パンの端っこを食べなくちゃいけないから
1
トースターのタイマーが、チン、と間の抜けた高い音を立てた。
朝の冷え切ったキッチンに、焼けた小麦と微かな焦げの匂いが漂い始める。私はマグカップに注いだ白湯を一口飲み、トースターの扉を開けた。
網の上に乗っているのは、食パンの「端っこ」だ。
一斤の食パンを買うと必ず両端についている、耳の面積が異常に広く、白いふんわりとした部分がほとんどない、あのスライス。山型パンの端っこなどは、焼くと全体が茶色いラスクのようになってしまい、噛みちぎるのにも少し顎の力がいる。
バターナイフで冷たいバターを削り取り、まだ熱いパンの端っこに塗りつける。硬い表面にバターはなかなか染み込まず、ところどころ塊のまま溶け残る。それを私は、少しだけ面倒くさそうに、けれどそれが当然の義務であるかのように、サクリと齧った。
「パンの端っこを食べなくちゃいけないから」
いつからだろう。それが私の口癖であり、人生の小さな言い訳になったのは。
2
私の実家は、毎朝必ずパン食だった。
父はいつも6枚切りの食パンを2枚、きっちりキツネ色に焼いて、イチゴジャムをたっぷりと塗って食べる。3つ下の妹の沙耶は、パンの耳が嫌いだった。彼女の皿の上にはいつも、白い部分だけが見事にくり抜かれた、四角い額縁のようなパンの耳が残されていた。
「沙耶、また耳を残して。もったいないでしょ」
母はいつもそうやって小言を言いながら、沙耶が残したパンの耳を自分の皿に引き寄せていた。そして母自身の朝食はといえば、決まって「パンの端っこ」だった。パン屋で一斤の食パンを買ってくる母は、自分でスライサーを使ってパンを切っていたが、一番最初と一番最後の、耳ばかりの硬い部分は必ず自分のものにした。
「お母さん、なんでいつもそこなの? 美味しくないじゃん」
小学生だった私が尋ねると、母はコーヒーをすすりながら笑った。
「そう? お母さんはここが一番好きなのよ。香ばしくて、一番美味しいところなんだから」
当時の私は、その言葉を素直に信じていた。大人の味覚というものはそういうものなのだろう、と。だから、私も早く大人になって「パンの端っこ」の美味しさがわかるようになりたいと思っていた。
しかし、私が中学生になる頃、母が体調を崩して入院した。
命に関わるような病気ではなかったが、一ヶ月ほど家を空けることになった。父は朝早くから夜遅くまで仕事で、必然的に朝食の準備は長女である私の役目になった。
近所のスーパーで買ってきた食パンの袋を開ける。その食パンは、ご丁寧に端っこの部分も一緒に袋に入っていた。私は4枚の白いスライスを父と沙耶のために焼き、残った2枚の「端っこ」を自分の皿に乗せた。
「お姉ちゃん、なんでそこ食べるの?」
沙耶が、ジャムで口の周りをベタベタにしながら聞いた。
「パンの端っこを食べなくちゃいけないからだよ」
私はそう答えた。
「誰かが食べないと、余っちゃうでしょ。お母さんがいない間は、私が食べるの」
その時、初めて気がついた。母が「ここが一番好き」と言っていたのは嘘だったのだと。
硬くて、モサモサしていて、ジャムを塗ってもバターを塗っても、中の白い部分のあの至福の柔らかさには敵わない。母は好きで食べていたわけじゃなかった。家族の誰かに柔らかくて美味しいところを食べさせるために、自分が端っこを引き受けていただけなのだ。
その事実に気づいた時、私はなんだか自分が急に大人になったような気がした。少しの自己犠牲と、家族への静かな愛情。パンの端っこを噛み締めるたびに、私は「長女としての責任」みたいなものを一緒に飲み込んでいるような気分になった。
母が退院してからも、私はパンの端っこを食べるようになった。
「あら、いいのよ。お母さんが食べるから」
「いいの。私、ここが香ばしくて好きになったから」
かつて母が言ったのと同じセリフを口にして、私は端っこのスライスをトースターに押し込んだ。母は少しだけ困ったような、でも嬉しそうな顔をして、「そう、ありがとう」と笑った。
3
それからの私の人生は、見事なまでに「パンの端っこ」だった。
高校の部活では、誰もやりたがらない副部長と会計を兼任した。目立つ部長の陰で、ひたすら部費の計算と体育館の割り当て交渉に奔走した。
大学のサークルでの飲み会では、常にサラダを取り分け、空いたグラスを下げ、酔い潰れた先輩の介抱をした。「気が利くね」と言われるのは嬉しかったが、ふと気づくと、自分が本当に食べたかった料理はいつも誰かに食べられた後だった。
恋愛でもそうだった。
好きになった人が、私の親友のことを好きだと知った時。私は一切の抵抗をせずに身を引いた。親友の恋の相談に乗り、彼と親友が付き合うことになった時には、誰よりも明るく「おめでとう!」と祝福した。帰り道、一人で歩く夜の冷たい空気の中で、私は自分の心の奥底でカサカサと音を立てる感情に蓋をした。
「仕方ないよ。私は、パンの端っこを食べる役割なんだから」
いつしかそれは、私のアイデンティティになっていた。
