10 ルーク、モデルになる
モデルになるという約束を果たすためにブラックウッド家を訪ねると、小さな離れへと通された。
どうやら、そこがアリスちゃんのアトリエらしい。
「えっと、全部脱いだ方がいいのかな?」
「ええ、お願いします」
「・・・・・・・・・え?」
「え?」
冗談半分で言ったはずなのに、返ってきたのはきれいな真顔だった。
約束はしたが、本当に全裸を要求されるとは思ってみなかったので、さすがに焦る。
いや、かなり焦る。
「アリスちゃん、本気で言ってるの?」
「本気もなにも、私の望む姿を描かせてくれるお約束でしたよね?」
「・・・・・・うん。そうなんだけどね」
「ですよね。私の望む姿は、ルーク様のありのままの姿です」
「あの・・・」
「全身の裸が見たいので、すべて脱いでください」
きっぱり言い切られ、思わず言葉に詰まる。
いや、何もそこまで堂々と「裸」を強調しなくてもいいだろう。
「忘れたとは言わせません」
有無を言わせぬ視線に射抜かれ、戸惑うことしかできない。
絵のことになると、彼女はまるで別人だ。
普段の控えめな態度が嘘のように、容赦なく強気になる。
「・・・・・・一応、大事なところだけは隠してもいいかな?」
「わかりました。では、衝立のところで脱いで来てくれますか?」
重い足取りのまま衝立へと向かう。
一枚、また一枚と脱いでいくたびに、心の防御力までゴリゴリと削られていく気がした。
(・・・・・・・・・腰元が、スースーする)
薄布一枚ではスースーどころか、何も身につけていないのと大差ない。
アリスちゃんにやましい気持ちがないのは、頭では理解している。
むしろ、彼女は真剣そのものだ。
絵のため。純粋に芸術のためなのだ。
だが、問題は俺だ。
年頃の女性の前で全裸で立とうとしている俺は、どう考えても馬鹿みたいに怪しい。
自分が約束したとはいえ、じわじわと羞恥がこみ上げてくる。
今すぐ服をかき集めて、逃げ出したい衝動に駆られてしまう。
「アリスちゃん、俺、全裸で出てくるけど・・・準備はいい?」
一応、最終確認のつもりだった。
ここで「やっぱりやめましょう」と止めてくれる展開を、ほんの少しだけ期待した。
「ええ、お願いします」
(・・・・・もう、逃げ場はないのか)
返ってきたのは、あまりにも冷静で、あまりにも迷いない声だけだった。
せめて少しくらい躊躇ってほしい。
上半身だけで済むと高をくくっていた自分の甘さを、この瞬間、全力で呪う。
観念して、ゆっくりと彼女の前に姿を現す。
腰に薄布一枚という、もはや気休めにならない格好で現れた俺を見ても、彼女は眉ひとつ動かさない。
「えっと、どうかな」
「ええ、それで大丈夫です。では、あそこの台の上に乗っていただけますか?」
「ああ、うん・・・」
「もう少し、右を向いてください」
(・・・対応が完全に「物」なんだけど)
アリスちゃんの目には、俺はそこらへんに置いてある花瓶やソファと大差ないに違いない。
「あの、俺、一応、人間なんだけど」
「ええ、存じています」
(・・・・・・この扱いは、傷つくよなぁ)
もう少しくらい、こう・・・何かあってもいいのではないだろうか。
例えば気まずそうに目を逸らすとか、せめて一瞬くらい躊躇するとか。
これでも一応、社交界では憧れの存在として通っているのに。
目の前の彼女の反応を見ていると、さすがに自信がなくなってくる。
「ねぇねぇ、アリスちゃん。こんなとき女性は『きゃっ』とか『恥ずかしい』とか言いながら、頬を赤らめるものじゃないの?」
「そうなのですか?」
「俺は、そう思ったんだけど」
アリスちゃんは、はあ、と呆れたように小さくため息をついた。
「ルーク様の周りの女性の方は、そうかもしれませんね」
「えっ、俺の周りの女性って・・・?」
「ルーク様のことがお好きな女性ですよ。だから、ルーク様の裸を見ると、そんな反応になるんですよ」
なるほどと納得しかけて、慌てて首を振る。
そもそも日常的に肌をさらす機会なんてない。
それに見ることはあっても、見られることはない。
というか、今のこの状況がまず普通じゃない。
「それより早く描きたいので、ポーズを取っていただいていいですか?」
「あ、ああ、うん。わかった」
(・・・・・・『それより』ってなんだよ)
