飛んで火に入る呪いの少年
それから、何もかもが進展しない時間が幾日も続いた。ただ、足踏みのせいで、俺は束の間の平和な時間を過ごすことが出来ていた。それは喜ばしいことではあったのだけれども、同時に、それほど長くは続くまいという悲観的な確信も俺の中にはあった。
そしてその予感は、程なくして現実のものとなった。
その日の俺も、街の見回りの任に付いていた。エントラの街をグルリと一周──ヴァレンスタイン家の邸宅の前で奇妙な襲撃に遭遇した時と同じルートだった。
この日の相方はマイネルだった。彼はモラートのようにべらべらと喋ったりはせず、哨戒任務は静かに進行していった。このまま静かに、何事もなく終わるだろうと、俺は甘いことを考えながら、マイネルの後を黙って歩き続けていたのだ。
そのうち、ヴァレンスタイン家の邸宅が視界の中に入ってくる。塀の上に飾られた大量の旗が、この日も風の中を泳いでいる。俺は地下室に誘拐された一軒を夢のように思い出しながら、邸宅の前を静かに通り過ぎ──ようとした。
突然だった。
ドッゴオオオオゴゴゴン──!!!
地響きのような音が辺りに響き渡り、ヴァレンスタイン邸の端の方の部屋が爆炎を噴き上げたのである。
「なんだ!?」
俺もマイネルも本能的に身構えて、黒い煙が吹き上がる部屋を睨んだ。外に立っていた門番たちも驚きの表情を浮かべ、大急ぎで爆発のあった箇所へと走り寄っていく。
「火事か? いや、それにしては……」
マイネルは訝し気な表情を浮かべて周囲を見回してから、
「行くぞ、レイル! 火を消すのを手伝うんだ!」
と勢いよく走り始め、俺も彼の後を追った。
爆発があったのは屋敷の西の部屋で、近づいて見てみると猛烈な爆炎が渦を巻いていた。数メートル離れた場所からでも肌を焼く熱風が伝わり、邸宅から逃げ出してきた従者たちや警備の人間も呆然と立ち尽くしている。
「中に誰かいないか!?」
マイネルは周囲の人間に向けて叫ぶ。気の弱そうなメイドがおずおずと手を上げて、
「仕えている人間は無事だと思います。その部屋はボンド博士の研究室の位置でしたから、恐らくは誰も……いや、博士の姿を見てません! もしかして……」
その名前は憶えている。この前俺たちを誘拐した白衣の男だ。やはりまだ、この屋敷の中にいたのか。エウロとかいう人が処罰するとか言っていたが、どうなっているのか──色々と思うところがあったけれど、今は一刻を争う事態である。
「ボンドという人が中にいるのか? 直ぐに助け出さないと……」
「ですが、この火の回りでは……」
炎はいよいよ勢いを増し、さながら赤色の竜が暴れているかのようである。庭の噴水から水を運んできた兵士たちが、一生懸命に火を消そうと奮闘しているが、その勢いは衰える気配すらない。
「どうする? 消防を今依頼したが、待っている余裕はないぞ」
マイネルは歯がゆそうな表情で、壊れた家の外壁と舞い上がる火の粉を睨んでいた。
「……おい、ミーン」
『……ああん? なんだい』
俺がミーンに話しかけると、彼は気だるそうな声を俺の心の中に響かせた。
「俺の体は呪いによってある程度強化されているのだろう?」
『そりゃあ、お前が今まで体感してきたとおりだ』
「では……火の中ならどれくらい持ちこたえられる?」
俺が問いかけると、流石にミーンも驚きの声を上げた。
『この炎の中を助けに行く気か? 蛮勇ここに極まれりだな!』
「どうなんだ? 行けるのか?」
『無理とは言わないが。お前の気力次第さ。しかし……』
ミーンは久しぶりに意地の悪い声でクククと笑った。
『……気を付けることだな。古来から"呪い"と炎というのは、相性がよくないものと決まっている。へまをして火葬されないように精々気を付けることだ』
俺は兵士の持ってきた桶一杯の水を頭から被って、精神を集中する。マイネルが怪訝な表情で俺を見て、
「何をするつもりだ? まさか……」
と裏返った声で尋ねる。俺は引きつった笑いを浮かべながら、
「大丈夫! 根拠はないが、自信はあるんだ」
とキザな言葉を言い残し、崩れた外壁を潜り抜けて燃え盛る炎の中に突っ込んでいった。
そこそこの広さのある部屋は一面炎に包まれて、元々どんな見た目をしていたのか想像すらできない。壁際に並んだ本棚を伝って火が天井に回っていて、上階まで燃え移るのも時間の問題であるように思われた。
体の耐久性は間違いなく向上している感覚がある。しかしそれにしても、熱い。火炎放射器の中を歩かされているようで、数分以内に脱出しなければ間違いなく死ぬ確信がある。
博士の姿は直ぐには見つからなかった。必死になって視線を動かすが、眩しすぎるほどの炎の波が風景をぐにゃぐにゃと歪めていた。
「うおっ!」
何かグニャリとしたものを踏んで、俺は体勢を崩して倒れこんだ。床に手を着くと料理の鉄板のような熱さになっていて、俺がギャッと声を出して飛び上がった。
俺が踏んだものは、タペストリーだった。これほど炎に苛まれているのに、その美しい文様のタペストリーは火がついていない。そして、布の一部が人型に盛り上がっているのを俺は見た。
「……そこかっ!」
俺は勢いよく布を剥いだ。そこにはやはり白衣姿の男が倒れていた。
「……早く脱出だ! こんなところでこんな男と心中は御免だ!」
俺は自らを鼓舞するように叫んでから、気を失った男を背中に背負って、炎の外へと駆けだした。




