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恋を描けない伯爵令嬢 ーその絵は嘘をつかない  作者: 夏つばき


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2 神を写す肉体


「私の絵のモデルになっていただけませんか?」

「・・・・・・は?」


私が声をかけた金髪の男性は、その端正な顔を一瞬歪ませた。

その隣に居る男性も、私を怪訝そうに見つめている。


だが、そんなことは気にしていられない。

私はいま、最高に美しい被写体を見つけたのだ。


凛々しく整った顔立ちもさることながら、特筆すべきは、その体だ。

骨格、筋肉の流れ、肩や鎖骨の角度。

布の下でも手に取るようにわかる。

美しいだけではない。

完璧な骨格と均衡の取れた体は、まるで古代ギリシャから抜け出してきた彫刻のようだ。


「今、何と言ったのですか・・・?」

「絵のモデルになってくださいとお願いしました」


婚活にと連れてこられた夜会で、まさか格好の人物を見つけるとは、思いもしなかった。

ふと窓から中庭に視線を落とすと、そこに、ーーまさかまさかの理想の肉体である。

私は会場を駆け抜け、息を整えつつも興奮を抑えきれずに、迷わず声をかけたのだ。


「私、絵を描いているんです。あなたをモデルに絵を描かせてください」

「申し訳ないが、私はそういうことは・・・」

「そうおっしゃらずに、ぜひともお願いします。題材は、太陽神『アポロン』なんです」


ギリシャ神話の太陽神アポロン。

理想の若さ、均整の取れた肉体、美しい顔立ち。


初めて、客から油絵の注文を受けたのだ。

何としてでも、成功させたい。


「何で、私に・・・」

「その均整のとれた体つきが、まさしくアポロンのモデルになり得ると確信したからです」


「・・・・・・・・・体」


永遠性と理想美を象徴する存在ゆえに、アポロンはほぼ裸身で描かれる。


しかし、私は現実の男性の身体を知らない。

知らずして、描くことなどできない。

筋肉の流れ、肩の傾き、鎖骨の繊細な起伏、腹部の膨らみ、そしてたくましい太腿・・・。

そのすべては、想像だけでは埋められない領域だ。


視線は無意識のうちに、男性の肩から胸元へ、さらに腕へと滑っていく。


「服の上からでも分かります。あなたの体は、あまりにも理想的です。これほどの骨格と筋肉には、なかなかお目にかかれません。ぜひ、お願いいたします!」

「いや、そんなことを言われても・・・」


(・・・・・・しまった。引いてるわ)

私の熱弁に驚いたのか、男性の顔は引き攣っていた。

社交の場で、淑女が熱弁する内容ではなかった。


けれど、頬に熱が集まるのを感じながらも、私は自分の口を止めることができなかった。

理想を前にして、沈黙などできるはずがない。

彼こそが、私の理想の「アポロン」だ。


「怪しい者ではありません。『エリス』という画家の名をご存じないですか?最近は『王女メディア』の看板絵を描きました。私がその『エリス』なんです」

「いや、申し訳ないが知らない」

「他にも、ポスターや本の挿絵も描いています」

「悪いが、断らせてくれ」


(・・・・・・もう少し、考えてくれてもいいんじゃない?)

画家としての名前が売れていないからか、にべもなく断られてしまった。


しかし、ここで諦める私ではない。

こんな素晴らしい筋肉を持つ男性など、めったに見つかるものではない。

何としてでも、口説き落として見せる。


「私にとって、あなたは理想のアポロンの肉体なのです」

「そんなことを言われても、困ります」

「もしモデルになってくださったら、できる限りのことはさせていただきます」


「はは、はははっ!いいね!面白い!!」


(・・・・・・・・・誰?)

隣にいた男性が、突然笑い出した。

目の前の理想の肉体に夢中で気づかなかったが、隣にいた男性もまた、目を引くほど整った顔立ちをしていた。


琥珀色の髪、灰青色の瞳。

垂れた目元には、柔らかなのに目を逸らせない、不思議な色気があった。


「はははっ。アーサー、随分と見込まれたものだね」

「ルーク、笑うな」

「だって、太陽神アポロンのモデルだなんて、すごいじゃないか!ねぇ、可愛らしいお嬢さん、俺じゃダメなの?」

「貴方も確かに整った体です。ですが、アポロンの体ではありません。今回のモデルとしては、適していないのです」


美しいが、私の求める理想のアポロンの体には遠く及ばない。

細身の体では、話にならない。


「あははっ、ははっ!本気なんだね!ねぇ、アーサー、彼女の言葉を聞いた?俺、今、振られたよね!?」


ルークと呼ばれた男性は、腹を抱えて大笑いしている。

よほど自分が振られたことが、可笑しいのだろうか。


(・・・・・・いえ、違うわね)

