第十三項
連載再開、読んでくれている人に感謝。
バトルは苦手だと再確認した今日この頃、取り敢えず投下。そのうち直す!
灰燼の腕と呼ばれた黒い腕。それはミコットの持つ切り札の一つである。
組織が変質するほどに酷使した腕は己が持つ炎の術を極めた証であると同時に大きな代償でもあった。特殊な魔術を施した布で覆っておかなければ空気に触れただけで激痛が走り、まともに動かすことも叶わない。
だから周囲の空気を全て燃やす。薄らと赤みを帯びて燃え上がる黒い腕。炎を纏いて真紅に揺らめくその腕は、炎の中でだけその役割を果たすことができる。ミコットの真の炎はこの腕でしか使えない。また真の炎の中でしかこの腕は使えない。
極めたが故の限定的な力。それが灰燼の腕だ。
(今の状態じゃ片腕だけ…もって5分…)
自らの魔力残量ではそれが限界、その5分のうちに目の前の敵を始末しなくてはならない。そう決めて一つ魔術を行使する。ミコットを中心に展開される魔方陣、それはロプトの位置を軽々と越え辺り一面に大きく広がった。
「伝達阻害系の術式ですか。なるほど、これでは卵に命令ができない。一番の懸念が消えた訳ですね」
自らの切り札である人質が一時的にとはいえ無効化されたというのに、ロプトは表情を崩さない。その目はミコットの腕だけを見逃すことが無いように見据えている。
もっともミコットはロプトの言葉など気にはしない。もはや言葉を交わすつもりはない。唯々標的を殺すことのみを考える。ミコットは右腕に収束する炎、それは驚くほどに静かだ。派手さなどない。遠くから見ればただ腕が赤白く光っている様にしか見えないだろう。それを見てロプトは思う、恐ろしいと…
派手な攻撃というのは一見して強力に見える。周りに及ぼす影響も大きい。だがそれは同時に無駄なエネルギーを周囲に拡散させているに等しい。
単純に人が相手であれば何も周りごと吹き飛ばす必要などない。ただ相手を倒すことさえできればそれでいいのだ。極端な話相手を無力化する程度の威力さえあればそれでいい。
だが、この世界に於いては身を守るための魔術障壁というものが存在している。それを含めて相手にダメージを負わせるには結局のところ大きな破壊が必要になる。その調整こそが魔術を使い命の殺り取りする者たちの力量であるともいえる。
そんな常識を無視するのがミコットの腕だ。
術式も何もない。ただその身に持つ魔力を熱エネルギーに変換し、腕にとどめるだけの行為。魔力制御の究極系ともいえるそれは触れたもの全てを灰燼に帰す。こと単一の攻撃力でいえば魔術の中でも最高峰に位置するであろうそれは、相手の障壁など紙くずの如く吹き飛ばし肉体を抉りとる。しかし、万能というわけではない。性質上その力は近距離でしか意味をなさない。
ミコットは疾走する。その手を怨敵に届かせるために。
駆け抜ける軌跡を追う様にして流れる炎の線が幻想的に辺を照らす。吸い込まれそうになるその光はロプトですら見蕩れてしまう程美しい。
だが、見た目こそ美しいがその線は触れれば命を奪う死の線である。それを理解しロプトも身構える。
先の奇襲に使った空間振動系の魔術は使えない。あれは多少の時間を必要とする。発動する前にミコットはロプトの懐に飛び込んでいるだろう。よしんば発動が間に合ったとしても広範囲に影響を及ぼすそれは自分自身を巻き込み兼ねない。それを理解してミコットも近接戦を選んでいる。
一方で、ロプトもミコットの腕に対する情報は持ち合わせていた。
交戦の可能性も十分に考慮している。無論、対応策も用意してはある。仮に用意していなくともロプトは数多くの魔術を扱うことが可能だ。魁蟲を使って集めたその特性を出し惜しみせずに使えば勝利を掴むことは容易い。だが…
(殺せないというのは不便なものだ)
