トレバー魔術を使う
魔法と魔術の説明はこの話で終わりです。
その前に、ルーシーのお話です。
健気で可愛い後輩ちゃんかと思った?屑だよぉっ!
グレフルの街は、活気がある明るい街である。
登る太陽が明るく照らし、人々の顔にも笑顔が満ちる。
だが、そんな明るさが強い程、影も濃く大きくなる。
グレフルのスラムはそれなりの広さがあり、知らず知らずに足を運んだ無垢なる人々は、影に息を潜める獣畜舎に引きずり込まれる。
勿論現状を領主は把握しているし、手引きをして利益を得ている。
質の良い商品は、ロレンス聖国へと出荷されるのだ。
それでも、スラムには年端もいかない子供達も住んでおり、日々を逞しく過ごしている。
スラムの住人である少年、ミナトは自分の手を眺める。
銀貨4枚の報酬が握られている手ではなく。、先程まで女の子と繋がれていた手だ。
銀色の髪に、ルビーの様な瞳。
陶器の様な白い肌は柔らかく、未だにその感触が残っている。
今まで何人もの商品を、今日と同じ様に彼等に届けたのだが、珍しく連れて行った事を後悔していた。
彼女を、自分だけの物にした方が良かったと。
子供とて、論理概念の教育が無いスラムでは、他人等、所詮はその程度の価値にしか捉えられない。
けれど、初恋をしてしまったミナトは、やはり名残惜しく振り返ってしまう。
もしかしたら、お零れが貰えるかもしれない。
ふと、彼女で楽しんでいるだろう男達事を想像し、ミナトの胸にドス黒い感情が募る。
彼女を引き渡してから動いた太陽の位置、それなりの時間は経っている。
だが、あれ程の美しさだ。
きっと男達も白熱しているに違いない。
そんな希望を抱いて、ミナトは少女を案内した袋小路へと向かった。
陽の光が届かない、薄暗く汚れたゴミ捨て場。
ミナトが恐る恐る近づくと、僅かに声が聞こえる。
間に合ったっ!
期待を胸に足早に向かうと、少女の姿は無く、恐ろしい程に静まり返っている。
薄暗く判別は出来ないが、大きなゴミが……。
「……ゔぅ」
ゴミだと思っていた物体が、人間である事に気がついたミナトはソレに目を向ける。
半裸に剥かれているのは、ミナトの顔見知りであり、今の仕事を紹介してくれた男であった。
側によるにつれ、男に何処か違和感を覚える。
外傷は見られないが、辺りに漂う鉄の匂いから、何かが起こった事は確かである。
「旦那…?」
昼間でも薄暗い袋小路、ミナトは明かりを灯す事にして、詠唱を始める。
ミナトは男達に拙いながらも、基礎の魔術を使える事が評価されており、将来的には魔術を教えてもらえる事になっていた。
事実かどうかは別としても、スラムで生きる彼は、他に道は無いのだから。
「“光よ光、我が手に宿れ。凍える心に温もりを。小さな灯”」
明るくなった事で、男の姿がよく見えた。
恐怖に塗れ、白目を剥いて、力なく舌が出ている姿。
それよりも異様なのが、男の両腕は屈強な筋肉に似合わない細長い腕。
挿れられた刺青には見覚えがあった。
目の前の男の仲間であり、ミナトに銀貨を手渡したヒョロリと背が高い男の腕。
繋ぎ目は綺麗さっぱり見当たらないが、肌の色が違う事から、恐ろしい事実に思い至る。
息をするのを忘れる程の恐怖、辺りに血溜まりが全く無い事が余計に恐ろしい。
これ程に、鉄の匂いが鼻につくのに。
大柄な男の側には細身の男が倒れており、やはりその手には筋肉質な腕が付けられている。
逃げなきゃいけない。
激しく鼓動する心臓を抑え、カチカチと音を立てる奥歯を噛み締めて、後ろに振り返ろうとした。
「だ…だずげで……」
先程聞こえた呻き声、その主がミナトに声を掛けた。
生きている彼を助けなければ。
スラムで生きる中で、背中にいる彼等を亡くしてしまえば、それだけミナトは生き辛くなってしまう。
少なくとも、息が在る彼は助けなければ。
そうして、灯を向けた先。
ミナトに向かって、必死に足を伸ばしている姿に、とうとう声が抑えられなくなった。
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」
逃げようとして振り向き、何かにぶつかって尻餅をついた。
「あれあれぇ〜?折角見逃してあげたのに、戻ってきちゃったんですかぁ?もしかしてぇ〜、僕の可愛さが忘れられなくて……とかですかぁ〜?」
