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今日のメインディッシュは、裏庭で育てている野菜を使ったキッシュだ。
新鮮な野菜は甘く、優しい味がする。
にこにこと美味しく頬張っていると、シルヴィオがふいに手を伸ばしてきた。
「口元についていますよ。そんなに美味しいですか?」
「え、えぇ。とても美味しいわ」
シルヴィオは笑顔でリリーディアの口元についたキッシュの欠片を指ですくい、ためらいもなく自分の口に入れた。
羞恥で顔が赤くなる。
唇に触れたシルヴィオの親指はすぐに離れてしまったけれど、敏感な部分に触れたそのぬくもりはまだ残っている。
好きな人に触れられたら、無条件でときめいてしまう心臓が憎い。
食べこぼしを拭われるなんて、恥ずかしいはずなのに嬉しいだなんて。
「姫は人参が苦手でしたが、どうやら食べられるようになったようですね。よかったです」
「えっ? そうなの?」
「はい。人参を睨みつける姫もとても可愛かったですが、やはり栄養が偏るのはよくありませんからね。療養のためには好き嫌いなく食べていただかないと」
シルヴィオは、リリーディアが苦手だった人参を克服できたことを喜んでいる。
こっちはシルヴィオと一緒にいるだけでドキドキして、彼が作った物だと思えばどれも美味しくて、苦手意識なんて持つ暇もなかったというのに。
人参が苦手だった、ということを教えなかったのは確信犯だろう。
それでも怒る気になれなかったのは、やはりシルヴィオが作ったキッシュはとても美味しかったから。
「そうね。早く元気になって、元の生活に戻らないと! シルヴィオも、ずっと私の世話をしている訳にもいかないでしょう?」
「俺は姫と一緒にいられるなら、このままで十分幸せですよ」
本気だろうか。
優しい声音で、リリーディアが欲しい言葉をくれる。
このまま、シルヴィオと二人だけで過ごせたら、きっと幸せだろう。
けれどそれは、リリーディアがシルヴィオのことしか知らないからだ。
「シルヴィオは、私に思い出してほしいとは思わないの?」
何気なく聞いた風に装ってみたものの、声は分かりやすく震えていた。
緊張しながら、シルヴィオの答えを待つ。
「俺は姫に笑っていて欲しい。ただそれだけですよ」
はぐらかされたのだろうか。
しかし、その瞳は真剣で、冗談を言っているようには見えなかった。
「姫、もうお腹いっぱいですか?」
「……い、いいえ」
「それなら、冷めないうちにどうぞ」
シルヴィオは笑顔で料理をすすめてくる。
少し重くなった空気を変えるように。
「ありがとう。いただくわ」
だから、リリーディアも笑みを浮かべて頷いた。
本当はどう思っているのか気になって仕方なかったけれど。
しかし、そんなリリーディアを知ってか知らずか、シルヴィオはフォークに一口サイズに切ったキッシュを差し出してくる。
「姫、あ~ん」
「……もうっ、自分で食べられるわ!」
「そうですか、残念です」
「ふふっ」
わざとらしく落ち込むシルヴィオの様子がなんだかおかしくて、リリーディアは声を出して笑った。
こんな風に声を出して笑うのは初めてかもしれない。
そう思った時、シルヴィオの視線に気づいた。
「……シルヴィオ?」
彼は笑うリリーディアを見つめて、涙を浮かべていた。
「どうして泣いているの?」
「姫が笑ってくれるのが嬉しくて……すみません、お見苦しいところを」
シルヴィオは片手で目元を覆い、リリーディアに背を向ける。
そんな彼に近づけるように、リリーディアは立ち上がった。
「そんなことはないわ。私のために泣いてくれて嬉しい」
リリーディアは、記憶がないせいで涙を流して悲しむこともできなかった。
シルヴィオはリリーディアの側で、記憶がない不安も感じないほどに優しく、甘い時間をくれた。
忘れられている彼が、本当は一番悲しかったかもしれないのに。
そのことに思い至らなかった。
「シルヴィオのことを思い出せなくて、ごめんなさい」
リリーディアはシルヴィオの背中に抱きしめるように寄り添った。
「いいえ、いいんです。これからの姫が幸せなら、それで」
シルヴィオはそう言って、リリーディアの手をぎゅっと握る。
その手が震えているように感じたのはほんの一瞬で、すぐにシルヴィオはいつもの笑顔に戻った。