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第四項

 タヴは最後のケーキを食べ終えると、カップに残ったお茶を一気に飲み干した。柔和な笑みを見せながら美味しかったと声をかけるが、味わっていたようには到底見えはしない。彼にとっては結局のところただのカロリー摂取に過ぎなかったのだろう。美味いに越したことはないが不味くても一向に構わないといった様子だ。


「さて、準備でもするか」

「本当に行くんですか?」


 準備とはもちろん薬を調達するための準備のことだ。行くと云っても身一つで行くわけにはいかない。タヴはこの世界の現金を持っていなければ、地理も分からない状況だ。言語は通じているが、文字が読めるとも限らない。この世界の一般常識は言わずもがな。一般人であれば些かハードルが高いと言える。もっとも、自称潜入工作のプロフェッショナルというぐらいであるから大した心配は必要ないかもしれない。


「お嬢ちゃんは行けないんだろ」

「お嬢ちゃんはやめてください。ミコットでいいです」


 いつまでも子供扱いであることにさすがに嫌気がさしたらしい。せめて名前で呼ばせようと強い口調で言葉をぶつける。


「しかし、何で離れられないんだ?」

「定期的に魔力供与しないといけないですし、一国の王女と自称謎の工作員を二人きりにはできません」

「ふむ、もっともだな」


 魔力供与というのはそのままの意味なのだろうとタヴは納得する。イエソドに来て魔術という存在があるらしいと知ったばかりの彼に代役が務まる訳がない。加えて自分の怪しさも自覚済みだ。


「ユードさんが戻ってくれば頼めるんですけど何時帰って来るか判りませんし」

「ユード?」


 初めて出てきた名に疑問を示すタヴ。どうもこの少女は自分を基準にして会話を進めてしまう起来があるようだ。


「ああ、さっき話に出た執事長のことです」

「ケーキを作った人か」

「ええ、甘党のお爺さんです」


 二人の会話の中でケーキの人として定着されつつある執事長ことユード老。タヴの中でのメージもあらぬ方向へ進行しているかもしれない。


「他には誰もいないのか?」

「いません。ユードさんは大切なお役目中ですし、セフィリア様は寝込んでますし」

「お姫様なんだろ、国の重要人物に対して二人しか付いていないというのは如何なものかと思うが」


 ミコットはセフィリアのことを第四王女と言っていた。少なくともこの程度の人数で行動するような身分ではないだろう。お忍びであるとしても護衛が老人と少女だけとは考えにくい。加えて老人は不在ときている。明らかに異常事態だ。


 無謀な魔術まで行使して傷を負わなくてはいけない状況とは如何なるものか、とも考えてみるがタヴには魔術の知識がないのでどれほどの大事なのか検討もつかない。結局、ミコットに聞くしかないのだが、当の本人は難しい顔をして黙ってしまっている。


「タヴさん」


 覚悟を決めたかのような顔をしてタヴに話しかけるミコット。タヴは黙って少女の言葉に耳を傾ける。


「まだ少ししかお話していませんが、貴方は信用できる人だと感じました」


 その一言にほんの一瞬、僅かにタヴが顔をしかめた。自分のことを信用できる人物だと言ってくれるのは単純に嬉しい。だが警戒心が薄すぎするミコットに対して多少なり危うさを感じたのだ。タヴは自分のことを信用出来るほどの人間だとは思っていない。むしろ信用してはならない人間だと自負している。


「猫を被ってるだけかもしれないぞ」

「被るならもっと上手く被るでしょう」

「確かに」


 はぐらかすように多少の探りを入れる。ミコットが何を基準に自分を信用したのか、その一端でも確かめられれがと思っての一言だ。


「それを加味しても十分に会話の通じる相手だと思います。マルクトから来たばかりとは思えないほどに話が通じていますし、冷静に状況を分析しています」

「照れるな」


 答えは相変わらずの軽口であるが、頭の中はミコットの言うように冷静に状況を見ている。今もミコットの発言を分析中だ。それなりによく見ていると関心するタヴ、しかし、あくまでもそれなりでしかない。タヴに言わせれば冷静に状況を分析できるような奴ほど信用してはならない人間だ。そんな人間ほど腹の底で何を考えているか判らない。そう、まさに自分のように。

