5 新たなモデル
「絵を描くのって、体力が必要なのですね」
「そうですね」
エレノア様は、ぐったりとソファに身を預けている。
アーサー様は、ようやくお役御免となったばかりに、ほっとした表情で紅茶に口をつけていた。
「でも、意外だったな。アリスちゃんって、神話を描く人なんだね」
「ああ、普段は描いていないんですけどね。でも、劇団の看板絵の評判が良くて、アポロンを描いてほしいって依頼が来たんですよ」
「へぇ!大したものだね」
ルーク様の賞賛に、ほんの少し胸がくすぐったくなる。
自分の絵が認められたと思うと、嬉しかった。
「油絵の依頼があったのは、初めてなんですよ。これで少しは、他の絵も売れるといいんですけど」
「他の絵は売れていないの?」
「残念ながら、売れていません。だから、描きたい絵ではなくて、売れそうな絵も描こうと思っているところです」
「ふぅん。アリスちゃんって、意外と世俗的なんだね」
(・・・・・・だって、仕方がないじゃない)
芸術家とて、霞を食べて生きているわけではないのだ。
看板やポスターの仕事はそれなりにある。
依頼が来るたび、筆を取り、締め切りに追われ、確かな対価を受け取る。
だが、それだけではまだ生活を支えるには心許ない。
いくら義父たちが優しくとも、このままずっと義父たちに甘えるわけにはいかない。
売れる作品を生み出さなければならない。
「私にだって、日々の生活がありますしね。自分の描きたいものと、世間が求めるものを、どこかで折り合いをつけていく必要があるんですよ」
「なるほどねぇ」
「もし今回の作品が好評を博せば、これまで描いてきた作品に光が当たるかもしれませんし」
「芸術家って、自分の美だけを追い求めているかと思っていたけど、そうでもないんだね」
(・・・・・・打算的って言いたいの?)
正直な感想かもしれないが、ほんの少しだけ胸の奥がちくりとした。
私には、描きたいものだけを描いて、世間に認められる才能はないのだ。
「お兄様ったら!」
私の胸に冷たいものが広がっていくのを察したのか、エレノア様が会話に割って入った。
「すぐに思ったことを口に出すのは、感心しませんわ」
「感想を言っただけじゃないか」
口を尖らすルーク様を、エレノア様は睨みつける。
「アリス様の描くアポロンを、楽しみにしていますね。私、アリス様の描く絵が本当に好きなんですよ」
「ありがとうございます」
(・・・・・・ここで買ってくれるとは、言わないのよね)
私の作品を「好きだ」とは言ってくれる人はいる。
けれどそれは「無料で眺められるなら」という前提付きの「好き」なのだろう。
自分の財布を開いてまで手元に置きたいかと問われれば、きっと多くは沈黙する。
ポスターのように大量印刷ができれば、価格は抑えられる。
気軽に買えて、気軽に飾れる。
だが、一点ものの油絵となれば話は別だ。
同じ構図も、同じ色も、二度とは生まれない。
その唯一性には、どうしても相応の値がつく。
けれど、その「相応」が、果たして誰にとって相応なのか。
私にとっては、幾日も悩み、重ね、削り、塗り直した時間の重みだ。
だが、買い手にとっては、ただの一枚の絵に過ぎないのかもしれない。
好きと買うの間には、思っている以上に深い溝が横たわっている。
「アリス様が描いた看板の舞台が、すごく面白かったのですよ。アーサー様は『王女メディア』はご覧になりました?」
「いいえ、まだです。そんなに面白かったのですか?」
「ええ、とても!メディアに思わず感情移入してしまいましたわ」
(・・・・・・そうなの?)
劇団から看板製作を依頼された際、私は事前に脚本を読ませてもらった。
正直に言えば、私の好みではなかった。
「やっぱり、やられたら、やり返さないといけませんよね」
「エレノア。淑女として、その発言はいかがなものかと思うが?」
「そうですか?でも、そう思う女性は、多いと思いますよ」
(ふふっ、アーサー様の顔)
驚いたようにエレノア様を見つめるアーサー様に、思わず吹き出してしまいそうになる。
思いがけない彼女の一面を見たのだろう。
きっと男性が思うほど、女性は弱くもなければ、ただ優しいだけの存在でもない。
静かに微笑んでいる裏で、計算もし、覚悟もし、矜持も抱えている。
「不貞は、絶対に許せませんからね」
「そうですね」
「ただ、王女メディアは、流石にやりすぎですけどね。でも、そこがお芝居の面白いところですよね」
「ええ、そうですよね」
ギリシャ神話として知られる『メディア』の内容は、壮絶だ。
王女メディアが夫に捨てられた腹いせに、相手の女性のみならず、自分の子どもたちも手をかけるのだ。
ただ、夫を苦しめるために。
「でも、私だったら、夫本人を『ぎゃふん』とさせますけどね」
「エレノア様らしいですね」
きっとエレノア様は、真っ直ぐな気性なのだろう。
夫を苦しませるという点なら、メディアのやり方は確かに効果的かもしれない。
だが、その代償はあまりにも後味が悪い。
「お前だったら、どうするつもりなんだ?」
「夫を殺して私も死にます」
それを聞いた瞬間、ルーク様は吹き出した。
「いや、お前は絶対に夫だけを殺す」
「そんなことはしませんよ」
「もしくは、犯罪は割に合わないと判断して、自分の手を汚さずに夫を不幸のどん底に突き落とすはずだ」
(・・・エレノア様は、冷静に計算するタイプなの?)