この惨状に場違いな鈴の音の様な声、薄暗い中で爛々と輝く赤眼。
獲物を見つけた、狩人の瞳。
「そんなに怖がらないで……ね?」
ミナトは声が出せず、地べたを後ずさる。
ただ怖かった。
明るい所で見た時は、女神の様に美しかったのに。
今はまるで、巣にかかった獲物を眺める蜘蛛の様で。
「ちょっと、回復薬の検証をしていただけなんですよ。そっちの方達はぁ〜他人の手脚を移植したらどうなるのかと思いまして。今は、とっても残念ながら動いて無いですが、移植したばかりの時は元気に暴れていたんですよ?キチンと視神経も違っていただろうし、やっぱり高段位の錬金術は、とっても、とっても素敵ですね!」
楽しそうに話す少女。
ニコニコと輝く笑顔は天使の様で、余計に放たれる事実をより恐ろしく感じてしまう。
「あ、でも、血液型とかを考慮してなかった所為か、暫くしたら拒否反応みたいにぽっくり。だから、今度は同じ人間の部位ならって、色々試してみたんですよ」
ルーシーはその男に目を向けた。
手足の位置が、逆に付けられている。
無垢なる子供が遊び尽くした人形、その表現がぴったりと当て嵌まる姿。
「見ての通り彼はしっかりと、生きては、いるんですけれど……。ちょっと、衰弱しちゃっているんですよね。血が足りないのか?お腹を弄り過ぎちゃったのか?ねぇ、君?若さとかも回復薬の効果に影響あると思う?」
もう逃す理由は無い。
目の前のタンパク質は、僅かにでも自分の情報を持ってしまっている。
ルーシーの戦闘スタイルは初見殺し、自分の情報を拡散されてしまうと、気持ちの良い勝利が出来なくなってしまうのだ。
圧倒的で、一方的。
混乱している弱者を嬲る勝利。
ライバル達と切磋琢磨して、ギリギリの末に掴む勝利を、ルーシーはちっとも楽しめない。
真っ白な長髪が蠢き、6本に纏まると、その先端は鋭い爪の様に硬質化する。
脚だ。
ルーシーはスモールタラテクトから進化を始めた魔物種族であり、現在はアラクネのユニーク種族、5回の進化を得た最上位に至っている。
彼女の髪の毛は6本の脚となり、自由に動かせる。
攻撃として用いる事は勿論、格闘中にバランスを取る事も、移動に用いる事も出来る多様性を誇るが。
彼女の様に、このユニーク種族になる者は少ない。
普通のアラクネは下半身が蜘蛛の異形となっており、システム補助(思考や動作を補佐するAI)で歩行する事が可能である事に対し、ルーシーのユニーク種族はシステム補助が無い。
自由性を種族の特性として設けられているのだが、全て自分の感覚で操作となるので、手脚が2本しかない人間が、6本脚を操作する事が非常に難しいのだ。
例えば耳が動かせる人、鼻が動かせる人、誰かにとっては当たり前でも、動かす事が出来ない者にとって、想像も出来ない感覚なのである。
それを、本来人間が持たない部位で行うのだ。
6本の脚を自由に動かせるルーシーは、正に天才と言えるだろう。
だが、繰り出される脚が6本増えた程度、世界ランキング2桁を超える順位の保持者からすれば、手が2本の種族と大差無い。
彼等は変態である。
同時攻撃、時間差攻撃、死角からの攻撃、世界ランキング2桁保持者にとって、防げて当然、息をするのと同じである。
ただし、ルーシーは2桁に至った事は無く、常に3桁のギリギリを浮遊している。
何故なら、3桁と4桁にも高い壁が存在する為、弱い者イジメが出来るからだ。
漸く3桁が見えてきた新人ランカーを虐める、何と気持ちの良い、圧倒的な勝利となるだろう。
卑怯や、屑と言う事無かれ、ゲームの楽しみ方は人それぞれであり、勝者こそが正義な数字の世界。
それ故に、ルーシーはトレバーには逆らわない。
唯一度として、戦闘で彼に勝った事は無いのだから。
勿論、本人が言葉に表現出来ない感情も、トレバーを決して裏切らない理由の1つであるが。
ルーシーが気持ちよく検証を行なっている時、トレバーは冒険者ギルドに舞い戻っていた。
隣には美女を連れて。
冒険者の多くは朝一の依頼を受けて出払っており、中の酒場には疎らにしか人がいない。
鉄級から、銅級でも下の方の実力者が多いグレフルでは、新人も、才能の無い歳を重ねた冒険者も、何方も高額の依頼を受ける事など滅多に無い。
日々、細々と日銭を稼ぐしか手段がない。
セチガイ!
