レイヤー5 残業なし?
二日目の夕方。
窓から差し込む光が、作業机の端まで伸びていた。
後美洋蔵はペンを置く。
「……ここまでですね」
机の上には、整えられた魔導書の最終稿。
初稿から数度の校正と修正を経て、線も文字も、すべてが揃っている。
背後で見ていた研究員が口を開く。
「まだ時間はあるぞ」
「はい」
洋蔵は短く答える。
「ですが、これ以上は精度がほとんど変わりません」
「詰めれば、もっと良くなるんじゃないのか」
「なります」
間を置かずに答える。
「ただし、コストに見合いません」
研究員は眉をひそめる。
「コスト?」
「時間と労力です」
机の原稿を軽く叩く。
「現時点で、要求されている性能は満たしています。これ以上は“自己満足”の領域です」
沈黙。
研究員は紙を見つめる。
整っている。
明らかに、これまでとは違う完成度。
「……明日まで触れば、さらに安定するかもしれん」
「可能性はあります」
洋蔵は頷く。
「ですが、その“かもしれない”に時間を使うべきではありません」
視線を上げる。
「納期内に、必要な品質で仕上げる。それで十分です」
言い切る。
研究員は腕を組み、しばらく考え込む。
「お前、前の世界でもそうだったのか」
「いいえ」
即答だった。
「やればやるだけ求められました」
一瞬だけ、間が空く。
「終わりがなかった」
それ以上は語らない。
研究員は小さく息を吐く。
「……なら、今回は終わりにするのか」
「はい」
静かな返答。
「ここで完了です」
そう言って、原稿をまとめる。
その動きに迷いはない。
「残業は?」
研究員が半ば冗談のように聞く。
洋蔵は少しだけ考えてから答える。
「しません」
「なぜだ」
「必要ないからです」
それだけだった。
窓の外は、ゆっくりと暗くなり始めている。
だが机の上には、すでに完成した仕事がある。
終わっているものに、時間は使わない。
後美洋蔵、45歳。
異世界出向中。
この世界で初めて、
“定時で終わる仕事”を実行する。
必要な場合は残業しますよ




