Aメロ 二
二
横浜への帰路は特に何事もなく、夜十時前には無事にJR横浜線西中山駅から歩いて10分ほどの住宅街の小さな一軒家に帰り着いた。道中、高野山観光をしているときはミコはレンタカーの中でおとなしく待っていたし、新幹線では近くの席の子供とじゃれあっていたほどだ。少しでも雄太に落ち度があろうものなら、またミコに粗相があろうものならどうして責めてやろうかと睨みをきかせる父に利口にも気づいていたのかもしれない。
「実はミコは横浜は初めてじゃないのよね、お父さん」そう言った母が玄関でミコを開放すると、さっそく家を探索するために奥へと消えた。
「ああ……そうだったな、そういえば」
父はなにやら苦々しげな表情を浮かべ、そそくさとお湯を張るために風呂場へ向かった。
「雄太を産んだ時に、いろいろ家の面倒を見てもらうためにおばあちゃんに来てもらってたのは知ってるでしょ。そのときもおばあちゃんはコレで」ペット用キャリーバッグをぽんっと叩いて「ミコも連れてきてたのよ」と母は笑顔で言った。
「へぇー、そうだったんだ」
「探せば赤ん坊の雄太と一緒に写ってる写真があるかもしれないわね。でね、ちょうど私が入院しているときにお父さんね……」
母は少し声の調子を落として言った。
「確かに、おばあちゃんとミコが会話してるのをはっきりと聞いたんだって。ウフフ、それ以来ミコが怖くて仕方がないのよ、笑っちゃうでしょ」といってからからと笑った。雄太も口元を引きつらせて一緒に笑いながらちょっと父に同情した。雄太もまだ得体の知れない恐怖感を抱いている。
「猫は人間の言葉がわかるってよく言うし、一匹ぐらい喋る猫がいたっていいじゃない、ねえ?」
「にゃー」
廊下の向こうでミコが鳴いた。
二階に上がり自分の部屋に戻った雄太は、まずエアコンのスイッチを入れ、ザックから友人やバイト先に配る予定のみやげ物を整理したり、ノートパソコンと24インチの液晶ディスプレイのほかに、大学の教科書やコミック雑誌、なにかの充電器やケーブルなどが天板に雑多にちらかったOAデスクの前に座って、ノートパソコンを起動してデジタルカメラからメモリを抜き取り、パソコンで写真データをチェックして、ブログに「叡電のラッピング電車w」「貴船神社」「鴨川等間隔の法則」「京アニ聖地巡礼」などのタイトルと共に撮ってきた写真データをアップロードしつつ、同時進行でスマートフォンを使い、メールの返信をしたり、ソーシャルネットワークで知人のここ数日の行動をさかのぼってチェックして次に直接会った時の会話のネタを探したりした後、検索サイトで「猫の飼い方」を調べ始めた。
(ミコの奴、普段は猫の姿で活動するんだろうか? 何を食べるのか、爪は研ぐのか、トイレはどうするのか、仮にトイレだけは人の姿でできるとしても親が怪しむだろうからトイレとか砂とかは買っておいたほうがいいだろうし……家の中だけでなく外も出歩くんだろうか。だいたいアイドルになるために横浜に出てきたんだろ? 人間の姿ではじめから来たほうが……猫の姿で移動してきたのはタダで新幹線に乗れるからというミコなりの気遣いでという可能性は? そもそも神様なんだったら空を飛んだり瞬間移動とか透明人間になるとかできないものなのかよ? いや、待てよ。超人的な力を持った者はいても、いわゆる超能力的なものは案外神話でも使われてなかったような、でも神話はあくまで人間が創作したものだから神様が超能力で無双したらストーリーが滅茶苦茶になってしまうからな。あれ? なんかもうミコが本物の神様だっていう前提で考えてしまってるぞ、まだ化け猫とかの可能性もあるし……)
雄太は気もそぞろに覗いていた猫グッズのショッピングサイトを一旦閉じ、今度は「猫 妖怪 種類」と検索ワードをキーボードに打ち込んだ途端、
「まだわらわを信じておらんのかっ」と、人間のミコがいきなり腕を雄太の首に廻してスリーパーホールドを仕掛けてきた。
「んげっ……い……つのまに……ギ……ギブッ」
パンパンとミコの肘を叩く。ミコが手を放すとゲホゲホと雄太は激しく咳き込んだ。
