サビ 三
三
ミコの学校生活は順調に見えた。今まで人間世界の勉強といえば、猫の姿になって寺子屋の時代から授業の盗み聞き、あとは新聞や書物を読み漁る事。そしてコマの家でケーブルテレビの歴史専門チャンネルやサイエンス専門チャンネルを見て得た知識が大半だった。
人間から見れば羨ましいだろうが、神と人間は言語の概念が人間とはまったく違う。神は聞こえて来る言葉は言語として理解するのではなく、本質で理解してしまうのだ。あとは出力の方法、日本語なり英語なりを一旦習得してしまえば何語でもペラペラだし、滅多に行うことはないが相手の頭に直接メッセージを伝えることもできるので、喋ることも必要というわけではない。映画と歌のおかげで英語と、披露する機会はないがフランス語もミコは堪能だ。
数学や理科は初めて見聞きすることが多くて戸惑ってしまった。なんとか理解は出来たがそれほど自信はない。
意外なことに古事記の時代から知識がずっと蓄積されているにもかかわらず歴史は苦手だった。仕方のないことではあるが、自分の記憶と歴史に記された記録に細かい違いが結構あるのだ。
二学期の中間試験はあまり成績がよすぎて周囲の勉強意欲を削ぐのもためらわれたため、得意教科に関しては平均点を狙って取るのにかえって苦心してしまったが、きわめて凡庸な成績を修めることが出来、アイドル活動で成績が下がってと言われないようにあらかじめ低い成績をとっておこうという密かな作戦はとりあえず成功した。
クラスメイトの反応も当初の熱狂ぶりも日が経つに従って影をひそめつつあった。転校生にしてアイドルの卵の美少女という存在を日常の風景の一つとして次第に受け入れるようになってきた表れなのだろうか。休み時間のたびに入れ変わり立ち替わりミコの周りに現れる生徒の相手を務めていた時期は過ぎ、昼食のお弁当を加奈子と、加奈子の仲良しグループに混じってゆっくりと食べることができるようになっている今の状況のほうが、別に学校の支配者とか人気者になりたいわけではなく、学校生活を一度体験してみたかったのと、アイドル活動の際に設定年齢十四歳が無職ではまずいだろうという理由で学校に通いはじめたミコにとってはありがたかった。
もちろん加奈子やミドリのような友達が出来たことは素直に嬉しかった。彼女たちのように、ミコの友達でもあり、アイドルとしてのミコを応援してくれる存在が少しずつ増えていけば神様としてしばらくはやっていけるだろうか、と少し考えた。それは須佐之男命や加奈子の神社に頼んで神奈川に引っ越してくるなりすれば可能だろう。しかしヤマトムタケヒメノミコト、つまり大和地方の六つの岳を護る媛神として命を授かったミコは、紀伊の人間は存在を忘れてしまっているが、いなくなってはとても困る存在なのだ。ミコも紀伊の人々を見捨てるつもりはない。
人間世界に入り浸っていると忘れてしまいそうになるが、あくまでアイドルとして雄太のもとで活動するのは目的を達するためだ。一時のブームでもいいからお金を稼ぐのが重要、アヤヒメ達のシスターテイルのように。コマの故郷の神社に小さくてもいいから社を建てて、瓦礫の処分場が出来てしまえばなくなってしまうかもしれないミコの神域から御神体を移すためのお金を。
「どーしたミコ。考え事か?」
昼食時の教室、ミコは自分の席で雄太の母が作ってくれたお弁当を食べていた。その前の席で、椅子を跨ぎ後ろを向いて座ってジャムパンを頬張っていた加奈子が、箸を止めて弁当箱の中の卵焼きをじっと見つめるミコのおでこをつついた。
「へ? ああ、もうすぐクリスマスだなって」
ミコはちょっと慌てて、いつもは加奈子と昼食を食べているクラスメイトが、少し離れた席で何やら編み物をしている方を目で指し示した。
「まだひと月以上あるけどな、今からやっとかないと間にあわねーってさ」そう言って加奈子は手にしたジャムパンの大きい塊を一気に頬張った。
「加奈子ちゃんは誰かプレゼントあげる人いないの?」
「んぐぅっ!!」
加奈子はパンを喉に詰まらせた。喉元を必死で叩き、水筒に貪りついた。
「ふぅー、何いってんだよったく。神社の娘にクリスマスなんざカンケーねーってばよ。つーか敵じゃん、キリストは」
「ふふ、私もキリスト教の神事は関係ないですが、みんなが浮かれている様は見ていて楽しいですね」
「へー、ミコは心が広いんだな」
「質問の答えになってないけど」
ミコはちょっと意地の悪そうな笑みを浮かべた。
「んーホラ、アタイはどっちかつーと貰う側だし」
加奈子はそう言って胸を張った。身長も高いしバレーも上手いし、顔も整っているからミドリと共にモテることはモテる、下級生の女の子からは。
「まあ、あいつの事はどうでも良くなったし」といって窓際で男友達と大声で馬鹿話をしている、かつて片想いだった耕一の方をちらっと見た。耕一はまた別の女にちょっかいを出しているとクラスで噂が流れている。ミコの言った通り、思春期の男は移り気でバカだったのだ。
「今ん所は誰もいねーかなー」
「ん、案外そうでもないかもよ」
ミコは昼食を食べ終えて鼻歌でワムの「ラストクリスマス」を歌いながら弁当箱を片付けはじめた。
「え、それどういう意味?」ミコは歌ってばかりで何も答えなかった。
その日の夕方、部活動を終えて制服に着替え、ミドリと一緒に玄関にやってきた。靴を履き替えようと下駄箱を開けた加奈子は心臓がひっくり返るほど驚いた。加奈子のスニーカーの上に淡い緑色の封筒が一通のっかっていたのだ。思わず周りを素早く見回す。ミドリの下駄箱は違う列なので今加奈子の周囲には誰もいない。
(ま、どうせ女子かいたずらっしょ)と言い聞かせて封筒を手に取った。表には竹下加奈子様、裏には吉田淳と書いてあった。加奈子はクラスメイトで、成績は常にクラスでトップ、将棋部部長の顔は悪くはないのだが、伸びすぎた前髪がメガネにかかった青白い顔を思い浮かべた。今までほとんど喋ったこともないのになんでアタシ!? いや、もしかしてミコに渡してくれって内容かも、などと考えていると、ミドリがこちらへ向かってくる足音がきこえたので、いそいで封筒を通学カバンに突っ込んだ。




