表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
6/29

Bメロ 一


 竹下加奈子は始業式を終え、体育館から戻ってきてざわざわしている教室で特に誰かとおしゃべりをするでもなく、窓際の自分の席に座り、頬杖をついて深くため息をついた。今日は始業式で授業は無いのが救いだが、午後からはバレー部の練習、夕方からは学習塾という、夏休みが終わってもまた単調な毎日の繰り返しかと思うと自然とため息も深くなってしまう。

 もちろん勉強が大事なのはわかっているつもりで、成績もこのまま勉強を続けて行けばこの辺りでも偏差値の高い高校へ進学できるだろう。部活動も秋季大会を控えて練習はキツイが、好きでやっていることだ。文化祭や体育祭などの単調な学校生活にアクセントを加えるイベントもある。

 夏休みの間はよかった。耕一と博美がいちゃついている所を見ることもなかったから。密かに憧れていたクラスメイトでサッカー部のエースで人気者の耕一が、同じくクラスメイトの博美と付き合っているという噂はなんとなく聞いていた。同じサッカー部のレギュラーとマネージャーだし、博美も頭の出来ははっきりいってよくはないのだがそこそこ可愛くて愛嬌がある。耕一に憧れる恋のライバルは多かったが、よりによって博美かよ、と加奈子は少し悔しかった。

 まるで男のように短く刈り上げた頭を掻きむしったあと、机に突っ伏した。そのままの姿勢でじっとして雑談に耳を澄ますと転校生がどうとかいう会話が耳に入ってきた。詳しく聞こうかと顔をあげると、教室のドアが開き、担任の渡辺が「おーい、席につけー」と声をあげながら入ってきた。慌ただしく皆席に着いた。体育教師の渡辺は怒ると怖い上に話が長いのだ。ざわめきが収まると渡辺は教壇に立ち、ゆっくり話し始めた。

「ホームルームの前にビッグなお知らせがある。今日から転校生が一人、このクラスに入ることになった」

 わっと教室が歓声で沸き上がる。加奈子はさりげなく教室を見回すと、後ろの方に誰も座っていない座席が一つ増えているのに気付いた。

「おーい、入ってこい」

 なんとなく渡辺も嬉しそうだ。ガラッとドアが開き、長い髪をおさげにした、眼鏡をかけたいかにも優等生風の女の子が澄ました顔でつかつかと入ってきて教壇の渡辺の横にピンと背筋を伸ばして立った。渡辺の身長は180センチぐらいだから彼女の身長は150センチぐらいか。教室がしんと静まりかえる。少女は後ろを振り返ってチョークを手に取り、綺麗な時で名前を書き、また皆の方へ振り返った。動作の一つ一つが軽やかだ。

「はじめまして、和歌山から来ました、金城ミコトです。わからないことだらけでご迷惑をかけるかと思いますが、よろしくお願いします」

(え? マジ!? あの子、まさかこの間のテレポート美少女……)

 加奈子の心拍数は一気に跳ね上がった。眼鏡のせいで一瞬似ているだけかと思ったが、確かにこの間、ウチの神社で出会い、少し会話した後に加奈子の目の前からまさに瞬間移動したかのように忽然と消えたあの子だと確信した。たまたま出会った子が転校して来るなどという、まるで漫画のテンプレートのような展開にびっくりし、我を忘れて金城ミコトと名乗る少女をじっと見つめた。金城ミコトは教室をさっと見回し、一瞬加奈子と目があったが、視線はそのまま通り過ぎた。渡辺に促されて教室の後方の席に着く時、加奈子の傍らを通り過ぎたのだが金城ミコトとはまったく目が合わなかった。

(もしかして人違い? マンガだと偶然の再会に驚くシーンとかあるのに。それとも私の事を覚えてないとか……でもあんな美人見間違えるわけないし)

