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「クロエさん、本当にこのまま帰っても大丈夫なのでしょうか……」
今回の任務に同行させたドルシエが、不安そうにクロエに問う。
皇帝の勅命を受けておきながら、シルヴィオを連れずに帝国へ帰ろうとしているのだから、彼が不安に思うのも無理はない。
だから、クロエは安心させるように微笑んで見せた。
「大丈夫よ。ちゃんと、種はまいてきたから」
「種、ですか?」
「えぇ。シルヴィオが大切に守ろうとしているお姫サマにわたくしの蝶をプレゼントしたの」
「え!? クロエさんの蝶って、あの赤い蝶ですか?」
「そうよ」
ふふ、とクロエが含みをもたせて笑うと、ドルシエはそれ以上何も言ってこなかった。
(わたくしの魔力はシルヴィオほど強くはない。それでも、心の隙間に入り込むことは得意なのよ?)
シルヴィオに冷たく追い返され、クロエの心は怒りと嫉妬で燃えていた。
何度言い寄ってもきっぱりと拒絶され、それでも諦めなかったのは、彼のような化物じみた男を相手にできるのは自分しかいないという自負があったからだ。
それなのに、庇護欲をそそる可憐な見た目をした姫が、シルヴィオの魔術だらけの屋敷で平気で暮らしていた。
クロエは屋敷に近づくだけでも全身がひりついて、平静を装うのが難しかったというのに。
それは、結界のせいだけではなかった。
あの屋敷は、シルヴィオの執着そのものだった。
全身をめぐる血液のように、屋敷中に様々な術が施され、それを常時展開していた。
並の魔術師であれば、その術を展開するだけで魔力のほとんどを使い果たしてしまう。
やはり、シルヴィオの魔力量は化物だ。
そして、そんな魔力の圧力に圧し潰されそうな屋敷で平然としているあの姫も異常だ。
(あの姫は、一体何者なの……?)
クラリネス王国に複数いるうちの王女。
そして、シルヴィオに守られながら、シルヴィオを国から追い出した王女。
本当にただそれだけなのだろうか。
ただそれだけの女のために、シルヴィオはサウザーク帝国の魔術師団長という役職を捨てたのか。
クラリネス王国との戦争は、シルヴィオにとって自分を捨てた女への復讐だと思っていたから、クロエも全力で協力した。
復讐を終えれば、シルヴィオが自分を見てくれるとクロエは信じて疑わなかった。
しかし、現実はまったく思うようにいかず、シルヴィオはクラリネス王国を攻め落とすと、きれいさっぱりサウザーク帝国と縁を切るように姿を消した。
クラリネス王国の王女を連れて。
シルヴィオの力を手放したくなかった皇帝に命じられ、クロエはシルヴィオを探した。
巧妙に隠されたシルヴィオの気配を辿ることができたのは、クロエが戦争中、彼の魔力の一部を行使したことがあるからだ。
ようやく見つけ出し、偵察用の蝶で彼の様子を見てみれば、何事もなかったかのような顔で姫の従者をやっていて、心底呆れたものだ。
シルヴィオは自分が姫の国を滅ぼしたことも、姫の家族を殺したことも、すべてをなかったことにして、側にいたのだから。
記憶を奪う魔術は、人の脳や心に影響する危険なものだ。
本当に大切に想っている相手に対して、そんな危険な真似をできるだろうか。
クロエは、シルヴィオがあの姫をどうしたいのかが分からなかった。
ただただ恐ろしく、彼のような男に執着されている姫が憐れですらあった。
だから、クロエは自分の赤い蝶を渡した。
あの赤い蝶は、人の深層心理を強く揺さぶる幻覚を見せる。
果たして、姫は一体何を見るのだろうか。
(逃げ出したいと思った時、あなたはようやくシルヴィオが囲っていた偽りの花園から出ることができるのよ)
たとえそれが、残酷な現実をみることだとしても。
「あの、クロエさん……もし団長が戻ってこないなんてことになれば、どうなるのでしょうか?」
「そうねぇ。わたくしたち魔術師団総出でシルヴィオを殺すことになるのではないかしら?」
「む、無理ですよっ! あんな化物じみた人を相手にするなんて」
「ふふふ。だからこそ、下見に来たのでしょう?」
「そう、ですけど」
「大丈夫よ、彼は戻ってくるわ。本当にあの姫を大切に想っているのなら、ね」
「……はあ」
黒いローブ姿の魔術師二人は、そんな会話をしながら深い森を抜けていった。
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