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第三項

 ふと考える。こんなにも疑い深くなってしまったのは何時からであっただろうか。人を騙し、人に騙され生きてきた男にとって、疑うというこのは生きる術であった。そうして生きてきたし、そうしないで死んでいった人間を何人も知っている。

 

 時に友と呼べる人間もいた。しかし、信用したことはなかったと思う。心の奥底、根底の部分で相手を否定し続ける自分がいる。だからこそ生きてこれたと男は本能で理解している。だが、一方で男は考える。この命はそこまでして長らえさせるに値するものなのかと、全てを疑い一人で生きていくだけのこの命に何の価値があるのかと。

 

 それでも男は生きている。他の命を犠牲にして、貪欲に生にしがみつく。もし、あの時男が引き金を引いていなければ、今ここにいるのはあの女だったのかもしれない。


「らしく…ないな」


 男は軽く左右に頭を振ると、椅子に座ったままの姿勢で軽く伸びした。更にそのまま首を大きくぐるっと回し、ゴキッと関節をならし覚醒する。見た目純真無垢な少女にあてられてしまったのか、男はどうにも調子が入らないでいた。


 上着は少女の持ってきたものを着用済みである。差し出された上着は上質なシルク地のシャツで、非常に触り心地も良く清潔感に溢れていた。素人目にも高級品であると予想できる。合成繊維で作られた服ばかり着ている男にとっては違和感があるものの、それは悪い意味ではなく良い意味での違和感だ。気になる点と言えば袖や襟の部分に入った繊細な刺繍程度か。男性ものとはいえ多少気恥しいものがある。


 コンコン


 小さく扉を叩く音、先程の少女だろう。二度目だというのに律儀に入室の許可を待っているようで入ってくる気配はない。ある意味融通が利かず面倒ではある。


「どうぞ」


 今度は本当の意味で自然な返答をして招き入れる。もちろん先程の様な待ち伏せのはしない。椅子に座ったままだ。扉を開けるぐらいするのが紳士な対応ではあるが、残念ながら男にそのような素養は伴ってはいない。


「お待たせしました。お客様は久しぶりでしたので少し時間がかかちゃいました」


 そう言って入ってきた少女を見て男はなるほどと心で頷いた。


 少女が押してきたであろう木製のカートの上にはお茶とお茶菓子、そして軽い軽食が鎮座している。この台詞だけ聞けば大したことはないのだがそれぞれ無駄にに気合が入っていた。

 まず目を引くのはお茶、ティーセットからして明らかに一般のものではない。パッと見陶器でできた高級アンティークである。むしろ鑑賞用ではないのかと思う匠の一品。そこに十数種類の茶葉のビン―おそらくはハーブの類いのもの―が並べられている。好みのものを選んでもらうつもりなのだろう。


 ちなみに男のマイカップは100円ショップのプラスチック性マグカップだ。落としても割れないので気に入っている。そもそもお茶は大抵水出し、それ以外は水という体たらくだなのでカップに気を遣うこともない。陶器類の見分けが付くのは仕事で頂戴…ではなく調達経験があったからに過ぎない。