心臓がまだバレーボールの試合の時よりもドキドキしている。先ほどまでのアンニュイな気分はどこかへ吹っ飛んでしまった。

「では、ホームルームはじめるぞ、まず夏休み中の課題の提出について……」

 加奈子の父は神主だ。しかし世襲ではなく、神道系の大学で学び、後継者のいなくなった小さな神社に雇われる形で勤めている。神社には常駐しているわけではなく、少し離れたマンションから、朝晩の掃除と、何か行事がある時だけやってきて神主として働いていて、時には他の神社にヘルプに行くこともある。実入りは勤務時間の割りにはいい方らしくて、母曰く、その必要はないらしいのだが空いている時間は工場のアルバイトに出ている。

 なので「ウチの神社」というには関わりが薄いかもしれないが、加奈子は父が忙しい時などは代わりに掃除をしたり、何か行事の時には母と共にお手伝いをしたりしていた。

 

 一週間ほど前だっただろうか。中学校へバレー部の朝練に行く前に掃除のために神社に立ち寄ったときの事だ。

 父の代わりに掃除をすると臨時にお小遣いをもらえるので、欲しいCDがあった加奈子は、夏休み中、朝練の日には掃除をすると自ら買って出たのだ。幸い早起きは苦にならないので、今日も朝の5時半には起きて、家から神社へは学校とは反対側になるのだが、ジョギングがてらジャージ姿にエナメルバッグを背負って10分ほど住宅街を縫うように走ると、農業用のため池のほとりに、体育館ぐらいの小さな森と、朱塗りの鳥居が見えてきた。加奈子は鳥居の前で一度立ち止まって軽く一礼し、中へと入った。

 一時間ほどかけて、境内の隅々まで掃き掃除をしたり、社の雑巾掛けをしたりする。どこかにいたずらをされたりといった異常は見当たらない。賽銭箱を隙間から覗き見るが小銭が少し入っているだけなので回収の必要はまだなさそうだ。掃除もあらかた終わった頃、名前は知らないが朝の散歩中毎日立ち寄ってくれる顔見知りの老人があらわれたので挨拶をする。今日は缶コーヒーを頂いた。清掃道具を片付け、社の戸締りを確認して朝の清掃は終わりだ。その老人に先ほどもらったおそらく近くの自動販売機で買ったのであろうよく冷えた缶コーヒーを、社の階段に腰掛けてありがたく頂くことにした。

 まだセミが鳴き始める時間ではないし、緑に囲まれた境内はとても静かで居心地が良い。エナメルバッグから朝食の菓子パンを取り出して頬張り、缶コーヒーで流し込んだ。ゴミは学校で捨てようと思い、コンビニ袋にゴミをまとめてエナメルバッグにしまいこんだ。

 そしていつものように、社の前に立って鈴をカランカランと鳴らし、二礼二拍手一礼をした後、目を閉じ、手を合わせて祈った。

(今日も一日平穏無事でありますように。そして、耕一と博美の仲が悪くなりますように!)

 加奈子は我ながら情けない願掛けだと思った。一応この神社では恋愛成就のご利益があるとされる神様を祀っているのだ。成就させることができるのなら縁切させることもできるだろうと勝手に解釈して、耕一と博美が仲良く下校しているのを一学期に見かけて以来、ついでに祈るようにしているのだ。お賽銭を入れていないからなのか、今の所効き目が現れていないのは、夏休み中でも加奈子達バレー部同様に運動場で練習しているサッカー部をチラチラと見た時などに確認済みだ。藁人形に五寸釘を打ち込むには丁度良い場所が敷地内にあるのを知ってはいるのだが、さすがにそこまでして二人の仲を引き裂きたいとは思ってはいない、あくまでそうなればいいなぁ程度だ、あくまで。

「随分と熱心に祈ってるのね」

 出し抜けに前方から声がかかり、加奈子は心臓が飛び出さんばかりに驚いた。目を開けると、閉まっていたはずの格子戸が開いていて、Tシャツにハーフパンツの、加奈子と同年代ぐたいにみえる美少女がその前に加奈子を見下ろすように立っていた。さっきまで境内にはまったく人の気配がなかったし、格子戸もさっき閉めたはずなのに一体いつの間に、どこからどうやってやってきたのかと加奈子はすっかり取り乱してしまった。