その笑い声は屈託なく楽しげでありながら、どこかわずかな苛立ちが混ざっていた。


「君は面白いね。ねぇ『王女メディア』の看板絵を描いたのなら、ポスターも君が描いたんだよね」

「はい、そうです」

「ふぅん。あの絵をこんな若くて綺麗なお嬢さんが描いているとは、思いもしなかったよ」


(・・・正体を明かさないほうが良かったかしら?)

つい興奮して、身元を明かしてしまった。

トマスさんの忠告もあり、私が絵を描いていることは、義父から秘密にするよう言われていた。


「ああ、ごめん、ごめん。可愛い顔が台無しになるから、そんなに眉を寄せないで。俺はルーク・ウィンダム。こっちの愛想のない男は、アーサー・ベルモンドね」


ルーク様に自己紹介された瞬間、ハッとした。

私は、自分が本名を告げずに声をかけてしまっていたのだ。

あまりに理想の肉体に出会えた興奮のせいで、そこまで気が回っていなかった。


「ご挨拶が遅れて申し訳ありません。私は・・・」

「知ってる知ってる。ブラックウッド伯爵家のアリス嬢だよね?」


その言葉に、わずかな警戒が芽生えた。

私が社交の場に顔を出すようになったのは、まだほんの最近だ。


「ええ、そうです。でも、なぜ私の名前をご存じなのですか?」

「有名だから」

「え?」

「君が『綺麗』ってことだよ。そんなに美しい黒髪なんて、滅多にいないからね」


(・・・・・・そんなに、この髪が有名?)

数は多くないが、黒髪を持つ貴族令嬢は他にもいる。

まさか、王都中の貴族全員の顔や特徴を覚えているのだろうか。

この男は、何者なのだろう。


「ああ、そんなに不審そうに見ないで。この前の夜会で、妹が世話になったんだよ」

「妹さん・・・?」

「覚えていないかな。エレノア・ウィンダム。金髪で、目の下にほくろがある・・・」

「ああ!あの綺麗な方ですね!」


彼女のドレスが汚れて困っていたところ、私はハンカチを差し出し、手助けをした。


人の名前を覚えるのは苦手だ。

だが、容姿を見る目だけは、誰にも負けない自信がある。


エレノア様は、一見すると儚げだが、目元に小さく際立つ泣きぼくろがある。

そのほくろが、儚さの奥に潜むかすかな鋭さを際立たせていた。

その絶妙なアンバランスが、彼女を一層魅力的に見せ、思わず目を引いたのだ。


「ハンカチを返したくてね。ただ、名前がわからなくて、黒髪の令嬢を探していてさ。君じゃないかと思っていたんだ」


「そうだったのですね」

「会えてよかった。今日会えるかもしれないと思って、持ってきていたんだよ」


ルーク様は、丁寧に包まれた品を差し出した。

会えるかどうかもわからないのに、ずっと持ち歩いていたのだろうか。


「わざわざありがとうございます。でも、そこまでしていただかなくて、良かったのですよ」

「いや、妹がすごく感謝していたからね。本当にありがとう」

「いいえ、どういたしまして」


(・・・そんなに感謝されることではなかったんだけど)

大した親切でもないのだから、名乗りもしなかったのだ。

思わぬところに縁があったが、どうせならアーサー様に恩を売りたかった。

そうしたら、モデルを引き受けてもらえたかもしれない。


だが、思いのほか、ルーク様は律儀だったらしい。


「アーサー、君、絵のモデルになってあげなよ」

「は?」

「いいじゃないか。人助けだよ。アリス嬢は、うちでアーサーを描けばいい」

「そんな勝手に・・・」

「終わったら、エレノアも交えてお茶をしよう。エレノアはアリス嬢に会いたがっていたからね。うん、それがいい!そうしよう!!」


ルーク様は勝手に決めて、頷いている。


「ルーク、ちょっと待ってくれ。私は引き受けるとは言っていない」

「そう固いこと言うなよ。俺も妹にいい格好したいし、頼むよ」

「ええ!ぜひ、お願いします!!」


(・・・人には親切にするものね!)