ロプトは頭の中だけでため息混じりに不平を漏らす。彼の目的はあくまでも召喚物の奪取である。事前に侵入させた蟲で観た限り召喚主である第四王女は死に体だ。今、召喚物についてまともな情報を持っているのはミコットだけということになる。おいそれと全力を出せる状況ではない。
拘束などできればいいのかもしれないが、そのためにはあの厄介な腕をどうにかしなくてはならない。灰燼の腕を押さえつけられる程の術は限られる。そして戦闘中に直ぐ様使えるようなものでもない。ロプトは気が進まないながらも出方を決める。
薄紫のローブから顕になる腕。その腕は病的なまでに白く、細い。しかし微塵も弱々しさを感じさせることはない。そこに感じられるのは圧倒的な嫌悪感、その形は命を刈取るために渇いているかのようにさえ思える。
そしてロプトの腕が伸びる、文字通りの意味で。腕を這うようにして現れる蟲の群れ、それが一瞬のうちにロプトの腕を覆い尽くした。いったいこれ程の量の蟲を何処に隠していたというのか。瞬く間に膨れ上がったその腕は軽く大人三人分はあるのではないかと思える大きさへと様変わりしていた。
ロプトはその大腕を見せびらかすかのように天に掲げると大きな握り拳を作ってみせる。これから行くぞと言わんばかりの行動。
振り下ろされる大椀、眼前に迫った驚異に悪寒が走る。だがミコットは逃げない。自らの腕が秘めた絶対的な力を信じ、ただ腕を掲げるだけで突き進む。
そして衝突の瞬間、蟲の大腕の拳は灰へと帰した。
(っつ!ここまでのものなのか!)
余りにも呆気なく消失する大腕。予想していたとはいえロプトも驚きを禁じ得ない。手応えが有るとか無いとかいうレベルの話ではないのだ。触れる瞬間、既にその拳はその空間に存在することが許されないかのように散った。これがミコットの腕が灰燼の腕といわれる由来である。
その力の本質たる制御能力はミコットの腕に熱を留めるためだけのものではない。腕の効果範囲であればその力をもって自由に熱エネルギーの移動を行うことができる。即ち、触れさえすればその個体に熱を送り込み、完全に消失させることが可能なのだ。
反則に近い一撃必殺。それがミコットの持つ切り札である。
そんな有り得ないものを目の当たりにしてロプトは僅かに笑う。圧倒的な力ではある。あらゆる魔術に精通するロプトとて灰燼の腕を再現することはできない。だが、対応できない訳ではないと確信を持った。何より今、ロプトは無傷で生きているのだ。それは即ち、触れただけでの一撃必殺を回避したことにほかならない。灰となったのは大腕の拳のみなのだ。
ミコットもそれに気づき顔を歪める。どのような相手であれ、体の一部に触れれば倒せる。しかし、ロプトにはそれが意味をなさない。謂わばトカゲの尻尾切り、無尽蔵とも言える蟲で構成された腕は本体に熱が伝わる前に切り離される。
ロプトの周りに尽きることのない壁があるのと同じだ。厳密にいえば底はあるだろうが、底に達するより先にミコットのタイムリミットが到来する。そう、魔力切れである。
ミコットは思う。このために洋館内で蟲をけしかけていたのだと。最初からロプトは穏便にミコットを無力化するつもりだったのだ。
(……届かないっ)
涙が滲むのが解る。あれほどまでに決意したというのにこの様だ。情けない。
そう感じている間にもロプトは動く。消えてしまった大腕の拳を元に戻すのに必要な時間など無いに等しい。ミコットが幾らでも命を消せるように、ロプトも幾らでも命を盾にできるのだ。その力は拮抗する。
新たに生える拳、だがそれだけでは終わらない。その巨大な五指から生えるは新たな拳。一つの手から生まれる五つの腕は、同様に枝分かれを繰り返す。5が25、25が125、そうして一気に数を増やしや腕はミコットに群がっていく。人間サイズの腕が約1万5千本、もはや網といっていい蟲の縄がミコットを襲う。
(それでもっ!)
