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第十項

 普段人が足を踏み入れないような森の中、辺は既に暗くなろうというのに数人の人影が蠢いている。そこはミコットの立て篭る洋館からちょうど南東に一キロの地点。洋館に張られた結界の境界線の位置する場所であり、タヴが通り過ぎた結界の境界面である。


 その境界面の手前で強面の男が何やら忙しく作業をしている。


「どうですかゴードンさん、解呪は出来そうですか?」


 作業をしている男、ゴードンに話しかけたのは精悍な面持ちの男性。軽装ながら高級感のある鎧を纏い、腰にはファンタジーに有りがちな装飾剣。所謂、騎士といった風貌の美男子だ。


「これはこれは、バーンズ副隊長殿自らお声をかけていただけるとは恐縮です」


 どこか皮肉めいた言い回しで返すゴードン。年の程は一回り以上は離れているだろうか、ゴードンは脂の乗った働き盛りといった感じであるが、バーンズと呼ばれた美男子にはまだ幼さが残っている。


「そんな言い方しなくてもいいでしょう。気に入らないのは分かっているけど人事は僕が決めたことじゃないんだから」


 不貞腐れて答えるバーンズ。上官としては些か頼りない感が否めない。見た目だけでなく中身もまだ成熟しきってはいないようだ。


「別に副隊長のことだけが気に入らない訳じゃありませんよ」

「……僕のことを気に入らないのは否定しないんだ」


 困り顔のバーンズだが、気にしている様子はない。今に始まったことではないのだ。

 

 事の始まりは第四王女の偽物騒ぎ。

 メレク王国第四王女であるセフィリア=シューレ=メレクに化けた賊が城内に侵入、目的は不明。被害も不明。後に多数発見されたという諜報関連の魔術痕跡から、他国のスパイか反体制組織の仕業と考えられているがその詳細も明かされていない。


 不明な点が多いため、大部分は国民に公表されていない。それどころか城内でも殆ど情報など出回っていない。しかし、侵入の翌日には第四王女の偽物に懸賞金がかけられていた。上層部の判断という話だがこちらも詳細は不明なままだ。わざわざ失態を晒すような真似をしたことに疑問を持つものは多い。


 また、偽物は第四王女付きの従者であるミコット=ルノアールによって手引きされたとされており、同時に手配もかけられている。


 更に、この事件の責任を取らされる形で内々に大規模な人事移動が、非常に迅速に、あらかじめ決められていたかのように行われた。今、バーンズが副隊長、メレク王国騎士団第3陸戦中隊副隊長という地位に付いているのもその移動によるものだ。


 任命されて10日あまりが経過したがまったくもって出世したという実感はない。もっとも、ある意味で副隊長などという面倒な役職に付いてしまったことの実感は持っていた。嫌というほどに。


 副隊長といっても中堅部隊の中間管理職でしかない。常に上下からの板挟み状態、若さ故か部下からは舐められ、上官からは相手にされない。それでも異例な抜擢に変わりはなく、周りから見ればやり手の出世頭。疎ましく思うものは多い。まさに針のむしろである。


 そんな中、まともに取り合ってくれたのは目の前にいる強面の男、ゴードンだけであった。会話を聞いてもわかるように二人の間柄は良好なものではない。ゴードンはこの若い上官を嫌ってすらいる。だが、それは実力面や上層部の不合理な人事に対する怒りからくるもので、バーンズに対する妬み、嫉みの類いの感情ではなかった。


 ゴードンという男は、新たな副隊長の力量の程を正しく理解した上で彼の現状を芳しく思っていない。つまりは、地位や建前からではなくバーンズという人間そのものを評価した。そういった扱いをしてくれたのはゴードンのみである。その評価がたとえ良くないものであったとしても、バーンズにとっては唯一と言ってよい理解者となった。

 

 幸か不幸か、ゴードンはこの若い副隊長に気に入られ、もとい懐かれてしまっていた。


「否定しないも何も、最初からいけ好かないと行っているでしょう」

「酷いな。僕はこんなに慕ってるのに」


 とても上官に対する対応とは思えないが、このやりとりがバーンズにとって憩いの一時になりつつある。それ程にこの部隊は荒んでいた。


「っと解呪の話でしたね」


 ゴードンが思い出したかのように話を戻す。上官からの質問に答える義務があるというのもそうだが、それ以上にこの若い上官の遠慮のない好意がむず痒い。ゴードンはバーンズの反応を待たずに言葉を進める。


