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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

あおばお婆ちゃんの独白

作者: 時雨 朝

からからと、老婆は笑ってみせた。

その笑顔を見た時。

目の前にいる94歳のお婆ちゃんは、只者ではないと、感じてしまう。


「そうなんです、名前ばっかり若いんです、あおばなんて」


また、笑い始める。

かなり老齢のあおばお婆ちゃんは、そんな自虐ネタを交えながら、目の前の湯呑みに、お茶を再び足して。


話を続けた。


「あれはですね、昭和15年くらいですかね、近所のお兄さん、まさるさんに恋をしたんです」


そこから、あおばお婆ちゃんの独白が始まった。

あおばお婆ちゃんは昭和3年の春生まれ。

恋をした時は12歳だったと言う。


それから3年経った昭和18年。

勝さんは、招集され、戦地に赴いたそうな。


でも、生きて帰ってこれないかもしれない。

そんな話をされた時。

あおばさんは勝さんを受け入れて。

夫婦にはなれないけれども。


一度だけ関係を持ったのだという。


それから間も無くして、子供をみごもっていることがわかり。


それを家の両親に話したら、なんとしても、産みなさいと言われて。


家の畑を手伝いながら出産。

昭和19年の夏に生まれたその男の子にお父さんから字をとって、勝人まさとと名づけた。


あおばさんは、こんなに戦争がひどくなるさなかに産んでしまって申し訳ない。


と思いつつも、生まれたばかりの勝人くんに、勝さんの面影すら、感じたと言う。


勝人くんがまだ1歳にならないうちに。

勝さんは戦死。


勝人くんが1歳になる10日前。

なんとか戦争が終わって。


日本中がめちゃめちゃの中。

この子をどう育てよう?


そうとう苦しんだそうだ。


世間は冷たかったそう。

戦争が終わって、体の調子も戻り始めた次の年、17歳の未婚の母として。

勝人くんを食べさせていかなければならない。

そう思ったあおばさんは。


家の畑だけではなく。

寝る間も惜しんで、裁縫や編み物をして。

近くの街に、それを売りに行った。


集落の手先が器用で、道具の作り方なら、かなり物知りなお婆ちゃんからカゴや履き物の作り方を教わって。

勝人くんのためなら、なんでも作って売ったそう。


勝人くんが8歳になろうとしていた。

昭和27年。

結婚の話があおばさんのところにきたそうです。


あおばさん、その時24歳。

お相手は、街に住む。商店の男性で。

戦争が原因で、婚期を逃していた男性だったそうです。


あおばさんは快諾。

それまで培った、カゴづくりや。

手先を使った仕事をして、新しく養蚕なども始めて。


商店を手伝ったそう。

暮らしは楽になりながらも。

勝人くんが大きくなった時、学校などにもしっかり行けるように、貯金を増やして、店を切り盛りしていたそう。


子連れのあおばさんは、最初、子供を捨てるようにと、相手に言われると思っていたそう。


でもその男性は、戦争で負傷して帰ってきて。

あおばさんが手伝ってくれなければ、店をたたむしかないくらい参っていたそう。


神経がやられて、長く立てない亭主に代わり、あおばさんは女手一つで、店を回し。

勝人くんが中学に上がる。

昭和31年ごろには。

店の裏で、商品を作る従業員が雇えるくらいには。

業績は、よくなっていたそうです。


勝人さんが高校生になる時。

昭和34年ごろ。


勝人さんは今まで通り。

あおばさんの手伝いをして、生活するんだと。

義理の父親に言ったそうです。


しかし父親は、首を縦には振らず。


「いいか勝人、これからは、憲法が変わったから戦争はない、お前のお母さんが死んでも商売できるように、商業高校に行きなさい、自分一人で店がやれるくらい、勉強しなさい」


