その2
死、というものは誰にでも簡単に与える事が出来る。
ただ、ほんの少し押してやればいい。
暗い闇に、鋭く光る刃物の先端を相手の身体に突き立てる。
苦しむ者もいる。笑う者もいる。
何が起きたのか理解できず、そのまま逝ってしまう人も。
自分の身体を激しくかきむしるようにもがきながら逝ってしまう人も。
はじめは痛く、苦しく、辛い思いをするかもしれない。それでも、やがて平穏な死が訪れる。
私は、自分が殺めた人たちの最期の顔を忘れない。
あの穏やかな表情を。「ああ、やっと楽になれる」そんな顔をしながら、静かに、ゆっくりと目を閉じる。
殺す事を、悪い事だとは思っていない。
間違っているとは思っていない。
だって、みんな「死」を得る事で救われているのだから。
そうでなければ、最期にあんな表情はしない。
みんな、幸せそうだったもの。
……幸せって何だろう?
…私も、死ななければ幸せにはなれない。
私は…いつ、死ねるのだろう?
誰が私を殺してくれるのだろう?
「ねえさあら」
「んー、なに?」
「さあらはこの世界が好き?」
私が聞くと、さあらは首をかしげながら私をまじまじと見つめてきた。
そして私の頭を優しく撫でてくれた。
「好きよ。だってあなたがいる世界だもの」
さあらが優しく微笑む。
さあらはとても綺麗だ。
まるでこの世界を形成しているものとは違うなにかで創られているのではないかと思うくらい。私ともうしおっちとも違う。
本当に綺麗なものだけで創られているんだと思う。
「…それ、どこまでホント?」
「どこまでも何もないわ。それ以上でも、以下でもない」
「じゃあ、私がいなかったら?」
「そんな世界、何の価値もないわ」
彼女の声はとてもはっきりと透き通っている。
いや、他の全ての人の声がはっきりしてないとか、何だか穢れているとか、そんな事を言いたいわけではなくて、本当に彼女の声も、その姿も、何か特別なもののように思える。
だから彼女の言葉の一つ一つが、私の心の中にいつまでも残っている。
そして今また一つ、私の身体に彼女の言葉が刻み込まれる。
でも、正直言って。
「それはちょっと大袈裟すぎやしませんか?」
「だって事実だもの。ここでこうしてあなたに会うために私はきたのよ。そのあなたが居なくなってしまえば、私がここにいる理由も、この世界が存在する意味もなくなってしまうわ。それだけあなたはこの世界にとっても、私にとっても特別な存在なのよ」
私は特別、か。
私はそんなに凄くもないし特別でもない。
ニンゲンをたくさん殺しているという意味では確かに特別かもしれないと思ったけど、でも私以外にもそんなやつは沢山居るわけだし、私だけが特別なわけではない。
それに私はこの世界が嫌い。
嫌いな世界に特別扱いされても、私はちっとも嬉しくなんかない。
「ねえ、さあら。私はニンゲンを殺す事になんの躊躇もないの。後悔も今まで一回もしたことがない。別に殺す事が楽しいとか、気持ちいいとかそういうんじゃなくてね、私はこれが正しいと思っているの。死ぬ事で、ニンゲンは救われるんじゃないかって。死んでしまったほうが、幸せになれるんじゃないかって。こんな考え方、おかしいかな…?」
さあらが少し悲しそうな表情を見せた気がした。いや、気がしたんじゃなくてほんとに見せたんだと思う。
ほんの一瞬だったけど、私ははっきりと見た。その瞳の色、唇の音色を聴いた。
それでもさあらは優しく微笑み、私を抱きしめてくれた。
とても暖かくて、柔らかな感触。
香水の甘い匂い。
抱きしめる腕の力強さ。
とても優しく、包み込んでくれているみたい。
不思議と心が安らぐ気がした。
「間違ってはいないと思う。もちろん良いこととは言えないけれど、でもあなたは自分が正しいと思うからしているのでしょう?その気持ちはとても大切だと思うわ」
「うん…」
「でも…もっと周りを見てみなさい。あなたが思っているほど、この世界は辛いだけでも、悲しいだけでもないわ。今を精一杯生きている人達がたくさんいる。この世界を生きることが、幸せだと思う人達がね。そんな人達にまで死を強要してしまうのは間違ってはいないかしら?自分がどれだけ正しいと思っていたとしても、自分の考えをただ他人に押し付けてしまうのは良くないことよ?」
「う、うん…」
「あなたは…この世界が嫌い?」
「私…わたしは……」
目が覚めたとき、いつも同じようにひとりぼっちだった部屋にはさあらがいて、うしおっちがいた。
二人は楽しそうに笑っていた。
うしおっちの顔は仮面をしててわからなかったけど、でも笑っているのがなんとなくわかる。
私の顔を見て、おかしそうに。
「な、なによぉ…?」
「髪の毛が寝癖だらけだ」
うしおっちが楽しそうな声で言う。
「昨日帰ってきてシャワーを浴びて、そのまま寝ちゃうからよ。濡れたままだと髪の毛も痛んでしまうわ」
さあらが少しあきれながら言う。
「うぅ、だって疲れてたんだもん」
私はそばに置いてあった手鏡で、自分の顔を映して見た。確かに髪の毛が爆発している。一所懸命に手櫛で整えようとするけれど、全く直らない。
「あわわわわ…」
「仕様がないわねえ…」
さあらは言いながら、人差し指で宙にくるりと円を描くような動作を見せる。
滑らかに動く指先。
途端に指先からキラキラした光が生まれ、その光が私のほうに流れるように向かってくる。
光は髪の毛に纏わりつき、途端に私の髪の毛はきちんとブラッシングされたみたいに寝癖が直り、きちんとまとまってしまった。
「さすが魔女だね」
「そうよ。魔女はなんでも出来てしまうのよ」
にこりと笑いながらさあらは言った。
魔女のさあらは、魔女とは思えないくらい優しい人だった。
殺し屋のうしおっちも、殺し屋殺し屋とは思えないくらい良い人だとおもう。仮面は変だけど。
二人とも、何だかとても楽しそうだった。
私も、楽しかった。これが幸せというのなら、この世界も悪くないと思えた。
こんな日がずっと続けばよいと思った。
でも、本当に目を覚ました時、そこは薄暗い部屋で、私はやっぱりひとりぼっちだった。
無機質な天井を見つめながら、私は次の仕事の事だけを考えていた。