十二剣聖
白い箱のような見た目をした医務施設に辿り着くと、俺は肩を貸していた少女の体を、慌て顔を浮かべる医者たちに任せた。俺の方も酷く損壊した服装が心配を誘ったか、別室で検査を受ける流れとなった。
年老いた医者の男が俺の全身を隈なく調べてくれたものの、特に負傷した箇所は見当たらなかったようで、不思議そうに首を傾げていた──恐らく呪いの力による効果なのだろうと俺は思ったけれど、追加で頭の検査でも始められては厄介だと思い、この場は黙っていることに決めた。
細やかな検査が終わると、その後は小さな病室に案内されて、取り敢えず安静にしているようにと指示を受けた。長い行程を歩き詰めだった俺にとって、これは朗報としか言いようがなかった。
フカフカのベッドの上に飛び乗り、四肢を伸ばす。羽毛のような肌触りのシーツに包まれて、身悶えるような快感が全身を走る。ゆるゆると息を吐きながら目を閉じ、それから数分も経たない間に、俺は完全に意識を失った。
次に目を開いたのは、翌日の昼過ぎだった。病室に置かれた時計は午後の二時を指しており、窓からは穏やかな陽光がカーテン越しに漏れ出ていた。
と、俺の目覚めを見計らっていたかのように、部屋の扉が突然開いた。
「……お目覚めですか」
部屋の入ってきたのは、昨日出会った女兵士だった。彼女は俺の方に恭しく一礼すると、
「オスロー様を助けていただいてありがとうございました。私はトーチカ・シュトルム。エントリア警備部所属、南部防衛拠点の拠点長を務めております」
と、丁寧な口調で自己紹介する。
「あっ、ええと……俺はレイル。レイル・フリークです。レイビスからここまで辿り着いたのですが……」
「……レイビスから?」
トーチカは途端に眉を歪めて、少し気の毒そうな表情を見せる。
「生存者はほぼ皆無と聞いていましたが……それは大変だったでしょう」
生存者は皆無──何気なく語られた言葉が、俺の胸の奥を突いた。自分の目で見て回った限り絶望的な状況であったことは既に分かってはいたけれども、心のどこかに信じたくないという思いがあったのだ。
「……えー、取り敢えずは安静に、気を落ち着けてください。エントリアはあなたのような人を追い出したりはしませんから」
俺の表情が若干暗くなったのを察してか、励ますような口調でトーチカは言った。
「それはどうも。ところで、俺が連れてきたあの人は?」
「オスロ―様ですか。数時間寝たら元気になったようで、もうピンピンしてますよ。心配はいりません。……済みませんが、後で時間のある時に、彼女の病室に立ち寄って貰えませんか? どうにも直接会って礼を言いたいとのことで」
「そりゃあよかった。分かりました、後で出向きますとお伝えください」
トーチカは深々と一礼してから、静かに部屋を出ていった。部屋から俺以外の気配が無くなると、午後の静寂が部屋の中に満ちる。俺はベッドに仰向けになり、白い天井をぼんやりと眺めた。
これからどうするべきか。なし崩し的にエントリアまで入り込んでしまったが、次の一手は如何に? 俺の当面の目的は、リーベルンとエントリアの間で起こっている戦いを止めることにある。エントリアとの戦いに協力させてもらえるよう頼み込めばいい話なのだが……。
「……そう思うのなら、これはまたと無いチャンスだぞ?」
突然ミーンの声が聞こえてきて、俺は飛び上がるほど驚いた。少女を助けるのに夢中で、喋る黒い剣の存在を心の中から抹消していた。
「それは一体、どういう意味だ?」
「親切にも説明してやろう。お前が昨晩助けたあの女のことだ。奴はこのエントリアの国において、もっとも権威のある組織の一員。一般には”十二剣聖”と呼ばれている連中の一人なのさ」
「十二剣聖……」
生まれてこの方、聞いたこともない言葉だった。反芻するように、何度かその言葉を呟いていると、ミーンが再び喋り始める。
「十二剣聖はエントリアにおける、あらゆる物事に対して権力を持っている。オスローに頼み込めば、お前を対リーベルンの戦闘員にすることくらい朝飯前だろうよ。お前には彼女を救った恩がある。突っぱねられることは無いと思うがね」
「なるほど……」
ミーンの言うことが事実なら、確かにこれ以上都合のいい状況もあるまい。オスローに頼み込んで戦闘員として働き、リーベルンと戦う──俺の胸中に渦巻く悲しみと怒りを晴らすには、それが最良の方法であるように思われた。
翌日の昼になるまでベッドの上でじっと待ってから、俺は病室を抜け出た。体の痛みはなく、むしろ爽やかな気分だった。借り物の薄着を羽織って、あの少女がいるという最上階の部屋を目指した。
案内板を見ながら施設を歩き回ると、『オスロ―・スカイベル様』という大きな文字が書かれた部屋の前に辿り着く。部屋の引き戸は閉じていたが、ザワザワという騒がしい音が内側から漏れ出てくる。
躊躇いがちに部屋を覗き込むと、中には大量の人、人、人である。病室を埋め尽くすほどの大量の人が犇めいていて、各々が何やら声を上げている。
「オスロー様、お怪我の方は本当に大丈夫なのですか?」
「……大丈夫だって! 心配しなくていいから!」
「何か食べたいものはございませんか? 季節の果物でも肉料理でも魚でもなんでもご用意させる準備が……」
「いいえ、平気。この病院のご飯はおいしいから、大丈夫だって……」
「行方不明になったと聞いた時は、心底肝が冷える思いがしました。十二剣聖の一人である貴方様に何かあれば……」
「それについてはごめんなさい。でも、本当に何も問題ないから……」
ベッドの上で大勢に囲まれている少女は、苦笑しながら周囲の人間に対応している。会話の内容を聞く限り、確かに偉い立場の人間であることは間違いないらしい。
ふと、一瞬視線がぶつかって、彼女が俺の俺の存在に気が付いたらしい。その途端、彼女は助かったと言わんばかりの笑みを浮かべて、
「はいはい! これから大切なお客さんと会うのです。申し訳ありませんが、少しの間部屋を出て行ってください! これは”剣聖命令”です!」
などと言いながら、手をパンパンと叩いた。取り囲んでいた人たちは素直に彼女の言葉に従って、ぞろぞろと行列を作って部屋の外へと出ていった。嵐のような騒ぎが去っていき、部屋の中は急に閑散とした雰囲気に満ちた。
「……元気な人たちには出て行ってもらいました。さあどうぞ?」
ベッドの上の少女は、ニコリと笑いながら手招きする。俺は周囲をきょろきょろと伺いながら、彼女の病室へと足を踏み入れた。
「昨日はどうもありがとうございました。……私の名前はオスロー・スカイベル。エントリア十二剣聖の一人を務めさせて頂いています」
ベッドの上の少女は、静かな笑みを浮かべながら小さく会釈をする。白いシーツの上に流れた栗毛色の長髪が、窓から差す日の下で美しく輝いていた。