2話 『忘却』
いつもなら、カーテンの隙間から俺の顔へと陽光が差してきて、まるで優しく起こされたかのように俺は目覚めるのだが、今回の目覚めはまったく最悪だった。
何故なら、ノミが湧いててクッソ寝心地の悪い、藁を集めただけのような寝床に、掛け布団は無し。枕ももちろん無し。
それに加え、冷たい石壁に囲まれて、しかも部屋はたったの1畳。窓は鉄格子!
割と裕福な家庭で育った俺にとっては、窮屈すぎて、そこはもう地獄と呼べる以外は他になかった。
まったく、俺の田舎育ちにしては上等な顔がクマとかでめちゃくちゃだぜ。
そんなことを考えつつ、髪の毛を手ぐしでとかしながら、俺は先日の王女様的な人の部屋に向かって黒に染色された石レンガの上を歩いていく。
今日は起きたらすぐに来て欲しいらしい。どうやら用があるみたいだ。
それにしても、ったく、昨日の王女と言ったら、もう散々だったな。
小学校の劇とかで馬とか牛役にされることは今まで何回かあったけどさ。いやもう実際に豚にされるとかありえないよ。
あの王女様は豚にされる気持ちを分かっているんだろうか。もしや、分かっていながらやっているのか? 最低な奴だ。
と、頭の中で愚痴を言いながら、俺はため息を吐いた。
……それにしても、ここは本当に不思議な場所だ。
ところどころにある床と同じ材質の柱には、何やらドクロマークがついた松明のような物に、青い炎が延々と灯っている。
その柱の下に点々と置かれた、趣味の悪い甲冑は、背を丸まらせ、情けなく歩いている俺を、まるでじっと見ているかのようだ。
なんていう名前の古いホラゲですかね。
ーーガシャンッ。
「くあぁっ! ご、ごめんなさいィッ! 古いホラゲなんて言ってごめんなさいィッ!」
なんか槍を持った甲冑が俺に槍を構えた様な気がしたんだが、気のせいだよな? き、気のせいだよな? お、落ち着け、お、おおおおお、おおおおおおおお落ち着け、お、俺……。
はい、気のせい、気のせい。ふぅ……。
俺ってホラゲって言ったらあの赤の配管工の弟がマンション受け持って、そこに出てきたオバケをなんかすごい掃除機で吸い込むやつしかやったことないよ。
ん? あれのどこがホラゲだだって? アドベンチャーだろって? まぁ、日本のホラーは怖いんだよ。分かる?
それにしても、まだ、着かないのか。
無駄に長い廊下だな。
さっきの甲冑の一件もあるし、さっさと着いてほしいところだ。正直怖くて足が竦んでしまう。
「はぁ、おうちにかえりた……」
「何をぐずぐずしている」
………………………………。
もうムリ、逃げます。
「逃げるなぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
「あ、やめろ! 撃つなッ! 撃つなってぇ!」
「主君が呼んでいる。さっさと着いてこい。でなければ貴様を殺す」
「うん、分かった。分かったからさ、その冷たくて硬いものを後頭部に押し付けるの止めてくれない?」
「拒否だ」
「もヤダ」
さて、何が起こったのか解説しながら、女王の元へ行きましょうか。いやまぁ強制されてるから行くしかないけどさ。
俺は今から定番の名台詞にしようかなと思っている、「おうちにかえりたい」を呟こうとした時に、ちょうどそこでT字路に差し掛かった。
そしたら右側から「何をぐずぐずしている」なんていう、低くてかっこいい(俺低い声出せねぇんだよな。うらやましい)声が、いきなり耳に飛び込んできたもんだから、回れ右ッ! ダッシュ! 「危なかったぜ!」 って言おうとしたら、いきなり発砲音が響いてきて、銃弾が俺の右耳の5ミリ上を通過して行った。
それにビビった俺は逃げる速度を速めたが(あの時の速さなら100メートル走圧巻の1位狙えるわ)あいつ銃弾と負けないくらいのスピードで走ってきて、後ろ見て「速ぇぇえっ!」って言った瞬間にあいつが後ろにいて、引き返そうと身を翻したら襟掴まれて、今こんな状態です。
冷たい。痛い。銃怖ぁい。
「ていうかあんた誰なの」