ようやく咳が治まって落ち着きを取り戻した雄太は、あらためてミコを見入った。今はTシャツとハーフパンツの楽な格好で、長い髪も後ろで一つに束ねて腕を組んで立っている。古代装束ではわからなかったが、雪のように白くて細い手足やわずかに膨らんだ胸、ほっそりした肢体が少しか弱く見えるのだが、きりっと雄太を見据える表情のせいか、細身の体に似合わぬどこか力強い雰囲気をまとっている。
「どうせ検索するのなら簡単にアイドルになれる方法とかを調べぬか。とりあえず猫の道具はどうせカムフラージュにしか使わぬからおぬしの両親に疑われない程度に用意しておけばよいぞ」
「あ、ああわかったよ。ところでミコ、気になる事がいくつかあるんだけどさ……」
雄太にはお構いなしにミコは、マンガや小説が詰まった本棚、液晶テレビの横のパイプ製のラックに飾られているDVDの映画や音楽ソフト、隅のスタンドに立てかけられたフェンダージャパンの白いストラトキャスターなどがある雄太の部屋を興味深そうに物色しはじめた。
「何なりと申せ。ふーむ、エロいモノはうまく隠しておるのか見つからんのぉ。ところでこれはなんじゃ?」
テレビ台の中をガサゴソと探った後、コントローラーを引っ張り出して尋ねてきた。
「ビヨンドボックスていうゲーム機だよ。つーかさあ、アイドルとして活動するならその変な喋り方どうにかしたほうがいいと思うんだけど……」
「ええ? 神様の威厳がかんじられて良いと思うのじゃが」
「いや、なんか間違ってる……いまどきの若い世代は時代劇とか見ないからそういう平安時代っぽい言葉だと笑われるだけだし。アイドルなら普通の女の子設定で頼みます」
「えー駄目? いいと思ったんだけどなあ。で、コレどうやって遊ぶの? ゲームするのは初めてだわ」
コントローラーをガチャガチャといじっている間にゲーム機に電源が入り、画面にはゾンビであふれかえるショッピングモールが映っている。
「おお、コマはあまり好きじゃなかったけど私はゾンビ映画は大好きだし、面白そう」
一通り操作方法を教えるとミコはゲームに没頭し始めた。
「で、話の続きだけどさ」
「……うん」
「ばあちゃんの前でも人間の姿になったことあるのか?」
「うーん、ここ二百年ぐらいはすぐ妖怪だ化け猫だUMAだと騒ぐからあんまりなってないけど、コマは好奇心旺盛で私を見ても大騒ぎするような人じゃなかったから時々ね。そもそも大昔は人も神も一緒に過ごしてたのよ。でも人が神に頼りすぎるのは良くないと神社などの神域を作って敬い奉って直接の干渉を避けて自立することにして神もそれを認めた。例えるなら、親と子の関係のように、神は天から人界を見守る事にしたの、そうやって神は人界に姿を見せる事をしなくなった。でも八百万も神がいれば私みたいな物好きもたまにいて、いたずらしたり人助けをしたりしてるのよ」
確かに祖母のことを思い出すと、面白そうな事はなんにでも積極的に手を出す性分だった。年賀状は昔から自分でパソコンを使って作ったものを雄太の家へ送ってきていた。雄太はその時代の事をよく知らないが、ヒッピーやフォークソングが流行した頃には祖母もギターも弾いていたらしいし、さらにはビートルズにも熱狂していたらしく、売れば結構なお金になるのではと思わせる古い洋楽のレコードやグッズが押入れのダンボールにたくさん詰まっていた。晩年は文字通りの晴耕雨読の日々を送っていたようで、本棚には流行作家の本がどんどん増えているのを里帰りのたびに雄太は関心を抱いていた。それにケーブルテレビの会社からは専用チューナーをレンタルして時代劇専門チャンネルや映画専門チャンネルを見るほどに映画やドラマが好きだったので、ミコが自分のことを神様だと告白しても、「ああ、きとそうじゃないかと思ってたよ」などといってあっさり受け入れたに違いないと雄太は思った。
「それに私はまだ、コマの祈りにこたえられていない。それまでは死ねない……」
テレビ画面でゾンビを釘バットで粉砕しながら、ミコはポツリとつぶやいた。
「え……神様って死ぬの?」
