―4―
「なんで……」
思わずつぶやいた。その時、
「誰だい? 私の城に入り込んだ者は」
腹の底に響くような、それでいて氷の手に心臓をわしづかみにされたような、芯から冷え切った声が聞こえてきた。
「なんでだよ……」
「何がだよ!」
さっきから一人で困惑している読真に、朗は苛立ちを隠せなかったらしい。
「さっきから、何をぶつぶつ言ってるのさ!」
「雪の女王だよ! この声、雪の女王が戻ってきたんだ」
「え! そっか。カイがここにいるってことは、ここが女王の宮殿なんだよね。僕もさ、雪の女王がカイを連れて行くのを見たって聞いたから、ゲルダとここにきたんだよ。雪の女王って、すごい力を持ったバケモノなんでしょ? たいへんだ。隠れないと!」
「物語じゃ、雪の女王が戻ってくるはずがないんだ。それに、カイとゲルダが再会した時点で『永遠』の形はできて、カイは自由になれるはずなんだよ」
「はずって言っても、雪の女王は戻ってきちゃったじゃん。それに、『永遠』の形って?」
読真と朗が話していると、猛吹雪が大広間を駆け巡った。四人は身を寄せ合い、なんとか寒さに耐える。
「おや、カイ。心臓に熱が戻っているね。もう一度、凍らせてあげようかね」
氷のドレスを翻しながら現れた雪の女王は、まるでモデルのように背が高く、腰がきゅっと引き締まっていて鼻筋もよく通っている。不健康そうな青白い肌だけが気になったが、それさえも魅力的に思えるほどに美しい姿をしていた。
「……寒い……もう、無理……」
吹雪は相変わらず続いている。半ズボン姿の朗の足は、真っ赤に腫れていた。それを見た読真は、
「朗、これを持っていろ」
そう言って、淡く光る珠を朗の手に握らせる。
「神様からもらったんだ。それを持っているとそんなに寒さは感じないだろ?」
「うん……。ていうか、アニキ。神様に会ったの?」
「会ったよ。でも、アンナの言っていた神様じゃないみたいだった」
「え? 神様って、一人じゃないの?」
「そうみたいだな。たくさんいるらしい」
朗に光る珠を渡した途端、読真からは急激に熱が失われていくようだった。
「雪の女王」
奥歯をがちがちとさせながら、雪の女王のもとへと一歩進める。
「あなたは、どうして永遠を求めるんですか?」
「人は、いずれ死ぬ。人だけではない。生ある者は、老い、そして必ず死ぬ。永遠に美しく、永遠に若々しく、永遠に愛する者と一緒にいたいと思うのは当然ではないのか」
「ここにくる途中、凍りついた集落を通りました。あれも、あなたがやったんですよね?」
「賑やかな村だったろう? あれは、もう二百年も前から変わらずにあり続けている。駆けっこをする子供たちのはしゃぐ声が聞こえてくるようではないか」
「でも、聞こえてこない」
「……」
「あんなものは抜け殻だ。氷が溶ければ、脆く崩れてしまう」
「溶けなければいいのよ。私が溶かしはしないわ」
「あんな……形だけの永遠に、何の意味があるって言うんだよ」
「お前のような子供に、何がわかる!」
吹雪が、より一層激しさを増した。そこで、雪と氷が荒れ狂い舞う中、読真は最後の切り札ともなる名前を口にする。
「ニコラウス」
すると、あれほど激しかった吹雪がぴたりとやんだのだ。
「ニコラウスが、あんたのことを心配しているよ」
「嘘をお言い。ニコラウスは……二コラは、もう、ずっと昔に死んだのよ」
「嘘じゃないよ。だって、あんたの城がここにあるって、ニコラウスから聞いたんだから」
「お前、私に会うために、わざわざここまできたのかい?」
「……できれば、会いたくなかったよ。でも、ニコラウスから伝言を預かっていたから」
「伝言?」
「雪の女王に会えたら伝えて欲しいって言ってた」
「……ありえない」
「なら、聞かなくていいの?」
「……」
「吹雪をとめて!」
読真の後ろから声が上がった。
「交換条件だよ。伝言を話す代わりに、この吹雪をとめてよ」
朗の言葉を受け、
「この吹雪をとめて」
と読真が口にする。すると、激しかった吹雪が嘘のように静まった。そこで、読真も約束を果たすべく口を開く。
「すまなかったって言っていたよ。あの時、約束を守れなくてすまなかったって」
読真がそう告げると、少しだけ室温が上昇したように感じられた。
「必ず帰るって言ってたんでしょ? でも、帰らなかった。……帰れなかったんだ。だって、ニコラウスは、戦争で死んでしまったから」
「私は、待っていた。ずっと、二コラの言葉を信じて……ずっと……」
「ニコラウスだって、本当は帰りたかったんだよ」