美味しいところ、華やかなところ、一番良いところは、他の誰かが持っていけばいい。世界には、そうやってスポットライトを浴びるべき人たちがいる。そして同時に、余ってしまった端っこを文句も言わずに引き受け、全体の形を整える人間も必要なのだ。私は後者だ。それでいい。それが私の生きる道だ。
そうやって自分を納得させながら、私は社会人になり、実家を出て一人暮らしを始めた。
4
一人暮らしを始めると、奇妙なことに気づいた。
スーパーで売られている一般的なスライス食パン(6枚切りや8枚切り)には、そもそも「端っこ」が入っていないのだ。
袋の中には、見事なまでに均一な厚さにスライスされた、真っ白で柔らかいパンが並んでいる。私はそれをお金を出して買い、毎朝一枚ずつ焼いて食べた。
美味しい。文句なく美味しい。耳はついているけれど、真ん中はふんわりと柔らかく、バターがジュワッと染み込む。
しかし、なぜだろう。一袋を食べ切る頃には、なんだか言い知れぬ虚無感に襲われるのだ。
「私なんかが、こんなに柔らかいところばかり食べていていいのだろうか」という、謎の罪悪感。私は誰のために、何を我慢しているのだろう。我慢する相手がいなくなった一人暮らしの部屋で、私は自分の「役割」を見失ってしまったような気がした。
そんなある日、駅前の小さな商店街にある昔ながらのパン屋に立ち寄った時のことだ。
レジの横の籠に、透明なビニール袋にパンパンに詰められた「パンの耳」が50円で売られていた。サンドイッチなどを作った際に出る切れ端や、食パンの両端の分厚い部分が、無造作に詰め込まれている。
私は吸い寄せられるようにその袋を手に取り、レジのおばちゃんに差し出した。
「あら、耳だけでいいの? おやつにするの?」
「あ、はい。ラスクにしようかと思って」
嘘だった。家に帰ると、私はその中から一番分厚い、食パンの「端っこ」の形を保っている一枚を取り出し、トースターで焼いた。
部屋中に広がる、あの懐かしい焦げの匂い。
バターを塗り、少し力を込めて噛みちぎる。硬い。顎が疲れる。口の中の水分を持っていかれる。
でも、私はひどく安心していた。
そうだ、これだ。私にはこれが似合っている。
私はパンの耳を頬張りながら、少しだけ泣いた。誰にも必要とされていない自己犠牲の癖が、ひどく滑稽で、そしてどうしようもなく自分の一部なのだと思い知らされたからだ。
5
彼、拓海と出会ったのは、そんな私の「端っこ人生」が板についてきた28歳の秋だった。
取引先のシステムの保守を担当していた彼は、いつも穏やかで、どこかマイペースな空気を纏っていた。トラブルで私が慌てふためいている時も、「大丈夫ですよ、一つずつ解いていきましょう」と温かいお茶を淹れてくれるような人だった。
何度かの食事を経て、私たちは自然な流れで付き合うようになった。
拓海は私とは正反対のタイプだった。自分が欲しいものは「欲しい」と素直に言えるし、嫌なものは「嫌だ」と言える。それでいてワガママな印象を与えないのは、彼が他人の「欲しい」や「嫌だ」も同じように尊重できる人だったからだ。
ある週末、拓海が私のマンションに初めて泊まりに来た。
日曜日の朝、私は少し早起きをして朝食の準備に取り掛かった。前の日に、少し奮発して美味しいと評判のベーカリーで一斤の食パンを買ってあった。もちろん、切られていないブロックのままで。
私はパン切り包丁を取り出し、食パンを厚めにスライスし始めた。
まずは一番端の、こんがりと焼けた耳の部分を切り落とす。そして、その次の真っ白でふかふかの部分を2枚、分厚く切り出した。
フライパンで目玉焼きとソーセージを焼き、サラダを盛り付ける。コーヒーメーカーのスイッチを入れ、最後にパンをトースターに入れた。
拓海のために、ふかふかのスライスを1枚。
そして自分のために、一番最初に切り落とした「端っこ」の部分を。
「おはよう。いい匂いがする」
寝癖をつけた拓海が、目を擦りながらキッチンにやってきた。
「おはよう。もうすぐ焼けるから、座ってて」
テーブルに向かい合って座り、「いただきます」をする。
拓海は私が出した厚切りのふかふかトーストを見て、嬉しそうに目を細めた。
「うわ、めっちゃ美味しそう。このパン、もしかして駅前のあの店?」
「そう。昨日買っておいたの。熱いうちに食べて」
拓海がトーストに齧り付き、「美味い!」と声を上げるのを見て、私は満足して自分の皿に視線を落とした。そこには、茶色くて硬そうなパンの端っこが鎮座している。
私はいつものようにバターを少し多めに塗り、サクリと音を立ててそれを口に入れた。
その時だった。
「ねえ」
コーヒーを飲んでいた拓海が、不思議そうな顔をして私の皿を見た。
「なんで、そっち食べてるの?」
私は咀嚼を止め、目を瞬いた。
「え? なんでって……」
「柔らかいところ、まだ余ってるよね? 一斤買ったんだから」
「うん、まあ。でも……」
私は言葉に詰まった。どう説明すればいいのだろう。私がこういう役回りだから? 昔からの癖だから?
