幾千の願い
蒼炎は周囲を照らし、鬼の姿が見なない観客にも状況の変化を気付かさせる。
「な、何だぁ!?」
「急に青い炎がッ!」
唯一、鬼の姿も声も認識出来ていたスザクだけが、瞳孔の開いた顔で笑う。
「いいね、あと一息……!」
――間違いなくここが大一番。
――タイミング、絶対外すなよ、私。
肌が焼けるほどの高熱へ向けて、ウェンディは走り出すため姿勢をかがめる。
「(いい度胸だッ!)」
鬼が手を前へと突き出す。ただそれだけで、この勝負は決着が着くだろう。
ウェンディの脳裏によぎるは、その行為によって骨も残らず溶け死ぬ自分の姿。
だが、それへの恐怖を無視し、ウェンディはただ燃ゆる鬼の手を見続けた。
持ち上げ。
——まだ。
振り上げ。
――まだ。
前へと突き出————
――今ッ!!
「爆ぜろッ!」
「!?」
ウェンディの言葉に合わせて引き起こされる魔術。
それにより、突き出す拳がわずかに横へズレた。
「(なんだ!? 爆発!? 死んだふりのか! いったい、いつ!?)」
ウェンディは備えていた。
鬼の胸倉を掴んだ時から、次の一撃に繋げるための布石を。
触れた胸の装飾を爆発させ、相手に隙を作り出すために。
「(————まだだ!)」
思考を勝負へと無理やり引き戻した鬼が、左手に新たな炎を纏わせる。
だが、ほんの瞬きの差だったが、ウェンディの足が一歩早く鬼の懐へと踏み込む。
図っていたタイミングは、敵の攻撃が確実に不発になるタイミングと、自身がぎりぎり炎に焼かれず、熱に耐えて最短距離で走れるタイミングの二つ。
体の左側が熱で焼かれていく痛みを感じながら、ウェンディは怯むことなく走り切った。
「(間に合————)」
焦る鬼の思考を越え、握りしめられた右手が振り上げられる。
狙うはみぞおち。鉄の刃を枝木で止めるほどの魔力の盾も、攻撃に振り切っている今は機能しない。
阻むもののない拳が、叩き込むべき的を捉えた。
「――ッ!!」
鬼の体が宙へと浮き、纏っていた炎がその手を離れていく。
「(————ああ、くそ)」
体はまだ動き、瞳も戦意を失っていない。————だが。
「本気で、負けちまったか」
勝負は着いた。
「ハァ……ハァ……」
息を切らすウェンディの前で、地面に落ちた鬼が体を起こす。
そして、なお右手を握りしめるウェンディへ向けて、わずかに口角が上がった口を開いた。
「勝敗の着け方は『どちらかが良い一発を入れる』こと。儂が決めたルールだ。四の五の言うつもりはない」
「…………つまり?」
「お前の勝ちだ」
両手を上に挙げながらの敗北宣言。
数秒かけて「勝ち」という言葉を飲み込んだウェンディは、その瞬間体の力が抜けて倒れ伏す。
「お、おい、倒れちまったぞ!?」
「勝負はどうなったんだ」
困惑する観客の中、スザクは両者をたたえる拍手を鳴らした。
「ウェンディの勝ちだよ。譲られることなく、勝ってみせた」
観客たちから巻き起こる歓声。
その声に耳を傾けながら、鬼は倒れているウェンディを眺める。
「(まさか……本当に負かされるとはな)」
くやしさと、嬉しさを混ぜた表情を見る者は居ない。
ただ、その言葉だけがウェンディの耳へと届いた。
「楽しかったぞ、お前ら」
『うん、僕たちも』
『私たちも、楽しかったよ』
『ありがとう、赤鬼様』