「好みの葉を聞いておけばよかったですね。なるべく癖のないものを持ってきたんですけど」

「嫌いなものは殆どない。御薦めのものがあれば頼む」

「じゃあ私のお気に入りを御馳走しますね」


 そう言って慣れた手つきでお茶を入れ始める少女。


「しかし凄いな」

「お茶は趣味なんですよ」

「お茶もそうだが、こちらの茶菓子も中々に手が混んでいる。甘いものはそれ程好みじゃないんだが見た目だけで食欲がそそられる」


 茶菓子は立方体にカットされた数種のケーキ。どこぞのカフェテリアで出てきそうな可愛らしさは明らかに職人技だ。


「手作りなんです。味はあまり期待しないでくださいね」

「なんでも出来るんだな。小さいのに」


 小さいのにという一言に、ピクっと反応したが気付かないふりをする。少女もわざわざ突っかかっては来ない、確かに十七歳程度には大人なようだ。


「ケーキを作ったのは私じゃないんですよ。うちの執事長が作ったものなんです。いい年してお菓子作りが趣味なんですよ、その人」

「執事とかいるのか?」

「一応いますよ。あまり一般的ではないですかね?」

「一般的ではないな。何人か殺った…じゃなかった会ったことはあるが」

「……」


 少女は黙って明らかに不振な目を向ける。


「そんな目で見るな。単なる言い間違いだから」

「そうですね。そういうことにしておきます」

「しかし食事があるのは有難いな。最近ろくなもの食べてなかったし」


 用意された軽食は色とりどりの具材の挟まったサンドイッチ。薄くスライスされたバケットで作られているようだ。


(しかし、これだけ用意してこの時間ならむしろ早い気がするな)


「そんなに食べてなかったんですか?三日も寝てましたし、もっと食べやすい物の方が良かったですかね?」

「ん?三日も寝てたのか。どうりでスッキリしたはずだ。まあ、食事はこれで構わない。栄養を取れれば何でもいいし」

「作り甲斐の無いこと言ってくれますね。まあマルクトの方の口に合うかわかりませんし、そういった意味では楽でいいですけど」

「………」

「どうかしましたか?」


 急に黙り込んだ男にを見て首をかしげる少女。


「さっきからマルクトとか言ってるが?何だそれは、国名か?」


 男の言葉にポンと手を叩き納得の様子を見せる少女。何かを思い出したような表情だ。


「そうですよね。マルクトでは自分たちのいる場所をマルクトとはいいませんよね」

「確かに俺はマルクトなんて場所出身じゃないな。何かの勘違いか…というかそこらへんの説明が本題になるのか?」


 お茶の準備が楽しくて忘れてました、と笑って誤魔化す少女。こんなやり取りを行なっている間でもお茶の用意は怠っていない、用意を終え男にお茶を差し出すと席へとついた。仕切り直しと言わんばかりにコホンと一度咳払いをして口を開く。


「では、あらためまして。私の名はミコット=ルノアール。メレク王国第四王女セフィリア=レーシュ=メレク様付きの従者をやっております。まずは我々の都合により召喚してしまったことへのお詫びと、召喚に答えて頂いた礼を我主人に代わって」

「意味が判らん」


 仕切り直した丁寧な挨拶は男の無慈悲一言で一刀両断されてしまった。


「…さっきまでのノリの良さは何処にいったんですか。真面目な私が馬鹿みたいじゃないですか」

「真面目なのにはノリにくいんだよ。というか普通に話してくれ、挨拶とか礼とかいいから」

「はぁ、わかりました。あ、お名前だけ先に聞いておきたいんですけど。私も名乗りましたし、知らないと話すのも不便ですので」


 男の反応に膨れてみせるミコット。あれだけ話しておいてまだお互いに名乗り合っていなかったというのも可笑しな話だが、タイミングを逃すと案外自己紹介などしないものなのかもしれない。


「名前か…」


 何かを考え込む男。名乗るか否かを検討しているようだ。果たして本名を名乗っていいものだろうか。少女が身分を偽っているようには見えない。しかし、今しがた聞いた自己紹介が事実だとして、そんな国名を聞いたことはない。王女付きの従者だと名乗られたところで余りにも現実感がなさすぎる。

