第八項
最初に感じた印象とは違い店の中はそれ程汚れていない。女性はカウンター席に腰掛、そう感じていた。落ち着いてみればむしろ居やすくすらある。果たして、扉を開いた時の謎の威圧感は何だったのだろう。目の前にいる店員も気の良さそうなお姉さんだ。さっきまで鬼だと感じていた面影など何処にもない。外観と中身との差異はあろうともいたって普通の店だ。
すぐ横に男の体が投げ捨てられていることさえ除けば。
「…あの」
「ああ、注文決まったのかい」
「あ、じゃあ、メレク風具沢山海鮮ペンペン焼き大盛り、ミックスベリーソース付きで」
「あいよ、ちょっと待ってな。美味いの食わせてやるから」
女性は横に転がっている男について質問しようとしたのだが、店員はそんなものが無いかのように振舞う。女性としても店員が鬼に豹変するかもしれないので迂闊な行動はできない。
店員は本当に何事もなかったかのように調理を始める。仕込みのされた材料を取り出して手際よく調理を進めていく。あまりの自然なので、本当は男が存在していないのではないかとすら思えてしまう。だが、その逃避をあざ笑うかのように、男の体がビクッと痙攣を起こす。明らかに生きてそこに存在している。俺はここにいる、助けてくれ、見捨てないでくれ、と訴えかけているようだ。
「…あのー」
さすがに我慢できなくなくなったのか、女性は改めて声をかける。
「何だいそんなに待ちきれないのかい?こいつはゆっくり熱を加えるのがコツなんだよ。ああ、喉でも乾いたかい。水は自分で汲んでもらってるんだ。そこにあるから勝手に…」
もう、話を逸らそうとしているのは明らかだ。不自然すぎる。何より質問をさせようとすらしない。
「いえ、そうじゃなくて…この人…」
それでも、意を決して女性は聞いた。必死に送る視線の先には横たわる男。聞きたいことなど一目瞭然だ。
「ああ、ゴミが置きっぱなしだったね。お客さんに失礼なことをしたよ。今、跡も残さないように処理するから待てってね」
向けられたのは屈託の無い笑み。店員は分かった上でそれをゴミと称した。明らかに人間の体であるそれを処理すると断言した。女性は目の前の人物が紛れも無く鬼であることを再認識し、自分の立ち位置を模索する。
「あ、そうですか、そうなんですか。そうですよね。急がなくていいですよ。私は何も見てませんし、聞いてませんから。もちろんこれから起こることにも無関係です」
笑顔で無関係を決め込んだ。何よりもまず自己保身。横たわる男の二の舞になるぐらいであれば犯罪の片棒を担ぐのも吝かではないといった感じだ。
「ちょっと待て!」
急に起き上がるゴミ。長い髪を結わえた性格の悪そうな男、タヴはまるで聞いていたかのようなタイミングで横合いを入れる。
「ゴミが勝手に動くんじゃないよ!」
「誰がゴミだ!」
あんた以外誰がいると言いたげな視線を送る店員。確かに人としては腐っているだろうが、ゴミと云うには些かゴミに失礼だ。
「はい、お待たせ」
ちょうど出来上がったのか、注文の料理を差し出す定員。
「わぁ、美味しそう」
それを何事もなかったように受け取る女性。自然な店内の一コマだが流れる。
「こら、無視すんな。何和んでやがる。そっちの客も見ないふりしない!」
タヴはそう言うと、自らが座っていたであろう席からグラスを掴み、女性のすぐ隣の席へと腰を下ろす。
「うるさいねぇ。ゴミ捨て場は裏口出てすぐだよ。勝手にお行き」
「最近のゴミは自分で動くんですか。便利になりましたね」
女性は店員の味方に徹するらしい。
「終いにゃ怒るぞ」
全く怒りそうにない様子でタヴは口を開く。何処まで話がエスカレートするのか楽しんでいる節がある。しかし、その小さな企は呆気なく崩されることになる。
「ハッ、狸寝入りしていた奴が何言ってんだ」
「え?」
店員の思わぬ一言に女性から疑問の声が上がる。
「ん?気付いてたのか」
看破されたというのに、タヴは大したことではないといった感じで白々しく肯定した。