「でも、帰らなかった。約束したのに」
「ニコラウスを恨んでいるの?」
「ええ、恨んだわ。心の底から」
室温が、また急激に下がっていく。
「二コラが戦争に駆り出されてから、彼を待つ日々が続いた。戦争が終わってからも、待ち続けた。二コラがいなくなってからどれぐらい経ったのか……私は、もう待つことに疲れていた。それで……ある晩、湖に身を投げたの。約束を破った二コラを恨みながら」
「……」
「気がついたら、私は湖の畔で眠っていたわ。体は氷のように冷たかった。でも、不思議と寒くはなかった。息を吐くと、そのひとつひとつが氷の剣となって、触れるものすべてを凍りつかせる力を持っていたの。その時に悟った。私は、もう……人ではなくなったのだと」
「え! 雪の女王って人間だったの?」
朗の声が、緊迫する二人の間を駆け抜ける。
「ほんの二百年ほど前までは、ね」
雪の女王がそう答えた。
「人だった頃、私は永遠を信じていた。けれども、それは幻想だった。永遠など存在しない。生きとし生ける者は、みな老い、そしてみな必ず死んでいくのだから」
「だから、凍らせるの?」
「そうよ。凍らせてしまえば、永遠だもの。永遠にその美しさを保つことができるのだから」
「そんなの、間違ってる!」
読真の大声が大広間に轟いた。
「ニコラウスは死んでない!」
「……馬鹿なことを。二コラは戦争で死んだ。たとえ戦争がなかったとしても、人間が二百年以上も生きるものか」
「でも、ニコラウスは今も生きている。肉体は滅んだかもしれないけど、ニコラウスの魂は生き続けているんだ。そして、ニコラウスは、雪の女王となってしまったあんたを、今もずっと心配しているんだよ。だから、早くさ……ニコラウスのところに帰ってあげなよ!」
その時、一筋の光が大広間の中央に射し込んだ。その光は、徐々に光量を増して広がっていく。そして、直径二メートルぐらいまで広がったかと思うと、ぱっと、突然に消えてしまった。
ただ一人……ふさふさの白い髭を湛えた老人だけを残して。
「あ、神様!」
読真が叫ぶ。
「神……だと?」
雪の女王の周りには再び雪が舞った。
「もうよせ。ルイーセ」
神様の言葉に、雪の女王を取り巻く吹雪が治まる。
「ルイーセ。私が、わからないか?」
「……」
立派な白い髭を蓄えた神様の姿が、不思議なことに、見る間に若々しい姿へと変わっていく。
「……二コラ」
「ルイーセ。約束を守れなくて、すまなかった」
「……私は……私だけが、置いて行かれることに耐えられなかった。だから、私は、永遠を手に入れようとしたの」
「永遠なら、誰しも持っている。肉体は滅びようとも魂は残る。魂に刻まれた経験や感情も消えることはない。形だけの永遠を求めることは、もうやめなさい」
そう言って神様が雪の女王を抱きしめると、雪の女王の心臓の辺りに、ぽっと光が灯ったのが見えた。その光には見覚えがある。吹雪の中、読真をずっと温めてくれていた光の珠と同じ色をしていた。
「……私は、滅びるのね」
雪の女王の体が溶けかけている。けれども、神様は首を振って答えた。
「滅びはしない。反省の時間は与えられるかもしれないが、今度こそ必ず迎えに行く。約束するよ」
その言葉が終わると同時に、雪の女王の体は完全に消えてしまった。床一面には、大きな水溜まりが残されている。
「さあ、君たちも早く逃げなさい。雪の女王を失ったこの城は、間もなく崩れるだろう」
若返った神様の言葉に、慌てた四人はきた道を戻ろうと走り出す。しかし、読真と朗は神様に止められてしまった。
「ちょっと、何するの? ゲルダたちが行っちゃったじゃん!」
不満を口にする朗には構わず、神様は至って冷静に大広間の奥を指差す。
「お前たちが進むべきは、この先だ」
「さらに奥へ行けってこと?」
読真が尋ねると、神様は満足そうにうなずく。
「この先の扉を抜けなさい。『永遠』の意味を理解したお前たちには、この先に行く資格がある」
神様の言葉はよくわからなかったが、それでも読真はこくりとうなずいた。
「行くぞ、朗」
朗の腕をがしっとつかむと、読真は大広間の奥にある扉を目指す。
凄まじい音が背後から迫ってきた。城がもうじき崩壊するのだろう。
扉に手をかけた時、足元の氷が砕け散った。
「うわあ!」
朗の叫び声が聞こえる。読真は、朗の腕をつかむ手にさらに力を込めた。そして、扉を開き、沓摺に足をかける。その一瞬、読真は振り返った。
崩れゆく大広間の中央で、氷のパズルは確かに……「永遠」の形を作っていた。