 そんな見た目は軽いタヴを見てミコットが軽くジャブを放つ。


「確かに人をおちょくった様な発言や回りくどい言い回しなど性格の悪さが所々滲み出ていますが、それなりに許容できる範囲のものです。あくまでもそれなりに」

「流れに任せて言いたい放題だな」


 「それなりに」を強調するミコット。単にタヴに対する軽い反抗だったのだろうが、自らの考えていたことと重なり思わず笑が溢れてしまっている。


「それで、俺が多少なり信用できる人格者だとして、今のミコットさん達の状況を伝えても差し当たり問題はないと」

「話が早くて助かります。あとミコットと、呼び捨てで構いません」


 お嬢ちゃんではなくなったもののさん付が気に入らなかったらしい。子供扱いが嫌いなようだが、持ち上げられるのも慣れていないようだ。


「まあ、こちらとしても知っておきたいことだしな。予想はつく」


 実際、ミコット達の状況については一番に聞いておきたかったことかもしれない。しかし、タヴはあえて訊かないように務めていた。訊いても本当のことを話してくれるとは限らないし、他人の事情に無遠慮に踏み込むほど無礼でもお節介でもない。


「そこまでの認識があればお話しても最悪の状況にはなりませんね」

「最悪?」


 ホッと胸をなでおろした様子のミコット。タヴには何のことだかさっぱりである。しかし、次の瞬間空気が一変した。


「今の私達の状況をお話して、貴方がセフィリア様に仇を成す様なことがあれば私は貴方を殺さなくてはなりません。セフィリア様が命をかけて呼び出した方とはいえ、外敵となるならば排除します」


 その言葉には少女が発したのとは思えないほどの圧があった。本当に殺されかねないという錯覚を覚えるほどに。タヴが幾度となく感じたことのある戦場での殺意や殺気に近いものだが、明らかにそれとは違う異質な何かがミコットからは感じられる。


(これは飛んだ食わせ者だな)


 どうやらタヴもミコットのことをまだまだ見誤っていたようだ。不容易なことをすれば殺されるかもしれない。タヴのことを殺せる実力があるかは別として、少女にはそれだけの覚悟がある。本当にタヴがセフィリアに手をだそうとすればミコットは迷わずその命を捨てる覚悟があるのだろう。


 全ては話を進めるための前置きでしかなく、自分はまだ信用などされていないらしいと改めて認識する。その顔にはどこか嬉しそうな笑みが溢れていた。


「構わんさ。君みたいな可愛らしいお嬢ちゃんに殺されるなら悪くない」

「笑いながら恥ずかしい台詞を吐かないで下さい。本気ならまだしも口先だけなのが丸判りです。あとお嬢ちゃんは止めてくださいといったはずです。怒りますよ」


 それ程口先だけのつもりではなかったのだが、笑みが別の意味で捉えられてしまったらしい。頬を赤く染めているのでもしかしたら照れ隠しかもしれないが、いちいち言及することでもないだろうとタヴも話を合わせる。


「悪い悪い。なんだか無性にからかいたくなるんだ。そういうオーラが出てるんだよ」

「真剣な話をしてる時にでふざけないでくださいよ。あなたの命がかかってるんですよ。一応」

「一応で殺されてもなぁ」

「危なそうなら一応でも殺しますよ」


 物騒な会話も楽しげに聞こえるのはこの二人の人徳か、はたまた人の命を本当にその程度としか思っていないのか。何にしても両者ともまともな人生はおくっていないようだ。


「でもいいのか?工作員とか名乗った男を信用して」

「その言葉を何処まで信用するかは別として工作員というなら荒事に多少慣れてるでしょうから逆に話しやすいです」

「荒事なのか?」


 本格的に厄介事に巻き込まれそうな空気が濃くなっている。タヴとしても既に厄介事に片足を突っ込んでいるのは自覚済みなので構わないのだが、実際荒事は避けたかった。身一つでイエソドに来ている手前、どれほどの装備を調達出来るかもわからない。腕節に自信がない訳ではないのだろうが、最悪手持ちのナイフのみで戦うことになるかと思うと頭も痛くはなる。しかも、魔術というオカルトが存在している世界だ。果たして自分が戦力になるのかと考えると、タヴにとってもミコットにとっても対して利益がない様に思える。