「何時起きてくるかと思えば、いらない演技まで始めたからね。さすがに捨てようかと思ったわ」
突然の痙攣はもちろん演技だ。要するに心配しているが踏ん切りのつかない女性に対して後押しと言う名の悪戯をしていたにすぎない。
「何で起きてこなかったんですか?」
女性は何故起きてこなかったのかを不思議そうに尋ねる。
「ん?そりゃ…」
「あんたの反応見るためだろ」
「え?」
答えようとしたタヴを遮って店員が代わりに答える。そして女性からは再び疑問の声。偶然店に来た女性を何故監視していなくてはいけないのか、そんな理由は一つしかない。
「店に入ってきて、男が一人倒れてたらどうするのか。その反応を見て楽しんでたって訳よ」
「それを分かっていて俺をそのままにしておくあんたも、相当に質が悪い」
「あんたに言われたくないよ」
「もしかして私、二人に遊ばれてた?」
二人の遊びに巻き込まれていたであろうことにようやく気づいた女性。何とも釈然としない面持ちだ。
「そんなことはない。人としての価値が験されていただけだ」
「遊ばれてたより酷い!」
「確かに、人が倒れてて無視っていうのはいけないね」
一転して店員までもが避難をする。
「あなたがそれを言いますか!」
何故か悪者扱いされてしまった女性は声を荒らげて反論する。興奮し切った女性をなだめようとタヴがグラスを差し出した。グラスは薄白く濁った液体で満たされている。
「悪かったな。これでも飲んで落ち着いてくれ」
「あ、どうも」
女性は確認もせずに手渡された液体を勢い良く口に含む。そして…
「ゴクっ………ブッ」
勢い良く吹いた。妖艶な唇から噴射された白濁色の雫たちは、重力に逆らえる程度の初速を纏い水平方向へと飛来する。薄暗い店内の僅かな明かりを乱反射し光り輝く放物線は、美しくすら感じなくもないがバッチイことに変わりはない。
「汚いな」
「人の店のもの吐くんじゃないよ」
当然の様に二人から非難が告げられる。よく見れば軽くハイタッチ。店員からは「よくやった」、タヴからは「軽いもんだ」という幻聴が聞こえてくる。
「何飲ませてんのよ!」
続けざまの仕打ち。女性は何故自分がこんな目にあっているのかすら解っていない。出来るのは感情に任せて怒鳴りつけることぐらいだ。
「この店で一番高い酒だそうだ。ちなみに品名は」
「魁蟲酒。その名の通り魁蟲って虫で造った酒さ」
とどめの事実を告げられて顔色が目に分かるほど青くなっていく女性。
「ギャーーーー」
精神の限界が到来し、女性からは雄叫びのもにた叫び声がこだました。そんな女性の姿をタヴと店員は遊んでいる子供を見ている時のような和やかな笑顔で見詰めている。
「カイチュウ?」
酒の原料に興味を持ったのかタヴが軽く質問を試みた。女性があれほど慌てる品なら知っておいたほうが良いかと考えたのだ。
「知らないかい?まあ、あまり有名では無いからね」
気負いなく帰ってきた返答はタヴが予想していたものとは違った。女性の様子からポピュラーな虫だと思ったのだが、その程ではないらしい。店員はついでと言わんばかりにちょっとした詳細も説明する。
「エロヒムの大砂海に生息する昆虫で希少なものなんだよ。見た目が悪いのもあるけど、それ以上に凶暴で人を襲って苗床にすることから嫌われてるわ。けど、食材としては一級品」
「人になんてもん飲ませようとしてんだよ」
説明からも高級なことはうかがえる。しかし明らかにゲテモノの類だ。そういったものなら予め断ってから渡して欲しいものだとタヴは思う。しかし、店員性格からしても一番高い酒を迷わず奢ったのは嫌がらせの意味が強かったのかもしれない。
「頼んだのはあんただろ」
ご満悦といった感じで答える店員。反応が見られれば誰でもよかったのだ。
「飲まされたのは私よ!」
息が荒いものの突っ込むことは忘れなかった女性。やられながらも対抗しようとするそのガッツは大きく評価できる。ただ相手が悪かった。
