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3 元近衛騎士の事情 2



 騎士としてはそれで終えられても、彼を――ジェフ・ラルディを思う気持ちはどうだろう、と退役が決まり、部屋を片付け始めて改めて気づいた。



 彼とは少年・少女の頃出会った。

 わたしが近衛の任務にまだ色んな意味で慣れない頃だ。ジェフは近衛ではなく、一般の部隊に所属していた。

 夏に入り初めの月の光が明るい晩だった。あまり人が来ない水場で身体を清めるわたしの前に現れた。暗いため他はぼんやりとしかわからなかったが、造作が整っているのが感じられた。そして彼の金髪が月明かりにひやりと照らされて、やさしく光っていたのをよく覚えている。年の頃はわたしと同じくらいで、身体つきは小柄で(暗い中でもわかるくらい)可愛らしい顔をした少年だった。ただ、着ていたズボンやシャツは泥だらけだった。

 しばらく彼は水をかぶるわたしをじっと見ていたが、あまりに身体が冷えるからと止めろ、と言いハンカチを貸そうとしてくれた。だけど彼のポケットに入っていたハンカチは、ズボンに滲みた泥で茶色に汚れてしまっていた。渡す寸前、汚れに気がついてハンカチを慌てて引っ込めた。

 その様子にわたしは少し笑ってしまった。まんまるに見開かれた暗闇にうっすら緑に光る瞳、慌てた表情。

 唇を緩ませながら、ささくれて冷えた心が、少し柔らかく暖かくなるのを感じた。

 夜に水を浴びる不審な人物にやさしく声をかけて心配をしてくれた。その事にわたしがどんなに救われたか。

 その後、その水場でごくたまに会えた。もうわたしは水をかぶることは無かったけれど、月が明るい夜はそこで彼と会いたかった。

 幾らか年月が過ぎ、同じくらいだったジェフの身長がわたしを遥かに超した頃、彼は近衛に配属された。それからは同僚として訓練を共にしたし、時間が会えば食事をしたり酒を飲んだりした。

 彼は、近衛に配属されて当然のように特有の遊びも含め、()()覚えたけれど、それを飲み込むことはしても染まることが無かった。男女の違いがあるのかもしれない。表面に見せなかっただけかもしれない。だがわたしには、彼がとても眩しく見えた。

 しっかりしているようで時折見せる、予想外のことが起きた時のきょとんとした表情は、いつだってわたしの心臓を跳ねさせた。


 会えたら嬉しかった。

 仕事終わりで食事に行けば楽しかったし、ジェフと飲む酒は美味しかった。

 ジェフと一緒に居る時は、殿下に侍る時は違う高揚感と不思議な充足感があった。

 だから自然とわたしは、彼に恋をしているのだとじわじわと知ることになった。

 

 だからといって、この恋をどうこうしようとは思わなかった。

 後から振り返れば、自分でも視野が狭かったと思う。だがわたしは殿下の嫁ぎ先へ着いて行けないと知らされるまで、頑なにずっとわたしの人生は殿下と共にあると思っていた。だから、恋を叶えようとか関係を深めようとは思わなかったのだ。自分がいずれ彼の前から消える人間だと思っていた。ただ仲の良い友人として、離れる時まで側にいられて、記憶してもらえればよかった。

 

 だけれど、殿下には着いて行けないと知り、わたしの気持ちは宙ぶらりんになってしまった。


 殿下を口実に諦めていたものが、そうはいかなくなった。


 今まで通りで良かったのかもしれない。

 だが、依存していた『殿下との主従関係』を失って平静を保てなくなっていた。

 心に空いた穴を持て余していた。

 正直、王城のことはしばらく忘れてしまいたい、とも思っていた。


 そんな時、ふと魔が差した。

 一度だけ、一度だけ夢を見ても良いのではないか。

 どこかすっきりした今振り返れば、ジェフの何もかもを無視した酷い我儘だ。

 今まで二人のあいだにあった友情ではなく、ただ女を利用しただけだ。


 

 そうして騎士としての最後の日、ジェフを誘って食事に出掛けた。

 律儀なところのある彼は、例え相手が友人で騎士だったとしても、女性であるわたしを部屋まで送ってくれると知っていた。

 ――酔ったふりをして、彼の腕を引いた。


 最後だから、()()として終えられる。

 近衛騎士の遊びはお互い様。

 

