい。

 きっとこんなふうに育ったはずだという想像とは違ったけれど、サイラスはサイラスだ。


 エイリッドが誰よりも心を許せた親友。

 再会できた喜びにばかり目を向けていて、次がないことにやっと気がついた。また十年近く会えないか、これが永遠の別れになるかもしれないのだ。


 他の、数多くの女性たちと同じように口説くことはあっても、昔のように無邪気に旅に出ようなんて誘ってくれない。それでも、エイリッドはまだサイラスと旅をしたいと願っていた。その夢は叶わないものなのだろうか。


 後悔はしたくない。

 ずっと大東語の勉強をしてきたのはなんのためなのかと。

 エイリッドは思いきって、離れていこうとするサイラスに向けて言った。


「またあなたに会いたい時はどうしたらいいの?」


 声が上ずりそうになるほど力が入っていた。それが恥ずかしい。

 サイラスは緩慢な仕草で振り返った。


「気持ちが伝わったのかな」

「えっ?」

「俺もエイリッドとこのまま別れるのは嫌だと思ったから」


 口説き落とせなかったことが未練になったのでなければいい。

 それでも、今の穏やかな微笑を見ていると、昔の友情を思い出してくれたのではないかと期待してしまう。


「フォレット横丁の西口に骨董品の店があって、そこの主に伝言を頼むといい」


 それだけ言って、あとは手を振って去った。

 エイリッドは、サイラスの姿が通りから見えなくなってもしばらく、自転車を支えたまま立ち尽くしていて、それからやっと我に返って屋敷に引っ込んだ。




 エイリッドが自転車で出かけていたことに気づいたのは使用人たちだけだった。その使用人たちに口止めし、エイリッドは夕食を済ませて部屋に戻った。

 何も手につかないくらい、頭がふわふわしている。


 それでも、転んだ時にぶつけた腕に青痣ができていて、そのおかげでこれが現実だと実感できた。


 サイラスには会えると信じていたから会えたのだ。想い続ければ大東国へ行きたいという夢も叶うかもしれない。


 ソファーに座り、しばらくぼうっとしていたが、ふとあの机に目が行く。雪月の書に手を伸ばそうか迷い、今の浮かれた頭で読んでも異国語が呑み込める気がしなかった。


 今日はもうやめておこうかなと思った拍子にふと思い出す。


 あの金色の目――。

 サイラスの存在で吹き飛んでいたけれど、あの光は目のようにしか見えなかった。雪月が見た皇帝の目はあんなふうだったのではないかと思わせるような。


「……やっぱり、読もうかしら」


 光る目について、何かがそこに記されているだろうか。


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