「ああ、水が欲しければそっちだぞ」
一応、自分の後始末とタヴは水を進めるが汲んでこようとはしない。
「普通、汲んできてくれるんもんじゃない」
「信用できるのか?」
「………」
何かを悟ったのか、女性は無言で立ち上がりセルフの水汲み場へと足を運ぶ。女性が席を離れるとタヴは店員に耳打ちするように話しかける。
「おい、あんた何か若くなってないか?」
そう、この店員、若くなっているのだ。だからこそタヴはオバちゃんとは呼んでいない。急激な変化ではなく、ちょっとしたシワであったり肌の艶であったりが微妙な変化を見せている。今であればお姉さんと呼んでも差し支えないだろう。
「何言ってるんだい?私の美貌はさっきから変わらないよ」
そして店員のお姉さんは白々しくも変わっていないと言い張る。最初からこの容姿であれば不要な争いもなかったであろうが、仕掛けたのはタヴなのでなんとも言えない。
「さすがに無理あるぞ、って」
更に話を掘り下げようとしたときに、女性が水を汲んで戻ってきた。グラスは二つ手に持っている。酒の無くなったタヴのために持ってきたわけではない。二つとも女性自身で飲むのつもりだ。保険の意味も込めて。
「まったく、酷い目にあったわ。ん?何よ」
微妙に止まってしまった会話の内容を自分のことだと勘違いしたのか、女性が訝しげにタヴを見つめる。
「はは、いや、間の悪い奴もいたもんだと思ってな」
「しかし、珍しい。一日に二人もカモ…じゃなくて旅行者が来るなんて」
聞き出すタイミングを逃してしまったタヴは、しょうがないので女性の方へ話を合わせることにした。魔術関連のトンデモ能力だと無理やり納得しておく。すると店員も不自然に話題を変えてくる。先の話題は触れられたくない事柄のようだ。
「あなたも旅行者なの?」
旅行者という言葉に食いつく女性。間接的に自分も旅行者であることを肯定している。
「一応旅行者になるのか?確かに観光はしてるが…君もか?」
仲間発見!といった感じに指を刺すタヴ。また、彼が旅行者に見えるのはお土産の袋を複数持っているからだ。どこからどう見ても唯の観光客である。
「観光が目的ではないんだけど。時間が出来たから、ちょっとね」
「こっちも似たようなものだ」
むしろ観光がメインになっている節があるが、本筋は忘れていない。観光が済めば薬を買いに行く気はあるのだ。
タヴは改めて女性の姿を観察する。特に際立った出で立ちではないが、深くかぶったフードとそこに見える眼鏡は女性の顔を覆い隠している。見た目犯罪者か、逃亡者と見えなくもない。しかし、タヴにはまた別の何かに見えていた。犯罪関係で忍んでいるような気配は全くない。目の前にいる女性は顔を隠しながらも気配が健全すぎる。タヴにとっては初めて見る人種であった。
「……」
「何か?」
無言で見ていたためか、居心地の悪そうな顔で女性が尋ねる。
「女性をジロジロ見るんじゃないよ。いやらしい」
「いや、フード取らないのかと思ってな」
この際だと、タヴは有りの侭思ったことを口にした。これで隠されたとしても気になるだけで実害はない。
「…そうね。さすがに店内で被りっぱなしっていうのも失礼よね」
女性自身も気にしていたらしい。一般的な常識も持ち合わせているようだ。
「いや、見せられないような不細工面ならかまわないと思うぞ。隠しておいた方が世の中のためだし、こちらの気分も害する」
「これで取らなかったら私が相当な不細工ってことじゃないの」
そこまで言われたら引くわけにはいかないと女性は深くかぶったフードにてを伸ばし、髪が乱れないようにゆっくりと顔を出す。現れたのはメガネ越しにでも確認できる青い瞳と、綺麗に整えられた首筋まで伸びた栗色の髪。整った顔立ちはどう見ても美人の類だ。
「何だ、綺麗じゃないか。つまらない。それに若いし」
それを見てタヴはある意味での落胆を隠さない。後半部分は店員への当て付けだ。