「はあ、あの、そこは勝手に入られちゃ、ていうか出られちゃ? 困るんですけど」

「ごめんね、ちょっと人を驚かすのが好きなの」といってまるで体重を感じさせない身軽さでふわっと賽銭箱を飛び越え、加奈子の横に静かに降り立った。バレー部の加奈子は身長168センチだ、今度は加奈子が少女を見下ろすようになった。

「つーかあんた誰よっ」

 ちょっと動揺が収まり、小柄で華奢な外見にちょっと安心したのか加奈子は少女に人差し指を突きつけてまくし立てた。

「通りすがりの神様ってやつよ。たまたまあなたが祈ってるのに気付いたんで少しお話ししてみようと思ったの」

「ハァ? 神様だってぇ、バカにしてんのかよ!」

 頭に血がのぼって思わず手にしたエナメルバッグを少女めがけて振り回してしまった。だが少女は優雅に身をかわし、勢いでバッグは加奈子の手を離れて三メートルほど少女の後ろへ飛んで行ってしまった。

「まあまあ、落ち着いて。ったく雄太といい近頃の若者はどうして神様の存在を信じないのかしら。あなたもキチンと作法を知っててお祈りしてるんだからもうちょっと神様をリスペクトしたっていいじゃない」

 少女はふくれっ面をした。それが妙に可愛らしかったので加奈子は怒る気が失せてしまった。

 加奈子はため息をついてゆっくり歩いてエナメルバッグを拾い、土埃をはらって肩に掛け直した。

「私は神主の娘だから作法も知っているし、神様だって信じてるわ。でもあんたが神様だって信じるかどうかは別よ」

「若い子にしてはいまどき珍しく作法を正しく実践しているなと思ったら神主の娘さんか、納得納得。ところでここには普段人が誰もいないようね」

「小さい神社だから父さんは行事の時だけここで働いてるの、今風に言うとコストカットと非正規雇用なのかな」

「ふーん、都会は人も多いから神社も栄えているのかと思ってたんだけど、そうでもないのね」

「ここは新興住宅地だし、秋祭りも元から住んでる人が少ないから参加する人が少なくてパッとしないって父さん言ってた」

「時代の流れね。有名な神社はそうでもないんだろうけど、ここは祀られている柱もゆかりが薄いようだし、神がいなかったのもそれでかあ」

 少女は一人で腕組みしてうなずいている。

「神がいないってどういうこと?」加奈子はどきっとした。

「ここの神社はおもに誰を祀ってるか知ってる?」

宇迦之御魂神ウカノミタマノカミ須佐之男命スサノオノミコト櫛名田比売クシナダヒメ

 この神社ではいわゆるお稲荷様とその親を柱として祀っていて、恋愛成就のほかにも五穀豊穣、家内安全、病気平癒などにご利益があると、加奈子は掃除中に境内の所々に設置している看板を見ているうちに自然と覚えた。

「そう、有名な神だから全国にたくさんあるってのも一因だけど、大体は柱そのものが奉られているところが本山、そのほかの神社はゆかりの品を柱として崇めたり、その子供やゆかりのある柱が神社にいたりするんだけど、ここは行事の時だけ誰かが降りてくるみたいね、気配はするからいないわけじゃないんだけど。だから普通は私のような通りすがりのよそ者はすんなり入れないの、結界があるから。でもここは結界が弱かったからどうしてかなって気になったから入ってみたの」

「ふーん」

 なんだかこの子の話は塾の人気講師のような理知的な話し方でいつの間にか引き込まれてしまうなと加奈子は思った。それに彼女の大きな瞳で見つめられると、同性の加奈子でも思わず赤面してしまうほど魅力的だ。

「じゃあこの神社はご利益がないってこと?」

「そういうわけでもないんだけど、人間に概念を説明するのはむづかしいなぁ、正しい祈りは残留思念的なものは残りやすいから、それを柱が読み取ることはできる。神様は人の思考が読めたり聞こえたりするものなんだけど、全部聞こえてしまうとやかましくて夜も眠れない。だから正しい作法の後で聞こえてくるものは、よし、こいつは殊勝な人間だからとりあえず話は聞いてやろうって感じで選別しているの」