諦める訳にはいかない。少女はただひたすらに前へ進む。
囲むようにして迫る蟲の腕、それに合わせてミコットは舞う。描かれる炎の軌跡は螺旋を描き、少女は近づく命の灯火を飲み込んでいく。残滓を残し次々に消えていく蟲達、それでもその勢いは衰えない。辺りは何時の間にか蟲の灰に覆われていた。
黒い野の上で一人舞う少女。まだ行ける。まだ殺れる。そんな思いに身を委ね、がむしゃらにその腕を振るう。だが、その舞台も長くは続かなかった。その均衡はミコットが予想したよりも早く崩れ去る。
「っつ!」
ミコットが苦痛の表情を浮かべる。魔力切れではない。脇腹に走る激痛、思わず前のめりになり動きが止まる。
何が起こったのか理解できなかった。反射的に痛みの走った部分へと視線を送る。
そこには一疋の蟲がいた。
ミコットは周りを見て唖然とする。蠢く黒い絨毯。まるで一つの生き物のように脈動するそれは散ったはずの蟲達だ。殺しきれなかった蟲の群れ、この一疋はそのうちの一疋でしかない。
大腕を形成していたのは所詮蟲、だが等しく命は持っている。その一つひとつを潰さない限り個体として動き続けてしまう。自分の身を守るために盾にすることが可能なのだ。ただ一疋の蟲を守るために他の蟲を盾にすることも可能。灰の中に紛れ込ませることなど容易いというものだ。
厄介、その一言に尽きる。ミコットは蟲の特性を理解するとともに、そのいやらしさを痛感していた。その汎用性は余りにも高い。
直ぐ様脇腹の蟲を叩き落とす。大きな外傷はない。だが、痛みは消えない。朦朧とする意識と共に片膝を付いてしまうミコット。
「毒っ!?」
「致死性ではないのでご安心を」
勝負あった、という表情でロプトが言う。万全ではない状態に毒まで貰ってはさすがに勝機はない。思ったよりよりも楽に済んだ。ロプトはそう思った。弄した策を全て使うこともなく終わってしまったが、それは悪いことではない。前もってミコットの魔力を削っていた成果でもある。
「大丈夫、従ってくれれば解毒はしますよ。まあ、仮に従わなくとも蟲を入れれば直ぐに従順になれますから」
丁寧に話しかけてくるその声は、毒のせいだろうか、嫌にしっかりと頭の中に入ってくる。ミコットの神経を逆撫でするように、彼女の努力を嘲笑うかのように頭の中に谺する。
「………な」
俯きながら何かを呟くミコット。
「……るな!」
その声は膨れ上がる気持ちと共にその大きさを増していく。そして、
「舐めるな!」
全身を奮い立たせて少女は咆哮した。ロプトは彼女の決意を甘く見ていたのかもしれない。
ミコットは迷わなかった。何の躊躇いもなくその赤白く輝く破壊の腕を自らの脇腹に突き立て、抉る。自分の体だ、どの程度まで耐えれれるかなど自分が一番分かっている。
毒を解析して解毒している余裕などない。ならば患部ごと吹き飛ばしてしまえばそれでいい。多少の毒は回ったが、大部分は外傷を負った部分に留まっている。そんな邪魔な肉などに未練はない。既にある意味で腕を捨てた人間だ。後どれ程肉体を失おうとも大差などない。
消し飛ぶ脇腹の肉、出血は焼いて止める。そこから組織を覆う程度の治療術式をかければ終わりだ。自分はまだ戦える。この程度で諦めてなどたまるものか。
「まだ…これからです!」
しっかりと両の足で立ち上がるミコット。息は荒く、焦燥しているがその目はまだ死んではいない。むしろ先ほど以上の闘志を秘めている。それの瞳を前にロプトは、
「ふっ、最高ですよミコット=ルノアール。それでこそ席に座る人間というものだ!」
初めてミコットの前で感情を顕にした。とても嬉しそうに、とても楽しそうに、何の意識をせずとも笑みがこぼれる。それは酷く歪でありながらも、純粋な笑み。