その言葉を受けて勝人さんは猛勉強。

翌春、地元の商業高校に入学。


今となっては、高校受験なんて当たり前の話かもしれませんが。


昭和30年代というのは。

普通の子は中学をでたら。

働いてたんです。

勉強もそんなに得意でなかった勝人さんには無理をさせたと。


あおばさんは振り返ります。


そんな時です。

年老いた勝さんの両親が訪れます。

菓子折りと、勝さんが生前家に送り続けた手紙を持ってきました。


全てで4通。


一つの手紙にはこう書いていました。


あおばはわたしの子を妊っているかもしれない。

もし生まれたら、親父、お袋の孫に当たるわけです。


あおばもそんなに貞操のない女性ではないし。

いい子です。

もし孫が困ったら助けてあげてください。


私には、この国を残してやることしかできません。


私の辛さと、あおばに何も言わずに村を離れるのは我慢できないと言って告白し、関係を迫ったのは私です。


私のワガママだったのです。


あおばの不貞ではありません。


どうか、あなたたちの孫を嫌わず見守ってあげてください。


それを読んで、勝さんの両親になんて言ったらいいかわからず、見つめていると。


勝さんの父が口を開いた。


「新しい結婚相手を探すのに、9年もかかってしまったことは申し訳ない、でも信頼できる、勝の遠い親戚にしたんだ、勝と仲良かった人だ」


それを聞いてハッとして、亭主の方とみると。

勝さんの父と見つめ合い、うなずいただけだった。


あおばさんはそのことを知らなかったと言っている。


そんな衝撃的なことが判明してから。

すぐに次の手紙を読まされた。


内容はこうである


先日の手紙で、男の子が産まれたのはわかりました。


きっとあおばに似て、真っ直ぐな子に育つと思っています。


親父、お袋にお願いです。

私が軍で手にしたお金。

もし戦争で死んでしまった時に出る、国からのお金は。


全てきんにかえてください。

そして半分は親父とお袋に。

半分は、我が息子にあげてください。


15歳にもなれば。

立派に働くでしょう。


その時の気つけにあげてください。


それまでは、しっかり取っておいてください。


そこまで読んで、戦争で死んでしまい。

今まで何もわからなかった戦争中の勝さんのことが、理解できたのだと言います。


「わたしらも畑やってるから、食うものには困らなかったし、金を使う機会があまりなくてね、1割しか使ってない、だから残りは全て孫にあげます、ところで孫の名前はなんていうんです?」