「え、つーことはあんたも人の心がわかるの?」

 加奈子は思わず胸を両手でかばうように押さえた。

「私はそれほど位が高くないので、神社なんかの神聖な場所での正しい作法の祈りしか聞くことはできないけど……さっきのは聞こえたっていったでしょ?」少女はずいっと加奈子に近寄って小声で囁いた。

「恋の悩みだね、えーと、耕一とやらが好きなんだね」

 加奈子は顔どころか耳まで真っ赤になった。

「な、なんで知ってんのよっ!」

 思わずビンタを食らわせようと手を振り上げた。

「いや、だから聞こえたっていったでしょ? ねえ、もしあなたの願いを叶えてあげたら私の事信じてくれる? あ、ヤバ。柱が私に気付いた……」

「え? きゃあっ!」

 突如、境内に加奈子が二三歩よろめいてしまうほどの突風が吹いた。反射的に目を閉じ体をすくめたが、一秒もせずに風はやんだ。恐る恐る目を開けると、まるで風に吹き飛ばされたかのように少女の姿は忽然と消え、静まりかえった境内には加奈子がポツンと立っているだけだった。

「……おーい、さっきのこー、どこ行ったー」

 しばらく辺りの様子を窺っていたのだが、境内は静まりかえっていて誰も返事をするものはいない。加奈子は朝練の事を思い出したので、慌てて格子戸を締めなおし、薄気味悪い場所から逃げ出すかのように境内の外へ駆け出していった。

「……いきなりラスボス降臨とか、ちょーヤバくね?」

 さっきまで加奈子がいたすぐそばにある立派な杉の木の上の方にしがみついていた少女が、ボヤきながらスルスルと伝い降りてきた。

「殺されなかっただけありがたいと思え。悪態をつくよりまずは勝手に俺の神域に入った無礼を詫びるべきだろうが」言葉と同時に、すうっとダークスーツに黒いサングラスをかけたオールバックの強面の男がミコの前に現れた。

「気配がないからここはすでに無神かなと思ったもので、すみませんでした。須佐之男命」

 神妙そうにミコは頭をさげた。

「この辺りじゃ見ない顔だな、お前。名前は?」

大和六岳媛命ヤマトムタケヒメノミコト、紀伊の方の土地神です」

「それがこんな所まで出張ってきて一体何をしている」

「訳があって少しの間この辺りで動き回るつもりなので、筋を通そうと近くの神社を挨拶廻りしていました」

「訳だと?」男は眉をひそめた。

「信者を得るためにちょっとした秘策がありまして、人間世界で縁あるものがこの地におりましたので遥々とやってまいりました。でも土地の信奉者を奪ったりはしないのでそのあたりはご安心を。現代風に言うと浮動票の獲得とでも言うのかしら、神道に興味を持たないものに布教するだけですので」

「それはいいとしてさっきのはなんだ、あの娘は俺が気にかけてるんだ、勝手なことをしようとするな」

「ちょっとその秘策に使えるかなと思ったので。まあ、あの子なら私やあなたが手を貸さなくても自分で解決出来そうでしたが」

「うむ、父親はさっぱりだが、あの娘はなかなかに見所がある。時々正しい方向に導いてやるだけでよい」

「さすがに貴方のように位が高いと地上界がまだ気になるのですね、安心しましたわ。ここへ来るまでに色々な柱と話をしたのですけれど、地上界を護ることにみんな無関心なので心配していました」

「信心が薄まったのは戦争に負けて以来の時代の流れもある。それに外国人も増えたし、相変わらず胡乱な無心論者は多い。今までは神に護られてこそ人間の繁栄があった。なのに、人間はそれをすっかり忘れておる。五穀豊穣の祈願よりも安い輸入食材を買い求める、無病息災の祈願よりも介護や医療に大金を費やすという時代だ。この流れはなかなか止まらないだろうが、それも人間が選んだ道だから仕方ない。現代風に言うと神々の人間離れが起こるのも道理というものだ」

 男は肩をすくめて鼻で嗤った。

「私はまだ諦めていません、また人々の心に信仰心を取り戻してみせます。なので是非ともこの辺りで活動させていただきたいのですが……」

「勝手にしろ、せいぜい頑張ることだな」


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