「あなただって若いじゃない」
「それ程若くない。まあ、誰かさんよりは若いと思うが」
実際、20代後半に入っているのでそれ程若くはないのだがミコットに服装を整えて貰ったおかげでそれなりに若くは見える。
「20代に見えるけど、実はかなりいってる?」
「ピッチピチの20代だ。それでも後半に入ってるな。そう言うあんたも実はかなりいってたりするのか」
見た目と外見が一致しない例に遭遇しているため、タヴは少し疑り深くなっているのだろう。これで年上だったり、一桁であれば軽く人間不信に陥りそうだ。
「見た目相応の年よ。年齢は乙女の秘密だけど、あなたより下ってことは教えて上げる」
「まあ、見た目相応なら今更驚かん」
「?」
タヴはどこか遠い目をしている。何について驚かないのか、女性にとっては皆目検討もつかないことだ。
「で、あんたは何か食べないのかい」
そんなやり取りを見ていた店員は、話が一段落したと見てタヴの方へとメニューらしき物を放る。とっさのことながら、難なく受け止めるタヴだがメニューを開こうとはしなかった。したところで言語が解らない。さすがに読めないとも言えないので、何時も通りの反応で返してしまう。何時も通りの余計な一言で。
「ふ、こんなものは不要だ」
「?」
「一番自信があるものを出してみろ!そして俺の舌を満足させてみるんだな!」
纏まりかけた人間関係が再び加速する。単に料理を注文するだけでここまで問答が繰り広げられるのも稀かもしれない。
「いい度胸じゃないか。今度は本当の腕を見せてやろうじゃないか!」
「ふっ!口だけにならないよう精々気張ることだな!」
この二人、ノリノリである。
「…何、この料理バトル展開」
呆れながら女性は注文したペンペン焼きを口に運ぶ。
(美味しい、この店当たりかも)
こうして、しょうもない第二ラウンドが開始された。
◆◇◆
侵入を告げる警報音が鳴り響く中、異変は直ぐに起きた。虫だ。いたるところに虫が徘徊している。この辺では見られない魁蟲という虫。決して襲ってくる訳ではない。ただ等間隔に均一に配置されている。
(これは偵察用に飼育された使い魔、でもこんな虫を使う人なんて…)
ミコットは目に付くそれらを排除しながら全力で主の元へ疾走する。これほどの数を配置しているとなれば、入り込んだのはタヴが出かけた直後だろうか。それから今まで気づかれなかったということは相当な手練。建物の構造と戦力は漏れていると考えて間違えない。ミコットの鼓動が早くなる。
(迂闊だった。協力者が出来て気が抜けていた。でもどうやって結界を)
結界自体は解かれていない。それはミコットには容易に判断できた。人が入って来た形跡も感じられない。しかし、使い魔は確実に侵入してきている。どうにかして結界に穴を開けたが、それは人の通れる程のものではないというのがミコットの見解だ。しかし、それでは何故、今不用意に見つかったのか?少なくとも結界が解けるまでは隠蔽するのが普通だ。偶然見つかってしまったという風な様子ではない。見つけてくださいと言わんばかりの数、監視していると知らせているような配置、何かあるに決まっている。
「セフィリア様!」
勢い良く扉を開きミコットが駆け込む。そこにはゆっくりと眠る自らの主人、虫もいない。ミコットの表情が安堵に包まれる。しかし、近づくと同時に硬直する。
セフィリアの首筋には小さな卵が植え付けられていた。皮膚の表面だがその位置はちょうど動脈をなぞるように広がっている。
「くっ!」
嘆くよりも自分の不甲斐なさが苛立たしい。強く噛み締めた口元から血が滴るほどだ。意外にも狼狽する程の動揺はなかった。その無慈悲な現実の前にミコットは冷静だった。直ぐ様首の様子を確認し、自分に対処できるかを確認する。
「これは…」
確認をして更に顔が険しくなる。彼女が得意とするのはあくまでも治療。しかし、目の前で起きている現象は肉体の破壊ではない、生命の誕生だ。治療するという行為自体が要をなさない。