化け物同士の戦いはまだ始まったばかりだ。
◆◇◆
『逃げて!』
そんな少女の叫びと共に世界が歪んだ。
一瞬の出来事で対応できなかったものの命があるのはその少女のおかげであろうか。まさかあんな年端もいかない少女に助けられるとは思っていなかった。助けに来た側だと思っていた自分が情けない。強面の騎士、ゴードンは横たわりながら考えていた。
最善の注意を払い接触を試みたつもりであったというのに、これ程簡単に看破され一纏めに倒されてしまうなどあまりに格好がつかない。ロプトという男を甘く見すぎていた。それでも魔力視などという希少な力を持っているなど予想は出来まい。一応の落度は無いと言える。
ゴードンは振り返る。一連の事件を、今起きている戦いを。大まかな真実は見えつつある。それでも、まだ足りない部分が多過ぎる。少なくとも今あの少女、ミコットを失っては駄目だ。それ以前にあれ程健気に戦うミコットを見捨てられるものか。そんなことをすれば騎士などとは二度と名乗れない屑に成り下がるだろう。
だが、動けない。
その身に受けた衝撃が大きすぎた訳じゃない。意識がはっきりしない訳じゃない。それでもゴードンは助けに行けずにいた。
(……あれは無理だろ)
薄目を開けて確認する先には美しく舞う少女と不気味に蠢く蟲男。余りにも現実離れした化け物バトルに若干引いていた。
(助けに行きたいのはやまやまなんだがなぁ)
そもそもこの騎士、最初から気を失ってなどいない。むしろ五体満足、ほぼ無傷の健康体である。
(……俺がいっても三秒もたないんじゃないか?)
ゴードンという男は歴戦の騎士だ。数多くの戦場を渡り歩いた経験は伊達ではない。一般の騎士に比べれば遥かに強いだろうし、魔術の腕も確かだ。頭もきれる。
だが、それだけだ。あそこまでレベルの違う相手と殺り合える自信は彼にはない。
また、ゴードンが今まで生き残れたのは偏にこの臆病さが理由でもある。危ない者には近づかない。自ら危険に近づくなどただの自殺志願者と変わらない。
彼が他者より絶対的に優れている所があるとすればそれは観察眼であろう。
相手の実力が的確に解れば無理をしなくて済む。何より安全な作戦も立てられる。その代わりに積極的な武功は立てられず今の地位に居るわけだが、死ぬよりはずっとマシだ。同期で死んでいった騎士など星の数ほど存在する。生き残って上層部にいる人間など数える程度しかいない。
だが、今回はその観察眼も上手くは機能しなかった。状況をみる力が優れているとはいえ、それは魔力視や別の特異能力からくるものではない。その観察力は謂わば経験からくるものなのだ。だからこそ、経験にないものは予想できない。
今まで出会うことのなかった本当の化け物達の実力など見抜けるものではない。こうして戦いを目にしている今でも理解出来ていないのだ。まさに別次元の戦いである。そこに自分のような一介の騎士が入っていけるというのか。考えるまでもない、ただの足でまといだ。
幸い、上司であるバーンズは完全に意識を失っている。あの向う見ずが勢いで飛び出せばさすがに割って入らなくてはと思っていたが、その心配はない。後は隙を見て離脱。残りの隊員を招集して信頼できる上層部の人間に報告すればいい。
そう考えていたとき戦況が動いた。
膝をつくミコット、一目で解る疲弊。今度ばかりはゴードンにも理解できる状況だ。これで終わる。ミコットには悪いが助けられなどしない。
だが少女はそもそも助けなど求めていなかった。
少女は叫んだ。嘆きでもなく、諦めでもなく、逃避でもない。ただ自分を奮い立たせるための咆哮。その言葉はゴードンの耳にまで届き、胸を打つ。
