2 元近衛騎士の事情 1
一夜を共にした同僚をベッドの上から見送る。
本日早番の同僚は、一度自分の部屋で身なりを整える必要があるため、夜が明けきらぬうちに出ていかねばならない。
早朝の淡い光を彼の金髪が吸い込んで光っている。造作の美しさも審査の一つとされる近衛騎士の彼は、たとえ寝起きだろうときれいだ。
初めて会った時に美少年だった彼は、今は順当に美青年に成長している。
いまだぼんやりとした頭で、朝焼けと美青年の組み合わせは最高だな、と思う。
彼はシャツのボタンをかけ、上着を羽織り、白い手袋をつける。薄い光の中で、均整の取れた身体がシャツに暗く透ける様はどこか神々しかった。
背の低い美少年が、丈高く逞しい美青年に変わるのだから、人間の努力と年月は恐ろしい。
彼はすべてを身につけて一旦ベッドの脇に戻ってくると、その手袋をはめた手でわたしの頬を撫でた。
やさしい手は、くすぐったい。
「もう少し寝てればいい」
「うん、そうする」
頷けば彼は金色の影を落としながらその緑の目を細め、やんわりとわたしの頬をつまんではすぐ離し、そのまま背中を見せた。
昨日のままの服装で、くしゃりと乱れた髪のままで。
ああ、好きだなぁ、と思う。
そして今、すごく幸せな瞬間だとも。
「いってらっしゃい。気をつけて」
わたしが声をかければ振り返り、少しはにかんだ顔で頷いた。
「じゃ」
彼は軽く片手を上げて部屋を出て行った。わたしは手をひらひら振って応えた。
じゃあね。
さよなら。
あと、ごめんね。
周りに憚ってあまり音が出ないようにしてドアが閉じられれば、とたんにガランとした部屋が浮かび上がる。
ああそうだった。
暗かったし、何より彼がいたから、そんなことどうでも良くて気にならなかったけれど――。
もうここには何も無い。
部屋を見渡して、一つうなずく。
うん、これでいい。
二度寝から起きたら、片付けだ。バケツと雑巾を借りてこなくちゃ。
わたしは彼の匂いの残る毛布をかぶった。
罪悪感は残るが、それでも、こんな軽くて幸せな気分は久しぶりだ。
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わたし、シェリル・ゲイトは昨日付で騎士を辞めた。
主と決めていた王女殿下が他国に嫁いでいかれ、護衛の任を解かれたからだ。
出来ることなら殿下の嫁ぎ先でも侍りたかった。だが、今回の婚姻では騎士は同行できぬ、侍女の数も最低限に限られると国同士で取り決められ、それは叶わなかった。
護衛の任は、花嫁一行が国境に着くところまでだった。
殿下は、国境で馬車を乗り換えた。その時、わたしの手を取って「今までありがとう」と言ってくださった。
それで充分だった。
わたしは王女殿下のためなら文字通りなんだって出来た。それくらい自分を、剣を捧げた相手だったのだ。
殿下に初めて拝謁したのは、女性騎士になると決めて訓練所に入った頃だった。その訓練所に殿下が視察に来たのだ。多分、殿下と年の近い女性騎士見習いが出たと聞いて、相性を見るため、引き合わせに来たのだと思う。現にわたしを含めそこにいた見習いから、殿下の担当となった。
砂埃の酷い場所に訪問するためだろう、子供用のドレスを乗馬服に着替えた殿下が現れたのだ。
ざわりと、無言で空気が動いた。
年少者と教官しかいない訓練所に王族が来るなど、滅多にないことだ。辛うじて声には出さないが、訪問を聞かされていなかった訓練生は総じて驚いている。勿論わたしもその一人だった。
王家に多く出る濃い色の金髪は一本の三つ編みにまとめ、幼いながらも整った面立ち、何よりも聡明さが滲み出た立ち姿。後から聞けば、他国へと嫁ぐだろうことはこの頃から決まっており、決して傲慢にならぬよう厳しく躾をされたという。
それからしばらくして、何人かの騎士候補の少女が王女の下へ見習いの一環として侍るようになった。
そして侍るようになってわかったことだが、王女殿下は外で身体を動かすことが好きだった。有事のときのために、王女であれば必要になると必須科目である乗馬の練習を殿下は殊の外好んだ。というより、座学を詰め込まれがちになり、のびのびと身体を動かす機会が乗馬とダンス以外にあまりなかった。
そして乗馬の時間は、所作の訓練の一環でもある美しいドレスでもなく軽装の乗馬服で、殿下の表情も明るく、少しだけ子どもらしくはしゃぐ事を許された楽しい時間でもあった。
だがある日、はしゃぎ過ぎて失敗をしてしまった。前を見ずに殿下が走り出し、お付きのわたし達が追いつく前に、厩係にぶつかり双方転倒し、係が持っていたバケツの水をぶちまけ、乗馬用のズボンを濡らしてしまった。
今思えば、所詮子どもがやること――はしゃいで転んだり、何かにぶつかったり、怪我をしてしまうことなどよくあることだ。ただそれだけのことだが、それが笑い話で済まされないのが王宮である。
厩係とわたしたちお付きは上役に呼び出され、叱責を受けた。わたしたちは青い顔をして直立不動で聞いていた。
そこに着替えを終わられた殿下が現れた。そしてさっとわたし達の前に立つと、こう仰った。
「王族であるわたくしの咎で、護るべき国民を傷付けるわけにはいきません」
この瞬間、わたしは殿下に完全に落ちてしまったのだ。
……わたしには殿下だけだと。
勿論、上役は「お心は有り難く、ご立派ですが、この者たちにも役目というものがあります」と殿下にもお説教をはじめた。わたし達は並んで説教を受けた。
この時の殿下に、己が語った言葉の意味がすべてわかっていたとは思わない。だが、講師に言われていた言葉を心に留め、自分なりに考えてわたし達をそう見るべきと見ていた、と思うと心が震えたのだ。
発言した王女殿下も、それを受け取ったわたしも拙い背伸びだったのかもしれない。
後からどう思おうが、他人の目にどう映ろうが、わたしにはそれが全てだ。
あの瞬間に決めたのだ。
だから、わたしの主は王女殿下だけだ。殿下以外のために剣を振るう気にはなれない。
だけれど、剣を捧げた相手に侍ることは、もう許されない。
――ならばもう良いではないか。
そのまま辞表を書いた。ある程度引き止められたが、殿下に対するわたしの忠心を知っている上司は、最後は折れてくれた。
やがて王女殿下専属護衛の班は解散した。
そのままわたしは騎士を辞めた。
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