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7 決闘の事情 2






「始め!」


 掛け声とともに踏み込む。力負けもするから、攻撃を受けとめることは最小限にしたい。


 ギン、と耳に痛い硬質な音が上がる。


 ジェフは危なげなくそれを受け止める。


「っ!」


 すぐさま別方向に振り抜き、もう一撃入れる。


「ぶれているぞ」


 口角をわずかにあげてジェフが言う。


「だろうな」


 すかさず繰り出される彼の攻撃をなんとか躱し、泥濘を踏み込む。女性騎士は力ではどうしても男性騎士には敵わない。だから攻撃を受け流し、躱す技術が磨かれる。それでも長い時間躱し続けられるものではないから、勝負をかける瞬間を見極めねばならない。ただそれは、剣を持っている人間は誰もが知っていることだし、何より、ジェフはわたしと剣を合わせることに慣れている。


 ぐっぐっ、と時折地面を強く踏み込みながら、移動する。手が痺れてしまわない程度にジェフの攻撃を受け流していく。少し動いただけなのに変な汗が出た。身体が重い。動きが鈍い。信じられない。焦りが次々と溢れ生まれる。だが、反対に気分はどんどん高揚してくるのを感じた。素早く瞬きして焦りを噛み殺し、剣をふるい機を待つ。


 ――今だ!


 ぐっと踏み込み、するどい速さで刃を横に薙ぐ。それをジェフはわずかに身体を反らし躱す。だが次の瞬間、片足を後ろに引いた。

 ジェフのかかとが入ったのは、雨で泥濘んでいたが乾きかけ、わたしが更にわざと踏み荒らした場所の中でも凸凹のキツイ地面だ。ジェフの足元が、重心がかすかにぶれる。

 ジェフの意識が一瞬足元に逸れるのをわたしは見逃さなかった。



「シッ!」


 歯と歯の間から息を吐き出した勢いのまま刃を返し、渾身の一撃を入れた。


「!!」


 刹那、髪の先が凍るような剣圧が襲った。


 ジェフは後ろに尻もちをついたが、彼の剣はわたしの首の真横で止まっている。

 わたしの剣先も、彼の首元で止まっていた。

 彼の刃の軌道上にあった後れ毛が幾筋かここぼれた。


「そこまで!!」


 父の声が響く。



 わたし達は荒い呼吸のまま一旦離れ、礼をした。



 わたしは両手を膝に当て、前かがみになると、大きくため息をついた。


 駄目だったか。


 一か八かの一発勝負だったのだが、駄目だった。

 訓練をサボっていたわたしに出来る精一杯だったのに。


 昨日までの雨が乾き始めた地面を踏み荒らし、いつもの軍靴では無く踏ん張りの効かない彼の足元を悪くして体制が崩れるのを待ったが、ジェフはすかさず反撃を繰り出していた。体制を崩されてもそのまま狂いなく急所を狙ってきた。脊髄反射的な動きでどうしても勢いがつく場面でさえ、それを調節して刃の入るギリギリで止めることすらした。


 いや、戸惑いは別にしても随分手加減していたんじゃないか、と思う。

 してくれているってわかったから、そこに付け込んだのだけれど。


 引き分けだとしても……これは完敗だ。



 わかっていたことだけど、悔しいものは悔しい。



「一応、引き分けだがどうする?」


 父がわたし達を交互に見た。


「どうって……」


 ジェフが訪ねて来ることすら知らなかったわたしは、取り敢えずなにも考えていない。


 だが、それはジェフも同じなようで、わたしをちらりと見て、少し眉を下げた。それが所在無げで、この期に及んでかわいいと思ってしまう。


 二人の戸惑いを見て取った父は片眉を上げると、わたしから自分の剣を取り返した。それを手ぬぐいでざっと拭うと、鞘に収め、肩に担ぐ。


「まぁ、これでいい具合に頭が覚めただろ。ちゃんと話をしろよ。――シェリル」


「なに?」


「今度は逃げるな」


「逃げられないよ」


 苦笑すれば、わたしの頭に麦わら帽子を被せた。


「どんな結論を出したとしても、報告には来い」


「了解」


 父はうなずくと、犬を引き連れ牧場の方へ戻っていった。




 父を見送るとわたしは改めてジェフに向き直った。

 父を目で追っていたジェフも、改めてわたしの方を向いた。




「で? わたしと結婚したいって?」


「ああ」


「本気なの? 身分差とかその他諸々、わかっていて言っている?」


「身分なら問題無い。農場をやっていたって、シェリルの家は二代続けての騎士を出している家だろ? それに俺は貴族といっても、男爵家の身軽な三男坊だからうるさく言われない」