「私は、こっちでいいの。パンの端っこを食べなくちゃいけないから」
「食べなくちゃいけない?」
拓海は首を傾げた。「誰かに命令されてるの?」
「そういうわけじゃないけど……誰かが食べないと余るでしょ。私はいつも、こういう端っことか、残ったところを食べるの。昔からそうだから」
少しだけ、声が震えたかもしれない。自分の卑屈な部分を見透かされそうで、怖かった。
拓海はしばらく私の顔を見つめていた。そして、突然自分の皿の上にあった、まだ半分残っているふかふかのトーストをひょいと持ち上げると、私の皿の上の「端っこ」と交換してしまった。
「えっ、ちょっと、何するの!」
「俺、端っこも好きなんだよね」
拓海はそう言うと、私の食べかけの端っこを躊躇なくガブリと齧った。
「あ、美味い。すっげー香ばしい。この店のパン、耳のところの味が濃いね」
「待って、それは私の……」
「柔らかいところ、食べなよ。せっかく美味しいパンなんだから」
「でも、私が端っこを……」
「あのさ」
拓海はパンを咀嚼しながら、真っ直ぐに私の目を見た。
「誰かが我慢しなきゃいけないなんてルール、この食卓にはないよ」
その言葉は、あまりにも唐突で、私の胸の奥のずっと硬く結ばれていた結び目を、あっさりと解いてしまった。
「君はいつも、そうやって自分が一番後ろに回ろうとするよね。お店の席でも、エレベーターでも、会話の中でも。優しいのはすごく良いところだと思うけど、俺と一緒にいる時くらい、真ん中の一番美味しいところを『食べたい』って言ってよ。俺は、君に我慢させるために一緒にいるんじゃないんだから」
私は、目の前に置かれた真っ白でふかふかのパンを見つめた。
バターが溶け込み、黄金色に輝いている。
視界が急にぼやけてきた。目玉焼きの黄色も、サラダの緑も、コーヒーの黒も、すべてが水の中で滲んでいくように見えた。
「泣くほど端っこが好きだった?」
拓海が困ったように笑いながら、ティッシュを差し出してくれた。
「違う……違うの。馬鹿みたいだなって、思って」
私はティッシュで涙を乱暴に拭い、目の前の柔らかいパンを両手で持ち上げた。
一口、かじってみる。
サクッとした表面の下から、驚くほどしっとりとした、甘い小麦の風味が口いっぱいに広がった。信じられないくらい、美味しい。
「……美味しい」
「でしょ?」
「すごく、美味しい」
「よかった」
私は泣きながら、ふかふかのパンを食べ続けた。
今までの人生で、私が譲ってきた数々の「真ん中の美味しいところ」。それを食べてきた人たちも、こんな幸せな気持ちになっていたのだろうか。だとしたら、私のやってきたことも、少しは意味があったのかもしれない。
でも、これからは。
これからは私も、この柔らかくて甘い部分を、堂々と味わっていいのだ。
6
それから数年後。
私たち夫婦の朝の食卓には、相変わらずパンが並んでいる。
ただ、ルールが一つだけ変わった。
パン屋で一斤の食パンを買ってきた翌朝。
私はパン切り包丁を手に取り、パンをスライスする。最初に出る「端っこ」は、二等分にして、私と拓海の皿にそれぞれ乗せる。
そして、真ん中の柔らかいところも二等分にして、それぞれに乗せる。
「やっぱり端っこは、焼くとラスクみたいで美味いな」
拓海がコーヒーを飲みながら言う。
「でしょ? 噛めば噛むほど味が出るんだから」
私も負けじと、カリカリと音を立てて端っこをかじる。
パンの端っこは、もう私にとって「食べなくちゃいけない」義務でも、自己犠牲の象徴でもない。
それは、一本の柔らかいパンの形を崩さないように、しっかりと外側から包み込んで守ってくれていた、愛おしい殻だ。硬くて、無骨で、でも一番香ばしくて味わい深い部分。
私は残りのふかふかの部分にたっぷりとジャムを塗り、幸せな気分で口に運ぶ。
窓の外からは、明るい朝の光が食卓を照らしていた。
(了)