 要するに男は目の前の少女をどう扱うべきか計りかねていた。


「呼びたいように読んでくれ、名前なんて特定できればなんでもいい」

「名乗れない理由でもあるんですか」

「あると言えばあるような気もしなくはない」

「では、ないと思ってください」


 一歩も引きそうにないミコット。なぜか聞き出そうとする気満々である。


「遠慮がないな。では、こうしよう」

「普通に名乗ればいいじゃないですか」

「こう見えてもシャイなんだよ。じゃなくて、実は自分の名前が思い出せないんだ」

「今、こうしようとか言いませんでしたっけ」

「幻聴だ気にするな、一時的な記憶喪失とでも思ってくれればいい」

「あなたが一時的『こうしよう』といったことを忘れたわけですか」

「いや、そうではなく、俺が目覚める前の記憶が喪失しているという話だ。わざとやってないか」

「あなたに言われたくありません。それで、ろくに何も食べてないことを覚えているあなたが記憶喪失だとしてなんとお呼びずればいいでしょうか」


 溜め息混じりに結局は折れてくれるミコット。実に優しくはあるが名を名乗れと言っていることにかわりはない。聞いているのが本名から呼び名に変わっただけだ。


「そうだな。自分に自分で名前をつける趣味はないし、今までの偽名は支給されたのをベースに使いまわしていたからな」

「偽名って…口に出して考えないで下さいよ。付き合ってるこっちが虚しくなります」


 もはや隠す気もないのか、今したばかりの会話を全否定しそうな発言を口にする男。ミコットはもはや苦笑いである。


「よし、名前を付けてくれ」

「はい?」


 あろうことか丸投げである。予想だにしていなかった一言に疑問を通り越して呆れかえっているミコット。この男はミコットの困惑する顔が見たいだけでやっているのではないだろうか。


「記憶を失い、ここがどこだかも判らない可哀想な一人の男に名をくれ、と頼んでいる」


 男は何やら台詞口調な上に、大げさに振りを付けて頼み込む。このわざとらしい言葉だけでも相当頭にきそうだがミコットは冷静に対応する。


「まさか、会ったばかりの男性に求婚されるとは思ってもみませんでした」


 否、ボケをボケで返しただけだった。


「お前の名前をくれって意味じゃない。名前をくださいって、随分古風なプロポーズ知ってるな。しかも明らかに俺が婿養子じゃないか。こっちも、そう切り返してくるとは思ってもみなかったよ」


 そう言って笑みをこぼしながらゆっくりと目の前に用意されたお茶を口にする男。本当に話が長くなりそうであったので、今更ながらお茶があって良かったとも感じていた。


「うまいな」


 そして男は意外にも素直な感想を述べる。


「ありがとうございます。今のは中々に気の利いた切り返しかと」

「そっちじゃない!お茶だ!お茶!」

「冗談ですよ」


 お気に入りの特性ブレンドなんですと付け加えてミコットもお茶を口にする。ついでに茶菓子も勧め、しばし心を落ち着かせるための無言のお茶会が進行した。


「話が長くなりそうでしたので。つい遊んでしまいました」

「遊ぶなよ。まあ俺も人のことは言えないか。しかし、ちょうどいい名前もなくてな。出来ればこの辺で不信に思われないような名前が欲しいんだが」


 男はミコット=ルノアールという名を聞いた時点でどうしたものかと思案していた。どう聞き間違えても日本人の名前ではない。ミコットの容姿も同様だ。男が目覚める前の記憶では日本にいはずだが、いろいろと不明な点が多くここが日本なのか外国なのか断定できない。これで会話に用いている言語が日本語でなければ国を断定できたのだろうが、目の前の少女が使うのは流暢な日本語だ。それも割と的確なツッコミを入れられる程の日本語。明らかに外人である少女が日本語を話す様はまるで映画の吹き替えを見ているようで奇妙でもあった。


 男は仕事を行う場所によって名を使い分けることが多い。国に合わせ、人に合わせ次々と名を偽る。時に目立たぬように、時に親しまれるように自らを偽り続けた。純粋な日本人でないことも幸いした。その容姿からアジア系、北欧系の名を用いても怪しまれることもなく仕事に勤しむことができたのだ。


「そういうことですか、確かにイエソドでマルクトの固有名称は目立ちますね。本名を隠すというのは気になりますが初対面ですし了承しましょう」

「納得した理由が意味不明だが、了承してもらえてなによりだ」


 会話が成り立っているのかいないのか、とりあえずは進行を見せ始める。


「しかし名前ですか……いきなり言われても案外出てこないものですね」

「一般的で使いやすく、それでいて不信に思われない、かつ俺を的確に表した素晴らしい名前であればなんでもいいんだが」


 今日初めて話したというのに遠慮なく無茶を言う男。


「喧嘩売ってます?」

「ペットの名前とかじゃなければなんでもいいです」

「よろしい」


 男の戯言を一蹴して、ミコットは諦めにも似た感覚で名前を考える。


「ではタヴでどうでしょうか?性は私と同じルノアールを名乗っていただくということで」


 意外にも直ぐに名前の案が提示された。


「タヴか…わかった。それでいい。何か意味がある名前なのか」


 男にとってはあまり聞き慣れない響きであったが、どの程度一般的な名前なのか判断する術はない。不都合があればまた別の名を考えれば問題ないので、男は取り敢えずの間に合わせ程度にしか考えていない。