「わたしは一人娘だから嫁には行けない」


「言っただろう、三男だし、俺が婿に入れるからなんの問題も無い」


「は!? 何言ってるの、急に」


「急にではない。実家の了解も取ってきた」


「はぁ!?」


 わたしが目を見開くと、ニヤリとジェフは笑った。なんなんだ、そのしてやったりみたいな顔は……。憎たらしいことに、その表情は彼をより魅力的に見せている。


「書類も用意出来ている」


「書類、」


 完全に嫌な予感しかない。


「実家の両親の署名入りの婿養子縁組の同意書と、婚姻届だ」


「……」


 にこり、ときれいな笑顔でジェフが笑う。


「シェリルと親父さんの署名が入れば提出出来る」


 詰んだ。

 そう思った。

 なんだろう、このまま進めば結果的に思いを寄せる相手と華燭の典と相成るはずなのに、物凄く嵌められた感があるのだが。



 久々に会った彼は、予想以上にわたしを囲い込む気満々で、抜かりなく準備もしてきたようだ。

 無駄に近衛の手廻し力を発揮している。


 というか、忙しかったんじゃ無かったの!?

 配置換えどころか、昇進して隊長に任命されたんでしょう!?


 睨みつけてもニコニコと笑う彼に脱力しそうだ。


 ああもう!


 わたしは頭から麦わら帽子を毟り取り、握り締めながら半ばやけくそになっていった。


「もっと若い子がいるでしょう」


「若けりゃ良いってもんじゃないさ」


「料理も下手よ」


「俺が上手いから良い」


 ……確かに。そうだった。彼は野営訓練などでは、常に中心人物となっているほど、近衛きっての料理上手であった。


「裁縫も得意じゃない」


「仕立て屋がいるだろう。それくらい俺が稼ぐから良い」


 ぐっ。

 えーえー、最近昇進した貴方ならそうですよね!


 しばらくこんな風な問答がいくつか続いた。

 ああ言えばこう言う、てこういう事をいうんだろう。

 わたしも大概だが、ジェフも諦めが悪い。


 後は、後は……


「わたしは可愛い女では無いよ」


 言うことが浮かばなくなって来てそう言えば、ジェフはカラッとした笑顔に妙な自信を乗せて言った。


「大丈夫、俺が可愛いから」


「……は?」


「え?」


 自分でも思いがけないことを言ったのだろう。ジェフは一瞬動きを止めて、自らを省みたようですぐさま首を振った。それはもう両手も付けて必死に振った。


「いや、これは、あの……!! ……シェリル?」


「だ、大丈夫……なの……?」


 言葉が震えた。

 

 可愛い……ジェフが可愛い……大丈夫なくらいに、可愛い……。


 あれ、うん……。

 

 いや、待って、ほんとだ……ほんとうに可愛い、な?


 たしかに大丈夫、で合ってる、のか……?

 

 ……ジェフは可愛い……!!


「やだ、ほんとだ。可愛いわ……!!」


 言葉にしてしまうと堪えきれず吹き出した。それはすぐ爆笑に変わる。


 なんなの、待って……


 ひぃひぃ笑いながら、わたしは思い出していた。

 ああ、そうだ。

 わたしは、彼のきょとんとした顔に恋をしたのだ。

 初めて会った時、差し出したハンカチが汚れていた時の慌てた顔が忘れられない。

 年を重ね、背も伸びて美しさも逞しさも増して、近衛としての賢さもズルさも身につけたのに……。

 囲い込む用意周到さも見せつけた後に、この期に及んで、なんて無防備な顔を見せてくれるのだ、ジェフは!


 そんなの、そんなの!


 わたしにどうしろというの!?


 爆笑するわたしを呆然と見ていたジェフは、何かを吹っ切ったように胸を張った。


「だろう! 可愛いだろう!」


「ひっ!?」


 ……いや、ほんとうに勘弁して!

 そこで威張らないでよ……!


 火に油を注がれた笑いが止まらない。


 そのうち、ジェフもおかしくなったのか、笑い出し、しばらく息も絶え絶えでわたし達は笑った。


 涙でぐちゃぐちゃになった目元をわたしが袖で拭いた。苦しい。肺が悲鳴を上げ始めている。というか、久しぶりに剣を振ったのと笑い過ぎで、身体のいろんなところが痛い。これは本格的にまずいな、と思っていると、視界の隅でジェフの腕が動いた。


 え?