現代の日本の若者と大差無いのだ。
最も、貰えない年金を搾取され、低賃金でこき使われ、給料の為に働くのでは無いとドヤ顔で格言する国では、日本の若者の方が厳しいのかも知れない。
彼等冒険者が搾取されるのは、自分の酒代と宿代程度なのだから。
勿論、医療保険などが存在しないこの世界では、 病や怪我をすれば人生が終わってしまうのだが。
「昼に近いせいか、人が居ないな」
「えぇ、冒険者達も、依頼人も仕事の時間ですから」
成る程なと、トレバーは顎を触る。
スカスカの眼でグルリと周りを観察する。
確かに、昼間から呑んだくれている輩は居ない。
冒険者は、素行も信頼として評価されるのだろう。
と考えたトレバーだが、これはグレフルが昼間から酒を飲むほど余裕のある、中堅の冒険者が居ないからだ。
多少蓄えが出来るほどの銅級になれば、直ぐに王都に向けて経つ。
その為、王都には柄の悪い呑んだくれの冒険者も居るのだが、感情の読めない骨に絡む輩は居ないだろう。
歩くホラーなのだから。
意外と可愛らしいモノが好きな、柄の悪い粗暴な冒険者も、お化けは怖いのだ。
「では、訓練場をお借りしてきますね。魔術を教えるのに辺り、個室が望ましいので……」
「そ、そうか、頼む」
美女と個人レッスン。
えっちな本のタイトルになりそうな響きに、トレバーは動揺してしまう。
ピュアなトレバーは、思春期の少年の様にドキドキしてしまうのだっ!
だが、奥手であるトレバーには手を出す度胸は無いので安心して頂こう。
個室と呼ぶには些か広いが、全力で手合わせするには狭い程度の一角。
地面には土が敷かれており、ジュロの店よりは随分としっかり作られた藁人形が二体と、的らしきものが壁に備えてつけられている。
「此方の人形は、レンタル料金に含まれているので、壊しても問題ありません」
「む、場所代を払わせてしまったのか?」
「お構いなく、お詫びですから」
そうして、漸く魔術の説明が始まる。
魔術とは、周囲の魔力に干渉し、世界の力を借りて引き起こす事象だと。
正しく詠唱し、世界に意思を伝え、必要な分の魔力を明け渡す。
思いや、想像をより明確に伝える事で、世界により分かりやすく伝わる。
慣れてくれば、詠唱内容を短く略すなど出来る。
これが短縮詠唱となり、戦闘を行う魔術師には欠かせないそうだ。
ただ、短縮詠唱はその分イメージを明確にしなければ、不発、下手をすると暴発して怪我をする事になる。
トレバーは、詠唱を覚える事が難しそうだと感じた。
長々と丁寧に話す、マルチダの説明を聞いて出た感想がコレだ。
「では、最も簡単で、基礎である小さな灯から練習しましょう」
必要かは分からないですがと、トレバーを魔術師だと勘違いしているマルチダは内心思う。
「詠唱は“光よ光、我が手に宿れ。凍える心に温もりを。小さな灯”です」
マルチダが唱え終わると、手元に光が灯る。
トレバーにはこの魔術に見覚えが有った。
光魔法1段位で習得する基礎の魔法の1つ、時間経過があるフィールドで光源として用いる魔法である。
夜間行動の多いモンスターの種族は、夜目が種族の特性としてあるので、トレバーとルーシーが使った事は少ないのだが。
勿論、夜目を種族の特性として持つ種族は、それ相応の短所もあり、逆もまた然りである。
「ふむ、マルチダさん。小さな灯は魔力消費がほぼ無いに等しいと思うのだが、無詠唱では行えないのか?」
「えっと、確かに小さな灯は最初の発動に僅かに魔力を使い、その後は周囲の魔力を用いるのでとても燃費が良いですけれど。トレバーさんの言う魔法は、全て自分の魔力で賄うので一瞬で魔力が枯渇してしまいますよ?」
小さな灯すら、自分の魔力のみで行えない。
Wider worldでの消費MPは、0だ。
トレバーは自分の仮説に確信を持った。
「そうか、時に魔力枯渇した場合は……」
「意識を失いますね。もしくは意識混濁や、激しい頭痛がします。トレバーさんは陥った事は無いのですか?」
「ふむ、アンデットは痛みに鈍感でね。普通の人族などがどの様な症状なのか知りたかったのさ、貴女はエルフだが」
「成る程、確かに魔族とその他では色々異なりますから……。では、魔術を使ってみましょう」
「ふむ、“光よ光、我が手に宿れ。凍える心に温もりを。小さな灯”」
常識の無さを誤魔化せて、ホッと一息付きながら魔術を発動させたトレバーの手が光輝く。
成功であると同時に、詠唱しなくても発動するんじゃ無いか?
