その1
選ばれてないことの屈辱と安堵と二つ我にあり
何をやっても不自然だ。
何だ、新しいものなど何処にもないじゃないか。
明日が恐い。
行うは難し。言うも難し。
何かが間違っている。
正義は負ける。負けているうちが正義。
所詮誰かさんの真似。こんな言葉もきっと誰かさんの真似。もう、何を言ってみてもやってみても真似。真似。真似。……まあまあ、芸術は模倣からって言うじゃないですか。
何だ、既に言われていやがる。
僕は狂気に憧れている。ということは、多分僕はまともだ。
人は朝布団から起き出したくないばかりに、本気で地球の滅亡を願える。
はて、困った。生きるのも怖いし死ぬのも怖い。
救いの手とは、大抵つつましく控えめな表情で差しだされる。対してペテンは、大概扇情的で雄弁で押しの強い態度で迫って来る。
思考、趣味嗜好、政治的信条等のナショナリズム的傾向は、現代人なら程度の差こそあれ、一生のうち一度は陥るかもしれない精神の麻疹なのかもしれない。
小さな夢が実現。でも、なんか違うなあ。
生まれてからずっと同じ日であるような気もする。
時に言うは一生の恥。
俺に鏡を向けるな!
排泄行為の毎に自分には恋愛をする資格がないと思う。
自意識の強さと苦痛の大きさは比例する。
近眼。十代の頃、最近街中で美人が増えたと思うことがあった。そしたら、視力が大分低下してきていた。
無論、この世で最も野蛮な生き物は人間であろう。最も野蛮なのはそれが野蛮と知っていながら野蛮に手を染めることである。
自覚的にせよ無自覚的にせよ、異性を優生思想に基づく選別、選択をしておきながら、臆面もなく無償の愛の素晴らしさについて喧伝する。これは私的にはアウシュビッツの後で詩を書くことと同質の野蛮である。
彼が学生食堂で食事をしているとき、彼が密かに想っていた異性が彼の斜め向かいに座った。すると、一匹の蠅がやってきて、彼の頭上や盆の周りで飛び回りだした。手で払っても蠅はなかなかそこから離れようとしない。彼は顔を真っ赤に染めながら思った。何て事だ。こんな一匹の蠅でも人の運命を大きく左右できる程の力があるとは。人は何と不安定なぎりぎりの状況で生きていることか。
ずっと独りでいたら、自分に飽きた。
願いは忘れた頃に叶う。もしくはそれがもはや願いではなくなった頃に叶う。
或魚座人の苦しみ。僕はのろまな亀か。それとも、のそのそ這いまわる芋虫か。いや、僕は魚だ。陸に打ち上げられた魚だ。
好色漢花を見に行き娘見る。
いっそ女の幽霊に取り憑かれたいと願った夜。いや、まあ、余りにも寂しくて欲求不満なものでして。
わが悲しみ。幽霊にさえ避けられる。
十八世紀ヨーロッパ風の決闘がしたい。
何をしても後ろめたい。
どうやら僕は初デートで必ず犬の糞を踏むという宿命にあるらしい。もっとも、まだデートなどしたことないけどね。
大人になること。それはつまらぬこだわりや見栄をなくしていくこと。
賢さとは洗練された臆病さであり勇気である。
何だ、誰も自分のことなど見ちゃいない。悲しいがほっとする現実。
叫び。お願いだから、この苦痛に何か意味があってくれ!
好きな音楽、ささやかな趣味、ささやかな喜び、そんなものは一切が無価値に思えて来る。もう恋なんて……。
宿命的敗者の言。誰かを打ち負かす事ってひどく寂しい。
我が復讐。自分が出向くと気まずい雰囲気になることを承知で、和気あいあいとした場にのこのこ出向いて、そこでつまらなそうな顔で終始黙りこくって座り込むこと。
爪を長いこと隠し過ぎて、爪が朽ち果ててしまった男の悲劇。
インターネット言論における一つの風潮。毒を吐いたもん勝ち。
ロックミュージックの憂鬱。もう何もかも予定調和になっちまった。
現代の奴隷。自覚的にも無自覚的にも、どうしてもエゴイストや無責任になりきれない者。もしくは自らのエゴイズムや無責任性に苦しむ者。太宰の言うところのカルチベートされた人間。ニーチェの言うところのましな人間。
ニーチェが価値転換する必要があった一つの理由。従来の倫理的価値観から測ると、ましな人間は自己否定に走らざるを得なくなるから。結果として、それはましな人間の生の弱体化と奴隷化を招く。ニーチェの思想は、ましな人間が近代的野蛮人に対抗するための倫理構築との意味合いもあったのかもしれない。
今日、教室は奴隷製造工場となっているのかもしれない。
今日、東洋的知性の光は、あくまで西洋的知性の反射光でしかないのかもしれない。残念ながら今のところはね。また、それが日本を含む現代のアジアの宿命なのかもしれない。