潜んでいたもの
アズが出した真黒の手の上を、ウェンディはただひた走る。
何にも邪魔されない道は加速を最大まで引き出し、彼女を人型の弾丸へと変えた。
――問題はあの怪物の中身が分かんないことだったけど……運がいい。誰か分かんないけど、最高のタイミングで攻撃してくれた。
空気の壁と足の疲労を魔力による身体強化で防ぎ、最高速度で狙うは怪物の胸元。
巨大な光に貫かれて出来た綺麗な穴は自重で崩れ、溶けるように剥がれ落ちた肉の壁は奥に隠した唯一の臓物をさらした。
――おかげで、アレを抉り出せる!
抜いたナイフは跳躍とともに空気を切り裂き、その先にいる獲物へと牙をたてる。
相対するは巨大な臓物。
遠目であっても自身の数倍の体積、重量を見積もれる巨塊————だが、魔女の突進を止めるには心もとない。
速度と体重、その全てを乗せたウェンディの刺突は、思惑通りに対象を押し出し地面へと叩きつけた。
「…………ふぅ」
ナイフを臓物から抜き取り、赤黒く染まった手をふるって血を払う。
――良かった、倒せて。これで最悪の事態は避けられた筈。もし他に強い敵が居たとしても、普通のサイズならやりようはあるし。
見上げた空には形を失い崩れていく怪物の姿が。
再生する様子はなく、森で暮らしていたウェンディはそれが生物の死に際だと感じ取れていた。
――……うん、確実に倒した。あの怪物はもう手遅れ。助かるわけがない。
理性も本能も、目に映るソレに脅威は無いと告げる。
――…………なら。
だからこそ、確信を持つ他ない。
――なんで私は…………こんなに怯えてる?
自分が恐怖を感じる何かが、そこにあるという事実に。
死にかけの怪物ではない。遠くから聞こえる妖怪たちの雄叫びでもない。
周到に隠れた、一度も視界に入っていない脅威。
――建物
――地面
――空?
――不可視
――小型……見落とし
――まだ、見てない……?
――…………臓器の中。
その思考に行きついた瞬間、ウェンディはその場から飛び退いた。
そして、近くに落ちていた瓦礫を拾い上げ、術式を刻むと同時に臓物へ向けて投げつける。
――ぶつかった衝撃で、確かに臓器は凹んだ。
――けど、完全に潰れたわけじゃない。
――……もし、あの臓器がクッションの役割を果たしていたとしたら?
――あの怪物自体が、入れ物の役割を果たしていただけだとしたら……?
次々と膨らむ嫌な予感が、ウェンディの視線を前方へと固定させた。
そして、その全ての思考を肯定するように、爆発で生じた煙の中を何かが動く。
「本当、思った通りにはいかないね。今日は厄日なのかな」
聞こえてきたのは少女のような高い声。
煙るが晴れ、あらわになった赤い瞳とウェンディの視線が重なる。
「初めまして、異界の魔女さん。君が倒したペットの飼い主、ラクシィだ」