という疑問が浮かび、魔法なのか魔術なのか自分で判別が出来ない事に気がつく。
トレバーもルーシーも、光魔法は1段位以上を会得しているため、覚えていないスキルの魔法が使えるのかは不明なままである。
「素晴らしい小さな灯です」
パチパチと手を叩きながら、トレバーの神経を逆撫でしないかヒヤヒヤするマルチダ。
底が知れない魔力を保有する魔術師に、基礎の基礎を教えるのだ。
偉そうに。
褒める言葉も選ぶ必要がある上に、褒められたトレバーも困惑している様子である。
「ま、まぁなっ!私程になれば、この程度造作もない」
「で、ですね。後はひと握りの炎と繊細な水の矢くらいになりますけど……」
成る程、お詫びはここまでという事か、とトレバーは頷く。
まるで、有料のえっちな番組である。
しかし、トレバーの残金は金貨1枚。
えっちなエルフの授業は心惹かれるが、使い果たせば恐らく後輩に怒られる。
誠実なトレバーは、体験版だけで満足する事に決めた。
「では、そちらを頼む」
「はい、“我が手に灯る小さき火、集え、集えば炎が灯る”ひと握りの炎」
最初は火の粉だったものが、詠唱と共に炎が大きくなり握り拳程度まで大きくなる。
叫びと共に、マルチダの手から炎は飛び、藁人形目指してソコソコの速さで直進して爆散。
表面を大きく焦がした。
「“ポタリ、ポタリと我が手に滴る、ひと掬いの小さな矢”繊細な水の矢」
今度は少量の水が手の平に染み出し、矢の形を模して飛んでいく。
燃え始めていた人形は、その水で消火されると同時に、胸に小さな穴を開けた。
トレバーは顎に手を当て考える。
長々と詠唱してこの程度の魔法しか使えない事実と、小さな灯すら満足に扱えない魔力総量で、魔力消費のある魔法を使えた事実に。
実戦では殆ど使う事は出来ないかもしれない。
しかし、詠唱さえ唱える事が出来れば、燃費は数倍、下手をすれば数十倍の魔法を扱う事も可能なのではないか?