いきなり俺の前に現れて銃乱射してくるような無礼なやつ……ていうかこの場所無礼なやつしかいないな。
見たところ、髪は俺と同じ黒で、オールバックに整えている。
碧眼で顔の形も整っていて、ハンサムな青年を思わせている。
へぇ。この世界ってジャケットあったんだなぁ。黒いジャケットの中には白いYシャツを纏っていて、あとは、黒のズボンにベルトを巻いている。
なかなかシャレオツな格好だな。
「暗黒軍特殊攻撃部隊。通称”DD”の兵士。D1だ」
「ねぇ、もう講義は終わった? 僕眠いよ」
「……覚ましてやろうか? (チャキッ)永遠に眠るかもしれないが」
「す、すすすすみませんごめんなさい。謝るからその銃器を強く押し当てるのやめて下さい」
頭蓋骨が砕けそうな程の圧力だ。
この人の逆鱗には触れてはならないな。いやマジで。
「……主君の話によると、お前は神聖軍の勇者らしいな」
主君。なんかどっかで聞いたフレーズだが、おそらく主君というのはあの王女様だろう。
ということはこいつはあの王女様の手下かなんかだろうか。
「そうだけど」
「とてもそうには思えないが……」
「俺も知らないよ。いきなり異世界召喚されてさ、勇者って呼ばれて、なのに無能ってさ! どういうことだマジ! まったく生まれながらに借金でも背負わされた気分だわ」
異世界召喚さえ、異世界召喚さえしなければ、俺はきっと、性格外観ともに美人な人と結婚して、幸せなライフを満喫していたというのに!
「借金……?」
「だぁぁっもうクソ! おうちにかえりたいよ」
愚痴ばっかりな主人公でスミマセンねぇ。
でもさぁ、でもさぁ! もうああああ、いう、えあああああんぬがにおおおおおっ!
「誰か精神科医を」
「と、とにかく俺は勇者なんだって。でもどうせこれから奴隷に大転落するんでしょ? 先輩」
「先輩……? そうだ。お前は俺と同じ奴隷に堕ちる」
やっぱりそうだったか。
まぁそうだよな。昨日奴隷になるとか言われてたし、いやはや一体どんな地獄が待ち受けているのだか。
……ん? 待てよ。今こいつ、俺と同じ奴隷に堕ちるって言ったか?
「先輩も奴隷なの?」
「あぁ、そうだ。奴隷として、主君の元で軍力になっている」
「あんたがいたら軍も勝ったが同然じゃないか?」
先ほど、100m走13秒台の記録を持つ俺でも、D1からは逃げ切れなかった。
本当に圧倒的なスピードだった。俺とは比にならないくらい。
だったら戦闘も強いに違いないだろう。
「詳しい話は主君だ。着くぞ」
「へ?」
D1は、着くぞ。と言っているが、俺の目の前はどう見ても石レンガの壁だ。
周りにも入口らしきものは何もない。
ここのどこが入口なのか。まさか、壁が回転するなんていう古クセェからくりじゃあるまいな。
「『時空を超える汝よ。今我の前に門を開け』」
D1が目を静かに閉じ、不意にそんな事を言った。
なるほど。このパターンは、転移魔法だろう。どちらかというと、魔法陣を構築するタイプのものかな。門を開けって言ってたし。
しっかし、先輩は転移魔法陣を構築できるのか。この世界の魔法技術が、どのくらい発達してるのかは分からないけど、やっぱり転移魔法って言ったら上位魔法ってのが相場だろう。やっぱり凄いじゃんこの人。
「って、あれ?」
どうやら腕を組んでそんな事を考えているうちに、転移が完了したらしい。
そこは、見渡すかぎり真っ白な世界で、中央には何やら豪華そうなベッドが佇んでいて、
「あッ」
いた、いたよ。
可愛い顔してすやすや眠ってやがった。
あいつめぇッ! 最初は自分から部屋に行こうとしてたけどさ、やっぱりあいつの顔見るとイライラするわマジで! うわーおうちかえりてぇー。
「今、主君は休息中だ。おそらくあと10分もすれば、目を覚ます」
先輩は進みながら俺を見て言った。
主君だ? 何であんなやつに敬意なんかッ!
「あいつだよ! 俺はあいつに豚にされたんだ! もう何でこんなとこ連れてくんだよ!
もう顔も見たくなかったのに!」
「静かにしろ!」
あいつの顔を見ただけで寒気が全身を走るんだよ! 小悪魔とはこのことだよまったく!