(……俺は…何をやっている…)
ただ保身のために動けなかった自分を思い、情けなさが込み上げてくる。
(何時からだ……何時から俺はこんなにも臆病になった…)
ゴードンはゆっくりと体を起こし、立ち上がった。
「まさか、あんな子供に教えられるとはな…」
今まで幾度となく拾った命だ。ここで捨てても問題はない。否、ここで捨てることで意味を持たせるもの悪くはない。ゴードンは信じられないほど清々しい気分で死地へと足を踏み入れた。
◆◇◆
決意の咆哮と共に再び相対する二人。他の術師の想像を超えた力を持つ二人の戦いはもはや別次元。立ち入ることのできない二人の世界といっていいかもしれない。
だが、そんな一体一と思えた戦いに割って入る無粋な者が現れた。
そんな空気の読めないその男の名はゴードン。先程まで気絶していたと思われていた強面の騎士だ。何か吹っ切れたような清々しい顔で現れたゴードン。それを見てミコットは驚きの、ロプトはあからさまに嫌そうな表情を浮かべる。
「お楽しみ中悪いな、混ぜてもらうぞ」
やたらいい顔でほざくおっさん。まるで物語の主人公がヒロインのピンチに駆けつけたかのような状況にミコットは目をぱちくりさせている。
「いいところなんですよ……邪魔をしないでいただけますか」
それに対して全く別の感情を抱いているのはロプトだ。ゴードンはその怒りに満ちた声に気圧されそうになる。今までに感じたことのないレベルの殺意。それだけで実力の違いを見せつけられる。だが、今更謝って許してもらえる訳もない。ゴードンは開き直りにも似た感覚で答える。
「言っておくが先に手ぇ出したのはお前だぜ。殺るなら確実に殺るべきだったなぁ」
もはやゴードンとロプトの関係は仲間でも何でもない。かしこまった言葉遣いもなくなり素の状態で話すゴードン。これが本来の彼なのだろう。非常に生き生きとした面持ちだ。自棄糞ともいうが。
「貴様程度が入ってくる意味があると思っているのか…寝ていればいいものを……」
「正直勝てる気はしねぇよ。それでも引けねぇ時ってもんがあるんだよ。俺みたいなおっさんには、特にな」
ゴードンはミコットの後方から近づきながら続ける。
「嬢ちゃん、邪魔かもしれないが助太刀させてもらう。あんたの決意、胸に響いた。感謝する」
そうしてそのまま前へ出る。ちょうどミコットを背にした形、ロプトに一息で近付ける距離だ。改めて相手にしようとしている化け物を直視し、ゴードンは自分の無謀さに笑ってしまう。だが、その笑みはどうやら違った意味に解釈されてしまったようだ。ロプトの顔がより一層険しくなる。
「反逆者の見方をすると…」
それは確認の言葉。
ゴードンが攻撃されたことにしても、それは彼が命令に背こうとしたためだ。ロプトのやり方にも問題はあるが間違ったことはしていない。それにロプト自身始末するとは言ったものの、その実、命まで取ろうとは考えていなかった。
確かに外部に漏れてはいけない情報ではあるが、一介の騎士に知れられてどうにかなる問題でもない。そして生かしておいても使い道はある。
今は、ただ単にミコットとの交渉の邪魔になると思い排除したにすぎない。彼の誤算は考えていたよりもミコットが慎重でなかったということだろう。直ぐ様戦闘になるとは考えていなかった。
それらを踏まえて拾った命を、再度反逆者であるミコットに肩入れして失っていいのか?というロプトなりの最後の譲歩だ。
その言葉の意味をしっかりと理解してゴードンは答える。
