黒い妖
――魔女? 私……いや、私たちのことを知ってる?
異なる世界から来た自分たちのことを知っているという発言に、攻撃に入ろうとしていたウェンディの動きが止まる。
その一連の動きをラクシィは楽しむように眺めると、開いた右手を前へと出した。
「まあ待とうよ。気になるよね? 私のこと。 なら少し話させてよ。目的とか手段とか、一度くらい誰かに話してみたかったんだ」
それは、あまりにも相手に益のない交渉。
罠の可能性があまりにも高い誘い。
語るとしても、全てが本当のこととは限らないだろう。
だが、それでも、ウェンディは聞く他なかった。
異なる世界のことを知っているということは、自身の仲間に危害を与える用意をしている可能性があるということなのだから。
「異論はないようだし、それじゃあ語らせてもらおうかな。ここに至るまでの、私の物語を」
むかしむかし、あるところに三体の妖がいました。
彼らの力はとても強く、それぞれが妖の未来を考えていました。
人の領土が増え、隠れることも、身を守ることも難しくなってきたからです。
赤い妖は言いました。「妖だけの世界を作り、そこへ避難するべきだ」と。
青い妖は言いました。「隠すのは逃げたい妖だけでいい。人と交わりたい者は残すべきだ」と。
そして、黒い妖は二体の話し合いを聞いて思いました。「もったいない」と。
百年ほどの年月が経ち、妖怪の世界が出来上がりつつありました。
数こそ少ないものの妖の居住が可能となり、妖たちに二つの道を与えることになりました。
人のものになりつつある世界に残るか、逃れるか。
多くの妖が逃げました。
子孫が途絶えても構わない者、故郷を手放せない者、人に関わりたいと思う者。
それらの妖全体の二割にも満たない数が、残ることを選びました。
そして、殺し合いが起こりました。
妖の世界へ連れて行こうとする妖怪と、留まろうとする妖怪との争いです。
多勢に無勢。王となった赤い妖の命令に従い、死者たちは反抗する者たちを皆殺しにしました。
そうして人の世となった世界から妖は消え、生かされた子供たちは戦う理由を胸に妖の世界へ連れて行かれました。
黒の妖は大喜び。計画通りだと満面の笑みになりました。
妖の街に生み出した怪物を隠すのも、赤い妖になりすまして虐殺を命じるのも。
ただ一つ誤算だったのは、人の世で妖を見守っていた青い妖が、自分の狙いに気付いたこと。
使える駒を探しに来ていた黒い妖は、怒り狂う青い妖に殺されかけました。
九死に一生、なんとか生き延びた黒い妖ですが、計画を続行するには損傷が激しすぎるため変更を余儀なくされます。
妖の世界を蹂躙する役目を持った怪物に、あらたに自身の回復装置としての機能を。
そのために削った戦闘能力を、連れ去られた物たちを利用することで補充。
どちらも完璧ではありません。
常に飢餓状態に設定した怪物の精神が回復中に影響するかもしれない。
切り札として怪物の姿を見せても協力が得られないかもしれない。
けど、やるしかありません。
すべては、自身が望んだ未来のために。
「――――結果として、狙いはおおむね成功となりました。私の体は完全復活。妖たちもたくさん協力してくれてます。多少の予定外はありつつも、こうして賭けだった赤い妖の捜索に見つかることなく計画の最終段階までこれました」
そこまで語ると、ラクシィはウェンディへ向けて深々と一礼をする。
手を横に伸ばし、ショーを終えたマジシャンのような姿勢で成長に感謝の意を示す。
「何か質問はある? 一つくらいは答えるけど」
「あなたの目的は? それに、怪物が世界を蹂躙するって言ってたけど、その怪物は今死にかけてるよ」
ウェンディが見上げた視線の先には、まさに今倒れていく怪物の姿。
釣られてラクシィも怪物へと視線を上げ、その死にかけているがたを見てもなお、顔には楽し気な表情が浮かび続ける。
「確かに、目的はまだ言ってなかったね。私の目的は――――”地獄を現実に持ってくること”」
「……は?」
「それと、怪物に関しては…………」
「ッ!?」
怪物が地面へと倒れ込んだ衝撃が走ると同時に、地面に散らばっていた臓物の破片が突然蒸発するように消え失せた。
疑問を浮かべる暇もなく、ただ立っていただけの筈のラクシィの体から大量のエネルギーが放たれ、衝撃波となってウェンディを吹き飛ばす。
「あの子には今、この瞬間まで私を治し続けてもらってたんだ。完全回復まであと少しだったし。それが終わったから……ほら、もう立ち上がった」
その言葉の通り、倒れた筈の怪物が再び立ち上がり始める。
空には街中から何かが怪物へ向かって飛んでおり、それが届く度に失った血肉が徐々に補充されていく。
流星群のように空に弧を描く謎の飛来物。
その正体を、ウェンディの目は確かに捉えていた。
それらが、妖怪であると。
「お前……彼らに何した!?」
「言ったでしょ? 削った戦闘能力を補充するって。生きてる妖怪も死んでる妖怪も、みんなあの子の血肉の在庫だよ」
満面の笑みのその顔面へ向けて、ウェンディは近くに落ちていた瓦礫を投げつける。
瓦礫は敵に当たる直前で爆ぜると、ラクシィの視界を煙幕で塞いだ。
「いい使い方だね」
煙の中を直進したのは追加で投げた大きめの瓦礫。
ウェンディはその瓦礫に視線を奪われ死角となったラクシィの右後方へと滑り込み、がら空きの背中へ手に持つナイフを振り上げる。
「!?」
だが、瓦礫の爆破もナイフの刃も、突然現れた歪な盾に阻まれ敵に届くことはなかった。
赤黒いその盾はラクシィの手元から伸びており、そこにあった腕はゲルのような半液状のものへと変質して盾を支えている。
固形から液体へ、ナイフを絡め取ったまま形を変形させた盾は、棘のような突起を表面から刺し伸ばす。
至近距離から放たれたその攻撃はウェンディの頬に傷を作り、回避のために離したナイフを奪い去った。
「血だらけのナイフで斬りかかるとか、危ないなぁ。他に武器ないの?」
ラクシィは腕を元の形へと戻すと、手先でつまんだナイフを後方へと投げ捨てる。
「お金無い。それに、武器はその場で調達するものでしょ」
「確かにそうだね。でも、拾い物で私に勝てる?」
「当然」
放たれた長髪に返すは、迷いなど微塵もない自信に満ちた返答。
その不敵な即答は、常に楽し気に微笑んでいたラクシィの表情を僅かに変えた。
目を細め、歯を見せて笑う、より楽し気な表情へと。
「……へぇ。それは、楽しみ」