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Aメロ 一


 雄太は都会よりはるかに早く陽が傾くのに驚きながら、山あいの田舎道を、時折蚊柱を突っ切りながら祖母の家へ駆け戻った。祖母の家の空き地には、わで始まるなにわナンバーの乗用車と、おそらく住職が乗ってきたと思しきビッグスクーターが増えていた。

 中に入ると、仏壇のある十畳ほどの居間には暑そうな袈裟を着たお坊さんと十人ほどの雄太の親戚がすでに仏壇の前に整然と座し、お香の臭いと煙が室内に立ち込めていた。雄太は慌てて後ろの方に座っていた両親の横の空いている座布団に汗を拭きながら正座した。横を見ると、雄太の母が無言でこちらを睨んでいた。雄太は肩をすくめて読経を始めようとするお坊さんの後頭部へと視線をそらした。ほどなくリンが何度か涼やかに打ち鳴らされ、雄太には退屈極まりない読経が始まったので、先程のミコとの邂逅について黙考することにした。

 いくら雄太の目の前で猫になったり少女の姿になったりしたとはいえ(あれはきっと催眠術かなにかに違いない)と、まだミコが神様であるとは半信半疑だったし、土地の神がいなくなると災害が起きてしまうという話も、なんだか不安をあおって強引に信者を増やそうとする新興宗教のような手口にも思えたし、何より「アイドルとなってわらわが大量の信者を得ることによって土地の力が回復するし、辺り一帯の土地を買い取るのは無理としても、御神体を神社に移して新しいお社を建てるための資金ぐらいは稼がねばならぬ。協力するのじゃ、雄太よ。おぬしはプロデューサーになるのじゃ」という突拍子もない提案にはさすがにしばらく開いた口が塞がらなかったが、今冷静に考えると単に田舎娘のアイドルになりたいので協力しろ、というお願いをミステリアスに演出しただけとも思える。「なぜに俺? アイドルになりたきゃ芸能事務所入るなり、オーディションに応募するとかでいいじゃん」という疑問は残るが。

(アイドルって偶像という意味だったよな、確か。で、日本のいわゆるアイドルは英語だとポップスターとかポップスシンガーだっけ?)

 だとすると神様がアイドル活動するってのはあながち間違いではないのかもしれない。

(でもそんな神様が堂々と人前に出ていいのかよ)

 少なくともそんな話は聞いた事がない。いや、それをいうならそもそも神様が実在するっていうのもマンガやアニメならともかく現実世界では初耳だが。

 しかしミコの浮世離れした美しさを思い出すと、(マジでアイドルになれるんじゃないか。テレビで見るアイドルやファッションモデルでもあれほど可愛い子はなかなかいないぞ)とも思い、まだミコに協力すると決めたわけではないが、(やるならまずは公園や駅前でチラシ配ってゲリラライブからかな。ミコは歌や踊りは上手なのだろうか。プロデューサーってことはもしミコが売れればSKD48の夏元みたいに大金持ちになれるのかな。で、芸能界入りすれば憧れのピンキャデのシンディーちゃんに会えるかな。今の時代はソロよりユニットの方が……)などという妄想が深まった頃、隣の母に頭を小突かれて雄太はハッと目が覚めた。いつの間にか読経は終わっていた。


 法要が終わった後の、夕食会兼親族会議の時にも処分場の話題が出てきた。まだ計画段階だが建設が決まれば補償金やら土地が売れたりで結構な金額になるのではないか、今は無人のこの祖母の家や畑の土地も、とりあえず親族の別荘的な扱いで長男が相続し、合同で相続税は納めたが、いずれは頻繁にここへ来る事も無くなってくるだろうから、建物の管理のために祖母の家の隣人に謝礼を渡したりするのであれば、成り行きを見定めていっそ処分してしまったほうが良いのではないか、などの話を、雄太にとっては地味なおかずばかりでたいして美味しいとは思わなかった仕出し弁当を食べながら黙って聞いていた。

(ふーん、ミコの話は本当だったのか。 まさか本当に猫になって立ち聞きしてたのか?)

 食事を終えると、母の兄弟達はさっさと大阪へと帰っていった。雄太の一家だけが祖母の家に一泊し、明日は新幹線のチケットを取ってある夕方六時までには新大阪に着くように、ゆっくりと高野山を観光しようという事になった。

 電気もガスも水道も止められていたので、翌朝の朝食分の菓子パンやおにぎり、飲み物などを村にただ一軒の食料品店「太平商店」から買ってきて、電気は隣家からドラム式の延長コードリールで引っ張って分けてもらい、トイレと風呂は隣家に使わせてもらって、少しかび臭い布団を雄太は小さな祖母の部屋に、両親は居間に敷いてようやく一心地ついた。