「……そう言えばそうだったな。だがな、もうそんなことはどうでもいいんだよ。命令も常識もどうでもいい。この際てめぇが俺を殺そうとしたことも忘れてもいい。ただ俺はこの嬢ちゃんの侠気に惚れた。ただ、それだけだ。味方をする理由なんてそれだけで十分だろ」
立ち位置の決定した瞬間であった。もはやゴードンが騎士に戻ることはないだろう。ロプトはゴードンを殺すべき邪魔者として扱うと決めた。先程のような情けはかけない。
「侠気って…」
そして一人置いて行かれる少女、侠気に惚れたと言われても嬉しくはあるまい。
そんなことよりも今は疲労と痛みで頭が回らない。それでも、暫しの問答で冷静さは取り戻せて来ている。ゴードンが割って入らなければ力尽きるまで戦っていたかもしれない。協力も彼女にとっては有難い。だが…
(……時間がない)
自らの腕を見て思う。冷静になる時間は得られたがその分のロスは痛い。灰燼の腕は途中で止められるようなものではない。残った魔力を既に熱に変換してとどめている状態だ。一度止めればエネルギーは霧散して消える。もう一度使うことなどできない。
そんなミコットの状態など知らずに、勢い付いたおっさんは突っ走る。
「それになぁ……」
ゴードンは剣を構え集中する。
握られた装飾剣が淡い光を放つ。武器への魔力付加、魔術を用いた近接戦闘で必須とも呼べる術式だ。しかし、ゴードンの場合はそれだけではない。騎士の象徴ともいえるその剣についた装飾は、何も飾りのためだけについている訳ではない。それは己の行使した術式を安定、増幅させる一つの魔術式。紛いなりにも多くの戦場を生き抜いてきたのだ。それなりの装備は持っている。
「どう見てもめぇの方が悪者だろぅが!糞蟲野郎!」
大地が爆ぜる。その巨体をまるで弾丸のように押し出す脚力は相当なものだ。辺に充満していた蟲の灰を巻き込み砂埃と共に一面にまき散らす。そして顕になる蟲達。
灰に隠されていた蟲は決して多くはなかった。それを確認し、ゴードンはその剣に力を込めて横薙に一閃した。彼を中心に吹き荒れる突風。蟲は散り散りに飛び、彼方へ消え去っていく。
それは人がその身一つで起こせる現象ではない。何らかの魔術を行使したのは明らかであった。
(風の魔術……?でも、何か違う感じが…)
ミコットはその一部始終を見ながら漠然としかその魔術の正体がわからなかった。どうやらこの男も一癖ある術者であるようだ。
「はっ!随分軽いじゃねぇか!」
「ほざくなよ…小童が!」
ロプトは予想外にゴードンの腕が立つことに驚いていた。仕掛けた蟲達をこうも簡単に吹き飛ばされるとは考えていなかたであろう。
綻びを見つけたとはいえ王家クラスの結界に対処できていた事を思えば魔術の能力が高いことは疑いようがない。当然、ロプトもそういった方面では警戒もしていた。
しかし、結界に対処するための魔術知識と戦闘を行うための魔術知識は全くの別物だ。両方を高い水準で修めている者など殆どいないと言っていい。
居るとしたら少なくとも王直属の近衛騎士団か特殊な任務を請負う裏方ぐらいだ。それもその中で上位に属する人間達に当てはまる特徴。それだけの力を持っていて一般の騎士と同じ地位に居るとなど考えつくことではない。
ロプトはゴードンの意外な実力を前にほんの僅かだが身を引き締める。
とはいえそれはロプトから見れば大した驚異にならない強さだ。だが、放置しては後に響かないとも限らない。
ロプトは先ほどと同様に蟲の縄を伸ばす。だが、今回はそれは少し違った。先頭を鋭く螺旋状に加工している。謂わば蟲の杭。相手を貫くことだけに特化させたその杭を大量に展開していく。そのまま串刺しにして終わらせるつもりだ。