「最初に言ったようにこれは解呪なんかじゃないです。これは偶然見つけた穴を無理やりこじ開けてるだけです。確実に開けますが時間はかかりますよ」


 そう言って指し示した先にはぼんやりと歪む小さな空間。その中心には人の腕一本分程度の穴が空いている。穴というと語弊があるかもしれない。ぼやけた空間の中心だけ空間が歪んでいない状態だ。


「僕にはいまいち違いが分からないけど、こんなのが偶然見つかって運がよかったよ」

「…運ですかねぇ」


 彼らがこんな場所にいるのは、先の偽物を捕らえる命を受けたためだ。命令を受けたのは五日前、偽物が潜伏している可能性のある場所の捜索という名目で派遣された。急な移動でごたついていたこともあり到着までに二日を要し、到着後二日間も指定区域を捜索するも資料にある洋館は一向に発見できないでいた。

 

 しかし、途方に暮れ半ば諦め始めていたそんなとき、それは予期せぬところから現れた。


 突如として現れたかと思えば脇目も振らず一直線に駆け抜ける人影。視界と足場の悪い森の中をまるで草原を駆け抜けるように疾走していった。その人影を発見できたのは本当に偶然でしかない。辺を捜索していたバーンズとゴードン、他数名が偶然居合わせた。


 二日間探しても建物どころか人影一つ見つけられていなかったバーンズ達にとっては唯一の手掛かりである。偽物のことを知らないにしても何かしらの情報が得られる可能性は高い。何としても捕らえなくてはならなかった。


 だが、そんな思いも虚しく砕かれることになる。追われている事に気づいたであろう人影は更にスピードを上げた。それだけなら、まだ食らいついていくことも出来たかもしれないが森の中という地の利を上手く活かされアッという間に離されてしまった。人の通れないような木の間をスルリと抜け、邪魔な枝を難なく躱し、足元の沼を軽々飛び越えて行く謎の人影、そんな者に追いつける超人などバーンズの部隊には誰一人として居なかった。


 最後まで追っていたゴードンも突如として降ってきた巨大な木の実の雨に穿たれ転倒。結局見失ってしまう。ゴードンの頭には痛々しい打撃痕が今も残っている。木の実は逃げていた人影が走りながらにでも集めていたのだろう。用意周到である。


 せっかく見つけた手掛かりを簡単に失い部隊の士気は下がる一方であった。ただでさえ荒れていた部隊の雰囲気は更に荒れた。このまま最悪の雰囲気の中ただ只管に捜索を続け、何の結果も出せずに着任最初の任務を終えることになる。それだけはどうしても避けたい。


 そこに手を差し伸べたのも、またゴードンであった。


 ゴードンは一直線に駆け抜けた人影の目的地はテュケーであろうと考え、発見地点とテュケーを結ぶ直線上とその近辺を捜索を開始した。更に少ないながらも得られた人影の人相を伝え、街で待機している隊員に捜索を手配。まるで指揮官の様にキビキビと指示を出し、隊員の士気を戻していった。


 そして遂には結界の境界面であろう場所とそこに入った亀裂さえ見つけてしまったのだ。本来なら部隊の指揮をとっていたバーンズの仕事であろうが、そんな事に腹を立てるバーンズではない。寧ろ喜んでしまうような子供である。

 

 そして現在、最後の頼みの綱である結界の亀裂に対して、ゴードンがこじ開けようと試みている。


「確かにこれを見つけられたのは運がよかったかもしれません。このタイプの結界は範囲を特定するのが難しいですから」

「範囲?」

 

 ゴードンの言葉に首をかしげるバーンズ。

 一口に結界と言ってもその形態は様々だ。結界というのは一定領域内への侵入を防ぐことを目的とした修法 (密教で行う加持祈祷の法)、この世界では魔術にあたる。領域内へ立ち入らせないために、物理的な障害を作る時もあれば目的の場所に意識的に来れなくするものもまた結界といえる。


 ミコットのいる洋館に張られた結界は後者だ。境界面を堺に区切るものではなく、その場所に行き着けなくなる結界。その範囲内ではひどく迷いやすくなると言えばわかりやすいかもしれない。この結界は謂わば人工の樹海であった。