「一応は、それを説明するのは少し面倒ですが」

「面倒ならいいが」

「いえ、多分あなたが聞きたいことを説明していくうちに出てくると思います」


 男に説明すること自体が面倒だとも聞こえなくはない台詞を残しやっと本題に入るミコット。


「まず、いくつか質問させて下さい。どこから説明していいのかこちらも計り兼ねていますので」

「こちらにどの程度の認識があるのかをまず調査か、妥当だな。一方的に情報を提示するのは好きでは無いが先行投資と思って割り切ろう」

「もうちょっと違う言い方もできそうな気もしますが、本格的に話が進んでいないので次に行きますね」


 そう言って、非常に事務的に質問を重ねていくミコット。質問はあらかじめ考えていたのかもしれない。男も割り切って答えていく。途中、関係あるのか?と疑いたくなるようなものも挟みつつ約20前後の質問を消化する。すべての質問を終えると深いため息とともにミコットが机の上に突っ伏した。


「大丈夫か?」

「大丈夫じゃないことがよく判りました。タヴさんは本当に何も知らないんですね」

「それだけ聞くと俺がどうしようもない馬鹿みたいに聞こえるな」

「馬鹿かどうかは知りませんが、どうしようもないことにかわりありません」


 スパンと切り捨てて説明を続けるミコット。男のことは既にタヴと呼んでいる。


「簡単に言ってしまうと、ここはタヴさんがいた世界とは別の世界でイエソドと呼ばれています」


 ミコットは投げやりな感じで明らかに掻い摘んだだけの答えを語る。本当に面倒さそうだ。


「何か今いろいろと省いただろ。しかし別の世界ときたか、信じられんな、普通は」

「そうですよね、そんなに簡単に信じてくれるような人いませんよね」

「まあ、俺は信じているがな」

「…信じてる感じが微塵も伝わってこないんですが」 


 男、もといタヴも本来なら信じていなかっただろう。だがタヴには自分の身に起きた謎の現象がある。自分のものではない腕と目。現代の医療技術であれば、適合さえすれば移植は可能なのかもしれない。しかし、可能であったとしても三日やそこらで使えるようになるものではない。明らかに現実離れした現象だ。そのことを思えば異世界などというファンタジーも多少は信じられた。もっとも、他人を完全に信用するほど純粋ではない。信じたのはあくまでも可能性があると判断しただけにすぎない。