どうやら、ルーク様は妹さんを助けたお礼として、私の味方をしてくれるようだ。

アーサー様は渋い顔だが、ここは押して要求を飲んでもらおう。


「いや・・・」

「お時間はそこまでとらせません!」

「未来の巨匠のために、協力してあげなよ」

「私の未来が、この絵にかかっているのです!どうかよろしくお願いします!!」

「俺からも頼むよ。エレノアも、君に会えたら喜ぶよ」


「・・・・・・・・・・・・・わかった」


(やったわ!)

私たちの勢いに負けたのか、アーサー様はしぶしぶと頷いた。

アーサー様の気が変わってはいけない。

「では、早速、日程をーー」と口を開けたその瞬間、後ろから耳に馴染んだ声が届いた。


「アリス!こんなところにいたのか!?」


「・・・・・・あ、お義兄様」

「『お義兄様』じゃないよ。探したんだぞ」


夜会の会場にいない私を、義兄は必死で探し回ったのだろうか。

息を切らして現れた義兄は、私と一緒にいたアーサー様たちの姿を見て、目を大きく見開いた。

義兄は途端に背筋を伸ばし、よそ行きの顔を作る。


「チャールズ・ブラックウッドと申します。義妹が、ご迷惑をおかけしたのではありませんか?」

「いや、そんなことはないよ」

「それならいいのですが・・・」


義兄が疑わしげに私を見るので、とりあえず目を逸らしておく。


「大丈夫。楽しく話をしていただけだから、問題ないよ。なあ、アーサー?」

「・・・ああ」


アーサー様の返事が一拍遅れたのは、思うところがあったのだろう。

やはり絵のモデルの件が、気になっているのだろうか。


「寛大なお心に感謝いたします。では、私たちはこれで失礼させていただきます」

「えっ?お義兄様、もう帰るのですか?」


まだ約束の日程を取り付けていない。

ここで帰るわけにはいかないのだ。


「ああ、そうだ。アリスを探すのに、随分手間取ったからね」

「でも、まだお話が・・・」

「アリスの姿が急に見えなくなったから、父上も心配している」


(・・・・・・しまったわ)

義父に心配をかけてしまった。

一刻も早く戻り、安心させるべきだろう。


思わず唇を噛む。

その瞬間、面白そうにこちらを見ているルーク様と目が合った。


「・・・はい。では、私はこれで失礼いたします」

「うん、またね」


軽く手を振るルーク様と、頷くだけのアーサー様に、私は頭を下げた。

そして、眉を顰めたままの兄の後についていく。


「アリス、どうしてあの方たちに声をかけたんだ?」

「・・・婚活のためです。この夜会で、未来の旦那様を見つけるようにと言ったのは、お義兄様ですよ」


無難な理由をつける。

つい最近も、裸になってくれるよう義兄に頼み、怒られたばかりだ。

とてもじゃないが、アーサー様に絵のモデルを頼んだとは言えなかった。


義兄は眉を下げ、少し困ったように私を見た。


「アリス、ルーク様は公爵家の方だ。それにアーサー様も、うちと同じく伯爵家とはいえ、由緒ある家柄なんだよ」


思っていたより、あの二人は偉かったらしい。

確かに、その身なりには自然と気品がにじんでいた。


「お前が積極的になってくれたのは嬉しいが、あまり無礼なことをすると面倒なことになる」


義兄は、世間に疎い私を心配して、いつも先回りして注意してくれる。

でも、今日ばかりは放っておいてほしかった。


「お前から、話しかけたのか?」

「ええ」

「礼儀知らずだと、ブラックウッド家に正式に抗議されてもおかしくない」


「・・・すみません」

「いいさ。次から気をつけような」

「はい」


(・・・・・・失敗してしまったわ)

けれど、あの二人の器は小さくないはずだ。

声をかけたくらいで、咎めを受けることはないだろう。


絵描きとしての癖なのだろう。

私は無意識のうちに、他人を観察してしまう。


体つき、表情、仕草ーーそのすべては絵に描くためのものだ。

だが同時に、相手の心の動きまで推し量ってしまう。


おそらくルーク様は、約束通り公爵邸へ招いてくれるだろう。

理想のアポロンを前に、筆を走らせる。

そんな光景を思い描くだけで、胸が高鳴った。


ーー私は、必ず完璧なアポロンを描く。



お読みいただき、ありがとうございました。

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