表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
恋を描けない伯爵令嬢 ーその絵は嘘をつかない  作者: 夏つばき


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

4/6

4 理想のアポロンのために


「では、部屋はここを使うといいよ」


(・・・・・・親切なのね)

ルーク様が部屋の扉を開けると、すでに絵を描くためのイーゼルまで用意されていた。

随分と用意周到で、驚かずにはいられない。


「独身の男女が二人きりというのはよくないだろうから、俺が一緒に部屋に入ろうか」

「ああ、そうだな」


(・・・・・・・・・え?そうなの?)

今まで、そんなことは気にしたことがなかった。

考えてみれば、いつもアトリエにこもり、絵筆とキャンバスだけを相手に過ごしていた私には、誰かと個人的に会う機会などほとんどなかった。

これが、貴族の常識というものなのだろうか。


「お兄様、ひとりだけずるいですわ。アリス様が絵を描くところを、私も一緒に見たいです」

「でも、それではアリスちゃんが集中できないだろう?」

「お兄様がいても、集中できませんよ」


「大丈夫です。静かにしていただけたら、問題はないですよ」


本当なら、二人きりのほうがよかった。

だが、変に誤解を生まないためには、その方が無難だろう。

アーサー様は、まるでエレノア様の反応を気にしているかのように、ちらちらと彼女を見ている。


貴族女性のすることではないかもしれないが、エレノア様を誘ってみる。


「もしよかったら、エレノア様も描きますか?」

「私もですか?絵を描いたことはないのですが・・・」

「描いてみると、楽しいですよ」


「そうですね。・・・では、せっかくですし、描かせてもらいます」


エレノア様の目が、楽しげに瞬く。

その輝きに、ルーク様は少しだけ眉を上げ、わずかに困ったような表情を浮かべた。


「俺は、見てるだけでいいかな」

「わかりました」


アーサー様は、戸惑うように私を見た。


「それで、私はどうすればいいのだろうか?」

「とりあえず、すべてお脱ぎいただけると嬉しいです」


「脱ぐ!?」

「できれば、何もお召しにならない状態で」


「・・・・・・・・・は?」


思いもよらなかったのだろう。

アーサー様は何か言おうとして口を開いたが、結局言葉にならず閉じてしまった。

その横で、エレノア様の瞳が、面白いものを見つけたかのようにきらきらと輝いている。


「ははっ、はははっ!それはまた大胆なお願いだね」


「・・・ルーク。他人事だと思って笑いすぎだろう」

「ごめん、ごめん。まさか、アリスちゃんがそこまで求めるとは思わなくてさ」

「さすがに全裸はないだろう」

「まあ、そうだよな」


(・・・・・・無理な要求だったかしら?)

道徳的な制約の中で生きる女性画家にとって、人体、とりわけ男性の裸体を目にする機会は、ほとんどない。

アポロンを描くため、医学書を片端から読み込み、知識を頭に叩き込んだ。

それでも、実物を見なければ分からないものが、あまりにも多い。


だが、この場の空気を見る限り、全身像は難しそうだ。


「・・・・・・では、上半身だけでも」


「上半身ならいいという問題ではないだろう。異性の裸を見るのは、淑女としていかがなものかと・・・」

「画家として見たいだけなので、他意はありません。どうぞご安心ください」


もっとも依頼主が、どう受け取るかは別問題だが。

そしてなぜか、画家でもないエレノア様がひときわ目を輝かせているが、そこには触れないでおいた。


「たとえそうでも、やはり女性に肌を見せるのはよろしくない」

「そうですか?私は気にしませんけど」

「私は気にする」

「骨格の流れや筋肉のつき方を見たいだけです」


「・・・・・・・・・・・・・」


アーサー様は、困惑したように眉を寄せ、押し黙っている。

ここで機嫌を損ね、「モデルは辞退する」などと言われたら元も子もない。


(・・・・・・・・・仕方がないわね)