そんな風には、見えなかった。
だが、ルーク様の言葉に思い当たる節があったのか、エレノア様は小さく頷いた。
「確かにそうですね。浮気者のために、自分の人生を棒に振りたくはないです」
「そこは納得するんだな。お前の夫になる者が、気の毒に思えてきたな」
「ルーク、そんなことはない。エレノア嬢の夫になる者は、幸せだ」
(・・・・・・本当に、アーサー様はエレノア様がお好きなのね)
冗談であっても、決して彼女を貶めるようなことは口にしない。
その一言だけで、十分するぎるほど伝わってきた。
「・・・・・俺はその舞台観ていないけど、なんか怖そうだね」
「あら!じゃあ、観に行くといいですよ。きっとお兄様のためになると思いますよ」
「なぜだ?」
「胸に手を当てて考えてみるといいですわよ。お兄様に泣かされた女性は、星の数ほどいますしね」
「そんなことあるわけないだろう」
「お兄様が誰にでもいい顔をするから、女性たちは皆、期待するんですよ」
(・・・・・・エレノア様の言うことは、わかるような気がするわ)
ルーク様は優しいけれど、どこか軽い。
女性が思わず期待してしまうような言葉を、まるで遊びのようにさらりと口にする。
ルーク様の軽やかな言動に、つい勘違いしてしまう女性は少なくないだろう。
「違う。俺は、平等に優しいだけだ」
「『平等に優しい』というのは、結局は、誰に対しても浅く接しているだけですよね」
「そんなことはない。誰に対しても態度を変えないのだから、むしろ誠実だ」
エレノア様の言い方が癇に障ったのか、ルーク様は眉を顰めた。
兄妹喧嘩に発展しそうな空気を感じ取り、私はさりげなく話題を変える。
「平等に優しいのなら、ルーク様は、もしかして天秤座ですか?」
「天秤座?星座に興味がないから、わからないな」
「お兄様は、天秤座ですよ。ご自分の星座くらい、覚えておいてください」
「非科学的なものには、興味がないんだよ。なに?星座で性格がわかるの?」
興味を持ったのか、ルーク様が少しだけ身を乗り出してきた。
「どうでしょう?ただ、以前占い師に告知絵を頼まれたことがあったんですよ。そのときに、占い的な傾向として教えてもらったんです」
「ふぅん。じゃあ、アーサーとエレノアの星座はわかる?」
(・・・まだそんなに親しくないから、よくわからないわ)
星占いの話をしたのは、この場の空気を和らげたかったからだ。
自分自身は信じているわけではないし、詳しくもない。
それでも、エレノア様が期待を込めた目で私を見つめている以上、当てずっぽうでも、何か言わざるを得ないだろう。
「・・・エレノア様は、気配り上手だから『乙女座』でしょうか?」
「当たり!すごいわ、アリス様!!」
「几帳面で、自分にも他人にも厳しい面があると聞いたのですが、当たっていますか?」
「まあ!そうよ!すごいわ!!!」
(すごい!当たったわ!)