「騒がしいわねぇ」
俺が憤りを覚えると、シーツがもぞもぞと動いた。
どうやらあの王女様は目を覚ましたようだ。
上半身を起こし、王女様は歩み寄る先輩と目を合わせた。
「主君。大丈夫なのか。主君にしては早起きだが」
「昨日はいつもより10分早く寝たから、規則はちゃんと守ったわ」
そう。昨日は「そろそろ眠らなきゃいけないから寝るわね。寝床には転移させてあげるから」って言って寝たんだよなあいつ!
扱いが雑すぎるんだよ!
俺はイライラして、ベッドまでどんどんと足音を立てて近づき、忌々しい王女様を指差して言う。
「おいお前ッ! 昨日はよくもッ!」
「あら、D2じゃない。朝からそんなに騒いで、どうしたの?」
「D2? 違うッ! そんな名前じゃないッ! 俺の名はッ! 俺の、名は……ええと……」
頭に手を押さえて考える。
あれ、何だ?
何で名前が思い出せない?
昨日は名前が分かっていたはずなんだけど。
まるで、俺の名前だけが記憶からすっぽり抜け落ちた気分だ。
「違うの。あなたはD2。私の奴隷」
王女様は頬杖をつき、艶な表情で俺を覗き込む。
まるで、嘲笑われているような感じだ。
「クッソ! 何で思い出せないんだよッ!」
名前が思い出せない事に、悔しくて地団駄踏んだ。
「仕方のないことだ。主君の奴隷になると、名前を記憶から奪い去られてしまうのだ。俺も名前があったはずなんだが、もうとっくの昔に忘れている」
「はぁッ!?」
俺は思わず王女様の肩を両手で掴んで揺さぶる。
「テメェッ! 返せよっ! 俺の名前ッ! さもないとッ!」
「……さもないと、どうするっていうの?」
王女は微笑みながら首を傾げた。
凛として白く、その顔は黒バラのようで、美しかった。
だが、俺はこの顔がどんなに美しくても、性格がアレなんじゃあ意味がないんだ。
「あなたは何も抵抗ができない。今あなたは私の手中にあるのよ。私が死ねと言ったらあなたは死ぬし、たとえ私を殴ろうとしても……」
その時、俺の右側から銃を構える金属音が響いた。見ると、D1が冷酷な表情で俺に銃口を向けていた。
類いまれもない、凶悪な殺意を肌身に感じ取った。
「私の他の奴隷が、私を守ってくれるの。万物に対する慈悲を捨ててね」
「主君を離せ。さもなきゃお前の額に穴を開ける」
「……チッ!」
こいつら、明らかに頭おかしいぞ。
納得は全くと言っていいほどできないが、俺はゆっくりと手を王女様の肩から離し、何歩か下がってちょっとした距離をとった。
「で? 何で今日ここに呼び出した? 見たところ、昨日とは場所が違うんだけど」
腕を組み、踵を床につけたまま足を上下し、そっぽを向いた。
タンタンタンと、風のようなリズムで床を鳴らした。
「ここは私の部屋。昨日の場所は王の間。ふふ。あなたは新人、しかも奴隷の身分で、普通の兵士は滅多に入れないところに二カ所も入れたのよ。大いに感謝しなさい」
「へいへいおめでてえこったね。んで、用件は何?」
王女は俺の言葉に眼を微妙に細めて微笑み、そして床に足を下ろして立ち上がった。
小柄な少女だ。172㎝はある俺より20㎝くらい身長が違う。
桃色の寝間着を纏っており、首元に小さなリボンが揺れている。憎たらしいくらい、可愛らしい服だ。
「今日はね、あなたにいろいろなことを教えるわ。これからの事についてとか、私の目的について、とかね」
「それは、なんだ? 俺が無能だったが為にあっちにいる頃は何にも教えられていないことを察して?」
「……そうね。無能。だものね」
無能を強調して言っている。
こいつ、地球に行かせてーな。いじめの対象まっしぐらだものな。もしそうなったら俺鼻で笑ってやるんだ。こいつを!
「じゃあまずは私の名前ね。私は「城塞都市・ムスペルヘイム」の女王にして暗黒軍の司令塔。”シェイド・ルシファー” よ。これからよろしくね。D2」
「……D2だ」
ボリボリと頭を掻き、俺は苛立ちを覚えながらも、新たにもらった名前を自分の口から吐いた。
俺は……D2だ。
俺「ボクシングで相手のパンチが強すぎた! K.O.D2! なんつって」
シェイド「……………………」
俺「……………………」
D1「K.O.D2?」
俺「……うん」