(私には無理…、下手をすれば血管ごとグチャグチャにしてしまう)
いっそグチャグチャになるのを覚悟で摘出し、セフィリアが死ぬ前に治癒するというのも可能だ。だが、それはあまりに分が悪い。セフィリア自身も既に半死の状態だ。そういった手段は本当の意味での最終手段である。このような状況をあえて作ったということは敵方から何らかの接触があるはずだと、ミコットは慌てず辺を見渡した。
そして、案の定それはあった。一枚の何の変哲もない紙切れ。そこには使い魔の主人であろう者からのメッセージ。
『召喚されしモノを差し出せ。猶予は一日、期間内に結界を解き手に入れたモノを差し出せば王女は助ける。そうでなければ、苗床として人生を終えてもらう』
その文面見て、怒りよりも驚愕に襲われた。
「狙いは…タヴさん?」
まさか打開策と思い行なった大魔法が、自らの首を締めることになろうとは思ってもみなかった。
◆◇◆
カウンター越しに熱く手を握り合う男女。何の蟠りも無い、清々しい笑顔で互いを見つめあっていた。その様は激しい死闘繰り広げた末に和解した好敵手同士の様にも、夕日が沈む中、拳で語り合った親友の様にも見える。
少なくともその光景を見ていた女性にはそう感じられた。一部始終の成り行きを見ていた彼女であっても、何故このような結末を迎えたのかは理解できていない。だというのにそこには何かをやり遂げた感動があった。一つの達成感、それが蔑みあった二人を包んでいく。
「まあ、そこそこの味だった。豚の餌に毛の生えた程度だがあんたならこんなもんだろ。この調子で精進するといい」
上から目線で言ってのけたのはタヴだ。その場の雰囲気に似つかわしくない台詞だというのに、その声の調子はやたら穏やかで、正しいことを言っている風に聞こえる。
「あんたみたいな舌の死んでる人間に評価されても嬉しくはないけど、好意は受け取っておくよ。豚の餌しか食べられないような最下層民には贅沢すぎて理解の範疇を超えていただろうしね」
返答するのはもちろん店員のお姉さんだ。こちらも穏やかなトーンで凄いことを言っている。だというのに場の空気は一向に崩れない。
「御勘定、ここに置いときますね」
そんな二人の結末を見届けた女性は、この場に私は不要と言わんばかりに席を立つ。
「もう行くのか」
「つれないねぇ。もう少しこの余韻を楽しまないかい」
(何をどう楽しめと!)
確かに謎の余韻は残っているが、常人に理解の及ぶものではない。女性は心の中で叫びにも似たツッコミを入れる。
「なら俺も行くとしよう。用事もあるしな」
「用事?」
女性は流れでつい聞き返してしまった。
「ああ。薬を頼まれててな」
「薬ねぇ、場所は判ってるのかい?初めてなんでだろ」
「地図があるから問題ない」
店員の言葉に、ミコットから貰った手描きの地図をちらつかせる。知らない土地に慣れているのは事実であった。地図があればまず迷うことはない。
「ちょっと見せな」
「あ、こら!」
地図を取り出したのが裏目にでた。隙をついて店員に奪われてしまう。
「ん?、ここ行きたいのかい?」
奪い取った地図を見つめ何故か笑いをこらえている店員。
「いいから返せ」
「ふふふ、返すのはいいけど断言してやろう。あんたは絶対にここにはたどり着けない!」
ビシッと指をさして挑発するように述べる。タヴはそのまま指をへし折りたい気持ちでいっぱいになったがグっと我慢。
「えーと。そろそろ怒っていいか?つか怒らせたいんだろ?」
タヴはグッと握りこぶしを作ってみせる。今まで通り振りだけだ。殴るつもりなどない。
「暴力で解決しようとも行けないものは行けないの。暴力はいけないことだし目的地には行けない、世の中いけないことだらけよ!」
「何か今のイラっと来るな、だいたいお前が暴力を語るな!」
今のは本格的に頭にきたらしい。タヴはついつい脇のホルダーに止めた銃にてを伸ばしてしまう。そこに店員は更に煽り立てる。