 迷わせることを目的としているのだから、当然どの地点から迷ったのかなど分かる訳がない。分からせないための仕掛けなのだ。気が付けば結界に囚われている状態を作り出すというのがこのタイプの結界のいやらしいところである。そして、結界に限らず相手の術を解く場合はその術を理解しなければならない。実体を掴みにくいこの結界はそう簡単に解呪できるものではない。力業で解いてしまう者もいるがそんな者たちはひとにぎりのエリートでしかない。そういった意味でバーンズ達がこの亀裂を発見出来たのは幸運以外のなにものでもなかった。発見できなければ他に手の打ち用などなかったのだ。


「結界にも色々あるんだなぁ」


 ゴードンは結界に対する簡単な説明を行なった。それに対してバーンズは大まかに理解出来たらしく納得の意を示している。


「中の偵察も済んだし、後はゆっくり待つだけか」

「偵察……信じていいんですかね?」

 

 もう任務が成功した気でいるバーンズは既に一仕事終えたかのような顔で言葉を漏らした。ゴードンはその言葉にただでさえ恐い顔を更に顰めて疑問を浮かべる。


「あの蟲使い…あまり信用しない方がいいと思いますよ」


 結界の亀裂を発見は僥倖であった。しかし、一方で無闇に解除して中から予期せぬものが出てきてしまっては薮蛇に成りかねない。時として危険地帯へ近寄らせないために結界を張るということもありえるのだ。


 ところが、発見したのは人の腕一本程度の穴。中の安全を伺うことはできない。そこに手を貸したのが今し方会話に出てきた蟲使いである。その男はバーンズの部隊に属するものではない。今回の任務を受けるにあたって協力者として二人の男がやってきている。蟲使いはそのうちの一人だ。


 探索任務であるが、確実に目標が居るかもわからないのでそれほどの人員は率いていない。バーンズの部隊は第3陸戦中隊を6っに分けた内の一つであり合計人数は10人、残りの5部隊も別の場所を捜索している。


 捜索を始めて二日後、ちょうど亀裂を発見した直後に二人の男が協力者としてやってきた。上層部からの連絡も受けており、近くでの仕事が片付いたので応援に来てくれた、というのが一応の名目である。


 協力者である男の一人は魔力によって蟲を自在に操ることができるという稀有な能力を持っており、都合良く結界内の偵察を行うことができたのだ。


 その蟲使いからの報告では、標的の二人を確認、気づかれた様子もない。結界の穴を広げ侵入し取り囲めば容易に確保できる、とのことであった。


「そうかな?確かに急に現れたのは気掛かりだけど、彼の蟲を見ただろ」

「ええ、あれだけの量の蟲を操れるのは相当な使い手です」


 蟲使いが放った蟲は夥しい数であった。一瞬にして視界が埋めつくされてしまうような数。それだけの数があれば確かに結界の中をくまなく探索することができる。


「それほどの力を持った人物が、何故こんな部隊に手を貸すんですか」

「それはたまたま近くにいたから…」

「そんな偶然はありませんよ」


 ゴードンは全ての経緯に疑問を持っていた。現れた二人はあらかじめここに標的がいることを知っていたとしか考えられない。何もかもがきな臭い。嫌な予測しか浮かばない頭でいらぬ想像を反芻する。


「ん?…これは」

 

 ゴードンは突如として手を止め棒立ちになる。その表情は段々と険しさを増していく。


「どうしました?」


 ゴードンの様子に気づいたバーンズが不思議そうに声をかける。

 

「どうやら、私たちの運は最悪だったみたいですよ」


 神妙な面持ちで言葉を紡ぐゴードン。続いて出た言葉はバーンズの全く予期しないものであった。


「これは王家の結界です」


 その言葉が意味することを、この二人は十分に理解していた。



◆◇◆



 薄暗い薬屋の中、カウンターの奥から二人の男が揃って現れる。半歩前を行く大柄の男は明らかに憔悴しきった顔をしていた。額には大量の汗でも掻いたのか、くっきりと流れた跡が残っている。頭皮の毛根が死滅してから些か汗が流れやすくなったと感じていた本人も、ここまでダラダラと流れるとは思っていなかったのではないだろうか。心無しか発汗した分、顔のサイズが一回り小さくなっている気がしなくもない。そんな見た目通り大変な思いをしたのはゼノ、この薬屋の店主である。