「それはもう、随分な荒事です」

「何を隠そうこの俺は善良な一般人で」


 一応はぐらかしてみるタヴ。無論ミコットは聞いてくれない。


「もう遅いですよ。仮に一般人でも善良ではないでしょうし」

「実は記憶喪失という設定が」


 この流れなら蒸し返さなければ失礼とばかりについでに続けてはぐらかすが


「話を蒸し返さないでください。ってか今設定て言っちゃいましたよね!」


 ついには大声で怒られる成人男性。それも見た目小中学生(実年齢十七歳)の少女にだ。余りに格好のつかない光景である。


「良く全部拾えるなぁ」

「拾わせるな!」


 最後まで口の減らないタヴにたいして、クワッと大きく口を開き威嚇の姿勢を取るミコット。小動物が毛を逆立てたような少女の威嚇は、もしかしたら場を和ませるために自ら体を張ってのことなのかもしれないともタヴには思えた。


「まあ、取り敢えず当面は敵になるつもりはない。頼れる人間もミコットだけだしな。結構頼りにしてるんだ」

「本当ですか?」


 ミコットは少し照れたような素振りを見せ答えを返すが、逆立てた毛がまだ収まっていないらしい。なんとも言えない表情をしている。


「ああ、まだ少ししか話していないがミコットは信用できる人間だと感じている」

「まあ、私は信用に値する人間ですからね」


 何故か自信満々のミコット。


「そこは強気なんだな」

「周りに変な人しかしないと自分の善良性を嫌でも確認することになるんですよ」

「苦労してそうだもんな」


 本当に苦労していそうなミコットに本心から言葉を掛けているが、タヴ自身がその『変な人』に成りつつあることに気づいていない。


「まずは、そう、地図があった方がいいですね」


 そう言って立ち上がると、部屋の角に設置してある戸棚から古めかしい羊皮紙の巻物を取り出す。随分と焼けており遠目でも年代物とわかる代物だ。戸棚には製本された通常の本も並べられているので紙が普及していない訳ではない。たまたま近くにあった地図がそれだけだったのだろう。


「お待たせしました」


 手にした羊皮紙を机いっぱいに広げるミコット。危うくお気に入りのティーセットを落としそうになるが気を利かせたタヴが台車に移し事なきを得た。


 広げられた地図には大きく分けて四つの大陸が示されており、当たり前であるがどう見ても地球の世界地図ではない。改めてここが地球ではないと再確認するタヴ。これが悪戯であれば相当手の込んだものであろう。


「端的に言うと、この国、メレク王国の王都は占領されている状況にあります」

「一気に聞く気がなくなってきたな」


 荒事とは聞いていたが、よもや国一つ落とされているとは思わなかった。これが単なる小国であればまだ救いがあったかもしれないがミコットが指したのは中央にある一番大きな大陸だ。


「メレク王国は大陸の西岸部から中央にかけたこの位置にあります」

「…広いな」


 本当に広い。文字がわからなかったため地図の四九尺がどの程度のものなのか検討もつかないが、間違いなくこの世界有数の国家だと判る広さだ。


「はい、そして国境を堺に大きくは二つの国と隣接しています。北側にあるのがアドナイ、南東側がエロヒムという国です。アドナイとは国境付近で常に小競り合いが続いていました。エロヒムとは協定を結び割合友好な関係にあります」


