波は立たない
長い長い廊下を息も絶え絶えに走り抜ける。階段を一息で登り切り、それからまた疾走。それを繰り返しているうちに、外へと続く巨大な扉へとたどり着いた。
「ここは……」
振り返って建物を見てみると、そこはつい先ほどまで塀の外から眺めていた、ヴァレンスタイン家の巨大な邸宅であった。
「俺たちはいつの間にか邸宅の中に運ばれていたのか。しかし、これは大ニュースだぞ。ヴァレンスタイン家の地下にあんな施設があったなんて!」
庭の門は開け放たれていて、俺たちは門番のすぐ脇を全力で駆け抜けた。彼らは俺たちに制止を求めるような素振りをしていたが、構っている場合ではない。持てる全ての力でもって、ヴァレンスタイン家から遠ざかった。
「どうしよう、これから」
それから数分ほど走り、繁華街の路地にまでたどり着いたところで、俺はモラートに尋ねてみた。モラートも未だ混乱したような様子で、目をパチパチさせていたが、
「とにかくにも、警備部にいったん戻ろう。リース隊長に報告して、指示を仰いだほうがいい」
──この哨戒中の出来事は、これからやってくる波乱と騒動を予感させた。しかし存外にも、大きな騒ぎへと発展することはなかった。
モラートはリースを通じて、ヴァレンスタイン家の地下で目撃したものを上へと報告した。俺自身後から聞いた話だが、この国では呪いの研究そのものが強い制限下に置かれている。あのボンドとかいう初老の男は、明確な違反行為を行おうとしていたわけである。
ところが、モラートの報告後、それに関連する続報は一切出てこなかった。あの博士が取り調べを受けたという話も、ヴァレンスタイン家に捜査が入ったという話も、何一つ情報が入ってこない。
「きっと、どこかでもみ消されたに違いないんだ」
それからというもの、モラートは事あるごとに陰謀の存在を主張した。
「リース隊長もフェリ基地長も、話を聞くたびに気まずい顔をして話を濁すだけだった。多分、ヴァレンスタイン家の方から介入があったんだ。隠ぺい工作というやつだ」
「しかし、あの博士とやら、ヴァレンスタイン家とどういう関係なのだろう。エウロという人とも面識があるようだったけど」
「ウーン、あの地下室の存在は、エウロ様も存在を認識していたようだった。どういう関係なのだろうか……」
二人で拙い議論を続けたが、もっともらしい結論は出てこなかった。調査の方も全く進展がなく、次第に俺の方も興味を失っていった。任務に慣れ始めたということで、フェリの方も今までよりもたくさんの任務を課してくるようになったので、俺は段々と多忙になっていった。
忙しく歩き回る日々を続けている間に、俺はその事件に巻き込まれたことなどすっかり忘れてしまっていた──後に思い出すことになったのは、事件発生からひと月ほどが経った頃である。
リーベルンとの戦争状態は相変わらず継続しており、国境付近での小競り合いの報告は多数上がっていた。チリンたちと共に戦った時のような、大規模な侵攻行為こそなかったけれども、国境沿いの兵士たちにとっては予断を許さない状態が続いていた。
俺はアメリアと再び会うことを望んでいた。前回のはぐらかすような会話ではなく、奴の本音を聞きたいと思っていた。
知り合いになった剣聖たちを通じて、再びの面会許可を申請する。しかし前回が何の障壁もなく許可が出たのに対し、二回目の面会要求は徹底的に拒絶された。
「会いたいときに会う、会いたくなければ絶対に会わない。そういう人ですよ。機嫌がいい日を探すしかありませんね」
要求が却下されたことを伝えに来たサーシャはそう言った。
「何をすれば機嫌がよくなるかな」
「分かりません。そもそも普段機嫌がいいのか悪いのか分からないような表情をしていますし。……大体、会って何の話をするんですか? 戦争を止めろとでも言いにいくので?」
サーシャは呆れたような表情で首を振る。
「お前自身どうなんだ? リーベルンとの戦争、止めたいとは思わないのか」
「うーん、別に戦いが好きだというわけでもありませんが……」
渋い表情で腕を組んで、サーシャは唸る。
「リーベルンが妙な兵器を作り出して、エントリアの国土を侵攻しようとしている現実がありますから。野放しにしておくわけにはいかないでしょう。むしろこちらから攻めていくべきではないですか。戦争を布告した割に、連中に襲われるのをじっと待っているだけ。その状況の方が不可解です。徒に戦いを長引かせるだけで……」
サーシャの意見はもっともだと俺も思った。何かが中途半端だと、俺も感じていた。
エントリアがリーベルンに宣戦布告を行った後、エントリアは積極的に軍事行動に出ていない。リーベルンの襲撃に備えて防衛を強化しているだけなのだ。
リーベルンの土地を侵略して領土を奪うというのなら、納得できるかはともかく意図は理解はできる。ところがエントリアは動かない。何かを待っているように……。
「アメリア様が思い付きで戦争を起こして、それからすぐに飽きたんじゃないですかね。正直何か目的があって指示を出してるとは思えません」
「そんな適当なことが、許されていいのか?」
俺は胸中に淀む怒りの感情を抑えながら尋ねたが、サーシャはあっさりと答えた。
「いいんじゃないですか? それが許されるのが、十二聖剣のトップという存在ですから」