 一方、後に続くのは面倒事が一つ片付いたかのようなスッキリとした面持ちに、何やらこのまま小踊りでもしてしまいそうな軽快な足取りの性格の悪そうな男。訂正、性格の悪い男。タヴ=ルノアール(偽名)、迷惑な客である。


 ゼノとタヴがハニエルを置いてカウンターの奥へ行ってからおよそ十分、それだけで話はついたらしい。むしろ、それだけしかもたなかったのかもしれない。これ以上時間がかかっていたら、薬を作る張本人が薬の必要な体になっていただろう。主に精神的な面で。


「…何と戦ってきたのよ」


 余りにも酷い形相のゼノをみてハニエルが思わず声をかける。しかし他者の身を案じての一言としては些か不適切だ。


「…質の悪い死神と」


 紡がれた言葉に生気は感じられない。それこそ本当に死神と一戦交えて命からがら逃げてきたといった様子だ。


「…無事で何よりだったわ」


 呆れるしかないといった風にハニエルは答え、手に持っていた瓶を棚に戻す。やることもないので商品を見ていたらしい。とは言っても見てわかるようなものでもない。出来るのは綺麗な液体を眺める程度のことだけだ。ハニエルもハニエルで退屈と戦っていたらしい。


 三者三様の短い戦いも終わり、生存を喜び合う、という光景はもちろん見られない。二人の人間からはため息しか出てこない状態である。


「どうした二人とも、ちょっとの間に随分疲れた顔をして」

「誰のせいだ!」「誰のせいよ!」


 タヴの質問に何故か同時に抗議の声が上がる。タヴも片方には覚えがあるが、もう片方は特に疲れさせた覚えはない。何故かハニエルもタヴのせいで疲れたらしい。


「ハニエルがいう誰も俺のことなのか?」

「他に誰がいるのよ」


 何故疑問を持つのかと半開きの目で抗議するハニエル。とはいえタヴのことが気になってモヤモヤした気持ちになっていた、などとは口が裂けても言えないだろう。講義するにも理由が話せないのではストレスは増える一方だ。


「ボールド?」

「……誰?」


 いきなり現れた知らない名、そういえばハニエルは店長の名がゼノだと知っているのだろうか。


「頭の光るごっつい妖精さんだ」

「ああ、店長のこと、そんな名前だったんだ」


 店長の本名は知らなかったらしい、店の主人の名前など意外と知らないものだ。そしてまた一つ誤解が広がる。


「ちょっと待て、それで何故俺になる」


 直ぐ様疑問の声を上げるゼノ。しかし、


「店長の名前を教えてもらえる程仲良くなったんだ。感心感心」

「別に名前で呼び合う程の仲じゃない。こちらは敬意を持って髭坊主と呼ばせてもらっている」


 ゼノの言葉は全く聞き入れてくれない。


「おい、いい加減に…」


 せめて名前だけは訂正しなければと声を上げようとするが


「ボールドさん、今日は有難うございました」


 満面の笑で礼を述べるハニエルに遮られる。先程までの疲れた顔を微塵も感じさせない営業スマイルだ。


「お、おう。別にハニーが礼を言うようなことじゃありませんぜ」


 ハニエルの笑顔に鼻を伸ばし、もとい気圧され訂正を忘れてしまうゼノ。言葉遣いもどこかおかしい。この瞬間彼の呼び名はボールドに決定した。後ろで性悪坊主がほくそ笑んでいる。