 メレク、アドナイ、エロヒムの三ヶ国で大陸の殆どが占められている。このうちの一国の王都が落ちたとなれば面倒なことになっているだろう。


「それで、何処にやられたんだ?」

「いえ、やられたというか戦争自体起こっていません。開戦していなければ宣戦布告すらもありません。そもそも正面からメレク王国と戦っても勝てる国はありません」

「言い切るな。随分と強気なことで。となると内乱か、そういう奴らの鎮圧は役に立てないと思うぞ」

「内乱程度なら自分たちでどうにか出来ます。大体この国はそれ程治安は悪くないですし、諸外国にくらべても生活水準は高いです。大きなリスクを背負ってまで反乱を起こす人達はそれ程いません」

「少しはいるんだな」


 ミコット否定はするが一向に答えを述べようとはしなかった。それに痺れを切らしたのかタヴは直接回答を求める。


「で、誰に占領されたんだ?」

「わかりません」

「おい」


 思わずツッコミを入れてしまうタヴ。一国の王都が落とされて相手が判らない、などということがあるのだろうか。セフィリアが三日間目を覚ましていないのだから、占領からは少なくてもそれ以上は経過しているはずだ。その間に何らかの声明が出ていてしかるべきである。


「本当にわからないんです。けど、その一国の首都を一晩で落とすだけの手練達だということだけはわかります。相当な手際でした。長い時間をかけて入念に計画を立てたんでしょう。王国上層部に手引きしていた者ものもいたかもしれません」

「一晩。冗談だろ」


 更に信じられない状況が飛び出す。この国のセキュリティを疑いたくなる一言だ。国の警備がよほどの笊だったか、敵が想像もつかないほどの手勢だったか、幾らなんでも異常である。


「冗談ではありません。証人は三人しかいませんが」

「ミコットとお姫様、それに執事長だけってことか」

「はい」


 なんとも説得力のない面子だが、事実であれば一国の王女が命をかけるぐらいはするかも知れないとタヴはある意味で納得する。


「他の者たちは?王族は他にいるんだろ」

「おそらくもう死んでいます。城内にいた王族、陛下と姫様の姉君と弟君達が殺されるところはこの目で確認しました」


 平然と答えるミコット。どうやらこの少女に対して荒事で気を使う必要はなさそうだ。


「皆殺しか。そんなことして何の旨みもないだろうに。今頃国中大騒ぎじゃないのか」


 君主が殺されれば暴動の一つも起きるだろう。しかし、またしても予想が裏切られる。


「いえ、生きているみたいなんです」

「今死んだっていっただろ」


 一転して真逆の主張をするミコット。普通なら何を言っているんだと一蹴してしまうところだが、タヴは酷く嫌な感覚に襲われる。


(これは厄介事で済まないな)


 聞いた手前、直ぐ様見限るつもりはないが最悪の場合は考えておかなくてはとタヴは心に止めておくことにした。


「はい、死んだはずの人間が何事も無かったように国を動かしているんです」

「偽物か、もしくは傀儡にされたか」

「おそらく」


 生きているというよりは、代わりがいると判断したのだろう。仮に生存者がいたとしても、操られているか逆らえない状態にあるかもしれない。全てが殺された者たちの虚偽だという可能性もあるが、タヴは敢えてそれを口にはしない。身内の前でする話ではないという心遣いだ。もっとも、そういった可能性を排除した訳でもない。あくまでも口にしなかっただけである。


「王都占領から十日たちましたが何の混乱もありません。誰も気づいていないんです。私たち以外は」


 ここで、占領からの期間が確認できた。かなりの時間が経過していることにタヴは多少の苛立ちを覚える。訳の判らない敵に対して時間を与えすぎるのは上手くない。一方、よく三人で十日間捕まらなかったものだとも感心する。思った以上に目の前の少女は優秀なのかもしれない。