「本当に信じてるって。ここ、イエソドでは俺のいた場所、地球をマルクトと呼んでいる訳だろ」

「チキュウというのは初耳ですが、概ね正しいです。理解が早くて助かりました」


 このまま信じているかどうかの押問答は無意味と判断してミコットも折れた。しかし、信じてくれたところでミコットの頭には一つの考えがよぎる。


「…随分冷静ですけど怒らないんですか?」


 ミコットは考えてしまったことを思わず口に出してしまった。


「何をだ?」


 その言葉に何を言っているんだという顔でタヴが首を傾げる。


「私が言うのもなんですがこちらの都合で無理やり引き込んだ訳ですし」


 ミコットは口にしてしまった手前補足をする。本当は聞くべきではないのかもしれないが恨まれたまま行動を共にはしたくない。そんな関係は彼女にとって危険すぎる。


「ああ、そういうことか。怒って欲しければ怒るが?」

「そういう性癖はありません」


 納得した様子のタヴはどうでも良さげに適当に返答した。あまりの適当さに真面目に聞いていたミコットは馬鹿馬鹿しく感じてしまう。


「俺はドSなんだがな、残念だ」

「ドS?」

「こっちでは使わない言葉か、要するに他人を痛めつけることに快感を覚える人間のことだ」

「………」


 タヴの巫山戯た対応と聞きたくもない情報にミコットは不快なものを見るような目でタヴを見つめるが、むしろこのやり取りは内容に反して和やかでもあった。


「そんな顔するな。2割方冗談だ。そうだな取り敢えず逆上して復讐、とかはない。まあ、これが経験の少ない子供だったら周りのせいにして殺しに来るかもな」


 これ以上からかい過ぎても可哀想かとタヴは真面目に答えることにしたらしい。


「それが普通だと思いますよ。呼び出したこっちが言うのもなんですが」


 ミコットは少しふすくれた表情で答える。そんな彼女を見て、このちょっとした表情の変化が面白いから大抵の相手が彼女のことをからかってしまうのかもしれないとタヴは考えていた。


「確かにそうかもしれない。あんたらが悪くはあるだろう。そちらに責任がないとは言わない。だが同時にこちらに非がなかったとも言い切れない」


 タヴは一方的に呼び出した側が悪いとは言わなかった。


「まあ事故みたいなものだ。こういう状況で横暴だと怒るのは大抵被害者面だけして自身がそれを避ける努力をしなかった怠惰な奴らだ。生きていれば避けられないこともあるが、避けられたのに避けなかったことっていうのも案外多い。それに受け入れなくちゃならないことっていうのは意外に多いんだよ。今回の場合も俺に知識があれば避けられた可能性もある。あくまでも可能性の話でしかないが、今どうであったかを断定するのは早計だ。情報も少ない。それで一々腹を立てていたら精神こころがもたないぞ。何より疲れるしな」


 鼻で笑うように言い捨てるタヴ。生きていることで遭遇する不条理というのは多かれ少なかれ存在する。タヴは今回の件ですらその程度のことでしかないと言い切ったのだ。


「随分達観した考えですね。お年寄りみたいです」


 予想していたよりも大人な解答にミコットは虚を衝かれた感覚だ。そのせいか搾り出した言葉はどこか皮肉っぽいものになってしまっている。


「うるせぇ。これでもピチピチの二十代だ」


 タヴは自らの頬を摘んでまだ十分に張りがあるだろうとでも言いたげにぷにぷにと弄ってみせる。実際、肌は綺麗なようだがいい年をした男がやるとどこか苛立ちを覚える。というかウザイ。何となくタヴの行動に慣れてきたのでミコットは軽く流すことにした。


