祀られた蛇と月の少女
草木が生い茂り、川を多様な魚が泳いでいく、うるさいほど生命に満ちた山。
その山頂にある古びた祠が、巨大な蛇である私の住処だった。
年月など数えてはいなかったが、私がそこを寝床と決めてからしばらくして、近くに作られた村の住民が食料を供えにやって来るようになった。
彼らが言うには私は山の神なのだという。
人の事情など、私にはどうでもいいことだ。
だが、恩を受けたままというのも座りが悪く、供えを貰っているうちは村に獣が寄り付かないよう守ってやることにした。
ただ食らい、力を蓄え続けるだけの日々に、少しだけ変化が生まれた。
人間たちは満月の浮かぶ日に捧げものをし、私が気まぐれに姿を見せればしきりに何か言葉を吐いた。
内容など一つも覚えていない。
言葉を知らなかったこともそうだが、私には人間の声も、鳥のさえずりも、どちらも同じようなものだと感じていた。
だから、その小さな変化もすぐに身を取り巻く常の一つへ溶けていくのだと、そう考えていた。
あの、月のような瞳をした少女を見るまでは。
幾度も巡る季節を見送り、村の見た目の変化に気付けるほどに歳月が過ぎたある日。
紅葉に彩られた山林の中で初めて彼女を目にした瞬間の光景は、今でも明確に思い出せる。
彼女の表情も、しぐさも、声も、言葉も。
あらゆるものが、私の世界を輝かせた。
「ヘビさま! 今日は何の話をしよっか!」
今まで雑音だった人間の声も、彼女の言葉だけは違って聞こえた。
初めて関心を持てた私は言葉を知り、文化を知り、人というものに詳しくなった。
やがて、自身の姿を人に似せたものへと変えられるようになるほどに。
「ヘビさまって、どのくらい生きてるの?」
「どのくらい……君たちの村が出来るずっとまえから?」
「な、長生き!」
「うん。長生き」
その少女の名はスミレ。
ただ一人、私に興味を抱かせた人間。
「ヘビさまは、なんで私を食べないの?」
「…………」
「ヘビさまには、あんまり変わってない私を食べてほしいよ」
彼女には、妖の血が混じっていた。
彼女の体は時が経つほどに人の形から離れていく。
爪は伸び、腕は黒く変色し、笑う口には獣のような牙が見える。
他の者と違い彼女だけが毎日私の元へ捧げものを持ってやって来たのも、村の人間たちから呪われてると嫌われたからだと言う。
「……君は――――」
生きたいのか?
その言葉が、喉の奥に詰まって出なかった。
……もし。
もし、聞けたとして。
死ぬことを望まれ、彼女がその望みを良しと言ってしまったら――――私は、彼女を食べたのだろうか。
彼女の望みと、私の望み。どちらを取ったのだろうか。
考えても答えは出ない。
出したところで意味は無い。
あの日。
妖怪によって村が滅ぼされた日に、私はそのどちらも裏切ったのだから。