「ミコットが嘘を付いている、もしくは間違えているという可能性は」


 タヴ自身ミコットが嘘を付いているとは考えていないが、勘違いということもある。ここで曖昧な返事をされても困るのだが、一応、形式的に聞いておいたのだろう。


「ありません。あくまで私の主観になりますけど。信じてもらえるかはタヴさんしだいです。信じてもらえなければタヴさんが私たちの敵になるだけですから」


 力強く、はっきりと言い切るミコット。敵味方の判断は相変わらず極端だ。返答を間違えれば本当に殺されるかもしれない。


「極端だな。何故そうなる」

「セフィリア様と私は追われています。セフィリア様は偽物として、私はその偽物を手引きした賊として懸賞金がかけられています」


 敵側もミコットたちのことを気にしているらしい。タヴは本当によく捕まらなかったと再度感心する。そしてミコットの言葉にうなずきながら言葉を返した。


「なるほど、あんたらを差し出せば良い金になり、上手くすれば国との接点も作れると」

「少なくても見逃すことはないでしょう」


 当たり前と言わんばかりに結論ずけるミコット。本当に短い付き合だというのにタヴの性格の一端を理解しているようだ。この状況でタヴがミコット達を見捨てるのであれば、タヴもまたミコット達を始末するつもりだった。

 余計な怨恨を残して後で苦労するぐらいなら、今のうちに始末を付けたほうが後腐れはない。何より一人は床に伏せている。絶好のチャンスとも言えなくはない。その始末に金と人脈が付いてくるのならタヴは迷わずミコット達を差し出していただろう。


 ある意味でこの二人は似ているのだ。根底の部分で冷たい決断をいとも簡単にやれてしまう。だからこそミコットもタヴの考えに気づいていたのかもしれない。


「短い付き合いなのによくわかってるじゃないか」


 本当に見透かされてしまいそうだと、タヴはいい意味での警戒心を強める。こんな少女が自分とまともに話し合えていること自体が異様なことだが、不思議と違和感は感じない。自制しなければ余計なことまで口走ってしまいそうだ。


「信じてくれますか?」


 少し身を乗り出して上目遣いで見つめるミコット。目は何故か潤んでいる。ここにきて容姿によるアピールも組み込んできた。そんな仕草を誰に仕込まれたんだろうかと思いつつもタヴは華麗にスルーする。並み神経を持った男であったらここで撃沈されていたかもしれないが、タヴに効果はなかった。実は警戒心を高めていなければ落とされていたかもしれないことは、彼の心の中にそっとしまっておくことにする。


「そう急ぐな、まだ聞きたいことがある。そうだな、執事長は手配されてないのか?」


 少し動揺しながらも、すかさず話題を変えるタヴ。小さく「チッ」と舌打ちが聞こえたのは気のせいではあるまい。


「ユードさんはお年でしたので退職してたんですよ。占領される二日前に」

「定年退職かよ。本当に老人なんだな。何で一緒にいるんだ」


 タヴも執事長が定年退職するほどの老人とは思っていなかったらしい。少女と王女と老人という異様なパーティーに呆れている。


「セフィリア様にせがまれて甘いものを持って来てたんですよ」

「それで巻き込まれたのか、運がないな」


 黙って隠居していればいいものをと、運の無い老人に労わり気持ちを送るタヴ。だが逃げ延びた三人の内の一人と考えればある意味で運はいいのかもしれない。


「そうでもないです。手続きが面倒だからって王族用の抜け道を勝手に使って忍び込んでいましたから、加えて昔の血が騒ぐとかいってノリノリなんですよ」

「記録上いないことになってるのか。元気な爺さんなんだな」

「昔、傭兵だったらしいです」


 最後まで話を聞くとますます訳の判らない老人象がタヴの中で構築されてしまった。彼の頭の中にはケーキを持参する紳士な小太りハッスル老兵しか浮かんでいない。ある意味で是非あってみたいが、そんな奴は絶対にいないだろう。


「最後に一つ、何故隣国について説明した。この二国はここまでの話で関係ないと思うが」


 タヴは最後に聞きたくはないが聞いておかなければならない質問をした。敢えて二国について話したのだから何らかの形で関与しているのだろうと予想はつく。その上絶対にいい方向では無いという想像も外れはしまい。