 自分が一番嫌いだった、ずるくて卑怯な言い訳を用意して。





 □ ■ □ ■ □ ■ □ ■ □ ■ 






 二度寝から目が醒めると、猛然と動き出した。

 私物は折を見て処分していたし、実家に送れるものは送ってしまった。箪笥の中も空っぽだ。身の周りの物がわずかに残っていただけで、すぐ纏まった。


 私服を身に着け顔を洗ったら、シーツ類を剥がしまとめると、官舎専用の洗濯場に持っていく。

 そこには友人の洗濯婦アニタが居て、彼女に手渡す。


「おはよう」


「おはよう。もう昼前だけどね」


 そう言ってシーツを受け取った彼女は眉を一瞬動かしたが、何も聞かなかった。流石に洗濯婦歴が長いだけはある。


「雑巾とバケツを貸してくれる?」


「はい、どうぞ」


 用意してあったらしく、すぐ渡された。はたきと箒も借りると礼を言って部屋に戻った。


 今日は天気が良いから後片付けにはちょうどいい。




 まずは残っていた細々としていたものを大きめのカバンに詰め込んでいたら、正午の鐘が鳴った。それを聞いたら朝食を食べ損ねたことを思い出して、手を洗い食堂へ急ぐ。ここでの最後の食事だ。そう思うと、質より量が重視、の食べ慣れたメニューもやけに感慨深かった(かといって目新しくは無い)。


 昼食以外は、ひたすら部屋の掃除をしていた。

 窓を開け放ってはたきをかけて、箒もかけて、水拭きもする。

 荷物を減らしていたから夕方前には終えて、アニタの元へ掃除用具を返しに行った。


 彼女には実家に戻ることを事前に言ってある。


「寂しくなるわ」


 掃除道具を受け取り、眉を下げるアニタ。それにしんみりしてしまう。


「何言ってんの、アニタ。一応王都内だよ。いつだって遊びに来てよ」


「そうよね、休みの日に行くわ。あのさ……でも、ジェフ、だっけ? 彼はどうすんの?」


「どうもしないけど?」


 アニタがびっくりして箒から手を離し、落としてしまう。


「え? 恋人になったんじゃないの?」


 わたしは箒を拾うと、もう一度彼女に手渡す。


「なってないけど?」


 アニタは、今度はしっかり箒を握りしめ、わずかに身を乗り出す。


「は? え? そう、なの……?」


「うん。特に何も約束してないよ」


「ヤっといて?」


 直接表現が過ぎますよ、アニタさん。事実なんですが。


「それだけでしょ?」


「いやいやいや、あんたさぁ」


 呆れた、というように彼女は脱力する。わたしは肩をすくめた。


「まあ、申し訳ないけどさ、……野良犬に噛まれたと思ってくれたらいいよ」


「うーわ最低。でもそれって、一般的に男女が逆の時に使う言葉じゃない?」


「これが違うんだなー」


 わたしが肩をすくめると、アニタはドン引きな顔をした。


「何やったのよ、あんた……」


「まぁ、そこはあれよ。近衛騎士に清廉潔白な人間なんていないってことよ」


「だとしても!」


「いいのよ、遊び納めってことにしておいて」


 にっこり笑って言えば、アニタは顔をしかめた。


 近衛騎士が遊びを嗜むことをアニタは知っている。世間的にはどうかはわからない。城内でも声高には言われはしないが、みんな知っていることだ。


「納め、て、あんた、ほとんど遊んだことなんか無いじゃない」


「最後のね、ご褒美なのですよ」


「シェリルぅー」


 情けない非難がましい声でわたしを呼ぶが、ちゃんとわたしを心配してくれてのことだとはわかってる。


「そういう事だから! ありがとう、アニタ! またね」


 わたしのカラリとした声にアニタは大げさなため息を付くと、それでも笑って手を振ってくれた。


「元気でね」


「うん。アニタも!」


 背を向けたら、強い声で呼ばれた。


「シェリル!」


 呼びかけに振り向けば、アニタはすぐ横に掃除道具を置くと、キレイな角度で頭を下げた。


「お疲れ様でした」


 最大限の敬意を込めた礼だった。


 やだなぁ、しんみりするじゃない。


 わたしはツンとする鼻をなんとか気合で止め、背筋を伸ばし指先まで神経を入れ完璧な角度の敬礼で返した。


 目が合うと、同時にわたしたちは吹き出した。二人でちょっと笑って、もう一度手を振った。


「じゃあね!」


 ああ!

 最後の最後で素敵だわ!


 最後の敬礼がアニタなんて、最高!





お読みくださりありがとうございました。

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