「勝人です」


「まさと、いい名前だ」


「お父さんの勝さんから、1文字もらったんです」


「それは勝も、喜んだことでしょう、わたしらも孫と会えなくて、辛かった、今日は勝との約束を果たしにきた、孫には黙っててください」


「もう15年も前のことです、勝人も恨んではいないと思いますよ」


「いいえ、けじめは、けじめです、孫も抱けなかったけど、これは中途半端な形で、あなたに子供を押しつけた償いでもある」


その言葉を聞いた時。

言葉が出なかったあおばさん。


「勝は国のために戦いました、だから孫だけは、幸せな人生を歩んでほしいのです、それが私らの願いです」


勝さんの父がそこまでいうと。

奥さんが抱えていたトランクを差し出した。

すごい重さだった。


勝さんの真っ直ぐさに惚れたが。

その父親も生きて帰ってきて。

これが受け取れたらと。

切なくなったが。

あまりの辛さに声が出なかったという。


ご両親はすぐに帰ってしまい。


あおばさんはアドバイスを受けながら。

すぐに銀行にそれを預けたんだそうです。


勝人さんにも黙っていて。

勝人さんが、大人になり、困った時に使おう。


という話でまとまりました。


勝人さんはいうと。

高校をそれなりの成績で卒業すると。

地元の、お店に就職しました。

モノの売り買いや、新しい商品を知り。


この地域に大きなお店を作るためです。


連日作業部屋に籠り、服やバッグ。

アクセサリーのデザインを描いていたそう。


そのまじめに絵を描くのを見ていてあおばさんは微笑ましく思っていたそうです。


その頃は画材などはすぐ買える時代。

画材がない中かき集め。

川や、山をスケッチしていた、勝さんのことを思い出したのだとか。


間違いなく、勝さんの子だなと。

暖かい気持ちになったと語っています。


孫が産まれたのは。

昭和39年。

東京オリンピックの年。

勝人さんが20歳。

あおばさんが36歳の時。


男の子で直人なおとと名付けられました。

勝人さんの奥さんが直子さんと言い。

二人の名前をくっつけたんだそう。


それからは、あおばさんはおばあちゃんになり。

可愛い孫のため、直子さんを手伝ったり。


直人くんのおしめを変えたり。

大忙し。


少し大きくなった孫はテレビに夢中で。

あおばお婆ちゃんはわからないながらも。

話を合わせたり。


孫と一緒にテレビを見たりしていたそう。


あおばさんの感覚では考えられないくらい。

幸せそうに暮らす孫を見て。


それは楽しかったそう。

勝人さんも。

直人さんも。

勝さん譲りの大きな目。


通った鼻筋。


それはいい男になると、小さな時に思ったそうです。



小学に入ったのをきっかけに。

パパみたいにかっこいいデザイナーになるんだ。


なんて言って、直人さんは勉強が忙しくなり。


なかなかお婆ちゃんのところには遊びに来なくなったんだとか。


昭和59年。

直人さんが20歳。

勝人さんが40歳。

あおばさん56歳。


その年の冬でした。

勝人さんの義理の父。

あおばさんの旦那さんが。

62歳でお風呂で倒れ。


急逝します。


あおばさんは、色々助けてもらったこと。

勝人さんをきちんと育ててもらったこと。

若い自分が嫁に来たのに。

ワシは戦争で神経やられちまっててな、夜の方は全然ダメなんだ。

など言いながら。


あおばさんには一切手を出さなかったこと。


それらを思い出して、かなり泣いたそうです。


でも49日がすぎる頃には。

直人さんをしっかりと育てなければと思って頑張らなければと思ったそうです。



気持ちを切り替え。

亭主の残した店でまだまだ働いて。

直人さんが大学に通うための仕送りなどを助けました。


昭和61年。

大学を卒業した直人さんは、念願の洋服メーカーのデザイン部門に就職。


パリコレにも出せる服を作る。

などと息巻き。



あおばさんは、孫の代までに、日本が信じられないくらい変わったことに驚いたそうです。


直人さんはもちろん。

直人さんのおじいさん。

勝さんは戦争に行くしかなかったことなど。

詳しくは知りません。


のびのび育つ直人さんに陰ながら涙を流したこともあったそうです。


この時代は大学まで頑張れば。

世界も目指せた。


直人さんのお爺ちゃんの代までは逆に世界と戦争をして。

国が悲惨だったことなど。

本当にみんな忘れていた時代だったと。

あおばさんは振り返ります。


それから直人さんは4年の間。

アメリカやフランス。

イギリスなどをまわり、デザインの武者修行をしました。



そして平成2年終わり。

その業績が認められ。

事務所を作り、独立しようか?


なんて話が出て。

どこに事務所を立てようか?


フランスか?

アメリカか?


なんて算段をしていた時です。

バブルが崩壊します。


直人さんの会社も大幅なリストラを余儀なくされました。


あおばさんは残るように説得しましたが。

このままだと会社がなくなると突っぱねられ。


直人さんは日本国内に残りながらも。

洋服をデザインから製造までする会社を設立。


それまでのデザイン料で稼いでいた直人さんは。

会社を作ってすぐに結婚。


平成6年に式を挙げ。

翌年、平成7年には。

女の子が生まれます。


ここで問題が出てきます。

あおばさんの子供たちは。

実は全員男の子。


しかも、一人っ子ばかりです。

そこで、女の子の名付けに白羽の矢が立ったのが。

あおばさんでした。

その時69歳。


あおばさんは自分の名前が。

いつまでも青々とした葉っぱのように。

元気に生きてほしい。

という願いから。


あおばだったのを覚えていたので。


同じ植物の名前が良いと考えました。

そして、いくら厳しい冬がきても。

必ず春には花を咲かせる。


さくらと名付けます。


ひ孫の名付け親になるとは、あおばさんも思ってませんでした。


ひ孫のさくらちゃんとは。

さまざまなところに行きました。

テーマパークや。

演劇。

映画。

ミュージカル。


直人さんの頃のテレビですら。

かなりすごいと思ったそうですが。


その選択肢が格段に増えていることに驚いたと言います。


ひ孫のさくらちゃんは。

コンピューターの前で。

音を聞きながら英語の勉強をしたり。

小学校に上がる前に。

字の読み書きができたそうです。


そしてさくらちゃんは。

あおばさんが勝人さんを産んだ歳。

つまり、16歳になりました。

高校一年生。

平成23年のこと。


あおばさんはその姿を見て驚きました。

若い時の自分にそっくりだったからだそうです。



さくらちゃんは彼氏ができて。

家に連れてきました。


お相手は2つ年上の好青年でした。

部活の先輩でとても、信頼しているとの話でした。


そのタイミングで。

直人さんからあおばさんは相談を受けたそうです。


今、子供ができると困る。

みたいな話だったそうです。


あおばさんはさくらちゃんを信じるしかないじゃないと直人さんを説得。


そこからその二人は。

高校、大学とお付き合いをして。


彼氏さんは。


大学卒業後。

海外のニュース記事を翻訳する仕事を始めた。


その2年遅れで。

さくらは通訳の仕事に就いた。


そこまでで平成29年。


この年。

あおばさんは不意の転倒で足を捻る怪我をしている。


その時には。

かなり入院しましたが。

玄孫の顔を見るまで死ねるかと。


なんとか退院。

老齢ながらも、リハビリを耐え抜き。


普通に歩けるまでになりました。


そして今、令和4年。

目の前でこの話になるわけです。


すごく気が遠くなるくらいの前からの話に。

びっくりしましたが。


あおばお婆ちゃんはこう結びます。


今はウクライナが攻められたり。

色々日本のまわりも不安定になってるんだ。


さくらにわたしと同じ思いはさせたくない。


なんならあの時に銀行に預けた金だってまだ残ってる。

だからとっとと結婚しなさい。


未婚の母なんて死ぬほど辛いんだから。


その、重みの違う言葉を受け止めて。

ぼくは、さくらと結婚することを決めた。


-了-

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― 新着の感想 ―
[良い点] とても素敵な小説でした……。あの荒れた時代のなかで、こんなふうに愛を胸に抱き締めて生きた御方がいたのかな……と想い、涙が溢れそうになりました。
[良い点] こんにちは ツイッターから来ました 登場人物の名前にちゃんと由来があって、短いながらも掘り下げや裏付けがあり、十分に楽しめました 序盤の掴みが巧いように感じます [気になる点] 〜のよう。…
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