 雄太は、蚊取り線香の煙がゆらゆらと漂う、網戸にして開け放した窓から差し込む月明かりとスマートフォンのバックライトのみの薄暗い祖母の部屋にひとり寝転がって、片手で団扇をあおぎ、もう片手でスマートフォンをいじっていた。時計の表示はまだ九時三十分、さすがにまだ眠れそうにない。

 祖母の部屋にはすっかり見かけなくなったブラウン管のCRTディスプレイの古い、意外にも国産ではなく外資系メーカーのデスクトップPCがあったが、祖母が亡くなったときにインターネットは解約してしまったのだろう、電源ケーブルはコンセントから外され、LANポートをチェックしてみたがなにも挿し込まれていなかったので、時間つぶしには使えそうになかった。そういえば居間にあった大型の液晶テレビにも、以前はケーブルテレビのチューナーボックスが繋がっていたはずだが、今日確認したらボックスの姿はすでになく、NHKとケーブルテレビのショッピングチャンネルしか映っていなかった。時間つぶしの単調なソーシャルゲームにも飽きたので、居間から引っ張ってきた電気の延長コードにスマートフォンと、ダンボール色のモバイルバッテリーを繋いで、もう今夜は無理にでも早く寝て早朝に散歩でもしようかと思っていたところへ、外から「にゃーん」と猫の声が聞こえた。

 雄太はむくりと立ち上がり、網戸をなるべく家が入らないよう細く開け外をのぞくと、金色にギラリと光る双眸と、猫のシルエットが月光が明るくふりそそぐ庭に仄かに見えた。猫は「にゃん!」と窓枠に飛び乗り、そのまま額を網戸の狭い隙間にぐいと押し込んで部屋に侵入してきた。畳に降り立った猫は、雄太に一向に構う様子がなく、窓の反対側の押入れに近づき、器用に押入れの引き戸を空けそのまま中に入り、しばしガサゴソと音がした後、猫はペット用のキャリーバッグを咥えて押入れから出てきた。そしてキャリーバッグを部屋の隅に置き、そのまま傍らに丸くなって目を閉じてしまった。

(ばあちゃんそんなもの持ってたのか、病院とかに連れて行くときに使ったのかな?)と意外に思った雄太だったが、ハッとして「てゆうかそんなもん引っ張り出してきてどうするつもりだよ、おい」と、一応両親に気づかれないよう小声で猫に言った。

 しかし、猫はまるで何を言ってるのかわからないわ、という態度でけだるそうに片目を空けて雄太をチラッと見て、また目を閉じて再び寝付いてしまった。

「おい、聴いてんだろ? 返事しろよ」と何度か揺すってみたが、猫の態度を見ていると今目の前で眠っている灰猫が、確かに見た目は昼間会話したミコのはずなのだが、本当にミコと会話したのが事実なのか、それともただの灰猫で、自分はやはり夢か幻でも見ていただけではないかと徐々に不安になってきた。

 耳元をプーンと嫌な羽音がかすめた。雄太は網戸が開きっぱなしだったのに気づいてあわてて網戸を閉め、同じく開けっ放しの押入れも閉めて、蚊取り線香がちゃんと効きますようにと祈りながら眠りについた。


「何を考えてるんだ、雄太?」

 爆発寸前の怒気を抑えた重苦しい父の声が、早朝の静謐な空気を震わせる。

 エンジンのかかったレンタカーの運転席で母と雄太が乗り込むのを待っていた父が、雄太の手に提げた、なんとなく古ぼけたアイボリーのバスケット型のキャリーケースと、小窓から覗く灰色のトラネコを発見するや否や、運転席からすばやく降りて平静を装って乗り込もうとした雄太の前に立ちはだかったのだった。

「朝起きたら枕元にこのかばんと一緒にいただと、そんな嘘が通用すると思ってるのか?」

「いや、俺もどうかと思うんだけど、こいつが連れてけって言ってるから……」と手に持ったペット用キャリーバッグを困った表情で見つめる。

「あら、この子ミコじゃない。どうしたの?」母も遅れて外へ出てきた。

「にゃーん」

「なあに、雄太。ミコを横浜に連れて帰る気なの?」

 母は格子から指を突っ込んで暢気にじゃらしている。

「その……ばあちゃんが可愛がってたし、なんかずっとコイツひとりだとかわいそうだなと思ってさ……」

「ふーん」顔をバッグに近づけて、一転難しい顔をした母とミコがじっと見つめ合っている。

「……お父さん、別にいいんじゃないですか? 雄太が責任持って世話をするのなら」

「ん? うーむ。母さんがそういうなら構わんが……」

 父は母も反対するものと思っていたのか、意外な表情を一瞬浮かべた後、ムッとしながら運転席に戻り、ドアを乱暴に閉めた。

「さ、雄太。早く乗りなさい。お盆は道が混むから早め早めに行動しないとね」

「にゃーご」


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