「でも異世界ですよ。事故と同列視というのも」

「異世界ねぇ…ミコットだったか、お嬢ちゃんにとっての世界ってなんだ?」

「私にとっての…世界?」


 唐突な質問にミコットは僅かに戸惑いを見せる。そんな少女にタヴは子供に話すような感覚で補足を入れる。


「今までいた世界とは違う世界、そう言われていったい何を考える?と聞いた方がいいか。要するにお嬢ちゃんの異世界に対する感覚だな」

「未知の場所ですから、いきなり連れてこられたらやはり不安ですし、怒りも覚えますよ」


 ミコットは自身が異世界に連れてこられたらどう感じるかを率直に答えた。そして、それは一つの正解でもある。


「確かに、そういう感覚が一般的だろう。だが一方で体験したこともない文化や出会いに胸を躍らせる(馬鹿)者もいるかもしれない。まあ人それぞれ、様々だ」


 タヴは少女の答えが唯一の正解ではないと、当たり前のことを確認させる。そして続けた。


「しかし、そもそも世界とは何処から何処までが世界なんだ」


 ミコットはその言葉に今度こそ本当に虚を衝かれた。そんなミコットの反応を尻目にタヴは尚続ける。 


「イエソドだったか、お嬢ちゃんの言う世界はそのイエソド全てのことだろうな。でもお嬢ちゃんはその全てを把握してるわけじゃないだろ」

「それはそうですよ。行ったことのない所の方が多いです」


 ミコットにとっての世界は、大きくはイエソドと言えるだろう。だがその全てを知ることなどは不可能だ。それは改めて言わずとも当たり前のことでしかない。


「でも行ったことがない場所であっても世界の枠組みには入れてる。その未知の部分は異世界とどれほど違う?」

「それは…」


 ミコットには答えられなかった。黙り込んでしまうミコットに純粋に好感を抱きながらタヴはミコットの代わりに口を開く。


「案外、人にとっての世界ってのは小さいものだ。自分の生まれた国から出たことのない人も多く存在する。そういった人達にとって世界なんていう枠組みは所詮自らの持つコミュニティ程度の小さなものでしかない。異なる文化圏に行けばそこが既に異なる世界、文字通り異世界だ。一方でその異世界を認識することができれば、そこも自らの世界となりうる。世界という枠組みなどどうしようもなく不安定で限りなく適当なものでしかない。人間というのは酷く自分本位な生き物なのだ。全てを自分中心に決定してしまう」


 ミコットが答えた異世界に対する考えは概ね正しい。だが、それとまったく同じことなどミコットの世界にはいくらでも存在しているのだ。ただそれに気づいていないだけでしかない。


「確かにそう言われると世界なんてものは主観的なものでしかないですね」


 ミコットは何か言いくるめられたような、騙されたような、化かされたような不思議な感覚に納得してしまうしかなかった。そして最後に畳み掛けられる。


「今、俺が体験している世界は異世界なのだろうな。しかし、実在している時点でそれは世界だ。俺が認識していなかったに過ぎない。今までいた世界と異なるといっても忌避する理由にはならないし、連れてこられたからと言って怒り狂う程のことじゃない。常識や文化の違いはあるだろうが、国単位でさえ小さな違いは無数に存在する。当たり前のことだ。人は自ら無駄な枠組みを創り、異なるものを嫌悪する。自らの世界を狭めているだけだっていうのにな」


 男は人より少し多くの世界を知っていた。そのせいだろうか、実際に異世界だと言われたところで何の心配も感じなかった。それこそ認識が広がっただけに過ぎない。いつも通りに行動するだけだと考えていた。この時点でここは彼にとってこの世界イエソドは異世界でも何でもなかったのかもしれない。


「結局、知らない外国にいきなり連れてこられた程度の感覚しかないってことだな」


 考えてみれば大したことはない。くぐってきた修羅場の数が違うのだとでも言いたげにタヴは笑ってみせる。


「………」

「ん?どうかしたか」


 一連の会話を終えて黙ってしまったミコット。何かを考えこんでいる様子だ。


「もしかして気を使ってくれてます?」

「ふっ、かもな」


 タヴは肯定するでも否定するでもなく、ただはぐらかす。もしかしたらタヴ自信にも何故こんな話をしたのか分かっていないのかもしれない。その気になれば一言で済ますこともできたと言うのに。


「で、話は変わるがどうやってその異世界とやらに俺を連れてきたんだ?」


 タヴは不自然にならない程度に話題を変えた。この話はここまでにしようと、言葉にせずにミコットに伝える。ミコットもそれを察してか聞かれたことに自然に答える。


「召喚関連の大魔術です。私も召喚術の知識は乏しいので詳しくは説明できませんが」

「魔術ねぇ。まあ来るとは思っていたが一応聞いておくか。何なんだそれは?」

「一々引っかかりますが、こちらも一応対応します。ところでマルクトには魔術の概念がないんですか?」

「概念はあるな、一般的には超常的な事象を何らかの行為によって実現しようとする手段。あくまでも儀式的なものであって現実世界に干渉できるような実利的な効果はない精神的な活動といった認識か」


 タヴは偉く捻くれた魔術の概念を語る。間違っていないが夢がない。嫌な大人の考えだ。


「こちらで言う魔法と一括りになってる感じですかね」

「魔術と魔法は違うのか」


 タヴは魔術や魔法といったオカルトにちゃんとした定義があるらしいことに驚きを覚える。


「全く違います。魔術は理論的に構築された技術ですね。対して魔法は現実に起こり得ない空想、人の理り超えたるモノです」

「なるほど、体型的に確立されてる訳か、こちらで言う魔術がどういうものを言うかはわからないが現象が理解され法則が導かれているならそれは一つの技術といっていいな。その技術を使って俺を連れてきたのか」