 彼の手はわたしの二の腕を引き、体をすぽりと胸の中に収めてしまう。そのまま覆いかぶさるように抱きしめ、わたしの頭の天辺に頬をくっつけた。お互いまだ熱の残っている身体は湿っていて、布越しなど関係なく密着度を更に高めた。ただでさえ大暴れな鼓動が容赦なく加速していく。


「大好きだよ、シェリル」


 頭に直接振動として声が響く。言葉は優しく甘く落とされたが、抱きしめられた腕の力は強くて、聞き間違いも、聞き逃しも許さないという彼の意思を感じた。


「ずっと言いたかった。言おうと思ってたのに。あーあ、跪いて求婚しようと思っていたのに、台無しだよ」


 一瞬すねたような口調になり、ふと、笑う気配がする。


「まぁ、いいよ。全部これからだから、見てろよ」


「そんな仕返しみたいに言われても」


 ちょっと戸惑って言えば、ジェフは一旦体を離しわたしの目を覗き込んだ。


「やられっぱなしは性に合わない」


 口調は憮然としているが、緑色の瞳が楽しげにきらめいている。わたしは彼のその美しい瞳を覗き返した。緑色の中にわたしがいる。唇の端が上がる。まだ剣を合わせた興奮が残っているからか、思いがけず肯定の言葉がついて出た。


「わたしもよ」


「……君は、一度勝ち逃げしただろう」


 呆れたようにジェフが言うので、わたしは唇を尖らせた。


「今は負けたわ」


「引き分けだったろ」

 

 肩をすくめるので即座に言い返す。


「あなたは手加減してたじゃない!」


「それをわかっていて利用していたのは君だろう!」


「でも勝てなかった!」


 思わず叫べば、ニヤリと彼は笑った。悪い笑みだ。


「なら、次はなんの勝負をする?」


「は?」


「負けたままは嫌なんだろう?」


 声に甘さを含ませて、こめかみにキスを落とす。


「嫌だけど……」


 嫌に決まってる。でも、今のキスで彼の腕の中にいるというこの状況に今更震えてしまった。


「なら、次の勝負は何にする?」


 再度挑むように言われて。口を噤む。


「話がずれてる」


「ずれてない。ここで俺と終わりにするなら、君は負けたままだ」


 『負けたまま』……中々看過できない言葉だ。


「うーん……」


 思わず口籠るわたしにジェフは明るい声で言った。


「それが悔しいなら俺といろよ。いつだって受けて立つ」


「なにそれ」


 わたしはジェフの腕から出ると、眉を寄せて彼を見た。ジェフはちょっと楽しそうにわたしを見た。少し顎を揚げる、得意げな表情で。


「なんでもいいよ、俺は負けっぱなしにならないから」


 強気な言葉に、わたしはジェフから視線が逸らすことが出来ない。そんなわたしの視線を笑顔で受け止め、ジェフは更に緑色の瞳を溶かした。


「大好きだよ、シェリル。……君だって、俺を最後のご褒美に取っておくくらい好きなんだろ?」


「!?」


 ジェフの言葉に目を剥いた。


 は!?


 ちょっと何よそれ、最後とか! ご褒美とか!


 ――にんまりと笑うアニタの顔が頭に浮かんだ。


 あ、あ、あ!!!!

 あーーー!!!!

 ア、アニタめ!!!!


 すっかり頭に血が上ったわたしを、ジェフはもう一度深く抱きしめて、唇を耳に寄せる。

 

「諦めて俺にしとけよ、シェリル。君が俺の側にいる理由なら、俺はいくらだって用意出来る」


 甘く囁やきを落とされ、耳を喰まれた。

 真っ昼間の屋外でなんてことをするのだ、あざとい、と思いつつも、悔しいことに意識をグッと掴まれる。ここまでくると、もう、どうにも抵抗する術を見つけることが出来なくて、わたしは、握り締められて潰れた哀れな麦わら帽子を手から落とし、彼の背中に腕を回した。

 閉じられていくのに、満たされる安心感に泣きそうになる。


 本日何度目の敗北感だろう。

 彼の上着を握り締めた。 


 しとけ、なんて……馬鹿だなぁ。

 そんなふうにいわなくても、最後にと望むくらいには、あなたが良いに決まっているのに。

 

 わたしは心の中で白旗を揚げた。

 悔しいから口には出さない。

 

 代わりに――

 無くした理由をくれるあなたに、終えるためではなく、始めるためにもう一度あの言葉を。


 わたしは上着を離すと少し伸び上がり、指を滑らすように彼の頬を包み込む。湿った金髪に指先を埋めて、真っ直ぐわたしを見つめる彼の緑色の瞳を見つめ返した。お互いしか見えず融けそうになりながら、あの夜に言った言葉を繰り返した。


「キスして」







 ――始まりはキス。




お読みくださりありがとうございました。

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[一言] |「大丈夫、俺が可愛いから」 勢いでそんなこと口走っちゃうジェフくんにカンパイ。(完敗/乾杯)
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