杭を撃ち放つロプト。蟲で作られたそれは使い捨ての武器としても機能する。何も自分の体につながっている必要はない。迫り来る杭はゴードンのその巨大な体躯を的確に捉えていた。
しかしどうして、その杭はゴードンに触れることはなかった。
たたき落とした訳でもなければ、全てを防ぎきった訳でもない。
杭を撃ち放った瞬間、既にゴードンはロプトの鼻先まで迫っていたのだ。
「てめぇの方がどう見ても年下だろう……」
そんな言葉が耳に届く。ほんの数メートルしか距離がなかったとはいえ余りにも常軌を逸した速度にロプトは珍しく驚愕を覚える。
「舐めた口聞いてんじゃねぇ害虫が!」
その圧倒的な速度から繰り出されるは単なる当て身。唯の当て身と侮るなかれ、気合と共に放たれたその渾身の一撃は軽々とロプトを弾き飛ばす。
ロプトさえも反応できなかったその速度を可能にしたのは局所的な気圧操作、わかりやすく云えば風の魔術の一種である。だが、一般のものとはだいぶ異なると言っていい。一般には風そのものを作り出すことが多いがゴードンのそれは違う。風は二次的なものでしかない。ミコットが違和感を感じたのもそのためだ。
速度を上げるのであれば魔術によって作り出した風に乗るというのが一般的である。追い風を受ける形に近い。しかしゴードンは圧縮空気を用いて自分自身を打ち出す方法をとった。さながらその体が空気銃の弾丸ででもあるかのように。
空気銃の威力と云うのは案外馬鹿にならない。空気銃といえば遊戯銃としてのエアソフトガンを思い浮かべるかもしれないが、実銃としての空気銃は標的射撃競技や狩猟に用いられ十分な殺傷能力を持っている。その弾丸が人間サイズになったといえばその恐ろしさがわかるだろう。謂わば人間大砲、そこに秘められた運動エネルギーは細身の成人男性一人を吹き飛ばすには十分すぎるものだ。否、十分どころか余りある、直撃させれば人を殺しかねないレベルのトンデモ当て身である。
まともにくらっては如何にロプトといえど無傷では居られない。吹き飛ばされたその身は木々を薙ぎ倒し森を破壊していく。トラックに跳ねられた方がまだましと思える光景だ。
「っちぃ!硬い!」
だというのにゴードンはその手応えに不満を感じていた。肩を被っていた軽鎧がこぼれ落ちる。その衝撃に耐え切れず壊れてしまったのだろう。そしてその下には赤く腫れ上がった肩。半ば捨て身の体当たりである、自身にダメージが無い訳がない。
その上、肩に受けた感触はあまりに硬かった。何をしようとも自分の実力では突破することのできない化け物の障壁。それを理解した。
そんなゴードンの気など知らず、ロプトは森の中のっそりと立ち上がる。口元から僅かに滴る血液。久方振りに感じるその味に高鳴りを覚えながら、蟲使いはその力を開放する。
森の奥からゆっくりと来た道を戻るロプト。だが足音はしない、何かを引きずるような効果音が不気味に響く。暗闇から這出たそれはもはや人の形をしてはいなかった。
そこに居たのは蟲、一疋の蟲だ。されどその口は人を飲み込める程大きく、その腕はどのような刃物よりも鋭い。幾重にも重なった外殻は鋼よりも硬く、その複眼(目)は全てを見通せる程に透き通っていた。
人を超えた本当の化け物がそこにはいた。
「おいおい、冗談だろ」
さすがにこれには笑うしかないといったゴードン。そして剣を構え直す。
「さて、化け物退治としゃれこむとするか!」
窮地に陥ったときこそ背を向けられないのが漢というものだ。臆することなく立ち向かおうとするゴードン。その背中はまさに漢の背中。その光景を見てミコットは、
「……あれ?私、置いて行かれてません?」
一人勢いについていけず呆然としていた。