自分でも、当たったことにびっくりした。
あの占い師は、実はすごい人だったのかもしれない。
「じゃあ、アーサー様の星座はわかりますか?」
「・・・・・・アーサー様は、責任感が強そうだし『山羊座』ですか?」
「残念ながら、外れだ」
「そうですか。・・・じゃあ、優しい『魚座』かしら?」
「当たりだ。すごいな」
「勘ですけどね。魚座の人は、想像力豊かだそうですよ」
占い師は、魚座を「夢見る人」とも言っていたが、それは胸の内に留めておく。
儚げなエレノア様の容姿に、いくぶん夢見ていそうだ。
けれど、彼女の内面は、決して見た目のとおりではないだろうけど。
(・・・全くの偶然だけど、当たってよかったわ)
エレノア様は楽しそうだし、そんな彼女をアーサー様は愛おしそうに見つめている。
唯一、不服そうな顔をしているのは、ルーク様だ。
「ちなみに、天秤座の傾向は、どんなのがあるの?」
「えっと、そうですね。『美意識が高くて、社交的』だそうですよ」
「あら!お兄様ったら、当たってるんじゃなくて!?」
エレノア様は、嬉しそうに手を叩いている。
あの占い師の話では、客のほとんどが女性らしい。
こういう話題は、やはり女性に好まれるのだろうか。
「ちなみに、決断が遅いそうです」
「ふふふっ!確かに当たっていますわね!」
「私も、当たっていると思う」
「・・・・・・・・・・そうか?」
図星だったのだろうか。
ルーク様は決断が早そうな人だからこそあえて言ったのだが、裏目に出てしまったらしい。
不満そうな顔をしながらも、ルーク様は私に話を振ってきた。
「そういうアリスちゃんは、何座なの?」
「私ですか?私は『蟹座』です」
「カニ?」
「ええ。蟹座の人は、優しいと言われているんですよ」
途端にルーク様は、疑わしい目を私に向けてくる。
「本当に?アリスちゃんは、僕には厳しいよね」
「そうですか?」
「明らかに、アーサーとエレノアには、いいことしか言わなかったよね?」
「たまたまです。それに、決断が早いことがいいこととは限りませんよ。熟考することは大事です」
「ものはいい様だよね」
「ふふふっ、お兄様とアリス様の掛け合いは、本当に面白いですわ」
エレノア様が楽しそうに笑い出すと、それにつられてルーク様も笑った。
きっと本気で怒っていたわけではないのだろう。
アーサー様も何も言わず、ただ穏やかに微笑んでいる。
三人とも、いい人たちなのだ。
(・・・でも、アーサー様には、もう少し脱いでほしかったけどね)
欲を言えば、すべてを見せてほしかった。
だが、アーサー様は慎み深い性格のようだし、それはさすがに無理というものだろう。
かつての巨匠ダ・ヴィンチは、人体研究のために処刑された罪人の身体を観察したという。
だが、いざ私が公開処刑を見に行こうものなら、義兄はあからさまに眉を顰めるだろう。
今日のデッサン。
そして家にある医学書を丁寧に読み込み、アポロンを描くしかないだろう。
それでも、今日アーサー様の体を見られたことは、何よりの収穫だった。
あの線、あの陰影を思い出すたびに創作意欲が湧き上がり、私は抗えぬまま自分の世界へと沈み込んでいった。
「・・・・・・・・・・アリスちゃん、聞いてる?」
「え?な、何ですか?」
不意にルーク様の声が響き、私を現実へと引き戻した。
気がつけば、三人の視線が私に集中していた。
「『王女メディア』の舞台を観に行こうって、誘ってるんだけど?」
「あ、ああ、そうだったのですね」
「私も、もう一度観たいと思いまして。折角ですし、アリス様も一緒に観に行きませんか?」
正直、舞台を観るよりも、今は家でアポロンの続きを描きたい。
できれば、観劇には兄妹二人で行ってほしい。
「アーサーも一緒に行くし、アリスちゃんも一緒にどうかな?」
「え、えっと・・・」
「夕食は、ザ・ロイヤル・レードルを予約するよ」
「アリス嬢も気に入ると思うよ。あの店は、とても美味しいからね」
「あそこのフィッシュパイは、絶品ですよね。アリス様もぜひ!」
好意しかない三人の笑顔。
評判の美味しい店、ザ・ロイヤル・レードル。
だが、時間が惜しい。
今は何よりも絵が描きたい。
どう断ろうかと迷っていると、不意にルーク様が耳元で、甘く掠れた声を落とした。
「アリスちゃんが来てくれるなら、俺、君の望む姿でモデルになるよ?」
「行きます!」
思わずルーク様の腕を掴み、即答した。
「ははっ、ははは!」
私の様子が可笑しかったのか、ルーク様は腹を抱えて楽しそうな笑い声をあげた。
その声に、何事かとエレノア様とアーサー様の視線がこちらに注がれる。
だが、そんなことは気にしていられなかった。
男子に二言はない。
ルーク様には、余すところなくすべてを見せてもらおう。
こうして私は、待ち望んだモデルを手に入れた。
お読みいただき、ありがとうございました。
作中の「王女メディア」は、古代ギリシャの劇作家エウリピデスの「メディア」を参考にしています。
また、アリスの描いた絵は、ドラクロワの「怒れるメディア」をイメージしています。
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