幻想的な眠り、あるいは目覚め
『……なんだ?!』
俺はミーンが狼狽える声を初めて聞いた。しかし、そんなことを気に掛けている余裕は俺にはない。修復されたはずの傷跡から、再び激痛が響き始めたのである。
「何が……起きてる……?」
俺は剣を地面に突き刺して、倒れそうになる体を必死に支えた。
『……毒だ。それもとっびきり強力な奴だ。奴の聖剣の能力か!?』
地面に転がっている歪な聖剣に視線を向ける──思い返してみれば、見た目こそ異様ではあったけれど、彼女の聖剣の聖剣らしいところを拝んではいなかった。オスローは炎を操った、チリンは風を使役した、そしてサーシャは……毒?
「まさか……クエリが突然倒れたのも、この能力の仕業か……」
きっとそうに違いない。クエリはこの聖剣の毒牙にかかったのだ。ちょうど今の俺と同様に……。
『まずい、まずいぞ、レイル! 全身の機能が無茶苦茶になっている! 早く対策を……』
ミーンに言われるまでもなく、俺は自身の体が大変なことになっていることを理解していた。激痛と痺れが全身を駆け廻る。腹の底から吐き気がこみあげてくる。視界は激しく明滅し、まるで虹の中にいるように七色に光り輝いている。
このままでは死ぬ。多分。いや、確実に。
『おい、何所に向かう気だ!?』
俺はサーシャが倒れる前に指さした方向へと千鳥足で歩き出した。平衡感覚が狂い始め、まっすぐ歩くのも困難になっていく。湧き上がる不快感が溶岩のように胎動し、だんだんと気が遠くなっていく。
『毒の効力が強すぎる! 呪いの力で命を支えているが、実質十秒間に一回は死んでいるぞ! 早くどうにかしないと本当に……』
俺はミーンの言葉を聞き流し、まっすぐ前を向いた。サーシャが指さした扉の先に何があるのか、全く見当もつかない。しかし、彼女が倒れる前の最後の指示だ。意味がないとは思えない──少なくとも髪の影から覗いていた彼女の目は真剣そのものだった。
たかだか歩いて数十歩の距離を、無限遠へと続く数直線を彷徨うような気分で歩き続け、やっとの思いで扉を開く──そこには小さな部屋があった。
四方を巨大な本棚に囲まれた小さな空間。その中央に置かれた丸テーブルの上には、怪しく燃える燭台の明かりと、紫色の光を放つ奇妙な箱が一つ。
「なんだ、あれは」
始めて見る形状、色、雰囲気。しかし直観的に、碌でもないものだという予感だけはあった。
『……あれか! あやつめ、こいつのことを指していたのか!』
ミーンは突然驚愕とも歓喜ともつかないような声を上げ、俺の手の中でブルブルと震えた。焦点がいよいよ合わなくなり、視界に映る全ての輪郭が歪んでいく。既に体の自由が利かなくなってきている。
『チッ、軟弱者め! 体を借りるぞ!』
その悪魔の声とともに、体の支配権が移行したのをはっきりと自覚した。朦朧とした意識のなかで、俺は杖代わりにしていた黒い刀を勢いよく振り上げ、その箱目掛けて叩き下ろした。
瞬間。
紫の箱は熟れた果実のようにパックリと割れ、中から紫と白の光が飛び出した。帯のような光の奔流が部屋中に溢れ、机だの花瓶だの、何かにぶつかっては花火のように弾ける。振り下ろしたままの黒い刀は、流れ出る光と激しく衝突し、紅や橙の火花をパチパチと散らしながら燃え上がっている。
薄暗い部屋の中に幻想的な風景が広がり、俺は曇りガラスのように滲んだ瞳でそれを見つめた。何が起こっているのかは理解していなかった。ただ、美しい、という感情だけが俺の心を支配した。
不意に体の自由が戻ってくる。咄嗟のことで俺は上手く対応できず、剣を握ったまま地面へと仰向けにぶっ倒れた。天井では未だに光が交差しては砕け、七色の光の粒を噴き上げている。まるで星空の誕生を目の当たりにしているようだった。
目の前に広がる小部屋の中の宇宙を眺めながら、俺は気を失った。視界の中から光が一つ消え、二つ消え、とうとう全て消え去って、何も見えなくなっていった。
『これでなんとかなる、なんとか……』
ミーンの呟くような声が耳に届いたが、それに反応するだけの体力は残っていなかった。
「……もしもし? ……おーい、大丈夫ですか?」
何者かの声で目が覚める。全身の不快感に抗いながら目を開いて、俺は思わずウワッ、と情けない声を上げた。
視界一杯に、奇妙な仮面が広がっていたのである。仮面をかぶった何者かが、俺を覗き込むように屈んでいたのだ。
「……ッ! クソ、まだ人形の残党が!?」
俺はバネのように立ち上がって剣を構え、威嚇するように睨みを効かせる。
「いやいや、待ってください! 私は敵ではありませんよう! 人間ですって、人間!」
仮面の人物はプルプルと必死に首を振って否定した。風貌は恐ろしく怪しいが……確かに先ほど襲ってきた人形たちとは趣が違うようだった。
「なんだお前は! サーシャはどうした? クエリも、キエラも……」
「私たちは援軍ですよう。あなた方を助けに来たんですって。本当ですよ? ……でもよかったです。寝起きでそれだけ飛び跳ねられるのなら、それほど大事ではないようですね」
そう言われて、俺ははっと気が付いた。全身の不快感も、激痛も、まるで悪夢から目が醒めたように、跡形もなく消え去っていたのである。




