妖魔血戦
「なんだ、あれは……!?」
怪物の腹から出て来た大蛇を見て、ラクシィは目を見開く。
その背には巨大なコウモリの羽が生えており、上空から降り注ぐ攻撃でウェンディは瓦礫で飛ぶことが出来なかった。
だが、突然起きた予想外に対する動揺が、絶え間ない弾幕にわずかな綻びを生み出す。
――!
視線が外れ生まれた数秒の好機。
それを逃すことなくウェンディは瓦礫へと飛び乗り、浮遊の魔術を掛け空へと上がる。
「!」
離れていたラクシィの注意が眼前へと迫ったことで戻るが、近寄れさえすれば関係ない。
回避と共に準備した策は、既に仕掛けてあるのだから。
「(なんだ――――)」
ラクシィの眼前に現れたのは、瓦礫と共に浮かせた粉塵。
意図を瞬時に汲めない敵は反射で回避しようとするが、ウェンディが粉塵を指さした瞬間、動きも視線も奪われる。
「ボンッ」
「(————しまった!)」
ラクシィは知っていた。
ウェンディが触れた物は爆発することがあることを。
だから奪ったナイフを捨て、距離を取った爆撃で不意打ちの可能性を潰した。
だから眼前の粉塵が爆弾であると考え、とっさに回避から防御へと姿勢を変える。
「――――ははっ!」
知らなかったのは、発動の条件。
爆発の術式は、魔力の紋様を完全に刻まなければ発動しない。
泥の魚に抉り取らないよう気を付けなければならなかったように、僅かにでも形が崩れれば失敗してしまう。
そんなことを知る筈もない初見の敵へ仕掛けたフェイントは、ウェンディがその足を掴む絶好の隙へと繋がる。
加わったウェンディの全体重を支えようとする翼は、足場として浮かんでいた瓦礫をぶつけることで自由を奪う。
そうして飛ぶ力を奪った敵を、落下の勢いを乗せ、ウェンディは崩れた建物が広がる地面へと叩きつけた。
「……動けなくなってくれたかな」
予備で飛ばしていた瓦礫に着地したウェンディは、土埃の立つ地面を見下ろす。
――魔力の纏い方、あの赤鬼さんのお陰でかなり上手くなれた。良かった、戦っておいて。
一歩間違えれば自分も大ケガを負いかねない策は、以前戦った赤鬼の魔力による強化のやり方から自身のそれを改善したからこそ出来た無茶。
感謝を抱くウェンディの眼下で、崩れた建物も一部が盛り上がる。
「あー、つくづく予想が外れるなぁ! 今日は!」
瓦礫を吹き飛ばして現れたラクシィに大きなけがは見受けられず、まだまだ元気いっぱいの様子だ。
「今日は?」
「そう、今日は。偶然視えた別世界の君たちの来訪日を見誤ってあの子の餌にし損ねるし、逆に食べて眠らせてた髪もどきは目を覚まして大暴れ。本当に厄日だよ」
――『視た?』特別な能力の類かな……。
――まぁ、これで知りたかったことは知れた。あとは――――
「なら、観念しておとなしく捕まる?」
――この現況を倒すだけ。
「ヤなこった」
やり返すように、投げられた問いにラクシィは不敵な笑みを返す。
その答えを予想していたウェンディは返答の瞬間に瓦礫を投げ、爆ぜた音が二ラウンド目の開始の合図を告げる。
「また目隠し? もう見飽きたよ!」
駆け引きなどしないとばかりにラクシィは張られた煙幕を巨大な血の爪で振り払う。
その余波で数メートル先まで突風が巻き上がるが、既にウェンディの姿はそこにはない。
いるのは頭上。ほぼ真上から、敵の脳天へ向けてかかとを振り下ろす。
「そうだよねぇ、また空に上がられたら嫌だもんねぇ!」
変幻自在の腕は即座にウェンディの攻撃から身を守り、流れるように形を変形させ反撃を繰り出した。
――あの見た目といい、血を操る力といい、やっぱり吸血鬼? 弱点以外でころせるんだっけ。
そこに日光はなく、銀の弾丸も十字架も無い。
羽を広げ再び空へと上がるラクシィを黙って見つめながら、ウェンディは敵の倒し方に思考を巡らせる。
「(なんだ? 何故ただ突っ立ってる?)」
「飛ぶのを邪魔しない理由が知りたい?」
「!」
思考を読まれたラクシィに動揺が走るが、それを見てもウェンディは動かない。
なぜなら、遠くに姿が見えたから。
弓を構えた、弓兵の姿が。
「友達の邪魔になるから」
「!? ッ、アアッ!!」
背面からラクシィを穿ったのは、音を置き去りに飛ぶ魔女の弓矢。
それを追う形で、遠方から炎に包まれた飛来物がウェンディの近くへと落ちた。
「……ありがとう。ノア、ラマ」
炎が消え、中から姿を見せたのは何の変哲も無いただの剣。
その普通の剣を両手に、よろけながら地面へと落ちた敵へとウェンディは斬りかかる。
「こんなッ、モノでッ!」
血の盾が間に合わずその身に剣の切り傷が入りながら、ラクシィは弱る様子を見せない叫びをあげた。
そこに怒りは無く、今までのような客観視した楽しげな様子もない。
意地か、執念か。
ウェンディが一瞬気圧されるほどの気概を放ち、ラクシィは傷口から大量の血を辺り一帯へまき散らす。
「この程度で、未来を譲れるかッ!」
溢れ出る血は湖を作り、吸血鬼の城を再現する。
空へと逃げたウェンディの下では、飲まれた建物が跡形もなく溶けて消えた。
「(あの子の役割は門を壊すことだけ! 街を掌握し、世界を地獄へ設計し直すことは時間を掛ければいい!その分の力で 魔女を殺し、神もどきも殺す。そうすれば残りの街に居る力ある妖も、殺しに来るだろう赤い王も、予定通りに対処できる! 問題ない!)」
ラクシィの体すらも飲み込んだ湖の底から顔を出すのは、真っ赤に染まった巨大な怪物の顔と爪。
開かれた口と掲げられた爪先に規格外の魔力が収束し始め、辺りの景色を歪ませる。
空間に異常をきたすほどの攻撃。その情報だけで、その光景を見ていた者は全員、収束された魔力が解き放たれれば街ごと自分たちも消し飛ぶことを理解した。
――……そっか。君も、見たい景色があるんだね。
――だから、何かを気にして窮屈そうなのに、ずっと楽しそうだったんだ。
「…………素敵だね」
吐いた言葉は、誰の耳にも届かない独り言。
ウェンディは一瞬だけ優しく微笑むと、次の瞬間には戦いの顔へと戻り、口を開ける怪物を静かな瞳で見下ろした。
「中途半端なことしてごめん。夢を阻む敵として、ちゃんと、君を殺すよ」