「そうです。私の主がパスをつなげてここに召喚しました」

「パス?」

「経路とかつながりと言う意味です。道を作ったと考えて下さい。普通はイエソドからマルクトへの道なんですが、無理やり逆方向の道を作ったんですよ」


 タヴは無理やりという言葉からして自分のいた世界からイエソドに来るのは大変なのだろうと類推する。もっとも、無理やり呼ばれた本人としては知ったことでもない。


「そのパスの名前がタヴなんです」

「そこを通って来たからタヴと名付けてくれたのか、安直だな」


 安直で悪かったですねと拗ねるミコット、嫌なら名を名乗れと言わんばかりに睨みつけている。


「で、セフィリアといったか、お嬢ちゃんのご主人様は」

「よく覚えてましたね。すっかり流されたと思ってましたよ」

「こちらにとっては貴重な情報だからな。それでそのご主人様は今いま何処に?」


 自分を呼び出した張本人は何故一番に顔を出さないのかと遠まわしに聞いたつもりであったが、どうやらあまり聞いて欲しくないことであったらしい。目に見えてミコットの表情が暗くなっている。


「そうですよね。これが当然の流れです」

「都合が悪いなら後でも構わないぞ、留守か」

「今もこの屋敷内にいます。けど対応できる状態ではないんです。セフィリア様の行なった大魔術はとても規模の大きなものです。最高位の術師が100人がかりで執り行うほどのものになります」

「この屋敷にそれ程人の気配はしないと思っていたが」

「セフィリア様一人で行使しました。無謀にもたった一人で。その代償として傷を負い、今も床に伏せています」


 どこまでも真剣な顔のミコット。危ない状況なのかもしれない。召喚される前の状態を考えればセフィリアの命を犠牲にして生き延びたようにも感じられる。タヴはどうしようもなく遣る瀬無い気持ちになっていた。


(自分の預り知らぬ所とはいえ、歯痒いものだな)


 セフィリアというミコットの主人が床に伏せているのはタヴのせいでは無い。むしろ自業自得の部類に入るだろう。どれほどの理由があったかは判らないが、タヴが気に病む必要の無い事柄だ。しかし、同時に命を救われたのも事実。

 召喚がどのように関与していたかはわからないが、それがなければタヴは確実に死んでいただろうと考える。


「目覚める気配は」

「ありません。もう三日、目を覚ましません。傷は治したんですが、魔力を通り越して根本的な生命力まで消費しているようなんです。現状、手の打ち用がなくて」


 魔力や生命力など気になる言葉が出てきたが理解したところで無駄であろうとタヴは流すことにした。そんなことよりも対応策を考えるのが先決だ。


「医者は?」

「事情が有りまして、連れていけない状況です」


 そういえば仮にも王族だったのかと思いタヴは言及することを避ける。


「薬とかは無いのか?」

「ここにはありません。手に入れるにしても私がここを離れる訳にはいかないので」

「ここには無いってことは、別の場所にはあるんだな」

「それは…」


 タブはそれを聞いて胸の前で手を組み何かを考えている様子を示す。あくまでも考えているポーズを演じているのだろう。考えるまでもなく結論はでていたのだから。


「俺が行こう。礼もしたいしな。場所を教えてくれ」


 ミコットの答えを待たずにタヴが告げる。


「お礼、ですか?」

「まあ、こっちの都合だ。気にするな」


 召喚される前に殺し合いをしていたなどとは説明しない。説明したところで少女を怖がらせるだけだろう。


「なんにしても、お客様にそんなことさせられません。という以前にこの世界の一般常識が無い貴方を一人で行かせるのに抵抗があります」

「それについては大丈夫だ。職業柄知らない世界は慣れている」

「職業?」

「こう見えても潜入工作のプロフェッショナルだからな」


 自信満々に答えるタヴ。それを聞いて、どうやらとんでもない人物を呼び出してしまったとミコットは頭を抱えた。

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