言われるがまま台の上に乗り、ぎこちなくポーズを取る。
「こんな感じで、もう少し腕を上げてください」
完全に作業モードである。
どうやら俺との会話よりも、描くことの方が優先らしい。
事務的に指示を出してくるが、もう少しくらい気を遣ってくれてもいいのではないだろうか。
「ねぇ、アリスちゃん」
「はい?」
「俺の扱い、ちょっと雑じゃない?」
「そうでしょうか?」
アリスちゃんは首を傾げるだけで、悪びれる様子はまったくない。
だが、アーサーのときは、もう少し丁寧だった気がする。
「・・・・・・これでいい?」
「ええ、大丈夫です。そのまま動かないでくださいね」
内心の不満を押し殺しつつ、アリスちゃんの指示に従い、言われるままにポーズを取った。
だが、恥ずかしさで落ち着かず、つい体を動かして誤魔化したくなる。
「動かないでください」
途端に、ぴしゃりとした声が飛んできた。
思わずアリスちゃんの顔を見ると、目が据わっている。
その視線が、肩から胸、腹へとゆっくりと滑り落ちていく。
(・・・頼むから、その先だけはどうか勘弁して)
アーサーのときには見られなかった反動なのか、腰のあたりを必要以上に観察されている気がしてならない。
自分の不用意な約束を、今さらながら後悔する。
以前、アーサーをモデルに描いていたときもそうだったが、彼女の視線は刺さるように鋭い。
まるでこちらの全てを理解しようとするかのように、隅々まで確かめるような真剣さがある。
(・・・・・・・・・変な汗が滲んでくる)
ただ「描く」ためだけの視線。
それなのに、自分という人間の本質を暴かれそうな気がして、落ち着かない。
(・・・・芸術家って、みんなこんな感じなのか?)
いつもどこか他人事のように構えているくせに、興味を引かれた途端、誰よりも貪欲になる。
本人にその自覚はないのだろうが、瞬きすらせず、じっと観察していることがある。
そのせいか、物事の見方もどこか常人とはずれている。
『スカーレット様には「ユディト」が似合いそうですよね』
『自分で道を切り開いていく人に見えたので』
友人であるスカーレット。
蔑まれることの多い彼女だが、その内面は誰よりも気高い。
あのとき、あの短い時間で、彼女は何を見抜いたのだろう。
何を基準に人を見ているのかと尋ねれば、彼女は『見えたままを、そのままですが』と首を傾げるだけだった。
だからこそ、あの言葉が引っかかった。
『ルーク様は、そのままでいいと思いますよ』
(・・・・・・・・・俺の、何を見た?)
何を見透かされたのかはわからない。
ただの会話だったはずだ。
それでも、軽く振る舞う自分の奥に踏み込まれたようで、胸の内が落ち着かなかった。
問いただすこともできず、言葉が喉で止まった。
このままだと自分のすべてを見透かされそうで、本気で動きたくなる。
だが、彼女の真剣な眼差しがこちらを射抜くようで、動くことをようやく踏みとどまった。
(・・・・・・本当に、変な子だよな)
最初は、アーサーを狙う愚かな令嬢かと思った。
俺たちの気を引こうとして、わざとぶつかったり、目の前で転んだりする令嬢がいる。
彼女もそうした手合いの一人かと思った。
だが、エレノアを助けたのは確かだし、その真剣さも伝わってきた。
だからこそ、家に招くことにした。
もちろん、彼女のことはしっかりと調べていた。
父親であるローレンス・ヘイルは、貴族の屋敷に出入りしていた画家。
母親のマヤは、ブラックウッド伯爵の年の離れた妹だった。
サマセット伯爵と婚約中の身でありながら、マヤはローレンスと恋仲になって駆け落ちした。
マヤから手紙が残されていたこともあり、妹の意思を尊重して、ブラックウッド伯爵は彼女を探すことはしなかったようだ。
王都を離れた彼女たちが、どう暮らしていたかはわからない。
ただ、8歳のときアリスちゃんは両親を事故で亡くし、ブラックウッド家の養子となった。
薪を焚きすぎたことによる不幸な事故で、外にいた子どもだけが生き残ったと記録にはある。
もしかすると、彼女が語った流星群を見た夜のことだったのかもしれない。
両親を相次いで亡くしたその悲しみの深さは、計り知れない。
引き取られた後、彼女は社会との関りを断っていたのだろうか。