そういった疑問が浮かび、短縮詠唱による魔術の可能性に胸が膨らむ。
だが、魔術とは詠唱を知る事が出来なければ行使する事は不可能だと、マルチダは言う。
真偽は不明だが、少なくとも彼女はそう信じている。
「では、次はトレバーさんのば……」
「ひと握りの炎、繊細な水の矢」
トレバーは魔法を発動し、藁人形一体を火達磨に、もう一体の腹に大穴を開けて、更に壁に深い傷を付ける。
両方共に、5段位まで上げている為なのか、マルチダよりも威力に補正が働いている。
「……ま、まさか?魔法?」
「俺は詠唱を知らないし、不要だ。これは、異常な事なのだな?」
「え、えぇ……」
「詠唱とは、誰が考えたものなのだ?」
マルチダは少し考え、口を開く。
その眼は、何故魔術の基礎も知らないのか納得している様であり、圧倒的な力への怯えも僅かに含まれている。
「かって、世界に魔法による奇跡をもたらした神の使いが居たそうです。とは言え、これは千年以上前の話ですが長命種のエルフでは語り継がれています。神の使いは、人々の生活を豊かにする為に魔法を教えたそうです。しかし、地上の者達には扱えず、代わりに唄を与えたと」
「それが詠唱だと?」
「はい、神の使いは詠唱を唄い、我等に魔術を授けてくれた。魔術の詠唱内容は、危険なモノは魔術師ギルド等が各地で保管しているそうですし。中には貴族が受け継いでいる魔術もあるそうです」
「疾走も魔術師ギルドが?」
「……疾走は、私達エルフが代々秘伝しています」
「幾らで詠唱を教えて頂けるのかな?」
マルチダは首を振った。
「これは、エルフに伝わる秘術。詠唱の内容は明かせません」
風魔法3段位のエスケープは、ルーシーが会得していない為、もっとも意味のある検証となり得るのだが、マルチダの意思が固い事をトレバーは悟った。
エスケープは、現実となった世界で心無い者の手に渡ってしまえば、盗みや暗殺がし放題になる危険性を孕んでいる。
「どうしても……か?」
それでも諦め切れないトレバーは、取り敢えず凄んで見る事にした。
内包魔力が周囲を威圧し、戦闘状態となった事で発動する外見効果の黒焔が、体表をオーラの様に包みトレバーの輪郭をボカす。
外見変更は課金する事で、外部データを読み込む事ができる人気コンテンツだ。
条件を設定する事で、動作に対応したエフェクトが発生する。
ニッコリと笑った時や、髪をかきあげた時などに謎の光やハートが飛び出る等、其々好みの個性が可能となる。
輪郭をボカすエフェクトは、謎の凄味が増したり、間合いを誤魔化したり、中学生のドツボに嵌る魅力が多いのでトレバーも愛用している。
トレバーの心は、何時だって男子中学生なのだ。
魔力や、謎の凄味を発生させる黒焔によって、マルチダの恐怖心と自制心が大きくせめぎ合う。
だが、顔を上げ、しっかりとトレバーを睨む。
何故エルフが疾走を秘伝しているのかと言えば、人間やその他の種族との歴史に関係している。
ロレンス聖国を筆頭に行われた亜人狩り、その中でもエルフは美しく商品価値が高い為、何度も狙われてきた。
その為、風魔法と相性が良いエルフは、疾走代々受け継いで、逃走や戦闘に用いている。
「……やってみますか?」
大きく後方に飛ぶマルチダ、その手には何処から出したのか木製の弓が握られている。
勿論只の木では無い、鋼よりも硬く、しなやかな精霊樹の枝から削られ作られた逸品だ。
精霊樹とは、エルフの里にある御神木である。
意思を持ち、会話し、わけ身を放ち森を守る彼から、マルチダはこの枝を譲り受けた。
里から出て、ミスリル級の手前にまで上り続け、なお彼女を護り続けている事から、精霊樹の想いが察せよう。
少量の魔力を流す事で、周囲の魔力を集めて矢を形成する。
形成された矢は風属性を纏い、速度と威力を増す。
Wider worldでは無かったタイプだが、弓を使わないトレバーはその事に気が付かない。
トレバーは向けられた敵意に、恐怖を感じるより前に、自然と笑みが溢れた。
Wider world時代、多くのプレイヤーから向けられた、ピリピリとした視線。
今の自分が何処までやれるのか、ソレをぶつけようと剣に手をかける。
何処か、まだ、ゲームだという意識が残っていたのだ。
命を奪い、奪われる。
此処が現実という意識を忘れて、トレバーは無邪気に戦おうしていた。
これが、どれ程恐ろしい行為なのかも気が付かず。
そうして、トレバーが取り返しの付かない一歩を踏み出そうとした時の事だった。
