エントラへ向かって
リーベルンの連中の撤退は迅速だった。指揮官の女がオスローに吹っ飛ばされてから数分も経たないうちに全軍が蜘蛛の子を散らすように逃げていった。国境沿いに配備されたエントリア軍が逃げていく彼らにダメ押しの攻撃を加えていたが、トーチカは深追いはさせなかった。
凄まじい爆発音と銃声が響き渡っていたのに、その場にいた人たちや建造物の被害は軽微だったようだ。最も酷かったのはむしろ──オスローが振るった炎がぶち抜いた、国境線の石壁であった。堅牢な見た目の壁面に、ぽっかりと空いた黒い穴。
「うーん、中央に報告が行ったら嫌だなあ。国境線を吹き飛ばしましたなんて、またガミガミ怒られるに違いないね」
オスローはやれやれと首を振りながら、俺とトーチカが立っているところまで近寄ってきた。トーチカが背筋を伸ばして敬礼の恰好を取ったので、俺も見よう見まねで敬礼する。
「助かりました。まさか、あのルキが前線にまで出張って来るとは想定外でした」
「怪我はない? 二人とも」
「ええ、何とか。しかし、流石聖剣のお力です! あの悪名高きルキを、一撃のもとにで撃退するなんて!」
トーチカは目を輝かせてそう言うが、オスローの表情は固かった。
「確かに吹っ飛んでいったけど……多分それだけ、全くもってノーダメージだと思う。それほど経たないうちにまた襲撃に戻って来るね、アレは」
「……相手はリーベルン屈指の実力者、そう簡単には倒せないということですか」
話が全く掴めないまま、二人の会話が進行する。しばしの沈黙の後、オスローの視線が俺の方を向いた。
「それにしても、レイル君。君もなかなか勇気がありますね。あの戦線に剣一本で挑もうとするなんて。意欲があっていいことです」
「褒められたことではありませんね。銃弾飛び交う戦場で、そんな剣一本しか持たないなんて。命がいくらあったって足りませんよ」
オスローはニコニコ笑っているが、トーチカは非難めいた目で俺を見る。恐らくはトーチカの反応の方が自然だ。しかしあの場は、奇妙な衝動に駆られて飛び出してしまったのだから致し方ない。
「勇敢だが、向こう見ずだ、と推薦文に書いておきましょう。……さて、戦いは終わりです。後始末を手伝わなければ」
その後、俺たちはリーベルンの襲撃によって壊れた門の辺りの片づけを手伝ってから、元の病院へと帰還した。特に怪我はなかったし、病院にまで敵の侵攻が及ぶということもなかった。結果としては、リーベルンの襲撃が俺の計画に与えた影響は小さかった。しかしオスローと切り結んだあの女の不敵な表情は、俺の記憶の中に妙に印象深く残った。
俺とオスローのエントラ行は、特に変更もなく敢行される運びとなった。オスローは巨大なトラベルバッグを手に、俺は医務施設で貸してもらった僅かばかりの旅支度と黒い刀だけを荷物に。ホームで見送りに来たトーチカと別れの挨拶を交わしてから、俺たちは列車に乗り込んだ。
「それほど時間はかからないと思うけど」
オスローは俺の相向かいの座席に座った。彼女は列車での移動に慣れているようで、座席につくなり大きな欠伸をして足を延ばした。列車がけたたましい音を上げて動き出し、寂れたホームを離れていく。
「なんだかバタバタしたまま出発してしまったが……なんだか悪い気がする」
出立の日の朝も、リーベルンの襲撃の後始末で大勢が動き回っていた。俺が気に掛けることでもないのかもしれないが、大した手伝いも出来ないまま街を離れるのはなんだか罪悪感があった。
「大丈夫。あの人たち、あれが仕事だから」
「リーベルンはまたいつかやって来るんだろう? 君は離れてしまってよかったのか?」
「想像だけど……まあ、暫くは来ないでしょう。あいつらだって、そんなに暇じゃないだろうから。とりあえずは大丈夫、大丈夫……あっ!」
と、何かを思い出したようにオスローがカッと目を開く。
「そう言えば伝えるのを忘れていました。レイル君、警備部の基地に赴く前に、"十二剣聖"の会議によって下さい」
「十二剣聖、の? それはあなたが所属している……」
「ええ、そう。これから向かうエントラの中心地、エントラ城というところで私たちの会議があるのです。それに君を同席させろと、昨晩連絡がありまして。正確な理由は分かりませんが、あなたの件について話があるとかないとか」
「それはつまり、あなたのような……」
俺はオスローの膝に乗っている橙色の鞘を見ながら問いかける。
「そうなりますね。私と同じ、聖剣に選ばれた人たちが集まる場です。でも、多分大丈夫です。怖い人ばかりではないですから……」
オスローは意味深なことを言い残して目を閉じ、数分も立たないうちに寝息を立て始めた。随分呑気なやつなんだな──俺はそんなことを思いながら、車窓から見える風景をぼんやりと眺めた。