「いえ、彼、タヴにあなたを紹介したのも私ですから、最低限の挨拶ぐらいはさせてください」


 気持ち悪いぐらいに丁寧になっているハニエル、最初に店に入ってきた時とは大違いだ。


「おい、ハニエル、お前…」


 何を企んでいる、とタヴが問おうとしたが少し遅かった。ゼノが絶妙のタイミングで遮る。


「俺みてぇな奴でハニーの役に立てるなら喜んで手ぇ貸しますぜ!」

「本当ですか!実はもう一つ頼みがあるんです!」


 ハニエルの笑顔と礼はゼノの心労をも吹き飛ばした。やる気満々な顔にガッハハハと下品な笑い声までプラスされている。タヴの声など耳には入らない。現金な男である。


「…何だこの流れ、お前ら、ちょ…」


 ちょっと人の話を聞け、タヴが諭そうとしたが、またまた少し遅かった。ハニエルが矢継ぎ早に続ける。


「エリキシル剤の受け取りは私が行う約束ですので彼には渡さないで下さい」

「…あっ」


 そういえばそんな約束をしていたなと、タヴは今更ながら思い出し軽く頭を抱えた。


 確かにタヴはハニエルに薬の購入を頼むと言った。それはあまり人の目に付きたくないと心のどこかで考えていたために出てきた一言であった。正確にいえば目立つのは構わない。嫌だったらそもそも観光などしない。嫌なのは高価な薬を買ってそれを誰に使うのか詮索されることだ。


 その点でゼノの店は良かった。なんせ誰も来ないような場所に店主一人きり。それも職人気質の頑固オヤジ。個人情報を漏らすようなことはそうそうないだろうと高を括っていた。だからこそ薬の使用者が王族だということも明かした。仕事に関してタヴはゼノのことを信用できると踏んだのだ。


 それが仇となった。タヴはこの相手なら直接買っても問題ないと思ったのだ。だからこそ先の取引のひとコマを忘れていた。明らかにタヴの失態である。


 更に言えばここでハニエルは御役御免のはずであった。くだらないデートなどすっぽかして薬が出来てから取りに来ればそれで終わりのはずであったのだ。


「俺は構わねぇ。約束は大事だしな。商品はハニーに納品しよう」


 タヴの反応を見て何かを悟ったのだろう。理由を確認することなくゼノは同意する。今度は彼がほくそ笑む番だ。


「まあ待て、ここまで迷惑をかけたんだ。これ以上ハニエルの世話になる訳にもいかない。それに金を払ってるのは俺だ。受け取りは俺がするべきだろう」


最もな意見を述べるタヴ、言葉だけ聞けば気を使っている遠慮している風に聞こえなくはない。しかし、ゼノはハニエルの申し出に何らかの意図があると汲み取っていた。


「そうだな。前金で六割、確かに受け取った。納品の時にちゃんと残り四割持ってこいよ。なんならハニーに持たせてくれれば坊主は来なくて構わん」


 更にゼノのニヤケが増す。実に楽しそうだ。彼としては思わぬところで一矢報いることが出来たのだ。楽しくない訳がない。


「…まあ、仕方ないか、納品はハニエルにしてくれ。その代わり時間厳守で頼む。急いでいるからな」


 これ以上は無駄であると察したのか、タヴは早々と抵抗を止めた。単にめんどくさくなったのかもしれない。


「随分簡単にひくじゃねぇか。面白くねぇ」

「わざわざあんたを楽しませる必要もないからな。じゃあ頼んだぞ」


 そう言ってタヴは店を後にしようと扉に手をかける。


「あ、ちょっと待て坊主」

「ん?」

「これを持ってけ」


 ゼノはそう言うとタヴに向かって一つの小瓶を投げ渡した。



◆◇◆



 日もすっかりと暮れ、辺は夜の帳に包まれる。長かった一日も終わりを告げ、後はゆっくり宿の手配でもすればいい………などとはならない。


 イエソドの夜は長い、そう、文字通り長いのだ。なにせ一日が30時間あるのだから、日が暮れようともこれからが本番である。


 タヴとハニエルの二人がゼノの薬屋を後にした時、辺は本当に真っ暗であった。周りに明かりがなさすぎる。改めて外から薬屋を見てみればほんのりと明かりが点いているが、足元を確認できる程度のものでしかない。その幻想的なライトアップのおかげで唯のぼろ屋が幽霊屋敷にグレードアップして見える。客が来ないはずだ。来るのは度胸だめしの子供か、キ騒ぎたいだけのカップルくらいだろう。


 タヴの記憶が正しければここは街の中心近くであったはずだ。だというのに物音一つ聞こえてこない。この薬屋はいったい何処の次元の狭間に存在しているのだ、と突っ込みたくなる静けさだ。もしかしたらこのまま元の場所には戻れないのではないのかと勘ぐりたくなる。