『センパイ、センパイ!貴方の可愛い後輩、ルーシーですよ!』
突如としてトレバーの目の前にシステムウィンドが表示され、ルーシーからの通信を知らせる。
Wider worldでは、フレンド同士にこうして通信を送る事が出来る。
相手がログインしていなければ使えない上に、チャットと違いログが残らず、戦闘の邪魔になる為、事前に確認を取ってから通信するのがマナーであるが。
可愛い後輩に、そんなマナー等関係無かったのだ。
「ルーシーか、今良い所なんだが?」
『え……僕との関係は遊びだったんですか?“信じて送り出したセンパイが、知らない女に寝取られるなんて”的な感じでしょうか?』
「ほう、俺は意外とモテるみたいだな……困るぜ」
『それはとってもあり得ないので、“信じて送り出したセンパイが、知らない男に寝取られるなんて”に変更で』
「俺の尻がヤバイじゃねーかっ!」
『それより、お昼どうしますか?センパイの事だから、僕が言わないとすっぽかすんじゃ、ないかと思って……』
「LPが尽きたら困るから、しっかり食べるぜ」
『いえ、ゲームの話では無く……って、こっちが現実でしたね』
ルーシーのゲーム発言に慌てるが、マルチダは何処からか聞こえてくるルーシーの声に驚いており、会話の内容には意識が向かない。
「と、トレバーさんっ!誰と会話を……」
緊迫していた事も忘れ、商人でもあるマルチダは目敏くトレバーに尋ねる。
この場に居ない他者と話せるなど、夢の様な技術である。
勿論、筒を利用した糸電話の延長は見張り塔を筆頭に設置されているのだが。
トレバーは彼女を手で制し、人差し指を自分の口元に持っていく。
「俺ちょっと、剣買っちゃたから、豪遊したら宿代危ういぜ?」
『はぁ……センパイですからね』
「ふふっ、この剣オリハルコン使ってるんだぜ?」
ちょっとだけど、とボソリとトレバーは続けるが、ルーシーは今更オリハルコン程度に喜ぶ姿に呆れる事しか出来なかった。
『……僕はちょっぴりお小遣いを手に入れまして、一緒に食べませんか?』
「じゃぁ、冒険者ギルド前に集合で良いか?」
『迷子になったら、駄目ですよ?』
「実は今、冒険者ギルドにいる」
『そんなに僕とのお昼を楽しみにしていたなんて……センパイ、ちょっと引きます。ロリコンですか?ケダモノですか?』
「きるぞー」
『あーはい、急い…』
ルーシーとの会話で、すっかり興がそれたトレバー。
マルチダに見えるように両手を挙げ、肩をすくめて戯ける。
「申し訳ないが、相棒に誘われてしまった。疾走の詠唱は、諦める事にする」
「……そうですか。そんな事より、トレバーさんが先程会話していたのはどの様な技術なのですか?その様な魔道具、是非とも拝見させて頂きたいのですが…….」
「内緒だ。とある、遺跡で手に入れた……とだけな」
「遺跡?迷宮では無く?」
しまったと自分の失態に気がつく。
ギラギラと今度は商人の視線を放つマルチダに、少し怯えるトレバー。
問いには答えず、早足で扉へと向かい部屋の外へ向かっていく。
トとのマルチダは声を掛けようとするも、奥歯が震えて声が出ない。
彼がその気ならば、ルーシーの邪魔が入らなければ、簡単に命が散っていただろう。
「……はぁ、死ぬかと思いました」
夏場の様に玉止め無く流れる汗、緊張と恐怖から解放され、ホッと一息ついた。
因みに、トレバーが使える魔法スキルは殆ど5段位なので、魔法使いと名乗った日には、Wider world中の魔法使いに袋叩きにされるであろう。
メインヒロイン?が、中身が男で屑、女子力高い後輩幼妻の属性を覆すレベルですかね?
因みにルーシーの種族はミミクリースパイダーです。
今回から、魔物図鑑をちょっと載っけます。
Wider worldの図鑑に載ってるテキストになります。
魔物図鑑
種族名 ミミクリースパイダー
性別 雌のみ
アラクネの人に擬態する能力に長けた変異種。
人に化け、巣へと誘導する姿は、とても儚く美しい女性だ。
だが、巣の糸に絡めとり、腹わたを貪り、生きたまま卵を植え付ける蟲である事を忘れてはいけない。
迷宮などで場違いな姿を持つ者に出会った場合、ソレがモンスターである事を警戒するべきだ。
どれ程美しくても、彼等は人を喰らう怪物なのだから。
逸話の中では、人間に恋し、家までついて行った個体も存在する。
人間との間に仔を成したそうだが、かの家の周辺では行方不明者が続出し、屋根裏には、大きな蜘蛛の巣が張っていた。