「この十日、正確には五日間ですが、その間にユードさんに色々調べてもらったんです。昔の傭兵仲間の伝だそうなんですけど」


 執事長には諜報能力もあるらしい。もっともタヴの中ではイメージがアレな感じに固まってしまっているので実感は全く湧いてこない。


「その二国に怪しい所でもあったのか」

「エロヒムは今のメレク王国と全く同じ状況にある可能性が出てきました。アドナイは判りませんが、やるなら同時にやるでしょう。不思議と国境付近での小競り合いも占領と同時に沈静化しましたから」


 大陸を大きく占める三ヶ国がある者達の手に落ちているかもしれないという状況はタヴの背筋に寒いものを感じさせた。彼自身国の方向を左右するような仕事をしたことはない。それに近いことがあったとしても間接的なものだ。国からの依頼を受けたこともあるがテロリストの始末程度であるし、基本一人で動いているので大規模な仕事に参加することもない。その他の殆どの依頼は個人か特定組織からのものである。

 今更ながらとんでもない事に巻き込まれてしまったと後悔する。もう逃げることは叶わないだろう。


「裏から大陸一つを操るつもりか。大掛かりなことで」

「明確な目的はなんとも言えません」


 ここまで来ると一体何が目的なのかも判らない。だが決断しなければならない。目の前の少女に手を貸すのか、殺すのかのどちらかを選ばなくてはならない。


「状況は判った。それで、どうにかする為に呼び出されてのが俺、という訳か」

「はい」

「俺が加わったところで、どうにもできない気もするが」


 一通りの納得はいった。荒唐無稽な不思議現象には目を瞑るとして、全ての情報を頭の中で確認し直す。


「俺向きの案件であるのは、確かだ。誰が手引きしたんだかな」


 改めて考えると敢えて自分を指名したような案件ではある。少なくともあいつよりは適任だろうと左腕に力を込める。そしてタヴは静かにミコットの目を見つめた。


「何か気になる点でも」


 酷く情熱的な眼差しで見つめられたミコットは、何か不振な点でもあったのかと自分の説明を思い返していた。おどけた顔は年相応に可愛らしい。実年齢は十七歳ではあるがこの際それは忘れよう。


「気になる点は多々あるが今はいい。全面的に信用する。協力しよう」


 スパッと一言で承諾できないのはタヴの性格のなせる技か、そんな締まりのない答えでもミコットにとっては吉報である。


「本当ですか!」


 パァっと顔が明るくなるミコット。今までの緊張した雰囲気は一瞬で払拭され、話が始めたと時のお茶会モードに移行する。お茶飲みますか?と訪ねてきて勝手にお茶を煎れ出す始末だ。そんな浮かれ調子のミコットを見てタヴが呆れ口調で話を進める。


「ただし条件がある」

「私にできることなら!」


 今ならば何を言っても従いそうだが、また話が脱線しそうなので自重する。


「ああ、まずはある程度俺の指示に従うこと」

「ある程度でいいんですか?」


 何でもやりますと言わんばかりの迫力に多少気圧されるタヴ。しかし、彼には大したことを要求するつもりはない。


「構わない。俺も間違えることはあるし、価値観が違うんだ。従えないこともあるだろう。その場合は妥協点を探ればいい。仮に引けないことがあるならそれに従って動くのも構わない。それで死んでもそいつの判断だからな」

「自分の行動の責任は自分で持てってことですね」


 浮かれていてもタヴの言いたいことを直ぐに察するあたり優秀であるが、その内容が酷く冷たいものだとは気づいていない。自分の責任を自分で持つという重みまでは理解出来ていないのだろう。理解していたとしてもそれはタヴの言わんとすることとは別の意味のものである。


「そういうことだ。それとこれは契約だ。俺の一方的な善意じゃない。ミコットたちが依頼主で相応の報酬はもらう」


 これには大きな意味がある。契約関係になると言えば聞こえはいいが、つまりは共犯者としての契約を結ぶということだ。これから行うのは正義のための戦いではない。表向きは国を救うための戦いでも、タヴがやることは人殺しでしかない。これは彼が人を殺すための契約であり、ミコット達が彼に人を殺させるための契約だ。それにいつまでもお客様扱いでは居心地が悪い。


