Bメロ 四
四
JR西中山駅前のバスターミナルの片隅は、噴水を中心に小さな公園のようになっている。ミドリいわく、地域振興策の一環で、未来のスターを夢見る路上ライブ希望者には、地元の駅前振興会が審査をした上でそこでの路上ライブの許可がおりるらしい。加奈子とミドリは駐輪場に自転車を止め、歩いてターミナルへ向かった。
「お、あれかな。結構人あつまってるじゃん」
公園に近づく前から、自動車のクラクションや話し声、ドラッグストアから流れる店内放送などの周囲の騒音に混じって、アコースティックギターの音色が前方から聞こえて来た。前方を見ると、ざっと見て三十人ほどの人だかりが出来ていた。
二人は早足で公園に向かい、人だかりの壁の端のほうからおそるおそる噴水の方を見た。
そこでは、噴水のヘリに座って首にハーモニカをかけ、アコースティックギターを弾くオレンジの髪の女性と、もう一人カホンを叩く若者のミニ楽隊の前で、足元に小さなアンプと水の入ったペットボトルを置き、それにつないだマイクを右手に持ち、左手にはタンバリンを持った金城ミコトが、加奈子にはとっさに曲名を思い出せなかったがコマーシャルかなにかで聞いたことのあるビートルズの曲の前奏に合わせて身体を気持ち良さそうに揺らしているところだった。
「なんかカッコいい服じゃん」とミドリが小声でいった。
ミコトは水着に毛が生えた程度の布地しかない黒いビキニ風の衣装に、パンクファッション風の鋲がついたアクセサリーをたくさんつけて、髪型もポニーテールにして猫耳の飾りをつけていた。普段している野暮ったいメガネもはずしていて、加奈子は優等生のあまりの変わり様に一瞬見間違えたかとも思ったが、ミコトの方が加奈子に気づいたのかこちらに向かって小さく手を振ったので、確かにミコトで間違いないようだ。
ミコトの歌が始まった。聴く者をハッとさせる透明感のある伸びやかな歌声がスピーカーから流れ出す。曲名を思い出した、「LOVE ME DO」だ。英語の発音もきれいだし、楽しそうに歌っているミコトの姿を見ていると聴いている方も自然と気分がノッてくる。加奈子が無意識にタンバリンのリズムに合わせて手拍子をはじめると、あっという間に聴衆全体に伝播して、加奈子の周囲は激しい曲でもないのに一気に熱気を帯びてきた。聴衆の輪も徐々に大きくなっている。
「LOVE ME DO」の後は「アメイジング・グレイス」モンキーズの「デイ・ドリーム・ビリーバー」ビートルズ「レット・イット・ビー」と、誰でも知っているような古めの流行歌を歌い終え、足元のペットボトルを取って水を飲み、下にそっと置いた後、汗だくのままゆっくりとしゃべりはじめた。
「こんばんは、金城ミコトです。今日もたくさんの人に足を止めて聴いてもらって、本当にありがとうございます」ミコトが深々とお辞儀をすると拍手が湧きおこった。特に聴衆の最前列に陣取っている法被やカラフルなシャツを着た十名程の団体からは「ミィコちゃーん!」と熱烈な歓声が上がった。
「ありがとうございます。今歌った曲はいわゆる一つのツカミっていうやつです。わたし、実はアイドル歌手を目指していまして、次の二曲はそれ用で雰囲気もガラッと変わったオリジナル曲なんですけど、昨日までは歌を聴いてもらうだけだったんですが、希望が多かったんで取り急ぎCDーRを何枚か作ってきました。ここではアコースティックなんですけどCDではバンド風にアレンジしてます。もし気に入っていただけたなら無料ですので持って帰って聴いて下さい。ただし、このCDは不幸のCDです。呪いがかかっています。CDを持って帰った人は必ず三名以上の人にコピーするか貸すかで聞かせないと、イヤホンを取り出した時に必ずぐっちゃぐちゃに絡まっているという呪いがかかりますので、あしからず。では……猫と夕暮れ」
ミコトはうしろの楽隊に目配せしたあと、正面を向いて目を閉じた。周囲のざわめきが一瞬でおさまる。おもむろに曲はボーカルのソロから始まった。
「
絵葉書みたいな 猫と夕暮れ
眺めていたい いつまでも
一人で膝を抱えてる 砂浜
夕日に煌めく水面 押し寄せる白波
少し肌寒くて 震えてる私のそばに
餌も何も持ってないのに
野良猫がやって来て
わたしに体をすり寄せて
緑の瞳が問いかける
なんで泣いてるの?
日めくりカレンダーにも負けない
絵葉書みたいな
猫と夕暮れと私
一枚の青春
」
加奈子は、澄んだ大河のようなミコトのゆるやかでいながらも力強い歌声にすっかり心を奪われてしまった。路上ライブが終わり、聴衆の一段は徐々に散り散りになっても加奈子はしばらくその場から動けなかった。
ミコトの後ろで演奏していた二人は楽器を抱えて脇へ退いてから片付けをはじめ、入れ替わりに次の奏者が準備を始めた。
ミコトは十人以上いるCDの持ち帰り希望者の列の前に立ち、ひとりひとり笑顔で握手を交わしてCDを手渡ししていく。行列が途絶えかかった頃、「ウチらも貰いに行こうよ、CD」とライブに夢中ですっかり存在を忘れていたミドリが加奈子の肘を掴み、ミコトの方へ引っ張っていった。
「こんばんは、竹下さん」
まだ興奮しているのか頬が少し上気したミコトの方から話しかけてきた。
「こんばんは、金城さん、アンタ歌うまいじゃん。まだCD残ってる?」
「残ってるよ、えと、あなたも貰ってくれる?」
「いるいる! アタシ加奈子と同じバレー部で四組の田中碧、よろしく」
「よろしくね。はい、CD」
二人はCDを受け取った。
「今月始めからここでやり始めたんだけど、もうクラスメイトにばれちゃったかー、別に隠すつもりはないんだけどね」
「担任にバレたら怒られんじゃね、大丈夫?」
加奈子は自分が想像していた路上ライブよりもかなり大事になっていると感じたのでちょっと不安になった。
「うーん、生徒手帳にはライブ活動を禁止する、とは書いてなかったけどね」とミコトは屈託無く笑った。華奢で大人しそうだった学校での態度とは違う明るい態度に加奈子はとまどった。
「おーい、ミコ。そろそろ撤収すんぞー、つーか、その子らは?」
オレンジの髪の怖そうな女性が古びたギターケースを手にミコトの後ろに立って頭をポンと叩いた。
「学校の友達ですよ」
ミコトが言った。
「おお、人たらしがウメーよなあーミコは。さっそくガッコーにもファンができたかぁ」
「いや、今日初めて見られたのでそこまでは……」
ミコトは照れ笑いを浮かべた。
「いやいや、ウチらはもうファンだよ、CDもソッコークラスで回すよ」
興奮した顔でミドリが言った。加奈子も大きく頷いた。
「サンキュー! ガッコーで宣伝よろしくな。ミコもそろそろ着替えねーと。ユータぁ、行くぞぉ」といってミコト達は駅舎の方へ去って行った。
ミコトが歌っていた時からは明らかに少なくなった聴衆を前に次の人の演奏が始まったのをきっかけに、加奈子たちも家に帰ることにした。ミコトと二人きりになれなかったのを少し残念に思いながら。