「もちろんよ、寿命がないだけなの。有名どころだと、イザナミ神は火の神を生んだときに女陰にやけどを負って死んだし、オオクニヌシノミコトも生き返ったけど兄弟に何度か殺されてるし。暴れん坊で有名なスサノオも何人も殺してるわね。まあ私が今言ったのは、人間で言うところの死ぬとは意味がちょっと違うけどね。人界との縁が切れたり、死んで黄泉の国に行っちゃうともう地上世界に関われなくなるっていう意味で、それは人間から見たら死ぬと同じ意味でしょ。まだコマの子や孫が健在なのに、地上世界と縁が切れて村を守れなくなるのはちょっと……そのためにも雄太には頑張ってもらわないとね」
「ふうん……アイドルになるって事は人間の姿で活動するんだろ、それって問題ないのか? 他の神様に怒られるとかさ」
「人の歴史の流れを変えるようなおおごとに関わっちゃ駄目なんだけど、江戸時代には吉原に遊女入りして太夫にまでなった神もいたぐらいだから、アイドルも似たようなものだし大丈夫と思う。あと、生き物を無闇に殺したり生き返らせたり、人間の作ったものを無闇に壊したり直したり……言い換えればタブーを犯すと、だね。タブーを犯すと私より位の高い神が怒って何らかの罰を下す場合があるわ。人間の法律みたいに明確化はされてなくて、あくまで位の高い神の判断だからすごいきまぐれで、大暴れしてもお咎めなしの場合もあれば、些細な事で殺されちゃう場合もあるけど」
「ふむ、ミコはなんでわざわざアイドルをやろうとしてるんだ? 手っ取り早く洗脳したりで一気に信者増やしたりとかできないのか?」
「洗脳は不可能ではないけどそれでは力を十分に得られないので却下ね。なんでアイドルかというと、テレビでアイドルブームだって言ってたからね。アイドルファンって熱狂的だし、同じCDを何枚も買ったり地方のコンサートにも追っかけていったりしてお金も持ってるみたいだしで、信者になってくれれば心強いじゃない。ほら、雄太だって」
ミコはテレビの横のDVD棚を指差した。
「ももいろキャデラックの信者なんでしょ?」そこには、六十年代アメリカンポップカルチャーをモチーフにした人気アイドルグループ『ももいろキャデラック』のコンサートのDVDが五枚、写真集、特集が組まれた雑誌などが、グループのトレードマークであるピンク色のキャデラック・コンバーチブルの模型(ファンクラブ限定アイテム)と共に飾られていた。
「私でもSKD48とかピンキャデぐらいはテレビで見て知ってるわよ」
「別に信者ってほどでは……普通のファンだよ。もっとハマってる奴はざらにいるし」
「十分信者だと思うよ、まあ一部の大丈夫なの? ていう人たちと一緒にされたくない気持ちはわかるけどね」
「まあ俺の事はどうでもいいんだよ。で、ミコはアイドルになるって言ってるけど、歌とか踊りはできるのか?」
「昔っから神事には歌と踊りは付き物だったから歌舞音曲はおまかせよ。それに現代のものはギターぐらいだけど、琵琶も琴も二千年以上やってるから楽器は上手いわよ。あ、ギターはコマが亡くなってからは触ってないけど」
ミコは、雄太にゲームをセーブさせてゲーム機の電源を切り、部屋の隅のスタンドからギターを手に取り、チューニングを合わせてコードをいくつか短く掻き鳴らした後、ビートルズの「ノルウェイの森」を爪弾きはじめた。しかもメロディライン、ベースライン、バッキングが複雑に絡み合う、いわゆるソロギターといわれる難易度の高い演奏法を、細い指で巧みに奏でる。アンプも繋いでいないエレキギターなので貧相な音しか鳴っていないのに、技術力の高さに目を奪われて雄太は我を忘れてしばらく聞き入っていた。
演奏にすっかり心を奪われていた雄太は、ふと机に置いていたスマートフォンが短く何度か震えているのに気づいた。雄太はスマートフォンを取り上げてメールを確認した。
「……明日バイト終わったらスタジオか……了解っと」雄太はメールに返信しながらつぶやいた。
「スタジオって?」
演奏を止め、ギターをスタンドに戻しながらミコが聞いた。
「ああ……大学の友人とかとバンド組んでるんだよ。大体月に一、二回練習用のスタジオに集まって練習してるんだけど」
「へぇーすごーい! ねえ、見に行っていいでしょ」
ミコが目を輝かせて言った。