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5秒間の戦い

 やがてドウドウドウという鈍い音が俺の耳に届き始めた。何かが草むらの中を走っている音だということは、考えるまでもなく直ぐに分かった。


 闇の中に何かが飛び上がった。キエラの持っている簡易照明が、その物体の姿を闇の中に照らし出す。


 ──クエリの言った通りだった。それは『クマ』だった。


 童話の世界に出てくるような、ファンシーな顔のクマ。そのかわいらしい顔からは、痩せこけた鶏ガラのような体が伸びている。そのあまりのアンバランスさに慄いて、俺は剣を握りしめたまま絶句した。


 クマ顔はかぎ爪のように折り曲げた手を振りかざして、クエリの頭上から襲い掛かる。しかしクエリは落ち着いて、中段から振り上げた剣で迎撃する。


 ギィィン──冷たい金属音が響き渡る。クエリが薙ぎ払うように剣を振ると、クマ顔は空中でクルリと体勢を整えて着地する。


「何奴です!」


 僅かに上ずった声でキエラが叫ぶ。クマ顔は何も答えない。顔をこちらに向けたまま、不気味な沈黙を保っている。


 全身に走る不安感、恐怖──しかしその出所は、不気味にふらついているクマ顔だけではなかった。


 突然強襲されて火が付いたのか、クエリの背中が凄まじい威圧感を放っている。迂闊に近寄れば危険だと本能が言っている。キエラも何かを察しているのか、クエリと一定の距離を保ったまま動こうとしない。


「……サーシャはどこ? あなたはそれを知っているの?」


「……」


「あなたは一体何なの? 何が目的?」


「……」


「リーベルンの連中と関係があるの? どうやって入ってきたのかしら? ……そのままずっと黙っている気なの?」


 クエリが矢継ぎ早に詰問をぶつけるが、クマ顔はやはり答えない。ゆっくりと体勢を低くして、獲物を狙う獣のように身構える。


「そっちがその気なら……いいわ……」


 クエリの持っている剣が、突然ビリビリと不気味な音を立て始めた。キエラが眉根を僅かに顰めながら、


「クエリさん、"捕まえる"んですからね!」


と声を掛けるが、明らかに耳に届いていないようだった。クエリは前だけをまっすぐに見つめて、凍り付いたように静止している。


 一色触発の状況──そしてその時は直ぐにやってきた。


 クマ顔が再び飛び上がり、剣を上段に構えたクエリに襲い掛かる。動作を目で追うのもやっとなスピード。離れた場所からでもハッキリと分かる、奴の爪先の鋭利な輝き。闇の中に浮かぶクマの顔は若干の微笑みを湛えていて、それが見た目の不気味さを引き立てていた。


「──『地神の剣』」


「クエリさん!」


 クエリが低くくぐもった声で呟き、キエラは焦ったように声を荒げる。そしてクマ顔の爪先が、鈍い衝撃音を放ってクエリの剣と衝突した。


 次の瞬間である。


 クエリは軽く剣を振るったように見えた。ただそれだけの動作にしか見えなかった。


 クマ顔は剣に押し返されて宙を舞った──否、吹き飛ばされた。耳を劈くような炸裂音とともに。


 大砲から射出された砲弾のように、クマ顔は水平に吹っ飛んだ。目にも止まらぬ速さで飛翔し、暗闇の中を風を切り裂いて飛んでいく。広い草原を超えていき、湖畔の遊歩道を飛び越え、湖の上に掛かっても勢いは衰えない。


 やがて湖の向こうまで飛んで行って、闇の中に見えなくなってしまう。数秒後、微かな光の明滅を伴って、遠く離れた湖の反対側から爆発音が響いた。……何が起こったのかは直ぐに想像がついた。


「もう!」


 キエラが呆れたように声を上げた。やれやれと首を振りながら、構えていた剣を鞘へとしまい込んでしまう。まるで全てが終わってしまったかのように。


「捕まえるって言ったのに、あんな勢いで吹っ飛ばしたら無茶苦茶になってますよ!」


「大丈夫よ。ぶつけてみた感じ、結構硬そうだったから。……湖の反対側に飛んでいった。追ってみましょうか」


 クエリもカチン、という音を立てて剣を仕舞い込んだ。彼女の顔は当然のことをしたという風にすがすがしい。彼女は困惑している俺とキエラを一瞥すると、湖の向こう側に向けてツカツカと歩き始めた。


「……あれも"聖剣"の能力なんですか?」


 クエリの背を追いかけながら、俺はキエラにこっそりと尋ねてみる。


「でしょうね。私も詳しくは分からないけれど」


 クマ顔が吹っ飛んでいった地点は──中々に凄まじいことになっていた。地面が円形に抉れ、まるでクレーターのように変形している。衝突の衝撃か、クマ顔の体はキエラが予想した通り、原形を留めていなかった。枯れ枝のようだった細い体はバラバラに砕け散っており、歪んだクマの顔は地面に半分めり込んでいた。


「……やっぱり、人間ではなかったのですね。ある意味では安心しましたけれど」


 地面に散らばった体の破片を拾い上げ、キエラは呟く。破片に触れてみると、それは生物のような温かみはなかった。質感的には木材のようである。


「こういう人形が動き出すというのは、一般的なことなんですか?」


 エントリアを訪れてから、俺は何が常識なのか分からなくなっていた。聖剣の不思議な力、呪いの力で動く人や機械……レイビスでは想像すらしたことがなかったことが、この場所では平然と起こるのだ。


 しかし今回のことは、クエリやキエラにとっても異常なことらしい。俺の問いかけに、キエラは小さく首を振って、


「いいえ。ふつうはあり得ないことです。……リーベルン由来の呪いという説、本気で検討してみる必要があるかもしれません」


 

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