「冷静になりなさい君〜。ほら、ここはお姉さんにどうしてですか教えて下さいって愛玩してみ?」
「お前の遺言だったら聞いてやる。手短に話せ」
かなりの殺気をのせてタヴが圧力をかけてみるが、店員はしれっとした様子だ。女性の方も既に慣れたのか割り込んで軽く質問をしてきた。
「ちなみに、その遺言ってちゃんと伝えてくれるの?」
「無論!改ざんして伝えてやる!」
「意味ないじゃん!」
「意味はある!それで俺の気が晴れる!」
もう無茶苦茶である。
「いや、そもそも聞く意味がないじゃん!勝手に伝えればいいんだから!」
「一番嫌がる様に改ざんした方が気持ちいいだろう!」
この男は述べられた遺言と真逆のことをするつもりらしい。実に質が悪い。
「でも、残念ながら遺言を伝えるような人間はいないの」
そこで店員が口を挟む。それも急にしおらしい感じで、僅かに俯き斜め下を向くおまけ付き。地雷を踏んでしまったか?とタヴは少し冷静になる。
「すまん。調子に乗った」
「いいや。こっちも悪かったよ。変な空気になっちまったね」
互いに見つめ合う二人。
「望み通り、相続権のある親族は全て始末してやる。安心して逝け」
「…あれぇ?もしかしてまだ続いてる?」
確認したのは女性だ。もしかしなくても続いている。この男は地雷を踏めば地雷ごと吹き飛ばす男だ。
「不満なら、友人も始末してやるぞ」
「鬼かあんた!ってか遺言の話で相続権のはなしじゃないし」
そもそも遺言の話でもない。また、遺言イコール相続というのも間違いではない。
「遺言書に相続以外の話書かれても迷惑なんだよ!」
「ちょ、生々しいって!」
余計な遺言など親族間に軋轢を生むだけ。法定相続分で平和に解決できるのだ。
「安心しろ。受け取り手のない財産は国庫に帰属する。社会貢献だ!」
「もう普通に寄付するよ!」
薬の話はどこにいった?
「はは、あんたはやっぱり面白いね。途中参加の嬢ちゃんもなかなかだ」
先程のしおらしさは演技だったのか、快活に笑う店員。その言葉にタヴと女性も向き合い笑を浮かべる。
「で、なんで店に行けないのか教えてくれるのか」
やっと本題に戻ったタヴが聞き直すと店員は無駄な問答はせず簡単に答えた。
「もうその店ないわ」
「へ?」
回答としては簡単すぎる上、何気に一大事である事にタヴは思わず間抜けな声を上げてしまった。
◆◇◆
テュケー中央に位置する噴水広場、そこのベンチにタヴは腰掛けていた。店員からいくつか薬を扱っている店を聞き、観光時間をある程度返上して歩き回っては見たものの目的の薬は見つからない。日も暮れて来たためだろうか、行き交う人々は疎らである。賑わいを見せていた露店も早々と店じまいの用意を始めている。普通の店はまだ営業中だというのに早い店じまいだなと感じつつも、タヴは目的の店がないのだから閉店時間を気にする必要はないかとも考えていた。
「しかし、潰れているとはな…他も全滅だし…」
考えて見れば有り得る話だとタヴは思っていた。ミコットは自分のことを王女付きの従者だと言っていたのだ。最近までこの街、テュケーに住んでいたということはないだろう。店の場所を知っていたとしてもつい最近来たという保証もない。
手描きの地図もよくよく見ていれば所々に間違いがある。しかし道が間違っている訳ではない、建物の違いだ。当初の予定通り南からテュケーに入っていれば直ぐに気が付いたかもしれないが、今はそれを言っても仕方がない。
おそらくミコットは古めの地図を参考にこの地図を描いたのだろう。最初にミコットと話した時に出てきた世界地図は古めかしい羊皮紙であった、そこまで古いものでなくとも最新のものが置かれていたとは考えにくい。
「しかし、あれで結構抜けてる」
人の金で観光していて確認していなかった男に言われたくはないだろう。この男にも結構抜けているところがある。本人は気付いていないのだろうが。