やむを得ず、私は譲歩することにした。


「では、肌にシーツをお掛けする形ではどうですか?」

「アリスちゃん。君にとって『裸』は絶対条件なんだね」

「布面積の多い『アポロン』って、見たことありますか?」


「・・・そういえば、ありませんわね」

「い、いや、ちょっと待ってくれ。私にも羞恥心というものがある」


その焦る様子から、彼が実直で節度のある人物であることは伝わってくる。

人前で肌を晒すなど、やはり難しいのかもしれない。


「シャツの前だけはだけさせるのはどうでしょう?」


「・・・・・・それ、いやらしい感じがしませんか?」

「そうですか?」

「すべて見えてしまうよりも、かえって想像を掻き立てられて興奮するよね」

「お兄様の趣味の話は聞いていません」

「失礼な。一般論だ」


(・・・困ったわね)

どうやら、肌をさらすのはよほど抵抗があるらしい。

アーサー様は自分のシャツのボタンを握りしめ、首を振っている。


「では、シャツのボタンを外して、少しだけ覗かせていただく形でも」

「アリスちゃん、それ、余計に恥ずかしいんじゃない?」

「そうですか?」

「そうですよ。むしろ妙に気まずい感じがいたします」


「・・・・・・君たち、私で遊んでないか?」


不信感を滲ませるアーサー様だが、私は真剣である。


「遊んでなんかいませんよ。少なくとも、私は真剣です。女性の画家が人体、とりわけ男性の肌を見る機会はほとんどありません。私は、本物が知りたいのです。骨格だけではありません。筋肉のつき方、皮膚の張り、光と影の落ち方・・・見なければ描けません」


芸術か、破廉恥か。

その判断は私にこそあるはずなのに、なぜ世間は己の価値を私に強いるのか。

理想のアポロンを描くために、その肉体を求めて何が悪い。


「ただ描きたいだけなのに。・・・それなのに、どうしてこんなにも制約が多いのでしょう」


自由に描きたいだけなのに、世間がの常識がそれを許さない。

許されないのなら、自分で道を切り開くしかない。


「私は、完璧なアポロンを描きたいのです」


私の真剣な想いをわかってくれたのだろうか。

エレノア様が、そっとアーサー様へ視線を向ける。


「アーサー様。すべてお脱ぎになって差し上げてはいかがですか?」

「エレノア。さすがに全部は無理だよ。・・・でも、上半身くらいならいいんじゃない?」


「・・・・・・そうだな」


アーサー様は躊躇うようにシャツを掴み、しばし逡巡したのち、ゆっくりとそれを脱いだ。


露わになった骨格と筋肉。

整い過ぎたその均衡に、胸の奥が熱を帯びる。

思わず、心が震えるのを感じた。


「ありがとうございます。では、このように立っていただいてもいいですか?」


自分の体で見本を示してみるものの、どうにもぎこちない。

アーサー様は眉を寄せ、ぎくしゃくと体を動かす。


「ええっと・・・こうか?」

「あ、いえ、そこまで捻らなくても大丈夫です。その、もう少し自然にしていただけたら」

「自然と言われても・・・」

「あははっ、アーサーにそれは無理だよ!むしろ棒立ちで一日中立っておけって言われた方が、まだ楽なはずだ」


「ルーク!」

「ははっ、悪い悪い。でも、具体的に指示を出した方がうまくいくと思うよ」

「では、少し失礼します」


そっと手を添え、アーサー様の身体を導くように動かす。

その間じゅう、彼の頬はうっすらと赤く染まっていた。


(・・・エレノア様とのこと、応援するから許してください)

心の中で、そっと詫びる。


「では、そのまま動かないでいただけますか?」

「わかった」


(・・・・・・・・・私の目に、狂いはなかったわ)

鍛え上げられた筋肉。その均衡。その張り。

これほどの体を目にする機会は、もう二度とないかもしれない。


アポロンは、理想的な肉体の象徴。

その全てを捉えてこそ、初めて近づける。


私は息を整え、鉛筆を握る手に力を込めた。


ーーこの瞬間、すべての感覚が研ぎ澄まされる。

視界にはただ一人。

アーサー様の姿だけが、鮮やかに浮かび上がっていた。



お読みいただきありがとうございました。

面白いと思っていただけたら、ブックマークや評価をしていただけると励みになります。

どうかよろしくお願いいたします。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