 とはいえ道を覚えるのは得意と自負するタヴ。今まで色々な場所に潜入してきた経験は伊達ではない。案内された道を綺麗に逆になぞり無事生還を果たす。何故か大通りに出るまでの道にも明かりがなかったので何度か躓きそうになったが、不要な失態を見せずには済んだ。


「やっと戻ってきたか」


 タヴが思わずそう呟いてしまう程の道のり、これだけで一つの冒険譚が出来上がってしまいそうである。


「よく迷わないわね。私は一度じゃとても覚えられなかったわよ」


 タヴの記憶力にハニエルは脱帽といった表情を見せる。元々帰り道も案内するつもりだったハニエルとしては、謎の帰巣本能を持った珍生物でも発見したような感覚だ。ゼノの薬屋周辺は都会の迷路ならぬ、都会の樹海と化している、と言って過言ではない。知っている人でも本当に必要がなければ近づかない。中には遭難しかけて二日間戻って来なかった人間がいたとかいないとか。


「こんな所に店を構えなければならない理由、か」


 タヴはゼノの目のことを思い出していた。ゼノ自身は呪いと言っていたもの、どうやらその呪いはタヴが思った以上に深いものなのかもしれない。奇異な力を持った者への迫害、彼の持つ目それ自体が呪いなのでは決して無い、呪いを産むのは結局は人の心だ。そしてその心はどんな呪いよりも重い。ゼノはそれに耐えられなかったのだろう。そしてあの場所に閉じこもった。


 しかし、同時に腑に落ちないこともある。タヴと面と向かって話をしたあの胆力を見ていれば単に心が弱かったとは考えにくい。ゼノにはまだ何か理由があるのだろうか。人前に出たくない理由が。


「どうしたの?店の理由がどうとかって、何の話?」


 タヴの呟きに疑問を示すハニエル。彼女の反応を見る限り、ゼノは魔眼のことを話してはいないようだ。タヴに打ち明けたのはタヴがゼノ以上に特殊であったからに過ぎない。ゼノの目からしても尚異常であり遥かに特異な体を持つ男、もしかしたらゼノは同類を見つけて歓喜したのかもしれない。痛みを分かち合える仲間が見つかったと思ったのかもしれない。それを思うとタヴはもう少し優しくしてもよかったのではないかと思ってしまう。


「いや、何でもない、独り言だ。…少し早いが飯にするか、奢る約束もしてるしな」


 意外にもタヴの方から食事を切り出した。もう逃げる気は失せたのだろうか。


「あら、よく覚えてるじゃない。自分で言った契約内容は忘れてたのに」


 タヴが大人しく約束を果たそうとするのを見て上機嫌でハニエルは嫌味を言う。


「言うな、そっちとしては都合のいい契約だっただろ」

「そんなことないわよ。そんな制約が無くても貴方は約束を守ってくれたでしょ」


 本当に守ると思っていたらそんな台詞を口にはしない。ハニエルもそれなりに人が悪いようだ。


「ああ、もちろんだ。むしろ余計な手間をかけさせることになって心苦しいな」


 さも当たり前に出てくるタヴの肯定は何処から聞いても嘘くさい。だがその嘘くささも使いようである。


「じゃあ、その心苦しさを解消させるために、食事は良いところに行かせてもらおうかな」


 その一言にタヴの表情が凍りつく。薬の代金は前金しか払っていないとはいえそれなりに高額なものであった。更に計画的に無計画な浪費をしていたこともあり、残金にあまり余裕はない。


「いや、そこは、ほら、そこらへんの露天で観光がてら食べ歩きをだな」


 かなり安く済ませようと思っていたタヴにとっては堪らない提案である。無論今更上辺だけの心苦しさは取り消せない。この男は口先だけで話している分墓穴を掘ることが多いようだ。


「大丈夫よ。所詮私は安い女ですから、そんなに高い店は知らないわ」

「……まだ根に持ってたのか」


 余計なことを口走るものじゃないなと思いながら、タヴは密かに覚悟を決めた。絶対に最高級の店をチェックしているであろう観光客の後に続き、こっそりと財布の中身を確認する。


(…薬……買えんのかな…)


 はたして、ゼノに残りの代金を払うまで現金が残っているのだろうかと思案しつつ、タヴは連れられるままにハニエルの後を追うのであった。

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