その4
時代の変化とやらが偉そうにでかい面をして迫ってきやがる
学習性やせ我慢症。彼はお金に困っているわけでもないのに、厳冬真っただ中の時期でも暖房器具を使おうとしない。手足の末端が凍傷で疼いても、体調を崩しても、なお使おうとしない。これは何らかの修行や訓練に励んでいる訳でもない。単なるやせ我慢である。しかし、彼にとってはこれが当たり前のことなのである。彼のやせ我慢は、ほとんど本能化の域まで達していると言えるほど、寒さといった感覚や体調の異常を感知する機能を狂わせるレベルにまでに強力に習慣化されているのである。
様々な嗜癖。彼は煙草を吸わないし、酒も飲まないし、ギャンブルもクスリもやらない。その代わり(おそらくはその代わり)、彼は常に口の中を噛み切りながら生活している。
日陰者。彼は、あたかも独りで夜道を歩きながら暖かい灯のともった家の中を覗くようにして、人間を見ている。闇からは明るい場所に居る者の姿がよく見えるが、明るい場所からは暗がりに身を置く者の姿が見えづらい。
日陰者その二。彼は、社会的規範に則りまっとうに生きている人間の持つ自負と傲慢さとまっとうに生きていないと思われる人間への冷酷な軽蔑と嫌悪の眼差しを、何よりも恐れ憎んでいる。
ナイスガイ薄命。気の毒にも、彼は周囲の期待を取り込み過ぎて、自分がスーパーマンや救世主や白馬の王子様にはなり得ないというただそれだけのことで、どれだけ自分自身を責め、罵ったことだろう。挙句の果てには命まで縮めしまうとは。
無意識の殴打。もし、奴らが奴ら自身の体を焼き尽くすような嫉妬や憎しみに苦しみ悶えながら殴打したのなら、まだしも許せる。だけど、奴らの顔は無邪気で残忍な笑顔をしていた。僕はそれが何とも我慢ならない。奴らは殴打することについて何ら苦悩していない。
謙虚さ。謙虚さとは、出来るだけ自身の置かれた現実的立ち位置を見失わないための心構えであり、それは一つの知恵である。よって、謙虚さを美徳として捉えると、本来の謙虚さの実質的意義が薄れるかもしれない。
いや、もうね、とにかく自惚れはこりごりなんです。自惚れていると、必ずと言って良い程足元を掬われ、すっ転んで、えらい恥かくというつまらない目に遭いますから。
利己的な遺伝子と突然変異。遺伝子そのものが何らかの進化論的な意味の意思を持つわけではないのだろう。遺伝子とは、大方、生命体の惰性と移ろいゆく環境への適応の為の試行錯誤との相克が刻まれた歴史的痕跡とも言えるのかもしれない。突然変異とは、何の前触れもなく起きるアクシデントの類ではなく、例えば、苦労して考えに考えた末にふとひらめく斬新なアイディアのようなものなのかもしれない。
優劣や強さ弱さといった価値尺度は、物理的環境や社会的環境の変化、文化的尺度など物事の視点や捉え方次第でいとも簡単に入れ替わる、実に相対的で曖昧な価値尺度に過ぎないのかもしれない。
優生学。おそらく自然科学でさえも万物の本質の一側面を捉えたものでしかないのだろう。どんな事柄でも、ある本質の一側面が唯一の真理のように捉えられ、拡大解釈され、それを社会的現実に強引に当てはめようとすれば、おそらく最終的にはおぞましいグロテスクな結果しか残さないだろう。
社会の危機的時代。皮肉にも、自由、平等、平和といった思想が市民権を得て、その社会においてすっかり社会理念として常識化、教条化した状態が、最も極右的な政治カルトが生じる温床となるのかもしれない。どんな思想にも矛盾は生じるものだし、どんな社会にも歪みや腐敗は生じるもので、不満分子も必ず存在する。いつの時代でも報われない者、あるいは主観的に報われないと感じる者は存在する。そして、彼らは大抵何らかの敵愾心や復讐心を持つものである。いつの時代も、彼らはその時々の社会の思想的マジョリティに復讐を試みるものである。自由、平等、平和といった考えがその社会の思想的マジョリティとなれば、それに反する政治的信条が社会への不満や復讐心の受け皿になるということは、ある意味必然の成り行きとさえ言える。
ある反知性主義的心情。いや、もうね、そのしたり顔の「知性」とやらがとにかく鼻持ちならんのよ。まあ、言ってしまえば、その内容がどうあれ、学校で教わるような価値観や思想ってものは、良い子良い子した偉そうな鼻持ちならない「体制側」の代表格になっちまうわけね。自分にとっちゃ、自由だの平等だの平和ってやつがそれなわけ。
偽悪趣味もそろそろ鼻についてきたねえ。
正論バカ。頼む、もう正論はよしてくれ。君の言う事はいつも正しい。でも、それがいつも僕を追い詰めるんだ。病んだ人間、絶望した人間にとって、正論は何の慰めにもならないどころか、胸を鋭く抉る刃にしかならないんだよ。
人生訓の服用時注意事項。おそらく、あらゆる人間のあらゆる状況に当てはまる人生訓なんて無いに違いない。どんなに優れた人生訓でも、それは必ず何らかのある限られた条件の元に有効になるのだろう。もしそれが当人の置かれている条件に適切でなければ、それは無効であるばかりか、当人の人生を破壊する毒としても作用し得るのである。よって、それは現在の己の置かれた状況に適切なものなのか、常に吟味することを忘れるべきではないだろう。
今最も虫の好かない奴ら。正論バカと偽悪バカと暴露バカ。
ある革命家の言。彼らはそれを非現実的という。しかし、非現実的にさせているその現実とやらが変わるべき時なのだ。そして、その現実は一つだけではない。憎しみと不信に基づく選択をすれば、その憎しみと不信に基づく現実にますますコミットしてしまうだけなのだ。世界には愛と信頼に基づく現実も確かに存在しているのだ。
信念。とりあえず何かを信じなければ、何も始められないし、何も出来ない。信念を持つことは大切な事には間違いない。しかし、その信念にしがみつくことで足元を掬われることもある。信念はいつでも手放せるようにもして置かなければならない。
ハングリー精神を持つことまでお勉強しなきゃいけないとは今時の若いもんも大変だねえ。
恋愛やセックスをしないことまで嘆かれるとは今時の若いもんも大変だねえ。
創造的人間。創造性を養うには、ある程度情報に飢えることも必要かもしれない。どうしても得られないもの、欠けているものは自分で埋め合わそうとする。創造的な人間はこの文化的欠乏を見出すのが上手い。