どうしたものか?と考えていると何処からか呼びかける声がした。辺りにタヴ以外の人間はいない。別の誰かに声をかけているということはないだろう。それは似非カフェテリアで同席した女性であった。相変わらずフードを深く被っているが間違いない。
「ああ、君か。また会うとは驚いたな、何か用か」
「用って程じゃないけど、見かけたから。薬はみつかった?」
そう尋ねながら女性は近くのベンチへと腰を下ろす。手には小振りの紙コップとクレープに似たお菓子を持っている。食べ歩き中だったらしい。
「見つからないな、この辺はほぼ回ったと思うが」
簡単に答えつつ、タヴはゆっくりを伸びをしながら欠伸をする。疲れる程度には探し回ったというよりは、今起きて覚醒したようにしか見えない。
「人が知らないような店なら心当たりがあるけど、教えてあげようか?」
「申し出は嬉しいが裏がありそうで怖いな」
突然の申し出、もう行く場所のないタヴにとっては渡りに船だが、こんなにも好都合のいい展開が世の中にないのはよく知っている。
「感がいいわね!察しのいい人は好きよ。ちょっと頼みたいことがあって」
隠す気はないらしい。
「で、何が目的だ。金ならやらんぞ」
「お金じゃ無いから安心して。あなたなら絶対出来ることだから。でも、その前に何の薬が欲しいか教えてくれる?あんまり特殊なものだと私じゃ役に立てないかもしれないし」
そう言って女性は手に持った飲み物をストローを使わずグイッと流し込む。タヴはそれを見ながら女性にしてはマナーがなっていないなどと年寄り臭いことを考え薬の名前を口にした。
「エリキシル剤」
「ぶっ!」
若者の口から勢い良く緑に発光した謎の液体が飛沫する。この若者は一体何を飲んでいたのだろう。
「汚いな」
「けほっ。そっちこそ、飲んでる時狙って汚いなぁ」
実は少し狙っていた。タヴはミコットに薬の名前を聴いたときからある程度予想できていたのだ。普通の薬でないことを。
エリキシル剤、人によってはエリクサーと言った方が判りやすいかもしれない。錬金術に於ける不老不死の薬であり、伝説上の秘薬だ。タヴの知る現実として製剤としてのエリキシル剤や、エリクサーの名を持つ酒もあるがそれを示しているということはないだろう。
イエソドでどのような扱いになっているかは知らないが、少なくとも死の淵にある人間を無条件で助けられそうな効果があることに間違いは無い。傷を治せるというミコットが力及ばずというほどの患者を助けるためのものだ。希少でない訳がない。
「予想以上のリアクションで嬉しいぞ」
「隠す気無しっ!」
余計な一言は忘れない。嫌がらせの面もあるが、どちらかというと自分の無知を隠すための一言だ。ここで「何を驚いている?」などと聞き返せば一般常識がないことが露呈してしまっただろう。
「しっかし、エリキシル剤ですか…何?死人でも生き返らせるつもり」
「まあ、似たようなものだな」
実際にセフィリアの様態を見た訳では無い。それでも話を聞く限り意識不明の重体だ。そんな人間が薬一つで元気になるのなら死人でも生き返られそうである。
「製造方法が確立された時は凄かったっけね。死にかけの病人なんていくらでもるんだから、発表なんてしたら大騒ぎになるの当たり前って判りそうなもんだけど」
「研究者っていうのは往々にして人のために研究なんかしてないからな。成果が出て、自分の理論が認められればそれでいいのさ」
知ったようなことを言うタヴ。もちろん知ったか振りだ。製造方法が確立されたことも、薬を求める人で大騒ぎになったこともタヴは知らない。
「元も子もない言い方ね。もっと夢をもとうよ若者!」
「あんたより年上だ。で、その店は扱ってるのか?」
「扱ってると思うけど高いよ」
どうやら扱っているらしい。それならば似非カフェテリアを出る時に教えてくれればいいものをと、吉報ながら肩を落とすことになった。
「薬の値段か?それともお前への情報料か?」
