レイヤー3 校正は?
翌朝。
差し込む光の角度が、作業開始の時間を示していた。
机の上には、昨夜仕上げた初稿。
後美洋蔵は一度も外に出ていない。
だが疲労は軽い。
手を動かした分だけ、進んでいる実感がある。
扉が開く。
「できたのか?」
研究員が半信半疑で覗き込む。
洋蔵は紙を差し出す。
「初稿です。確認をお願いします」
「確認?」
聞き慣れない言葉に、研究員は眉をひそめる。
「試せば分かるだろう」
「それだと遅いです」
即答だった。
「問題があった場合、原因の特定に時間がかかる。だから事前に潰します」
研究員は黙る。
洋蔵は紙を机に広げる。
「ここを見てください。線の交点。意図的に強調しています」
「……確かに、他より濃いな」
「重要なポイントです。ここがズレると全体が崩れる」
指先で別の箇所を示す。
「逆にここは簡略化しています。不要な情報が多いと誤認が起きる」
「情報……?」
言葉の意味が完全には伝わっていない。
それでも、何かが違うことだけは理解されている。
「一度、通して見てください」
研究員はゆっくりと紙を追う。
目で、順番に。
しばらくして、ぽつりと呟く。
「……読みやすい」
洋蔵は頷く。
「それが重要です」
「魔導書は“読む”ものじゃない。使うものだ」
「同じです」
即座に返す。
「正しく使うためには、正しく読める必要があります」
沈黙。
やがて研究員は紙から顔を上げた。
「で、この“校正”とやらは、何をするんだ」
洋蔵は短く答える。
「ミスの除去です」
そして続ける。
「人が関わる以上、必ずズレが出る。だから確認する工程が必要です」
机の上の原稿を軽く叩く。
「これは一人で作りました。つまり、見落としがある前提です」
「……完成じゃないのか」
「まだです」
きっぱりと言う。
「完成前に確認する。それが校正です」
研究員は腕を組み、しばらく考える。
「二重に手間がかかるな」
「結果的には早いです」
「なぜ言い切れる」
「やり直しが減るからです」
即答だった。
再び沈黙。
やがて研究員は、小さく息を吐く。
「分かった。確認しよう」
初めて、“試す”以外の選択が取られた瞬間だった。
洋蔵は静かにペンを持つ。
異世界にはまだ存在しない工程。
校正。
だがそれは、特別なものではない。
当たり前にやってきたことを、当たり前にやるだけだ。
後美洋蔵、45歳。
異世界出向中。
作業は次の段階へ進む。
ミスは、事前に潰す。
人のやる作業に
ミスのない作業などない




