不穏なる湖畔
仮面の人物に付いて部屋の外に出た。サーシャと切り結んだ広い空間には、さらに何人かの仮面の人間がたむろしていた。俺は警戒心を保ちながら、黙って石畳の上を歩いて行く。
「サーシャ様は我々が既に保護しています。特に外傷はないようですが、精神的な消耗が激しいようで」
「それならよかった。……いや、クエリ……様はどうした? 彼女も前の部屋に倒れていて……」
──恐らくは彼女もサーシャの毒を食らっている。俺と状況が同じなら、命の危機にあるはずだ。
「クエリ様は、キエラ様の手で救出済みです。多分、後に別条はないかと」
「そうか、それなら……」
他の人の無事を知った瞬間、なんだか足の裏に穴が開いたように力が抜けていった。バランスを崩して前のめりに倒れかけたが、仮面の人が咄嗟に肩を貸してくれた。
「お疲れですね。地上に医療班を待機させていますから、もう少しの辛抱ですよ」
「すまない……誰とも知らない人……」
「いえいえ。これも命令ですから」
仮面の人は照れ臭そうに返答した。体格がよく顔も隠れているので分かりかねていたが、声色から察するに女性なのだろう。──助けてくれたのはありがたいが、何故仮面を? エントリア警備部の連中は、戦場でもこんな変装をしていなかったのに。
そしてこの仮面と装束、俺はどこかで一度見かけているような気がする。いつだろうか? どこでだろうか? 気のせいだろうか……?
「うお!?」
人形の襲来を受けた巨大な空間まで戻ってきて、俺は驚きの声を上げた。その光景は注意してみるまでもなく、様変わりしていた。古びてはいたものの、それなりの整然さと荘厳さを帯びていたその地下空間は……一言でいえば無茶苦茶になっていた。
壁中に無数に刻まれた斬撃の跡、まるでチーズのように美しくスライスされた柱、そして辺り一面に散らばっている細かな木片……。
「何があったんだ?」
俺が呟くように尋ねると、仮面の女性は落ち着いた様子で、
「キエラ様が暴れたそうですよ。あの方、普段は物腰柔らかですが、一たび本気で戦い出すと凄いことになるそうです。まあ、生で拝んだことはないんですけれど」
一体どう暴れればこんな惨状が出来上がるのか見当もつかない。確かクエリが湖畔で言っていた、私たちごと微塵切りにされるとかいう言葉──あれがあながち冗談でも無かったのだと思うと、俺は少しだけぞっとした。
長い階段を肩を借りながら登って、ようやく念願の地上へとたどり着く。埃っぽい部屋をあくせくと抜け出した後は、湖畔の爽やかな空気を胸いっぱいに吸い込んだ。
「ふうううううううー」
全力で息を吸い、全力で吐く。それを繰り返すうちに、カンカンに熱せられた頭の中もようやく冷めていき──俺はようやく帰ってこれたのだと安堵の気分を覚えていた。
家の外にも何人もの仮面の人たちがいて、何やら慌ただしく動き回っていた。そして、別荘近くの湖畔に立っている二人の影が視界に入った。
一人は──キエラだった。彼女は何かに憤っているように、もう一方の影に対して声を荒げていた。
そしてもう一人は──俺は名前を知らなかった。全身黒っぽい、タキシードのような格好の女性である。彼女はキエラから僅かに視線を逸らし、湖の方にぼんやりとした表情を向けていた。
「あなたも来ているとは報告にありませんでしたよ、ケイスさん。アメリア様からの命令ではない、独断行動でしょう。……一体何のつもりですか?」
「結果的に助かったのだから構わないでしょ? それに、元々サーシャに任務を依頼したのは私なんだ。多少悪く思う気持ちもあったってことで」
睨みつけたままのキエラをその場に残して、その黒い服の女は俺たちの方向へを歩いてきた。と、突然仮面の女が手を振って、
「ケイス隊長! レイル君と救出してきました!」
と叫んだのだった。
ケイスと呼ばれた女性は闇の中に不敵な笑みを浮かべながら、ゆっくりと俺たちとの距離を詰める。その歩き様には妙な圧迫感があって──肩を借りていなかったら、恐らく尻もちをついて後退していただろう。
「こんばんわ、レイル・フリーク」
彼女はスッと手を伸ばし、握手を求めた。俺は何も言わずに握手を交わした。
「今宵は大変だったでしょう? 街に戻って手当てを受けるといい。後は私たちが何とかしよう」
「はあ……」
俺は状況を飲み込めず、間抜けな声で返答する。と、キエラがツカツカと背後から迫ってきて、
「ちょっと、話はまだ終わっていませんよ! 何をするつもりなんですか、私設兵まで引き連れて……」
とキンキン叫ぶ。
「私にとっては終わってる。これからこの家の家宅捜索を始めるつもり。何があったのかを詳細にご報告奉るためにね」
「それはアメリア様の命令ですか? それとも……」
「……アメリア、アメリアと煩いなあ。どうでもいいんですよ、そんなの」
ケイスはわざとらしく肩を竦めて、キエラの方を向き直った。
「この家の中にあるものは、私たちが責任をもって調査しますから。第七剣のキエラ様が思い悩むようなことではございません」
「ケイス!」
キエラの声を涼しい表情で聞き流し、妖艶な笑みを浮かべてケイスは歩き去って行った──俺との擦れ違いざまに、耳元に意味深な言葉を言い残して。
「ねえ、君。アメリアのことをあまり信用してはいけないよ。痛い目に合いたくなかったらね」