「もちろん両方」
どうやら金も取られそうだとタヴは大きくため息をつく。
「前金は報酬の二割、残りはブツが手に入って確認してからだ。あまり馬鹿げた金額を提示すれば他を当たる。後、薬を購入するのはあんたに頼む、詮索はしないでくれ。この条件がのめるならついでにあんたの頼みも聞こう」
出来る範囲でだがなと付け加えてタヴは返答を待つ。購入を女性に頼むのは言わば保険のようなものだ。観光土産程度の一般的なものであれば問題ないが、希少な薬の購入者として何らかの足が付くのは避けたいというタヴのいらぬ手回しである。
「ブツってそんな危ないものじゃないでしょ!そういう言い方されると危ないことに関わってる気がするじゃない!」
実は十分に危ないことに関わろうとしているのだが女性はそれに気付かない。
「気にするな。金が絡む時点でこれは立派な契約だからな、つい事務的になる。何なら書面で契約しても構わんぞ」
イエソドの文字は書けないだろうが、タヴなら気にせず英語の契約書を作成する。必要なのは書面に記すという行為そのものだし、相手が解らない言語で作成してしまえばある程度有利なものが作れる。何もイエソドに合わす必要はない。
「いや、そんな畏まんないでいいわよ。第一お金はいらないってい最初に言ったでしょ。私へのお礼はお願いを聞いてくれるのと、美味しい夕食でも奢ってくれれば十分だから、薬だって相場の1.2倍ぐらいのはずだし」
「意外に安い女だな。もっと吹っ掛けてくるかと思ったが」
「誰が安い女だ!」
もちろん余計な一言は忘れなかった。今度は単なる嫌がらせである。
「で、お願いってのは何なんだ?」
「大した事じゃないの、私とデートしてちょうだい」
「はぁ?」
思わず間抜けな返答をしてしまったタヴ。これは流石に予想外だ。
「恥ずかしい話だけど、一人でいるのって嫌いなのよ。今日も一人で観光してた訳だけど持て余しちゃって。でもひと目に付きたくない理由もあって、ボディガード兼、話し相手として観光に付き合ってもらいたいって訳」
相変わらずフードとメガネで顔は良く確認できないが若者の頬はどこか赤く染まっている様に見える。
「だめかな?」
「いや、構わないが、その程度のことでいいのか?時間の制約もあるからあまり付き合えないぞ」
「やった!」
無理難題ではないものの、ある意味で金を払うより面倒な事になりそうである。
「私はハニエル。ハニエル=カフよ。よろしく」
「タヴだ。タヴ=ルノアール。まあ、短い付き合いにするがよろしく頼む」
互いに名乗り合う二人。タヴはあっさりと名を名乗った。偽名を作ろうかとも思っていたが、ここはミコットから貰った名が一般に通じるのか試すために、敢えてタヴ=ルノアールと名乗ることにした。
「タヴさんか、パスの名前を直接貰うなんて凄いわね」
「おかしいか?」
やはりおかしいのかと思案するタヴ。ミコットの常識はそれ程信用していなかった。
「いいえ。素敵な名よ。私のカフもパスから取ったものだし。ただ直接名に付けるのは人は少ないかな。いないわけじゃないけど」
後でミコットには御仕置きが必要か?とも思ったがそうではなかったらしい。
「自分でもそう思っているが、慣れると対して気にならないものさ」
半日前に付けた名だというのにタヴはさも当たり前の様に答える。
「確かに。そうだ、タヴって呼び捨てにしていい?私もハニエルって呼び捨てでいいから。何ならハニーって読んでくれても構わないわよ」
「そう呼ぶと人として大切なものを失いそうだな。ハニエルと呼ばせてもらう。俺のことはタヴで構わん」
あら残念とハニエルが呟くが流石にあったばかりの女性をハニーとは呼べまい。こうしてタヴは薬を手に入れるためにハニエルとデートをすることになった。
ミコットは知らない。襲撃に齷齪してる間に人の金で観光した挙句、デートの約束をする男がいることを。今日この日の出来事が彼女の耳に入らんことを切に願う。