「……わかりました。当然といえば当然ですね。報酬としてお望みのものはありますか?王都が取り戻せればある程度の融通は効くはずですが…」


 契約を結ぶことが本題なので報酬については考えていなかった。この国の相場も分かりはしない。少し考えて面倒になったのかタヴは適当にはぐらかす。


「それはお姫様が起きてからだな。今は契約だと云うことを覚えていてくれればいい」

「はい」

「よし、契約成立だ。早速だがいくつか指示がある」


 ここで小休止といきたいところではあるがそうもいかない。状況が判った以上は動かなくては死につながる。


「本当に早速ですね」

「薬は俺が取りに行く、執事長とやらが戻ってくるのを待つのは上手くない。顔がわれているミコットが行くのも論外だ」


 取り敢えずは薬の入手が最優先である。呼び出した張本人が起きなければ進む話も進みはしない。


「ですがお客様に行かせるのは」


 まだ渋っているミコット。これはタヴの予想の範疇だ。


「俺はもうお客様じゃない。今さっき契約したばかりだろ」


 直ぐ様契約の効果が現れた。共犯者となった今、互いに遠慮は無用なのである。若いミコットには割り切れないかもしれないが、タヴも譲るつもりはない。


「あっ、確かにそうですけど、それとこれとは」

「関係ある。仮に今すぐ執事長が戻ってきても、もう外には出すな。十日たっているんだろ?相手が手練ならこちらに協力者がいるのは既に判っていると見た方がいい。なまじ最近まで城にいた人間なら尚更だ」


 タヴは十日もあれば協力者である執事長を調べ上げるには十分であると判断したようだ。執事長の実力がどの程度のものかは不明だが楽観視していては足元をすくわれかねない。


「確かに…そうかもしれません…」

「ここはもう引き払った方がいいだろうな。俺がいない間に身支度も頼む」


 この場所にどれ程の安全性があるのかは判らないが、ミコットの様子を見る限り逃げ出してからずっとここにいたのだろう。下手に動くのは危険かもしれないという考えもあるが、それ以上にここに長居してはいけないとタヴの感が告げていた。


「どうしてもですか」

「嫌なら構わない。ここでじっとして追っ手が来るのを待てばいい。俺は俺の判断でここから出ていくだけだ」


 判断は飽くまでミコットに託しながらも、その内容は酷く冷たい。ここで死ぬか、タヴを信じて付いていくかの二択だ。タヴはミコットが自分を信用していないことに気づいている。タヴも同様にミコットを信用していないが、協力するという誠意は見せた。こんどはミコットがそれを見せる番だ。


「こっちに選択肢はないですね」


 台詞こそあきらめ口調であるが、声はどこか弾んでいる。どうやらタヴの意図に気づいたらしい。


「話のわかる相手で助かった。偶にいるんだよ、尽く云うこと効かないクライアントが」

「大変そうですね」

「そういう奴は全員死んだけどな」


 私達は死にませんよと返すミコットは自分の選択が正しかったことを確信する。おそらくはここから、この人から反撃が始まるのだと半ば確信していた。


「この国の通貨を貰っていいか、それと最小限の常識と風習を教えてくれ」

「それはお安い御用です。むしろそのぐらいしないと行かせるのに不安が残ります。後は現在地と街の場所ですね。細かい地図もあったほうがいいですか?」


 直ぐに合わせてきたミコットに多少の驚きを覚えながら、育てればかなり使えるようになりそうだとタヴはいらぬ企みを企てる。


「もちろんだ。何というか話さなくても察してくれるのは助かるな。今日会ったばかりとは思えないほどだ。気が合いそうだな」

「気が合うかは別として、やりやすいのは確かですね」


 こうして絶対に気が合うであろう曲者二人が手を結ぶことになった。周りにとっては甚だ迷惑なコンビになりそうであるが、本人たちはそれに全く気づいてはいない。

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