つい最近まで、社交界にもほとんど姿を見せていなかった。
そのせいか、彼女に関する情報は驚くほど少ない。
「ありがとうございました。よかったら、休憩をどうぞ」
不意に、彼女から声をかけられた。
どれくらい時間が経ったのだろう。
ただ立っていただけのはずなのに、緊張していたせいか、驚くほど疲れている。
「ああ、ありがとう」
「休憩後、またポーズを取っていただいてもいいですか?」
「・・・・・・いいよ」
(・・・・・・・・・仕方がないか)
この機会を逃すまいとしているのか、今この瞬間でさえ、彼女の視線は俺の体をなぞり続けている。
彼女の絵にかける情熱を知っているからこそ、その不躾な視線にも口をつぐんでいられた。
(・・・・・・本気、だもんなぁ)
正直、うちに来るまでは、彼女の絵にかける情熱を本気で受け取っていなかった。
だが、違った。
彼女は、狂気すら感じるほどに本気だった。
食い入るような表情でアーサーを見つめて描く彼女に、誰も何も言えなかった。
あの日、俺たちは本気の人間はどういうものなのかを、目の当たりにしたのだ。
緊張に息を詰めながら、絵に向き合う彼女を、ただ黙って見守ることしかできなかった。
「よかったら、紅茶をどうぞ」
「ああ、ありがとう」
さすがに裸のまま紅茶を飲ませるのは気が引けたのか、毛布を肩にかけてくれる。
それでようやくホッとした。
「それにしても、絵を描くアトリエまであるとは恐れ入ったね」
「絵を描くと、どうしても匂いが取れなくなるんですよ。さすがに義母が嘆いて、義父が古い小屋を改修してアトリエにしてくれたんです」
「・・・うん、お義母上が嘆くのは、わかるような気がするよ」
室内には制作の痕跡であふれていた。
壁際には立てかけられたキャンバス、床には木屑や絵の具の痕。
机の上には小瓶に詰められた顔料がいくつも並んでいる。
粉の顔料は油で練られ、木のスティックで塗り広げた跡が、あちこちに残っていた。
筆やパレットも雑然と置かれ、ラグの上には椅子とソファが無造作に寄せられている。
はっきり言って、汚い。
とても令嬢のいる部屋だとは思えない。
女性に夢を抱きがちなアーサーが見たら、少なからず幻滅するだろう。
花の香りとは程遠く、油と土が混ざり合ったような匂いが、静かに漂っていた。
「では、またポーズをお願いしていいですか?」
「ああ、いいよ。今度も台の上に立った方がいいの?それとも、そこのソファの上で座る?」
「いいえ。もう一度台の上で、同じポーズを取ってください」
「ああ、わかった」
先ほどと同じポーズを取る。
もしかしたら、彼女の中でもう構想はできているのかもしれない。
(・・・・・・どんな絵に仕上がるのだろうか)
興味本位で、彼女の絵を見るためにトマス画廊を訪れた。
あれほど鬼気迫るメディアを描いていたのだから、人物画が中心だと思っていた。
だが、彼女が描いていたのは風景画だった。
彼女の育った村を描いたものだろうか。
春の芽吹き。夏の光。秋の実り、冬の静寂。
美しいはずの風景なのに、どこか現実味が薄く、遠い記憶のようだった。
技術的には確かに巧みだった。
だが、その絵には、拭いきれない悲しみが漂っていた。
見てはいけない記憶を覗き込んでしまったような、そんな胸のざわつきが残った。
結局、何も買わずに店を出た。
(・・・・・・これ、当分終わらないんだろうなぁ)
同じ姿勢を保ち続けているせいで、じわじわと体が痛くなってくる。
それでも彼女は相変わらず、俺のすべてを読み取ろうとするかのように、貪欲な視線を向けていた。
他の相手なら、とっくに耐えきれず席を立っていたかもしれない。
それなのに、彼女の役に立っているのだと思うと、不思議とこの場にとどまっていられる。
理由は、よくわからない。
ただ、あの真剣な眼差しから目を逸らすのが、なぜか惜しい気がした。
お読みいただき、ありがとうございました。
本作は異世界が舞台ですが、時代背景はおおよそ18世紀頃をイメージしています。
チューブ入り絵の具は19世紀半ばに発明されたため、作中のアトリエ描写もそれ以前の様式を参考にしています。
その点、ご理解いただけると幸いです。
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